294 清高へようこそ5
中学生たちを固めたあと、悪戯の欲求にかられた響を離れさせる。
少し残念そうに俺の言葉に従ったけれど、あいつ本気でやるつもりだったのか。
そんなことやったら、北野さんに確実に怒られるだろ。
たまにああいうS気が出るけれど、今は勘弁してもらいたい。
響が離れたついでに、どのくらい距離ができたら硬直を解くことができるか確認してみることにしよう。
響がグラウンドの入り口まで移動したところで、二、三人の硬直が解けた。更に下駄箱前まで移動すると約半数が解除。下駄箱への玄関に響が入り、完全に姿を消すと残り全員の硬直が解けた。
……うーん。解除にも個人差があるのか。
早く解除されたのは女子が多い。予想通りと言えば予想通りだった。
男子よりも女子の方が影響が少ないといったところか。
「明人さん、どうされました?」
硬直の解けた綾乃が手をぐーぱーさせながら聞いてくる。綾乃の硬直が解けたのは一番最後のグループだった。抵抗値が低いのか、綾乃は男子並みに影響度が高いといったところか。
「うん。ちょっと、あ、そうだ。――綾乃ちゃん、前に響のアレで慣れる特訓したでしょ」
「はい。全滅でしたけど」
そう。その時の特訓は何をやっても硬直してしまった。響の硬直させることは慣れれば硬直しないのではと太一と綾乃が考え、千葉宅で試してみたが失敗に終わっている。
そのことを考えると、そもそも慣れるものではなく、原因を排除させた方がいいのではないだろうか。俺なりに考察してみよう。
まず、今回の件で固まった子たちに性別以外に共通することはないだろうか。
俺がこんな疑問に感じたのは、この引率中は綾乃以外固まらなかったからだ。
屋内を回っているときには、響に話かけた中学生の姿を俺は確認していない。
とはいえ、響と目が合った奴が一人はいてもおかしくないはずだ。
もしかしたら、きっかけみたいなものがあって、それで急に硬直するようになったりするのだろうか?
響に近寄った男子は全滅。遠巻きに見ていた男子は被害を免れている。
おそらく、免れた男子も響と視線を合わすと硬直する結果にはなるだろう。
何かヒントになるようなことがないか。
ヒントになるようなことと言えば、清和大学で五十嵐教授は「気を飲まれている」とも「無意識に使っている」とも言っていた。つまりは、響が無意識に何かしているということを示している。何かしらの技というのかそんなものがあるように思えてきた。
グラウンドに移動するまで、綾乃以外は固まらなかった。
大きなきっかけとなったのは……やはり綾乃の高速パンチを捌ききったことだろう。
このことが原因で、響は中学生たちから囲まれ賛美を受ける事態になった。
中学生たちはかっこいいとかファンになりましたとか言って響を囲んだだけだ。
響に対して憧れを持ったからか? いや、それだと女子の中で固まる差が分からない。
綾乃は何か響からヒントになるようなこと聞いていないだろうか。
「綾乃ちゃん。その時に――あれ?」
「……」
綾乃の様子がおかしいと思ったら、また綾乃が固まってる。
何故だ。何故固まっている? 響は玄関の奥に引っ込んだんだぞ。
ぱっと、玄関先に視線を送ってみると、玄関口の陰からじっとこっちを見つめている響の姿があった。
どうやら戻っていいか様子を見に来たようだが、目ざとい綾乃が見つけてしまったのだろう。そこで響と目が合ったといったところか。
てか、この距離でも固まるの?
