275 Kiss Kiss Trouble3
保健室から帰還したのは体育の授業が終わる直前だった。
ドジなところを見せたので少し恥ずかしい。
だが、ここで少しだけいつもと違う状況が生じた。
今まで距離を取っていた男子が数人声をかけてきた。
大丈夫かと心配をしてくれる奴や、ドジだなとからかう奴もいたが、感じからして悪意は見えなかった。
考えてみれば声をかけてきたのは、前によく太一を中心に雑談をしていたメンバーだ。
「顔面ヒットで鼻血吹くなんて、マジはずい」
と、返すと笑って返してくれた。
太一以外と会話したのは久々だ。
考えると俺が気にし過ぎていたのかもしれない。
噂のことで、みんなも父親と同じように俺にどう接していいか分からなかったんじゃないだろうか。
ある程度収まるまでそっとしておいてくれたんじゃないだろうか。
俺がまた自分からみんなと距離をつくって、自分で自分の首を絞めていたのではないか。
そんな考えさえ浮かんだ。
もっと気楽に考えすぎないようにしていったらよかったのか。
まだ、よく分からない。まだ自分に自信が持てない。
でも、今は少しだけ気分がいい。
今はそれだけでいいと、変に考えるのを止めた。
☆
昼休み。
太一が俺を教室の入り口から呼びかけてくる。
「明人。何やってんだよ。飯行くぞ」
響と顔を合わせるのが怖い。まだ怒ってたらどうしよう。
後になって考えてみると自分が好きだと公言している男が、自分以外の女に自らキスをしたとなれば、響が怒るのも当然な話である。とはいうものの、ここで響を恐れて、別々に昼食をとるなんてことをすれば、響との仲に亀裂が生じてもおかしくない。
ええい、くよくよ考えていてもしょうがない。
なるようになるだろ。
弁当の入った巾着袋を持って太一のあとを追いかける。
「遅い。何してんだよ」
「悪い。ちょっと考え事してた」
「どうせ響の機嫌が元に戻ってるか心配してんだろ」
……当たりだ。ちくしょう。
太一からは気にする方が馬鹿らしいぞと言われたが、気にもする。
E組のところへ行くと通路で響が待っていた。
「響、待ったかー」
「大丈夫よ。それほど待ってないわ。さあ、行きましょう」
響はいつもと全然変わらない態度だった。
俺を保健室送りにしたことで気が晴れたのだろうか。
本居先生は響らが気絶した俺のことを心配していたとも言っていたし。
基本、響が無表情なだけにこういう時に困る。
何を考えているか読みにくい。
とりあえず警戒だけはしておこう。
3人揃っていつもの体育脇の木陰に移動。
いつものように太一がシートを広げ、昼食開始。
「……明人君と太一君に生徒会のことで手伝ってほしいことがあるの」
食事開始すぐに響からお願いされた。
聞いてみると、来週近隣の中学生が高校見学に訪れるらしい。
生徒会が対応するらしいのだが、響の体質が問題になっていて、俺たちに依頼したいのは男子生徒の一部を面倒を見てほしいという内容だった。
「ああ、それな。綾乃が言ってたわ。いいよ。手伝うよ」
「俺も手伝うよ。せっかく来たのに固まったら可哀想だしな」
「……ありがとう。会長には伝えておくわ」
しまった。今のは失言だった気がする。
響だって好きで相手を固めてるわけじゃないのに。
駄目だ、なんかうまくいかない。
食事が終り、後片付けをする響に太一が声をかける。
「響、お前いつもより食べてなかったぞ? どした?」
何で太一はそんなちょっとの違いに気付くんだよ。
俺は全く分からなかった。そのノウハウを俺に教えてくれ。
「……今朝のことがあるからかしら」
頼むからその話題に触れないでくれ。
と、いう訳にもいかないんだろうな。やっぱり。
響の表情に出ていないだけで、響の中でモヤモヤしたものがあるのだろう。
「何だそりゃ? 話が全然見えねえぞ。そういや明人からもちゃんと話聞いてない。ちゃんと話せって」
説明しろと言われても、太一には非常に言いづらい。
とはいえ、ここで説明しなければ話が見えないままだ。
腹をくくって太一に全てを話してみた。
「――は~。それで響はまだくすぶってるって訳か。まあ、しょうがねえわな。まあ、明人も考えた末の行動なんだから勘弁してやれよ。一応、明人に制裁は加えたわけなんだし。それで折り合いつけろよ」
太一は俺たちの話を聞いてあっけらかんと答えた。
「しかし、響は校内でも迷うくせに、よく二人を見つけることができたな。」
「迷ってたわ。追いかけてたつもりが、気が付いたら明人君が前から来ただけですもの」
あれは偶然だったのか!?
