272 秘密の重複3
月曜日。
学校に到着し駐輪場に向かうと、いつものように愛が待っていた。
毎回、申し訳ないと思う。
「明人さん、おはようございます」
いつもと変わらないニコニコとした笑顔で俺に挨拶してくれる。
響の件は引っかかっていないのだろうか。
アリカは暴走するかもとか言っていたし。
「愛ちゃんおはよう」
「はい、これ。今日のお弁当です」
愛は手にした弁当の入った巾着袋を差し出す。
受け取った巾着袋を鞄にしまう。
「いつも、ありがとう。じゃあ、行こうか」
「すいません。その前に」
下駄箱へと足を進めようとしたところで愛が声を掛けてくる。
振り返ると愛が両手を広げていた。
「えーと、何かな?」
「ハグを要求します」
愛よ。お前もか。
「お話は響さんから聞きました。愛は悔しいのですよ。響さんが何度も自慢するんです。しかも、やたらと2回、2回と強調したんです」
響にしては大人げないことをしたものだ。
「愛はまだ一度しか抱きしめられてません。愛も同等になりたいのです」
「ちょっと待って。愛ちゃんの方が数多くない?」
「え?」
愛がポカンとする。
だって、俺が愛を抱きしめたのは、愛におまじないだと言って騙された時と、ボウリング場でストライクを取ったご褒美のときだ。
『愛へのご褒美なんですから、もっかいぎゅっとしてください』
それに応えてハグしたせいで、狩人たちからひどい目にあったことは覚えている。
「だって、前におまじないとか言った時もあるし、ボウリング場で愛ちゃんのこと2回ハグしたよ?」
「……」
愛はポカンとしたまま、瞳だけが上に動く。
ポンと手を叩く。どうやら思い出したようだ。
「――明人さんの気のせいです。ささ、早く」
と、言ってまた両手を広げた。
今、確実に思い出しただろ。
「それにみんなが見てる前でできるわけないだろ?」
「じゃあ、人気がないところに行きましょう。体育館の倉庫とか」
「あそこ普段、鍵閉まってるから」
「じゃあ、保健室とか」
「校医ならもう来てるよ」
「じゃあ、屋上とか」
「入れないよ? あそこも入り口に鍵が閉まってる」
「じゃあ、どこならいいんですか!」
「諦めなって」
「じゃあ、ここでしましょう」
なんで振出しに戻るかな?
「いいかげんにしないと置いていくよ?」
「……はい。すいませんでした」
しゅんとうな垂れる愛だった。
ようやく下駄箱へと移動を開始すると、駐輪場の入り口に響がいた。
「二人とも、おはよう」
どうやら俺たちを見かけて様子を窺っていたらしい。
気のせいか、横にいる愛から殺気を感じる。
「響さん、おはようございます」
何だか声も少しばかりトーンが低い。
俺は俺で響の姿を見た途端、キスされたことを思い出してしまい緊張する。
どうやって接していいものか、どういう態度を取ればいいのか分からない。
「……あら、明人君。挨拶は基本よ?」
「……おはよう響」
何でお前は普通なんだよ。
そんな俺の態度を見て、横にいる愛が不審そうな顔をした。
「明人さん?」
小声で聞いてくる。
「いや、何でもない」
「じゃあ、行きましょうか」
響は当たり前のように横に来ると俺の腕を取った。
「ちょっと、また抜け駆けするんですか!」
「あら。だって早い者勝ちでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、キスされた時のことを鮮明に思い出す。
やべえ。顔が引きつる。
「そっちがその気なら愛だって」
反対側の腕を取る愛。今日も弾力のいい胸が当たる。
いつもならここで、愛に離れるように言ったりして口喧嘩を始めるのだが、今日の響は全く動じず愛を黙認している。何だか余裕すら感じるのは、やはりキスしたことが原因だろうか。
「土曜日は慌ただしかったから、今度はゆっくりとデートしましょうね、明人君」
「何ですか、その余裕は!?」
動じない響に不満の声を上げる。
「明人君に2回も抱きしめられたからかしら」
「まだ言ってるんですか。その件ならこれで愛と並んだと思ったら大間違いですよ。2回、2回って強調してますけど。まだ、愛の方が数は多いんですからね。それに愛は明人さんに膝枕もしてあげたんですよ」
その話は出さないでほしいな。
響の狩人の血が目覚めたらどうしてくれるんだ。
「あら、そういえばそうだったわね。残念だわ。次の機会に塗り替えるとするわ」
「その余裕な態度がむかつきます!」
俺は俺でそのうち響がキスしたことを言い出すんじゃないかとハラハラしていた。
胃がきりきりと痛みだす。
「明人さん、響さんの様子がおかしいんですけど。他に何かあったんですか?」
「何もないわよ。ただ、明人君を少しいじめただけよ」
あのキスって、いじめだったの?
確かに現在進行形で色々なダメージがあるけれど。
「明人さんってそういうのが好きだったんですか? だったら愛も方針変換しますけど」
「俺、マゾじゃないから。ノーマルだから」
何だか今日は下駄箱までの距離が遠い。
早く着いてくれないかな。
「まあまあ、二人とも。そろそろ落ち着こうぜ?」
「響さんの態度が今までと違いすぎるんですよ。疑いたくもなります。あ、態度が違うと言えば――明人さん。昨日、香ちゃん何かあったんですか?」
ドキドキっ!?
響がちらっと俺の顔を窺う。
動揺するな俺。
響が俺の目をじっと見つめる。
こいつ、もしかして今の俺の動揺に気が付いたのか?
