286 明るい家族計画1
涼子さんから夕食を誘われたが、春那さんが料理を作って待っていてくれているらしく丁重にお断りした。
俺もご相伴する予定だ。
太一の家を出たあと、美咲の家へ移動する。
美咲の住むハイツの駐車場に見慣れぬ大きな白のワンボックスカーが一台止まっていた。
いつもは空いている場所だけに大きな車なので目立っていた。
「ここっていつも空いてなかったっけ?」
「空いてるよ。だってそこはうちの部屋用だもん。春ちゃんも車持ってないから空いてる。誰か勝手に使ってるのかな」
それはあり得る話だけれど、どちらかというとこの車は今日春那さんと一緒に行動していた本居先生の物と考えるのが正解だろう。つまりは部屋に滞在しているということだろう。
「いや、お客さんぽいね」
「えー、春ちゃんそういうこと言ってなかったよ? 私、初めて会う人はちょっと時間が欲しいんだけど」
「まあ、久々に会ったみたいだし。勢いでそういう話になったんじゃない? 俺も知ってる人だから美咲も大丈夫だと思うよ。気さくな感じだし、春那さんと似てる感じもしたし」
少し不安げな顔をする美咲だったが、俺の言葉を信じてくれたらしい。
美咲が玄関の鍵を開けて部屋に入ると、
「ああっ、んん、駄目ぇ」
と、春那さんの艶めかしい声が聞こえてきた。
これはどういう状況だろう。
もしかして、中で深刻な百合の世界が広げられているのか?
「春那、ここ気持ちいいでしょ?」
「あっ、はい。――あんっ」
美咲は春那さんの艶めかしい声を気にもせず、つかつかと部屋へ入っていく。
お、おい。もし行為の真っ最中だったら俺どうしたらいいんだよ。
とりあえず俺も後に続く。他意はないんだ。他意は。
「ただいま。春ちゃん何してんの?」
「あ、美咲おかえり。――ああっ、文先輩それちょっと痛い」
「ごめんごめん。使い過ぎじゃない? 筋がパンパンだよ?」
部屋に入ると、うつぶせに寝そべった春那さんの足を本居先生がマッサージしていた。
何だよ。お約束かよ。ちくしょう残念だ。
「やあ、明人君。君の話を春那から聞いてね。春那から食事をご馳走されるついでに、顔を見たいと思って来ちゃいました」
学校と全く変わらない感じで挨拶してくる本居先生。
てか、もう普通に俺の名前を呼んでるよね。
まあ、いいんだけど。
「えーと、そちらが藤原美咲さん? 初めまして本居文香です」
「は、初めまして藤原美咲です」
ぺこぺこと頭を下げる美咲。何を緊張してんだ。
「緊張しなくてもいいわよ。そうだね、私のことは文とでも呼んでくれる? 親しい者からはそう呼ばれているから。私も君のことを名前で呼ばせてもらいたいがいいかな?」
美咲は目をぱちくりとさせたが、そのままこくこくと頷く。
「ところで何をしてるんです? 玄関まで艶めかしい声が聞こえて変な想像したじゃないですか」
俺がそう言うと、春那さんと本居先生は揃ってニヤリとする。
あ、この感じ。嫌な予感しかしねえ。
「おやおや、明人君は私の悶える声を聞いてどういう想像したのかな?」
「相談役としては君の思春期を正確に知る必要がある。具体的に話してもらおうか?」
うわ、ここに同類が揃ってる。
これは敵にしたくない。
「どんな想像したの?」
横から美咲まで聞いてくる。
美咲の場合は純粋な質問のようだけれど、頼むから聞くな。
「マッサージしてたみたいですけど、春那さんまだ若いのに」
「いやいや、明人君。マッサージを馬鹿にしちゃいけないよ。秘書見習とはいえ立ちっぱなしが多いからね。足にも疲労が溜まるんだ。文先輩にその話をしたらしてくれたって訳さ」
「一応これでも医者の端くれだからね。ちゃんとした医師免状も持ってるし。整体の知識はちょこっとはあるよ」
医者? あれ、校医って本当に医者なんだ?
