296 新しい家族2
自分の家だからなのか、美咲の言葉に過剰反応してしまったのか、明らかに俺は油断していた。ここ最近、美咲をさん付けして呼ぶ機会が無かったのも一つの要因だろう。
響は無表情に何も言わないけれど、愛は完全に疑っている感じだ。
眉間にしわを寄せて、愛がダイニングテーブルの椅子を指差す。
「明人さん、美咲さん。ちょっとここに座っていただけますか?」
どうやら事情聴取したいようで、俺と美咲が並んで座ると愛が対面に座った。
愛の後ろに太一と綾乃、響が立ち並ぶ。
「あの、これはどういうことでしょうか? どうしてか教えてもらえませんか?」
愛の真剣な眼差しが俺たちを突き刺す。
正直に言ったところで分かってくれるだろうか?
美咲自身に呼び捨てがいいって言われたからなんだが……。
俺は美咲にアイコンタクトを送り、どうするか相談してみた。
俺の目配せに美咲がちらっと反応する。察しのいい美咲のことだ、俺が目で訴えてみて何を考えてるか読んでくれるだろう。
とりあえず、しらばっくれたい。俺がつい調子に乗ったということにしてしまえば……。
だから、美咲もその話に合わせて欲しい。
と、思ったのだが――あれ? 美咲の様子がおかしい。
何で俺のアイコンタクトを受けて、両手を頬に当ててクネクネしだしてんだ?
あの、もしもし? もしかして、すっごい勘違いしてない?
「俺が言いたいこと分かってんの?」
不安になった俺は美咲にぼそぼそと小声で聞いた。
「え? いっそのこと付き合ってるとか言うんじゃないの?」
おいこら、よりによってそんな嘘ついてどうするんだ。
余計にややこしくなるだけだろ。
「あああああああっ! もう、何ですか!? 何を二人でコソコソしてるんですか!?」
俺たちの態度を見てイライラした愛が叫ぶ。
愛のイライラした姿を見た響が愛の肩に手をポンと置く。
「愛さん、落ち着きなさい。明人君が美咲さんのことを呼び捨てにしてたのは前からよ。でも、愛さんが勘ぐってるようなお付き合いはしてないわ」
「何で響さんがそんなこと言えるんですか!」
「だって私、明人君が美咲さんのこと呼び捨てしてるって知ってたんですもの」
「「「「えっ?」」」」
響の即答に美咲を含めた四人が驚く。
響は校外学習で俺が美咲を呼び捨てにしてるところを聞き、俺に注意した。
美咲と太一が何か言いたそうな顔をしているけれど、もしかして黙ってたから怒ったか?
「明人君は前に誰かを好きになったなら、ちゃんと言うって言ったわ。呼び方がどうであれ、明人君が誰かを好きになったって言い出していないのだから、気にすることではないと思うわ。まあ、礼儀という観点なら年上を呼び捨てにするのはどうかと思って一度言ったことがあるのだけれど、美咲さんと二人だけの時みたいだし問題ないんじゃないかしら? 一応は使い分けていたみたいだし」
響の話に納得できたのかできなかったのか、愛が微妙な表情を浮かべる。
「では、愛も同じように呼び捨てにしてください。考えてみたら明人さんは響さんのことも呼び捨てにしてますし、愛もそうして欲しいんです」
言いたいことは分かるんだけれど、今更変えるっていうのは……。
俺としては、愛ちゃんと呼んでいるのは親しみを込めてるつもりなんだけど……。
と、その時、ぐるるるるると腹の鳴る音がした。
太一が照れ隠しのように大袈裟にお腹を押さえて零す。
「あ、緊張感無くてごめん。俺、マジで腹減ってるんだわ」
愛は話の腰を折るなと言わんばかりの視線を太一に向けるものの、立ち上がり、
「とりあえず、冷めたら味が落ちてしまうのでご飯にしましょう。お話の続きはそのあとにでも」
リビングのテーブルに料理を並べ、みんなでテーブルを囲むように座って昼食開始。
昼食は太一がリクエストしたハンバーグ。俺も久しぶりに食べてみたくてそれに乗った。
俺も以前に物は試しとハンバーグを作ったことがあるのだけれど、ここまで綺麗な形に作れなかった。
愛が作ると同じメニューでもなんでこう見栄えが違うんだろう。店で頼んだようなものが普通に出来上がってる。
添え物であるポテトサラダは響が作ったものらしい。
見栄えも完璧。三鷹さんに少し料理を教わっていると言っていたが、これは問題ない部類だろう。
自宅で食う昼飯にしては豪華な感じなのに、少しばかり嫌な空気が流れる中での昼食。
いただきますと口にした以降、誰も口を開いていない。
俺の正面に座る愛はチラチラと気にしたように俺と俺の隣に座る美咲に視線を飛ばし、俺の右側の太一とその対面に座る綾乃は微妙な表情で箸を進める。
愛の隣に座る響と言えば、気にしていないのかいつもの無表情で箸を進めている。
何だか通夜のようなこの雰囲気に、せっかく愛と響が作ってくれた美味い料理を楽しめない。
言うだけ言ってみることにしよう。