とりあえず、こっちを見ていた響に大きく手を振ってから、綾乃を指差し手で大きくバツを作る。
響はこくこくと頷くと、す~っと陰に消えるように姿を消す。
その消え方止めてくれないかな。ちょっと怖かったぞ。
「綾乃ちゃん大丈夫?」
「――ぷはっ! 大丈夫です。まさか、この距離でなると思いませんでした」
綾乃はまた手をグーパーさせながら、体の具合を確かめて答えた。
ポケットの中に入れていた携帯が振動する。
相手は響だった。
『明人君。そろそろ戻っていいかしら?』
「ああ、いいぞ。みんなの硬直は解けてる」
響が戻ってくる間に一応みんなに響と目を合わせないように注意しておこう。
これ以上固まられては敵わん。
俺の話を聞いた中学生たちは「魔眼?」だとか「邪眼?」とか好き放題言っている。
頼むから本人の前でそれを言うなよ。
その後、ほんの二、三人が固まる事件が起きたが、中学生側も対策を覚えたのか響と目を合わせないように行動するようになっていた。これはこれで響にとって嫌な空気に感じるだろう。俺が気にしているのに気付いた響は俺にそっと耳打ちする。
「明人君……私は大丈夫よ。この感じはクラスで慣れてるわ」
そんなもんに慣れるなよ。なんか悲しくなるだろ。
男子は俺以外無差別、女子は該当する子の基準が不明確というのが困る。
せっかく、牧瀬とも仲直りする機会ができたんだ。
せめて、響がコントロールできるようにできないものか。
「なあ響。この硬直するのっていつから自覚した?」
「一年の夏休み前よ。今の3年生のある人が私に付き合えって言ってきたときね。私と目が合うまでずっとべらべら喋っていたのに、目が合った途端何も言わなくなってそこで気が付いたわ」
「ふーん。それ以前に似たようなことは?」
「あったかもしれないけど……気が付いたのはその時が初めてよ。女子もなるって気が付いたのは夏休み明けの席替えのときね」
「えーと、それじゃあ――響が通ってる道場はいつから行ってるんだ?」
「道場? 小学生の頃からよ。5年生に上がったときね」
あれ、思ったよりも長いこと通ってた。
てっきり、高校になってからだと思ってたけど。
「古澤先生はね、おじい様からの紹介なのよ。なんでも古いお付き合いらしくて。今は合気道を名乗ってはいるけど元は古武術なのだそうよ」
「合気道ってよく分かんないんですけど、どんなことやるんですか?」
横で聞いていた綾乃が聞いた。
俺のもつ合気道のイメージでは関節技と投げ技が主体で打撃技はほとんどないはず。力はそれほど必要とせず、か弱い女の子でも大きな身体の男を相手に動きを封じたり投げ飛ばすことだってできる。そんなイメージがある。実際、俺が本居先生たちと一緒に暮らすことを告白したときも響に組み伏されたが簡単に倒されたうえ、極められた後は全く動けなかった。
「お互いに前もって決めた技を繰り返し練習するだけよ?」
「ますますよく分かんないです」
「理屈的に言うと人間の関節を封じるのが基本よ。簡単な実証するわね。綾乃さん、握手しましょう」
そう言って響は綾乃に手を差し出した。
綾乃も素直に手を差し出す。
すると、響はそのまま握手を交わさず綾乃の親指を握り、綾乃の手首側へとその親指を倒した。本当に軽く綾乃の親指をくいっと倒しただけに見えた。
だが、実際はその動きに連動するように、綾乃はその場に尻もちをつくようにへたり込んだ。傍目から見ても響は親指を軽く持ってるようにしか見えない。実際、指を持たれた綾乃はそれ以上動けないようで「何で?」といった表情を浮かべていた。
「何故動けないか不思議でしょ? 指の痛みを避けるために楽な姿勢を取ろうとするの。いわば本能よ。それを利用するのも合気道よ。ごめんなさい、痛かったかしら?」
「大丈夫です。これ面白いですね!」
「じゃあ、おまけで」
響は指から手を離すとしゃがみ込んだ綾乃の胸元に軽く指を立てた。
「立って貰える?」
