278 平和な日々2
放課後。
試験が終わってから、初めての愛との勉強会。前回と同様に図書室横の自習室で行うことにした。
まずは現状の確認から始めよう。
試験前の状態と比べると2割程度落ちている。
だが、試験勉強を教え始めたころに比べたらまだましな状態である。
本来であれば期末試験を見越して予習、復習としていきたいところだが、愛にはまだ無理がある。無理をかけるのは前回同様試験前になるだろう。
ここ数回は愛の様子を見ながら、基礎問題や考え方を中心にして、俺の目標にしている学習の習慣化にポイントを置いていこう。
「明人さん。そういえば今日は生徒会でどのようなお話をされたんですか?」
愛がノートに書きながら聞いてきた。
以前だったら、話すときにはペンが止まってたのに、この子も成長してきてるんだ。
ちょっと嬉しい。
「来週、中学生が見学に来るんだって、その手伝いの話だよ。愛ちゃんの時もあったでしょ?」
「愛はここじゃなくて美王女子高に行きました。頭が悪かったんで先生がそこにしなさいって」
美王女子高校……たしか、美女高って呼ばれてて、制服が可愛いとかで有名だ。
あそこって愛が入学できる可能性があるほど偏差値低かったっけ?
「美女高は面接だけですから。入学してからちょっとした試験があって、学力別に分けられるとは聞きましたけど」
俺の表情から察したのか、説明を加えてくれた。なるほど、入学試験自体はなくて入学後に選別か。
そうなると、クラスごとに差別が生まれそうな気がする。
確か、中学3年の時のクラス委員だった女子……名前を忘れたけど美女高に進学したはず。
清和市の西側にある女子高だから、同じ西側に位置する愛の家からの距離を考えると、そっちの方が近いんじゃないだろうか。
「なんで美女高に行かなかったの?」
「料理部とか調理部がなかったからです。それに私立高は避けたかったですし」
即座に答えが出てくるということは、愛なりの基準があったという訳か。
何となく納得。
「でも、愛は清高でよかったです。明人さんに会えたし、お勉強はちょっと大変ですけど、明人さんが教えてくれてますし」
「それは俺頼りじゃなくて愛ちゃんが頑張らないとね」
「はーい」
素直な返事が返ってくる。
久々の勉強会は捗り、終了予定時刻を迎える。
自習室を出て下駄箱へと向かう途中、体育館脇を歩く太一と長谷川を見つけた。
「あれ、太一だ」
「またぶらついてますね。今日も長谷川先輩が一緒……明人さんあの二人怪しいと思いませんか?」
断言して言える。それはないから。
様子を見ていると二人はお互いに指差し何か話し合ったあと、体育館脇の枝ぶりがいい木を見上げる。
太一が木にしがみつきよじ登ろうとするが、手のかかる枝は高く手が届かずうまく登れない。
「なにしてるんですかねー?」
「気になるから行ってみる?」
「はい」
二人して太一たちの元へ移動。
まだ太一は諦めず木をよじ登ろうとしていた。
「太一。お前何やってんの?」
「おおっ? 明人まだ学校にいたのか。それに愛ちゃんも……ああ、勉強会か。ちょうどいいや。明人お前踏み台になってくれ」
「踏み台?」
太一は上を指差す。
指さす方向を見てみると、枝の上に小さい黒猫がいる。
「どっかから紛れ込んだ猫みたいなんだけど、触ろうとした奴が追いかけちゃったみたいでさ。んで、あそこに逃げて降りられなくなったってのが今の状態。んで、それを聞いた長谷川が俺に頼みに来て挑戦中だ」
「千葉ちゃんやっぱり脚立か何か借りてくれば?」
「用具庫から持ってくるのがだるい。明人が肩を貸してくれりゃあ、下の枝に手が届く」
猫の一大事。それはぜひ助けなければいけない。
木にしがみつくようにしゃがみ込む。
「太一。さっさとしろ。猫が可哀想だ」