「えーと、とりあえずなんだけど……もう開き直るんだけど、俺が美咲のことを呼び捨てなのは、本人の希望からなんだ。俺も年上をそう呼ぶのは引け目があったんだけど、最終的に俺はそれに乗った。ほぼ毎日一緒にいると気にならなくなっちゃってさ。てか、この人中身は子供だし、何ていうんだろうな年齢差を感じないんだよ」
「あっ!? またそれ言った! 子供じゃない……し……」
美咲が横から口を挟んできたので一睨みすると語尾も絶え絶えに黙り込んだ。
話なら後で聞いてやるから、今は邪魔すんな。
今回は俺の意志がしっかり伝わったらしい。
「だけど、付き合ってるとかそういうのは無いよ? 俺まだそういうのよく分からないし、響も言ったように分かったときにはちゃんと言うから。ここで一緒に暮らすようになったのもお互いの保護者の問題だし」
美咲の保護者である春那さんが一緒に暮らすから、美咲もこの家で暮らすのだ。
これが事実であり美咲自身の理由ではない。
「……美咲さんの件については、お付き合いしている訳でもなく、ご本人からの希望というのは了解しました。では、愛の呼び方についてなんですが。その理屈で言うなら愛も呼び捨てで呼んでいただけると思うのですが」
確かに愛の言うとおりである。
本人の希望というのなら、愛もまたそう希望している。
「……前から思っていたのですが、明人さんは愛に対して遠慮しすぎじゃないですか? 美咲さんに対する態度といい、香ちゃんに対する態度といい、太一さんや響さんに対する態度と愛に対する態度では全然違うんです。もっとふらんけんにしてもらっていいんですよ?」
「「「「「フランケン?」」」」」
「愛さん、それを言うならフランクよ?」
「――だそうです」
響の訂正に愛は照れもせず受け取った。
太一と綾乃が俯いてプルプル震えてる。どうやら何かを想像してツボに入ったらしい。
色々と台無しなところもあるが、俺は愛の話を真摯に応えるべきだろう。
「それじゃあ、愛ちゃんのことも愛って呼ぶってことでいいのかな?」
「はい! 是非そうしてください!」
「愛ちゃん、俺も呼び捨てにしていいの?」
太一が手を上げながら言うと愛は露骨に嫌そうな顔をした。
「え~、太一さんは何か嫌です。何か名前が犯された気分になります」
「ひでえっ!?」
いつもの昼食みたいに賑やかな雰囲気になってくる。
太一のことはともかく、これで通夜みたいな雰囲気はなくなることだろう。
そんな中、愛が姿勢を正して俺に視線を向けた。
「明人さん、それではお願いします」
「えっ!?」
愛が期待に満ちた目で言ってくる。
これは美咲の時と一緒か? 今すぐ言えってやつか?
改めて言うとなると照れるものがある。
「あ……あい――!?」
言おうとしたら、ぞくぞくと背中に伝わる悪寒。
気のせいか、冷気が漂っているような……。
特に左側にいる人から感じる。
横の美咲から小さな囁き声が漏れ聞こえる。
「おのれ……私の時は散々嫌だってごねたくせに愛ちゃんはすぐにOKだと? しかも滅多に見せない照れまで披露して……GMNだ、GMN決定だ」
横に面倒臭い生き物がいる。
横から聞こえる怨嗟の声は聞かなかったことにしよう。
乙女のメモ帳に書いていないから時間がたてば忘れるだろう。
愛の期待に満ちた目が「早く早く」と促してくる。
俺はほんの少し空気を変えるべく、ハンバーグを一切れ口に入れる。
よく味わって飲み干すと、
「ありがとう。愛の作った料理マジでうまいわ。いつも感謝してる」
愛は満面の笑みを浮かべ、横に座る響を掴みガタガタと揺らす。
「聞きましたか響さん。明人さんが愛のこと愛って呼んでくれましたよ!」
「目の前で聞いていたから。そんなに興奮しないでいいわよ?」
身体を揺らされてもそれでも表情が変わらない響だが、あいつも相当愛に慣れてきてるな。
「響さん冷たいです! 何ですか? もしかして愛の方がりーどしたからって拗ねてるんですか?」
「リード?」
愛の言葉に響がぴくっと反応した。
「愛さんは今のでリードしたと思ってるのかしら?」
「し、したじゃないですか!?」
響は愛の目をじっと見つめ何かを考えているようだった。
「な、何ですか?」
「……ふっ」
響が珍しく鼻で笑った。
「む、むかつく! 何で鼻で笑うんですか!?」
「いえ、別に……」
あ、これまた始まる。もう諦めよう。
太一もそう思ったのか、俺と同様に黙々と箸を進め始めた。
ぎゃんぎゃんと噛みつく愛に対して、響は飄々とかわしていく。
美咲と綾乃は二人の言い合いをオロオロと心配そうに見つめている。
俺は美咲に、太一は綾乃に、
「「あの二人は放っておいていいから、とりあえず食え」」
異口同音に告げた。
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