273 Kiss Kiss Trouble1
火曜日。
学校に到着し駐輪場に向かうと、いつものように愛が俺を待っていた。
「おはようございます。明人さん」
いつもと変わらないニコニコとした笑顔で俺に挨拶。
「おはよう」
自転車を置き、愛から弁当の入った巾着袋を受け取る。
鞄にしまって歩き出そうとすると、
「明人さん。昨日は香ちゃんが休んでたの気付いてました?」
「あれ、あいつ来てなかったんだ? てっきりいるもんだと思ってた」
「急に休むって言い出したんですよ」
「へー、何かあったのかな?」
俺と顔をあわせるのが気まずいのかな。
もしかしたら、あいつの方こそ気にしてるのかもしれないな。
今日、来ていたらもう一度謝ろう。
「――そりゃあ、事故とはいえ明人さんときすしちゃったからじゃないですか?」
愛の言葉に固まる。
アリカ、愛に話したのか!?
「香ちゃんの嘘は愛に通じません。あまりに様子がおかしいから、香ちゃんをとことん追い詰めたら、ようやく白状しました。それで、お話があるんですけど」
「あー、ほら、こういうことって人に言うことじゃないよね? 事故だし、お互い忘れようって話だったからさ」
「そこは愛も理解してるつもりです。ですが、きすはきすです。愛以外の人がきすしたという事実が許せません。愛は明人さんのことに関しては常に同等以上でいたいのです。だから、愛ときすしてください。明人さんがしてくれないなら愛からします」
じりじりとにじり寄ってくる愛。
ちょっと待って。響の言ってたことが現実になってる。
あ、これマジだ。
目が据わってるし、いつか見たアリカの獣の目と同じだ。
これはまずい。俺は脱兎のごとくその場から逃げ出した。
荷物があるとはいえ、俺も足は遅くないほうだ。
愛の運動能力や男女の筋肉差を考えれば逃げ切れるはず。
ちらっと後ろを見ると、すぐ後ろを愛が追いかけてきている。
ちょっ、速すぎだろ!?
「明人さん、覚悟してください。ちょっと、ちゅってするだけですから」
「それが駄目だって言ってんだよ!」
駐輪場を抜けて、体育館脇へと走る。
やばい。やばい。やばい。このままじゃ追いつかれて捕まる。
体育館裏へと急カーブする。急に走ったからか、足がもつれそうになる。
裏に来たところで反対側から走ってくる響の姿が見えた。
もしかして、救援に来てくれたのか!
「明人君、そのまま走り抜けて!」
「無理。そろそろ限界」
響の姿を見たことで安心してしまった俺はその場にへたり込む。
「明人君まずいわ」
「はあ、はあ、はあ。って、何が?」
「愛さんのリミッターが飛んでるわ」
響は俺も見ずに、目の前で立ち止まる愛から視線をそらさずに言った。
「響さん、そこをどいてください」
「駄目よ。どくわけにはいかないわ」
体育館裏まで逃げてきた俺を守ろうとする響。
両手をだらんとさせ、黒く濁った瞳で響を睨む愛。
「どいてくれないなら……排除します」
愛の身体がゆらっと揺れ、響の目の前へと瞬時に移動する。
ボウリング場で見せたあの素早さだ。
どう見ても瞬歩にしか見えないんだけど。
愛から無造作に繰り出される左の手刀。響は顔を逸らして避ける。
矢継ぎ早に右の手刀が響を襲う。響はかろうじて手で捌く。
愛の連続攻撃に反撃の手が出せず防戦一方の響だった。
この達人同士の戦いは何?
運動音痴でカナヅチで何をやってもうまくできないと言っていた愛。
その言葉が全くの嘘だったといえるようなこの動き。
運動能力の高い響ですら防戦しかできていない。
愛が素早く身体を回転させると同時に響は軽く下がる。
響がいた空間を愛の回し蹴りが空を斬る。
「……思って以上に厄介な相手ね。速すぎるわ」
響が息を整えつつ漏らす。
『あの子が能力全開できたら私でも止められるか自信がない』
響の言葉に嘘はなかった。
事実、響はおされている。
反撃しようにもその前に愛の攻撃が先に来る。
「加減したらこっちがやられるわね」
響は息を整え構える。
急に周りの空気がピーンと張り詰める。
その動きを見た愛が本能的に感じ取ったのか、響から距離を取る。
「……本当に厄介だわ。感じ取ってるのかしら。でも、これで極めるわ。――表」
響が動く。
愛と同じように、瞬間的に相手の懐に飛び込む。
距離を取っていた愛だったが、まだ足りなかったようだ。
「一教」
響は愛の手首を掴む。
「二教」
ぐいっと愛の手首を内側へ返す
その動きに愛の身体が前方へ崩れる。
「三教」
身体の中心線に持ってくるように捻じる。
この攻防戦に決着がつくか。
「四――」
響は言葉の途中でその動作を止める。
違和感を感じたのか持っていた愛の手首から手を離し後ろに飛びのく。
響が今までいた空間に愛の手刀が伸びていた。
「……見当違いだったわ。アリカと違うタイプかと思ってたら、同じパワータイプだったのね」
今の何があったんだ?