あぶねえ。その偶然が無かったら俺は愛にやられてたぞ。
しかし、偶然とはいえ助けようと追いかけてくれてたのは事実だ。
感謝はしなくてはならない。
そういえば、響は愛に腕を殴られていたけれど大丈夫なのだろうか。
あの馬鹿力で、愛自身が拳を痛めるほどの打撃を受けていたはずだ。
「ところで響、お前の腕は大丈夫なのか?」
「咄嗟に後ろに飛んで打撃は減らしたから。ただ、全部は捌ききれなかったけれど。それに一応、武道をやって鍛えてるから大丈夫よ。けど、……色々誤算があったわ。愛さんの実力も見誤っていたし……あの子が喧嘩とかしたことなくて助かったわ」
「明人、愛ちゃんってそんなに凄かったのか?」
「太一も見たら驚くぞ。動きがすんげえ速かった。普段の愛ちゃんからは信じられないくらい素早さだった。しかも、あの姉妹は揃って馬鹿力だしな」
「その情報は先に欲しかったわ。愛さんはアリカと違ってスピードタイプだと思ってたから」
そんなこと言ってたな。何で響はアリカがパワータイプだって知ってるんだろう。
あいつの馬鹿力が昔から健在だったとしても、そういうのって分かるものなのか?
一応聞いてみよう。
「なあ、朝も言ってたけどアリカがパワータイプって何で知ってたんだ?」
「中学時代にあの子と何度もやりあったからよ。3年間で2勝2敗16引き分けがアリカとの戦績よ」
聞いてはいけないことを聞いた気がする。
「……原因は?」
「全部つまらないことよ。例えば、身体測定が終わった日の話なんだけど、私の胸を脂肪の塊って言うから、私も肩が凝るからあなたみたいな胸がいいわって答えたら怒って殴りかかってきたわ」
……アリカよ。自分で自分の傷をえぐってるだろ、それ。
「……響からもしかけたこともあるのか?」
「例えば、ちょっと議論になった時に「お嬢様だからってお高くとまってんじゃないわよ」って言われたときね。我慢できなくて平手打ちしたわ」
「お前らそれでよく友達でいられたな?」
太一が呆れたように言う。
「俗にいう喧嘩友達ってやつね。喧嘩にもならない相手じゃそういう関係ってできないでしょ? そのおかげでお互い遠慮はなくて楽だったわ。まあ、もう一人の友達も似たようなものだったから」
そういや、確かアリカと響の他にもう一人、三年間同じクラスだったっていう腐れ縁の友達がいるんだったよな。
「ちなみにそいつとの戦績は?」
「3年間で3勝3敗18引き分けよ」
「アリカよりやってんじゃねえか!」
「私よりアリカの方が多いわよ。月イチくらいでその子とやりやってたわ。確か、アリカの方が勝ち越してたはず」
お前らの血の気が多いのは分かった。
これもまた一つだな。
でも、今回のことはできれば知りたくなかったな。
響のイメージが少し変わってしまった。
「今そいつはどうしてんの。違う高校通ってんのか?」
「中学卒業と同時に親の転勤で引っ越したから今は京都のはずよ。どこかは聞いてないから分からないけど。アリカもその子も当時は携帯を持ってなかったからアドレス交換もできなかったわ」
「あらー、それは残念だな。手紙とかは?」
「そういうことをする子じゃないわ。縁があるならアリカみたいにまた会うと思うし」
響が女子から距離を取られているのは過去のせいもあるような気がしてきた。
しかし、生徒同士の喧嘩話は、太一からよく情報を貰うけれど、響の情報はなかった気がする。
確認してみると、響が高校に入ってから喧嘩したのは、今朝の出来事が初めてらしい。
響の相手に務まる奴がいなかっただけらしいが、ライバル視している大熊ゆかりの場合は通っている道場でやりあっているだけなので、喧嘩とは見なしていないようだ。
「もしも、その3人がこの高校に揃って入学してたら、恐ろしいことになってた気がする」
太一は苦笑いして言う。
うん。俺もそう思う。
☆
HRが終り、帰ろうと中央階段へ向かうと響がそこで待っていた。
当たり前のように俺の横に来ると俺の腕を取る。
どうやら、いつもの響に戻ったようだ。
下駄箱へ移動しようとしたところで、
「あ~、響さんまた抜け駆けしてる!」
愛が下から上がってきて大声で叫ぶ。
手に包帯を巻いていて見てる分には痛々しい。
「だって早い者勝ちでしょ?」
響はいつものように無表情に答える。
だが、今日は愛に少し余裕の表情が見える。
「まあ、今日は許してあげます」
そう言って俺の横に来て逆の腕を取る。
「あら、どうしてかしら?」
「だって、今日は『明人さん』が愛にきすしてくれた記念日ですから」
それを聞いた響の眉がわずかにぴくっと動く。
愛、お願いだから止めて。
俺の腕を持つ響の手に力が加わってきてる。
「明人君、私にもキスしてもらえるかしら?」
「駄目でーす! 絶対させませーん」
「不平等だわ。愛さんだけずるいわ」
……またぎゃんぎゃんと言い合いが始まった。
ここで、ふと気付く。
愛とぎゃんぎゃんやりあってるときの響は楽しげだ。
もしかしたら、響はそういう相手を求めているのかもしれない。
アリカやもう一人の友人と過ごしてきたときのように。
喧嘩しながら、遠慮することなく言い合う仲になりたいのかもしれない。
実際、愛と響の関係はその状態にかなり近いように思える。
もしかしたらではなく、愛こそ響の求めていた人物像のような気がしてきた。
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