「明人さん。猫見た途端、迷いなく行動しましたね」
だって、猫の一大事だ。優先すべきだろう。
太一を肩車して持ち上げる。
そのまま木を支えにして太一が俺の肩の上に立つ。
重たい。いや、しかし、猫を救うためだ。
あの猫の心細さに比べたらこんなのは泣き言に過ぎない。
俺の肩の上に立った太一は枝に手を伸ばしてがっちりと手を掛ける。
「よっと」
太一の声とともに俺の肩から荷重が抜ける。
上を見上げると太一は枝から枝へと登っていく。
猫のいる枝まで来たところで太一は動きを止めた。
「おい、チビ。こっちこい。助けてやっからこっちこい」
猫は太一を見つめると、少しずつ太一に近づく。
「そうだ。こっちこい」
猫はそのまま太一の元へと辿り着き、自ら太一の身体によじ登る。
よじ登った猫は太一の顔に頭をこすりつけた。
「ああ、なるほど」
「何がなるほどなんですか?」
「ほら、太一って動物に好かれるだろ」
「ああ、そういえば太一さんも愛と似たような体質でしたね」
動物を引き寄せる体質の太一なら救助役にはもってこいだ。
太一は猫を抱いたまま器用に一番下の枝まで降りてくる。
「ん~。こうした方が早いか……」
太一は一番下の枝に座って猫を抱えたままエビぞり。
枝を軸にしてその勢いのままくるっと回り、空中でさらに回転を加え、足から地面に柔らかく着地。
「うまい具合にいった」
猫をしっかり胸に抱いて、「ししし」と笑う太一だった。
「すっごーい!? 千葉ちゃん今のすごいすごい」
「ふ、不覚にも太一さんがかっこよく見えた!」
「え、マジで? 愛ちゃん俺かっこよかった?」
「あ、やっぱり気のせいでした」
「即答かよ!?」
太一って、こんなに運動神経よかったっけ?
足が速いのは知ってるけれど、俺の記憶にある太一はいつも体育の授業もやる気がなくてふざけてることが多い。
すぐにだるいだ。疲れただと言っている太一。
今の行動には余裕すら見えた気がする。
「すごいよ千葉ちゃん。さすが元サッカー部だね」
「へ?」
「なに言ってんだ。それ中学の時の話だろ。途中で辞めたし」
「千葉ちゃん急に辞めたよね。もったいない」
太一がサッカーやってたなんて初めて聞いた。
「なんで高校でサッカーやらないんだ?」
「飽きたからもうやらない。サッカーやってても女の子にモテなかったし、モテたくて始めたのに」
「動機が最低ですね」
愛が太一に軽蔑の眼差しを送る。
長谷川は何故か太一の言葉に唇を尖らせていた。
「にゃあん」
黒猫が太一の胸で一鳴き。
太一が喉元をくすぐると猫特有の「ごろごろごろ」と喉を鳴らす。
「こいつ、どっから来たんだろうな?」
「千葉ちゃん、その子どうするの?」
「とりあえず先生に相談するわ。2、3日くらいなら、何とかなるだろ。明人、手伝ってくれてサンキューな。お前バイトがあるんだろ。行かなくていいのか?」
相変わらず、人のことを気遣う太一だった。
四人で下駄箱まで一緒に移動。
愛と一緒に太一と長谷川に見送られる。
太一と長谷川はこのあと教員室に向かうようだ。
愛との帰り道。
「明人さんは猫のこと好きなんですか?」
「うん。好き」
「明人さんは愛のこと好きなんですか?」
「……何を言わせようとしてるの?」
愛が軽く舌打ちする。
「……手強い。お話は変わりますけど、太一さんと長谷川先輩はやっぱり怪しいと思います」
「仲がいいだけだって」
「特に長谷川先輩は太一さんのこと絶対好きですよ。太一さんも実は分かってるけど、わざと触れてない感じがしました」
そういうのって、どうやって分かるんだろう。
俺にはピンとこないんだけど。
「一度付き合えばいいと思うんですけど。太一さんとはお似合いな気がします」
「太一にその気がないんじゃない?」
だって、太一は愛のことが好きなんだから。