「惜しかったです。今ので潰せると思ったのに」
愛がにやりと笑う。
「おい響。今のどうしたんだよ?」
「本当はあそこから愛さんを転がして身動き取れないようにするんだけど、力負けして四教に移れなかったわ」
そういや、アリカと同じで実は馬鹿力なんだよな。
「困ったわね。動きも速い上に力もあるだなんて。ここまで厄介なのも困りものね」
「次は愛の順番です」
両手をだらんとさせ、黒く濁った瞳のまま笑う愛。
最初よりも速い動きで響の前に移動。
愛は既に殴るモーションに入っていた。
響は避けきれないと判断したのか、両腕を重ねて十字受けする。
どがっと愛の左の拳が響の腕に当たる。
響はその衝撃を受け止めきれず吹っ飛んだ。
おい、大丈夫か!?
「くっ、捌ききれなかった」
響はそう言うとすぐに起き上がり構える。
よかった。ダメージはそれほどなかったようだ。
愛は、拳突き出したままで、響が起き上がっても構えることもしない。
余裕なのか?
すると愛は急にしゃがみ込んで、
「いったあああああああああああああああああい」
「「はい?」」
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。明人さん手がむちゃくちゃ痛いですー」
「はい?」
「痛いですー」
響の腕を殴った拳をさすり、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫び始める愛だった。
☆
濡らしたハンカチを愛の左手に置く響。
「愛さんもしかして喧嘩したの初めて?」
「初めてですー。そんなの怖くて今までしたことないですー」
ぐすぐすと泣きながら答える愛。
「そりゃあ、拳を鍛えてもないのにあんな力で殴ったら手の方がびっくりするわよ」
「痛いですー」
「愛ちゃん、何でこんな無茶するの?」
「だって、愛だけでーと中断でしたし、二人っきりで抱きしめてもらったことないし。その上きすまで先越されちゃうって悔しいじゃないですかー。愛だけ置いてけぼりなんて嫌なんですー」
ぐすぐすと泣きながら答える愛だった。
よし、ここは響にも言うつもりで説教しよう。
「あのさ。愛ちゃんが俺を好きなことは正直嬉しいよ。でも、俺は関係がはっきりしない状態でそういうことはしたくないんだ。だから奪うとか、そういうのは止めてほしいんだ」
「でもでも、きすした事実は残るじゃないですか」
おい響。お前実は愛に言ったんじゃないだろうな。
響の野郎そっぽ向いて素知らぬ顔してやがる。
「そこは勘弁してよ。ちゃんと向き合えるようになったらね。デートならまた今度するから」
愛の頭を撫でながら諭す。
「でもでもー」
愛は納得できない様子だ。
「じゃあ――」
愛の髪をかき上げておでこに軽くキスをする。
愛は目を見開いて口をパクパクとさせる。
「これで平等ね。キスはキスだよね? これ以上は俺も無理だか――ごふっ」
側頭部に強い衝撃が来て吹っ飛ぶ。
「あらあらあらあらあらあらあら。今のは一体何かしら? 明人君は一体なにをしたのかしら?」
顔を引きつらせた響がのしかかってくる。
「今のキスはさすがに容赦できないんだけど?」
「ちょっと待て! キスって言ってもおでこだぞ」
「場所がどこだろうと、あなたの意志でしたわよね?」
「――え? 論点そこなの?」
「あなたにはきつい躾が必要だわ……」
ちょっと、愛そこで惚けてないで助けてくれ
「明人さんがきすしてくれた。明人さんがきすしてくれた。明人さんがきすしてくれた。明人さんが……」
自分の世界に入ってないでマジで助けて!?
「覚悟はいい? そんなものなくてもするけど」
――ズタボロのボロ雑巾のようにされ、俺が気が付いたのは二時間目が終わったころだった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。