293 清高へようこそ4
「何がどうなって、ああなったんだ?」
響はまだ頭が痛むのか、少し歩みが遅くなっていた。
「愛さんが抜け駆けしようとして家庭科室に入ろうとしたから止めてたのよ。そうしたらお互い頭ぶつけちゃって、そのまま……」
「響さん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。目から火花散るって言うけど、あれ本当なのね」
「たんこぶできてんじゃないか。どれ見せてみろ」
響が手で押さえた辺りを触って確認。少しばかり膨らんだ部分があって、そこに軽く触れると響は身を縮ませる。
「――いたっ」
「あ、悪い。やっぱりたんこぶできてるな。気分悪くなったら保健室に連れて行くから言えよ」
「…………ああっ」
響はふらっとして、俺に寄りかかり俺の腕をしっかりと抱いた。
「ダメージが残ってるのかしら。支えが欲しいわ」
えーと、なんか今の凄くわざとらしかったんだけど。
そんなにぎゅうっと腕にしがみつかなくていいだろ。
「響さん私が支えますよ。明人さんはみんなを案内しないといけないですから」
綾乃がそう言うと、響は小さく舌打ちして俺から離れる。
「綾乃さん大丈夫よ。少しふらついただけだから」
と、真正面から綾乃を見つめる。
「あ、馬鹿!」
「あら。あらあらあら。つい目を見てしまったわ。……綾乃さんこれが何だかわかるかしら?」
響はポケットからペンを取り出して綾乃に近づけていく。
哀れ。固まった綾乃はその目に恐怖を宿していた。
「人の恋路を邪魔するいけない子には躾が必要だわ」
「やめんかい!」
響を後ろから押さえつけて綾乃への攻撃を阻止。
響はぶつぶつ言いながらペンをポケットにしまう。
何とか阻止したもののどうしよう。一度固まったら響が離れないといけない。
しょうがない。先に進んで綾乃には後から追いかけてきてもらおう。
「綾乃ちゃん。解除したら追いかけてきてくれる? 次はグラウンドに行くから」
綾乃は目だけを上下に動かす。
気合の返事のようだ。こういうところも太一と似てるな。
可哀想だが綾乃を置いてグラウンドへ移動。
グラウンドで体育会系が部活中だ。
下駄箱を抜けたところで太一と南さんの引率するグループと遭遇した。
どうやら外の見学が終わってこれから中の見学らしい。
太一が手をひらひらとさせて声をかけてくる。
「明人そっちはどうだよ?」
「色々あったけど……まあ、何とかだな」
俺の返事に太一は首を傾げたが、それほど気にはならなかったらしい。
太一は中学生たちに目を向ける。
「あれ、綾乃は?」
「ああ、固まったから悪いけど後で追いかけてきてって言っといた」
「……響か。今のところ綾乃だけか?」
あれ、そういえばもっと被害が出るかと思っていたけれど食らったのは綾乃だけだ。
響の容貌や雰囲気に声が掛けづらいのか、質問も俺や部員に対してばかりだった。
響には近寄りづらいというのが中学生たちにあるのかもしれない。
「太一の方はどうだ?」
「南さんの病気がちょっとな……まあ、あとちょっとだから適当に頑張るわ。お前も頑張れよ。南さん行きますよ」
当の南さんは女子中学生の群れの中にいて満足そうに微笑んでいた。
とりあえず、口端のよだれは拭こうか。怪しすぎるから。
太一はため息をつき首を垂れると、校舎の中へと入って行った。太一も苦労しているようだ。
南さんの件はあとで俺から北野さんに密告しておこう。
響の言葉じゃないが、あの人には躾が必要だ。
グラウンドの端に移動して活動中の部活見学開始。特に珍しい部活風景ということはない。
グラウンドではサッカー部、陸上部、それと奥側にあるテニスコートでテニス部が活動中だ。
そういえば、うちの野球部ってどこで練習してるんだろう。見たことないな。
「明人さーん。戻りましたー」
サッカー部の見学を開始したところで下駄箱の方から綾乃の声。
固縛が解けて追いついたか。
すたたた、と勢いよく駆け寄ってくる綾乃。そんなに慌てて走ってこなくてもいいのに。
気のせいか。足の回転が増しているような……。
それは俺の気のせいじゃなく、明らかにだだだっと、まるで全力疾走のように綾乃が駆け寄ってくる。
「明人君、危ない!」
響の声に振り返ると、グラウンドから飛んできたサッカーボールが俺に向かってきていた。
あ、これ無理。絶対当たる。思った時にはもう避けられない距離。
目ではボールが見えているのに身体が反応できない。