それが分かっているだけに、口に出せないのが辛い。
「えー、それは贅沢ってものですよ。もてなさそうな太一さんですよ? この機会を逃したらもうないかもしれないじゃないですか。愛は長谷川先輩を応援したいです。実らせてあげたいです」
やけに太一に辛辣な意見だけれど、ややこしくなるから止めて欲しい。
この件は太一に伝えた方がいいかもしれない。
ああ、でももし長谷川が愛の言う通り太一のことが好きだったら、長谷川にとっては不都合な話になる。
これはこのまま胸に収めた方がいいかもしれない。
「当人同士の問題だから外野は陰から見守っておこうよ」
「それだと愛の計画が!」
「……どんな計画?」
「だぶるでーと狙いです。明人さんも太一さんと遊べるし、一石二鳥? 一石二鳥です」
何で二回同じこと言ったんだろう。
ちょっと自信がなかったのかな。
しかし、愛のその計画には一部乗ってもいい気がする。
純粋に遊ぶだけならいいかもしれない。
太一とも遊ぶ機会を作りたかった。
長谷川とも校外学習からできた縁がある。
長谷川を知る機会も得れるというものだ。
意外にいい考えのような気がしてきた。
「それ、いいね」
「えっ!? ありですか?」
「ありかも。ダブルデートってわけじゃなくて四人で遊ぶのはいい考えだ。今度誘ってみる?」
「はい! 早急に今すぐ戻ってお話しましょう!」
そこまで慌てなくていいから。
「明日、二人に都合を聞いてからね。俺もバイトのシフト確認しとくから」
「いやったあああっ! ……あとは二人を排除すれば……」
後半部分、ぼそっと言ったつもりだろうけど聞こえてるよ。
相変わらずの愛だった。
☆
愛と別れて、てんやわん屋に到着。
着替えてカウンターに行くと美咲が枯れていた。
昨日のことで少し顔をあわせづらい部分もあったが、その姿を見てその気持ちは消えた。
また何かあったのか。今度は何だ。
無言でカウンターに入り隣の椅子に座る。
「……明人君」
美咲から枯れた声が聞こえる。
「……何でしょう?」
「……ハグしていい?」
「今日はちょっと遠慮してもらいたいんだけど」
そういうと美咲は目をうるうるさせ始め、いきなり泣き出した。
「やっぱりだあー。春ちゃんが言ったとおりだー。明人君怒ってるー。うああああああん」
「ちょっ、いきなり泣くな。何の話だ?」
「うええ、明人君、冗談で私のこと好きって言ったでしょ。ひっく。そしたら冗談でも無理って返す馬鹿がどこにいるって春ちゃんに怒られたあぁ。ぐすっ。明人君が傷つくだろって言われたぁ。普通怒るぞって、うええええ」
成人女性が大泣きしてる。
これって、俺のせいなの?
「あー、分かってるから。美咲も気にしなくていいんだけど?」
「だってぇー。ハグさせてくれないしー。ううううぅ」
どうしよう。マジで面倒臭い。
「……じゃあ、はい。どうぞ」
立ち上がり両手を広げる。
すると、美咲はがばっと抱きついてくる。
あー。何か涙やら鼻水やらがエプロンに付きそー。
てか、今日はいつもより力強く抱きしめてくる。
もしかして、ベアハッグに移行する気か?
「……怒ってない?」
「怒るも何も理由がない」
「ホントに?」
「ホントに。そろそろ終わり」
美咲の肩をぽんぽんと叩いて美咲を離す。
しばらくして落ち着いた美咲は今度は俺に八つ当たりを始めた。
「そもそも、明人君が冗談でもあんなこと言うから春ちゃんに怒られたんじゃない。そうだ。明人君のせいだ」
「はいはい。すいませんねー」
「罰です。ハグするか、ハグさせなさい!」
「今さっきしたばっかじゃねえか!」
相変わらずの美咲ぶりに安心する俺がいた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。