てっきり教職員の呼称の一つだと思ってた。
「おや、明人君が不思議そうな顔してるね。保健室の先生と校医の違いは知らなかったってところかな? まあ、その話は食事の支度を待つ間にでもしようか。ということで春那、私はお腹が空いた」
「はいはい。すぐに準備しますね」
春那さんがキッチンで夕食を準備している間、本居先生から話を聞く。
本居先生は清和大学の医学部出身で春那さんとはサークル仲間だったらしい。
「私の場合は掛け持ちばかりしていたから、複数のサークルに所属していたんだけどね。まあ、おかげで顔は広かったよ。その中で知り合った春那とは妙に気が合ってね。よく一緒に飲みにいったものだ。春那くらいだったからね。私のお酒に付き合えたのは」
春那さんがザルだというのは、美咲から聞いたことがある。
つまりは本居先生もそのタイプということか。
本居先生から校医と保健室の先生の違いについて教えてもらう。
一般的な保健室の先生と呼ばれるのは養護教諭であり学校職員の一人である。在学生の怪我や病気の応急処置、健康診断といった健康面での業務を中心とする。しかしながら医師ではないので医療行為には制限があるようだ。
本居先生は務めている病院から派遣された本当の医師で養護教諭で処置できない医療行為も行えるらしい。本居先生の場合は養護教諭に必要な免状も取得していて、清和市教育委員会からの依頼で清和高校の校医兼養護教諭に着任したということだった。
「まあ、ぶっちゃけ今の病院は非常勤にしてもらってて、収入が安定しない訳なのよ。ようやく修業期間が終わって医者になったのに思ったより収入が少なくて。まあ、それも自分で選んだ結果なんだけど」
「医者って収入高いんじゃないですか?」
「まあ普通のサラリーマンに比べたら高いけど。常勤医と比べるとね、今の病院は常勤もできるけど私が断ってるんだ。そのおかげで週に二度の勤務しかしてない私の場合は普通の医者より随分と低い。まあ、清高の校医になれたから給料面では安定したよ。私は今も昔と変わらず掛け持ちばっかりだ」
ふふっと本居先生は笑う。
「それだと忙しいと思うんですけど、それなのに俺の相談役を引き受けたんですか?」
「それこそ私の本懐であるからだよ。青臭い考えだってことも分かってる。色々な悩みを持った患者さんがいる。私はそんな患者に寄り添える医者になりたい。その言葉を聞きたい。思いに答えたい。医者だからってすぐにできるか? 習ったからすぐに使えるか? 否だ。何が大事かって言われたら経験とか知識を活かした実践だ。私だって間違うこともあるだろう。だから学びたいんだ。君という立場でものを考えられるように、君を知りたい。この経験がいつか花咲くときがあることを願って。これが私が君の相談役を引き受けた最大の理由だ。だからと言って君を実験台に使うことはしない。全身全霊を以ってその時の最善手を選択する。それでこの責任には応じるつもり。こんな経験不足な相談役だが付き合ってくれると私は嬉しい」
「文先輩は相変わらずですね」
料理を運んできた春那さんが本居先生の語り草を見て微笑む。
「おっと、熱くなり過ぎたね。あ、そうそう明人君に報告だ。君のお父さんと連絡が取れて、正式に坂本先生から私が相談役を引き継ぐのも決まった。多分、君のところにもお父さんから連絡が行く。まあ、こんな私だが仲良くしてねー」
「はあ……よろしくお願いします」
何だか最初の印象とは違うんだけど。
それに相談役の交代も父親が認めたのだから、俺がどうこう言うこともない。
☆
「それで明人君は美咲ちゃんと二人でデートに行ってたの?」
夕食が終わったあと、本居先生が聞いてきた。
「いや、二人で千葉の妹と一緒に試写会イベントに行ってきたんですよ。俺は千葉の代行です。美咲――さんはその妹と趣味が合うから俺が誘ったんですけど」
危ない。今日は本居先生がいる。
いつもの癖がまたでかけた。
「んー。今の間はおかしかったな。その言い方何か誤魔化したでしょ」
本居先生の指摘に美咲と春那さんは笑うのを我慢している。
「明人君、文先輩は口が堅いから大丈夫だよ」
笑いを堪えながら春那さんは言った。
「えーと、美咲さんなんですが、年上なんですけど、本人からの希望で俺は美咲って呼んでます」
「え、二人ってやっぱりお付き合いしてるの?」
してねえよ。
涼子さんといい、本居先生といいなんですぐにそう結論付けるんだ。
「仲良くはしてますけど。そういうのじゃないです」
「明人君は弟君です」
美咲、その設定まだ持ってきてたの?
いつまで引きずるつもりだろう。
「姉と弟の禁断の愛か。いいね。そそるね」
いや、本居先生それおかしいから。
「禁断の愛ネタは面白い。BL物だけれど私の敬愛する馬串先生のは兄弟の禁断の愛ネタが多いんだ」
「文先輩は相変わらず腐ってるんですか?」
「うーん。これはある意味芸術作品だと思ってるんだけど。その先生のしか見ないし。長いことファンしてるけど、私を裏切らない」
BLはよく分からん。
そういえば美咲の姉もBL作家だったな。
美咲に視線を飛ばしてみると真っ青な顔して突っ立っていた。
「美咲? 顔が真っ青だけど?」
「え。いや。何でもない……」
何でもないことねえよ。
そんな急に真っ青になるようなことがどこに……。
――もしかして、
「……馬串」
その名前を出した途端、美咲はびくっと身体を震わせる。
やっぱりか。
「美咲、馬串って作家を知ってる感じだな」
「そそそそそそ、そんなことないし。知らないし」
明らかに狼狽えてるじゃねえか。
「馬串」
「はうっ!」
「馬串」
「うぐっ!」
名前を言うたびに身をよじる美咲の反応が面白い。
ちょっと面白くなってきたが、ここらでとどめを刺そう。
「馬串って作家、実は美咲のお姉さんじゃないのか?」
「やめてえっ! ばらさないでぇっ!」
美咲は叫びながら頭を抱えてうずくまった。
最終的には自分で言ってるんだけど、やっぱりそうだったか。
美咲も嘘が付けないタイプだな。
「本当に!?」
本居先生が身を乗り出して聞いてきた。
やけに目をキラキラさせている。
「姉です~。馬串刺突は私の姉なんです~」
うずくまったまま、観念した美咲が打ち明けた。
しかし、馬串刺突って、どんなペンネーム使ってんだよ。
お読みいただきましてありがとうございます。
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