295 新しい家族1
土曜日、いよいよ引っ越しの日。
本居先生と春那さんの家には9時に引っ越し業者が来る予定だ。この家に着くのは昼過ぎになるらしい。
俺と美咲は受け入れ準備で午前中のうちに各部屋を掃除してまわる予定だ。
力の源である朝食はしっかりとしたものをチョイス。
昨日の帰りに買っておいた厚目の甘塩鮭と卵焼き、ワカメと豆腐の味噌汁にお新香。牛丼屋にでもあるようなメニューにしてみた。さて、朝食は出来上がり。テーブルに運ぶとしよう。
その前にーー
「美咲、いつまでも拗ねるなよ」
台所の片隅で膝を抱えている美咲。
美咲をいつものように起こしたあと、これまたいつも通り美咲はハグを要求してきたのだが、今日は忙しいからと断り朝食作りに移ったら、拗ねてしまい今の現状である。
仮にも俺より年上で成人なんだから、子供みたいな真似は止めて欲しい。
「ほら、さっさと座る」
「……ハグは?」
まだ、諦めてないのか……マジで面倒臭いな。
一日くらいしなくてもいいだろうに。
ああ、もういいや。俺が両手を広げた途端、嬉しそうな表情で立ち上がり、正面からぎゅうっと抱きついてくる。
美咲は引っ越し準備の邪魔になるということで、先行して一緒に暮らしているのだけれど、二度目だからか慣れたからか俺に対する態度は前よりスキンシップが増えている。
美咲はこれからは家族同然なんだからこれくらい普通と言うけれど、美咲が甘えたなだけだと思う。
家に居るときは何かとくっつきたがる美咲。
一応、俺が男だってこと分かってるのか?
同じ家に住むとはいえ、赤の他人なんだぞ。
俺だって美咲に抱きつかれたら、美咲の柔らかい感触に自分を一生懸命抑えなくてはならない時もある。
俺だって男な訳だし。ドキドキだってする。
男の生理現象も理解して欲しい。
残念ながら美咲はそういった方面は疎く、そもそも俺が欲望を我慢しているという考えが頭にないようだ。性的なことは自分に関わりがないと思っているのかもしれない。
もし、響や愛に毎朝美咲とハグしていると知られたらどうなるんだろう。考えただけでも怖い。
そんな俺の気も知らずに、満足そうな顔を浮かべて、俺の胸元にすりすりと顔を擦り付けてる美咲。今まで一緒に暮らしていた春那さんにもこんな風なんだろうか?
「美咲、春那さんにもこうやって毎朝ハグしてんの?」
「いるときはするよー。私、小さい時からの習慣なんだよね。起きたらお母さんにいつも抱きついてた」
お母さん、朝は忙しいだろうに大変だったろうな。
寝起きは悪いし、起きたら起きたで甘えてくるんだから。
「晃ちゃんにその話したら、次の日から起こしに来てくれるようになったの。お母さんは楽になったとかひどいこと言ってたけど」
あー、もうそれ晃の目的はハグだから。
絶対そうだから。
そんな絶好の機会を逃すとは思えない。
「春那さんは最初どうだった?」
聞くと、満足したのか俺から離れて顎先に指を当てて思い起こそうとする美咲。
「春ちゃんからおいでって言ってくれた。晃ちゃんから聞いてたみたい」
春那さん……美咲に甘いんだ。
美咲の生活力考えたら春那さんが全部負担して成り立っているわけで、悪い言い方すると美咲のためにはなってない。実妹の晃に対する厳しい態度を見たことがあるだけに、美咲にも厳しいのかと思ってたけれど、その逆だったか。
「春ちゃんに抱きつくと返してくれるんだけど、たまに窒息しそうになるんだよね。あのおっぱい凶器だよ」
そこは詳しく語ってもらおうか。
☆
各部屋の掃除を始める。荷物が到着するまでには終わるだろう。美咲が水回りの掃除を希望したので任せることにした。前に教えた時に上手くやれてたので余程のミスがない限り大丈夫だろう。
部屋割りは俺の隣に美咲。そのもう一つ隣の部屋が春那さん。本居先生は本人の希望で一階の和室を使う予定だ。床よりも畳が好きらしい。父親の部屋はそのまま、母親が使っていた部屋は、何だか使ってもらうことに少しばかり抵抗があって荷物置きに使うことにした。
掃除は問題もなく進み、二階は制覇した。一階の和室も残す所あとわずか。美咲は台所、トイレ、洗面所と掃除をしながら移動していき浴室にたどり着いたようだ。
春那さんたちはお昼過ぎに着く予定だが、まだ11時を回ったばかり。早目に昼食を取りたい所だが、肝心の物と人が来ていない。
もうそろそろ来るはずと思っているとチャイムが鳴った。
「明人君、私出ようか?」
風呂を洗っていた美咲が聞いてくる。
「いや、いいよ。俺が出るから。美咲はそっち終わらせて」
「はーい」
玄関を開けると、そこにいたのは太一に綾乃、響、愛だった。
太一は手に買い物袋をぶら下げている。