バレーボールより痛いかな、と脳裏に浮かんだとき、俺とボールの間に飛びこむ影が視界を塞ぐ。
たなびくポニーテールで綾乃だということが分かった。
綾乃はまるで勢いなどなかったかのように飛んできたボールを胸でトラップして、ふわっと着地して足でボールをしっかり押さえつける。
すげえ。ボールの勢いをワントラップで消しやがった。あのボール結構な勢いだったぞ
「明人さん大丈夫でしたか!?」
どうやら、綾乃はいち早くボールが俺たちに向かって飛んできていたことを察知して、防ぐためにダッシュしてきたらしい。だからあんなに勢いよくこっちに向かってたのか。それにしても感謝だな。おかげでボールに当たらずに済んだ。
「ありがとう。助かった。なんかまるで経験者みたいな動きだったけど、サッカー経験あるの?」
「いえいえ、本格的にしたことなんてありませんよ。昔、兄がサッカーしてたころ一緒によくやってただけです」
「すいませーん。怪我ないですか?」
ボールを蹴ったサッカー部員が駆け寄ってくる。
綾乃は「大丈夫です。どうぞ」と言って球を手に取って受け渡す。
「あやのんかっけー。あやのんマジ天使。あやのんに惚れたー」
綾乃とよく話していた女の子が後ろから綾乃に抱きつく。
綾乃は照れ臭そうに前髪をくしくしと撫でる。
「綾乃ちゃんは本当に運動神経すごいね。高校にきたら運動部に引っ張りだこにされるかもね」
「あやのん伝説継続だねー」
綾乃に抱きついていた女子の言葉に響が反応した。
「伝説? それは何の話かしら?」
「この子、うちの中学の全運動部から勧誘され続けてずっと断り続けてるんです。最強の助っ人ていう伝説。先生からもずっと言われてるんですよ。なのに本人は才能ないのに漫研だし……」
「妙ちゃん。もう止めて。てか、どこ触ってんの?」
「あ、ばれた。あやのん少し大きくなった?」
妙ちゃんと呼ばれた子は綾乃のつつましい胸をぐにぐにと揉みしだく。
中学生の百合絡みはこのまま見ていたい気がするな。
南さんのと違っていやらしさを感じられない。
まるで悪戯好きな猫がじゃれ合ってる感じがする。
「わ、ちょっと。あ、明人さんの前でぐにぐにする――」
耳まで真っ赤にした綾乃は顔を隠すように俯く。
「――あ、やば」
綾乃が俯くと同時に、妙ちゃんと呼ばれた女の子は素早く綾乃から身体を離すと距離を取る。
あれ、気のせいか。何だかこの感じ俺は知っている。
既視感? いや、これは実体験だ。この距離はまずい。
気が付き背筋に冷たいものが走った瞬間――綾乃から高速でピストンパンチが俺に向かって放たれた。
「明人君下がって!」
ぐいっと身を引かれ、響と俺の位置が入れ替わる。
馬鹿! お前が食らうぞ!
しぱぱぱぱぱぱぱと、響の手が高速で動き、綾乃が繰り出す高速パンチを次々に捌いていく。
すげえ。響すげえ。綾乃の高速パンチを全弾撃ち落としてやがる。
「綾乃さん。気をしっかり!」
響の大声に我に返った綾乃の拳が止まる。
綾乃は響にぺこぺこと頭を深く下げる。
「響さんすいません!」
「大丈夫よ。最近、速い拳は受けてて慣れてるから」
何事もなかったかのように視線を合わせないように答える響。
それってもしかして愛のことかなー。
俺の知らないところで結構やりあってんのか?
「おおおおっ!? 東中の撲殺天使の攻撃を捌ききった人初めて見た!」
何故か、中学生たちが大興奮し響を囲む。
ところで、その「撲殺天使」って危険極まりない二つ名は何かな?
「かっこいいー。私ファンになりました!」
「すいません。一緒に写メいいですか?」
男女問わず我先にと響にまとわりついて行く中学生たち。
そして起きてほしくない事態が発生した。
「……明人君これは会長に怒られるかしら?」
響が無表情に俺を見つめていった。
「……てか、お前途中からわざと固めてなかったか?」
響を取り囲んだ生徒たち。近づく傍から金縛りの被害が増えていった。
「もみくちゃにされるのは好きじゃないの。明人君にならめちゃくちゃにされてもいいけど」
あとの言葉は余計だから。
引率した生徒の大半を固めましたって会長が聞いたら、俺も怒られるだろうな。
でも、なんで綾乃まで混ざってるんだろう。
「明人君。私のポケットにはペンが入っているのだけれど――」
「それ以上言うのはやめとけ!」
更に怒られるネタを作るんじゃねえ。
お読みいただきましてありがとうございます。
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