「へ? こんなの簡単――え、えええっ!? 立てない!」
綾乃は身体を何とか動かそうとするけれど、全く動けず立つことすら出来ずにいた。
へえ、こういうこともできるのか。俺もやってみたいな。
「これの理屈は初動に制限をかけてしまうの。最初に動くポイントを動けなくしてしまえば行動ができなくなるという理屈よ。今回の例で言うなら綾乃さんに重心移動をさせないようにしただけ」
「これ私でもすぐできますか?」
響は指を綾乃から外すと綾乃を起き上がらせようと手を差し出す。
「簡単よ。あなたのお兄さんにでも試してみたらいいわ。――あら? ……またやってしまったわ」
起き上がろうとした拍子に目と目が合った響と綾乃。
哀れ、立ち上がろうとした瞬間だったにも関わらず中途半端な姿勢のまま綾乃は固まった。なにこれ、人間の立ち上がる瞬間って、そんなに腰を引いた状態になるの。
固まった綾乃を見て、響がポケットから携帯を出して聞いてくる。
「絶妙なバランスね。……明人君、写真を撮ってもいいかしら?」
止めてやれ。
表情は変わってないけど多分、思いっきり否定してるぞ。
とりあえず固まった以上響との距離は取らねばならん。
体育館に戻るだけとはいえ、綾乃だけ遅れてくるというのは他の目もあるので避けたい。とはいえ、未だ校内で迷う方向音痴の響に引率を任せたら俺たちの方が先に到着し、彷徨う響らを探しに行く羽目になりそうだ。これマジで面倒だな。
「お? 東条どうした?」
ちょうど体育館に向け移動していた北野さんチームが俺たちの前を通過。
これはちょうどいい。響らを預け綾乃の硬直が解けるまで付き合うことにしよう。
北野さんに軽く事情を説明し、響と他の生徒を預ける。
移動する姿を見送り、シュールな格好で硬直した綾乃の姿を見つめる。
……これシュールだな。
気のせいか。綾乃の目に涙が溜まってるようにも見える。
そりゃそうだよな。そんな変な格好で固まってるんだから恥ずかしいよな。
あまり見るのは可哀想だから背中を向けておこう。
しばらくして「ぷはっ! おっとっと……」
後ろから綾乃の声とタンタンと上履きで床を叩くようなステップ音が響く。
「えへへ。危なくこけそうになりました」
くしくしと前髪を撫でながら照れ臭そうに笑う綾乃。
「ごめんね。今日だけで相当固まったよね?」
「いえいえ。気にしないでください。気を付けなかった自分が悪いですから」
「そっか。じゃあ、体育館に行こうか。みんな先に行ってるから」
体育館に向かって振り向くと、
「…………おかげで良い事ありましたから」
「何が?」
「いえ、何でもないです。行きましょう明人さん」
トレードマークの赤い眼鏡をくいっと上げ、俺の横に並び笑顔を見せる綾乃だった。
☆
無事に中学生たちが帰るのを見届けて今回のミッションを終えた。
所々で騒ぎはあったものの、俺たちの担当していた生徒たちは満足そうだったので問題ないだろう。
会長の北野さんがくるっと振り返り、
「よし、お疲れさん。まあまあいい感じに終われたな。じゃあ、ここで解散!」
何故か北野さんは言い終えると同時に太一を捕まえてヘッドロック。
「会長!? 何するんすか!?」
「何言ってるんだ。ご褒美だご褒美。うら若き現役高校生からヘッドロックなんてご褒美以外ないだろ。こんなに肌を密着させてやってんだぞ?」
「……ご褒美っていうより罰ゲーム?」
自慢げに言う会長に太一がポツリ。
会長は出るとこ出てないから、失礼だとは分かっているけど俺もそう思う。
「どういう意味だ? こらぁっ!」
会長は更に力を込めて、空いた手で太一のこめかみをぐりぐりとする。
「やっぱ罰ゲームだ!」
そんな二人の様子を見ていた響は「あれは気に入ってるわね」とぽつりと呟いた。
あれで気に入ってるんだ。太一はそういう星の下に生まれたんだな。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。