「待ってたぞ。手伝いばかりか買い物まで頼んで悪かったな」
「構わねえよ。人手があったほうが早く終わるだろ?」
「食事は愛にお任せ下さい。他のことはあまり役に立てませんので」
金曜日の昼食で引っ越しの話をしたら、みんなが手伝いに来てくれると言い出した。
「明人君もしかしてもう来た? あれっ、みんなどうしたの?」
風呂場からパタパタと出てきた美咲は太一らを見て驚く。
「あれ、言ってなかったっけ? 手伝いに来てくれたんだ」
「あ、そういえば言ってた。みんなありがとう」
「いえいえ、ところでお腹はまだ持ちますか?」
愛の質問に俺と美咲は頷く。
「今から用意させていただきますね。お台所お借りします」
「太一君荷物ありがとう。愛さん私も手伝うわ」
響は太一から荷物を受け取り、愛とともに台所へ。
愛と響が昼食を作っている間に、俺と太一、綾乃で美咲の使う部屋から荷物を母親が使っていた部屋に移動する。
押入れに仕舞っていた荷物を運んだところで、水回りの掃除が終わった美咲が合流。受け入れ準備が整った。
リビングに移動し、料理が出来上がるのを待つ。
「さっき荷物を出した部屋を美咲さんが使うんですか?」
「うん。今もあそこで寝てるからそのままがいいだろうって、明人君が」
綾乃の質問に美咲はさらっと答える。
「「「「……えっ!?」」」」
美咲の答えを聞いて、みんなが驚いた。
しまった、美咲が先行して一緒に暮らしていることみんなに言ってなかった。
「明人さん? どういうことでしょうか?」
愛、頼むから包丁持ったまま詰め寄らないでもらえるか。
一瞬刺されるかと思ったじゃないか。
「いつからなのかしら?」
響さん、その手刀は鞘に仕舞って貰っていいですか?
「みんな聞いてなかったんだ? 私がいると引っ越し準備の邪魔になるからって追い出されたの。それで明人君がどうせ一緒に住むからって言ってくれたの」
不穏な空気を感じ取ったのか、美咲から言ってくれた。
「いつからですか?」
「え、えーと火曜日の夜から」
「明人君、話す機会はいくらでもあったわよね?」
響と愛の視線が怖い。
確かに言う機会はいくらでもあった。
故意に隠すつもりはなかったが、わざわざ言う必要もないだろうと思っていたからだ。
「と、言うことはこの二、三日一つ屋根の下で二人っきりで過ごしていたってことか。おい明人羨ましすぎるぞ!」
「おい待て! ただ寝泊まりしてもらっただけだ。やましいことなんか何もしてないぞ」
「そうだよ! 明人君に朝起こしてもらう以外何もないよ」
美咲、ちょっと黙ろうか。
それ誤解を与えるから。
愛がぐぬぬと悔しそうな顔をする。
「明人君、今日泊めて貰っていいかしら? あなたの部屋で構わないわ」
「響さん!? 何を対抗意識燃やしてるんですか! 愛だってお願いしたいけど、パパが絶対許してくれないと分かってるから口にしなかったのに」
「だって……私も明人君に起こしてもらいたいんですもの。美咲さん、明人君はどういう感じで起こすんですか?」
「えっ、基本優しいかな。私がちゃんと起きるまでいてくれるし」
「もっと具体的に」
これ色々とヤバイ気がしてきた。
このままだと、美咲がハグのことまでゲロするような気がする。
「抱き起こしてくれるって感じかな?」
「……明人君、後でベッド貸してもらえる? お昼寝させてもらいたいの」
響、お前は俺に何をさせるつもりだ。
「明人、お前美咲さん相手によく我慢できるな? 俺なら夜這いーーげふっ!?」
太一が不穏なことを言いかけたが、横にいた綾乃がボディブローの一撃で沈めた。今のパンチは重そうだったな。
「明人君も男の子ですもの。そういう気になることだってあるわよね。なんなら私で解消してもいいのよ?」
響、お前は何を言ってるんだ?
寝てる美咲に対してそんな気持ちなんぞ持ったことないぞ。
部屋に入ったらまず布団の卵が視界に入るんだぞ?
これどうしようかってのが最初に浮かぶんだ。
「えっ!? もしかして明人君、実は私のことそういう目で見てる時あるの?」
「美咲相手にそんなの思ったことねえよ!」
思わず叫んだ俺の言葉に響以外が反応した。
「「「……美咲?」」」
「……え、あっ!?」
「明人さん……今、聞き捨てならない言葉が耳に入ったのですが? 何故、美咲さんを呼び捨てされたんでしょうか? 今の感じだと、とても言い慣れてるように愛には聞こえたんですけど?」
失態だ。
おい、美咲。俺の言葉にショック受けてないでこの事態を何とかしてくれ。
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