「昨日はちょっとしか顔を合わせてないから……あいつ、ずっと裏屋にいたし」
響の視線から逃げるように愛に答える。
「そうなんですか? 昨日ですねー。香ちゃんがバイトから家に帰ってきたとき様子が変だったんです。なんか愛を避けてる感じがしたんですよ。何か嫌なことでもあったのかなって思ったら、部屋で急に奇声を上げたり、急にバタバタと暴れたりしてたんです。何があったか聞いても教えてくれないんですよ」
「さ、さあ、俺にもよく分からないな」
アリカもどうしていいか分からず、色々と混乱しているのだろう。
「愛さん。アリカに何かあったときって、そういう風によくなるの?」
「あまりないですよ。あ、でも香ちゃんと明人さんが二人でお出かけしたときは行く前も終わった後も大騒ぎでした。愛まで巻き込まれましたよ」
「……へぇ?」
あれ? 何でか急に俺の手を取る響の手に力が入ってきている気がする。
それに反対側の手が手刀の形になっているのは、気のせいだと思いたい。
「明人君、気のせいかしら。アリカの騒ぐ理由が明人君にあるように聞こえるのだけれど」
「気のせいだ」
「やっぱり何かあったんですか?」
はい。ちょっとした事故でキスしちゃいました――なんて、言えるわけがない。
「だから昨日はちょっとしか顔を見てないから分からないって」
「そうですかー。香ちゃんを問い詰めてみます」
それはそれで止めてほしい。
ようやく下駄箱に辿り着く。
駐輪場からそんなに距離がないのに、やけに長く感じた。
さっさと履き替えて教室に避難しよう。
少し休まないと精神的に辛いものがある。
「明人君待って。一緒に行きましょう」
下駄箱から通路へ出たところで、響に止められる。
間に合わなかった。
響は口を開くわけでもなく、腕を取るわけでもなく横に並ぶ。
普段からそうしてくれると助かるんだけど。
中央階段の踊り場のところで、響が歩みを止めた。
「どうした?」
「何故かしら。急に不安になったわ」
あれ、気のせいでしょうか。右手が手刀の形をしているんですけど。
「どう考えてもあなたの態度もおかしいの」
「そ、そりゃあ、お前。あんなことがあったら態度も変わるって。どうしていいか分かんねえよ」
「違う。そうじゃないの。私があなたにキスしたことじゃないの」
思わず、響の口を塞ぐ。
「ばかっ。こんなとこで言うなって」
俺の手を取り払い、声を潜めて囁く。
もごもごと口が動く感触が伝わる。
ぺろっと塞いだ手が舐められる。
思わず驚いて手を離す。
「口を塞いだら話せないじゃない」
「だからって、人の手を舐めるなよ」
「明人君のならどこを舐めても平気よ。キスしたことなら大丈夫よ。ちゃんと未然に誤魔化せるように種は撒いてあるわ」
「種?」
「私があなたの頬にキスしたことがあるでしょ。その件だって言えば、周りは誤魔化せるわ。そのことを知ってるのが愛さんの他に川上さんたちも知ってるから。……ちゃんと計画どおり。抜かりはないわ」
色々な意味で驚きだよ。そんな前から俺にキスする計画立ててたの?
てっきり衝動的にしてきたのかと思ってたけど、計画だったのかよ。
俺はそんなことを露ほどにも考えず、まんまとその策にはまったってことか。
「マジですげえな、お前」
「……それよりも。今は別の話よ。……アリカと何かあったでしょ?」
「ない」
響が一歩前に出る。
思わず一歩下がる。
さらに一歩、二歩と距離を詰めてくる。
俺は、その迫力に押されて後ずさりする。
そのうち背中に壁があたり、もう下がることができなくなる。
さらに距離を詰めた響が壁をドンと手で打つ。これが噂の壁ドンか。
ドキドキするとかいう話だけど、俺は恐怖でドキドキしているぞ。
「あったでしょ?」
「ない! なにもないって」
「言わないと、今ここでまたするわよ?」
思わず身体が硬直する。
階段上から俺たちの様子をちらちらと見ている生徒もいる。
こんなところでキスされたら取り返しがつかない。
すまん、アリカ。
俺は響の脅しに屈服した。
「分かった。白状する。――実は」
☆
「あら、そんなことがあったの。まるで漫画かアニメみたいね。アリカ的には災難だったかもしれないけど、明人君的にはラッキーだったわね」
白状してみると、響のリアクションはあっさりしていた。
「怒らないのか?」
「怒る理由にならないわ。明人君が自分の意志でアリカにキスしたって言うなら別だけど」
「するわけねえだろ」
「でしょ? だから怒る理由がないわ。今度から気を付けてね。……そうね。でも、やっぱり一度上書きさせてもらおうかしら」
その言葉に思わず手で顔をガードする。
「冗談よ。そろそろ行きましょうか」
響といい、美咲といい、何でキス自体のことはそれほど気にしてないんだ?
「ちょっと聞いていいか?」
「何かしら?」
「今時キスってのは軽いことなのか?」
「軽いわけないわ。私、明人君以外としたいと思わないわ」
「じゃあ、何で怒らないんだ?」
「目の前で見てたなら嫉妬で逆上して明人君をボロ雑巾以下にするわ」
ボロ雑巾以下って断言するなよ。
怖いよ。
「さっきも言ったけれど、今回の場合どちらの意志もないのにあなたたちを責めるのは可哀想よ。注意と反省はしてほしいけれど。それとも明人君は私に罰して欲しいのかしら?」
そういうつもりじゃないけれど、何だか拍子抜けしたんだよ。
身構えてた自分がいるから。
「ただ……愛さんには知られないほうがいいわね。自分はしてないからってあの子も明人君にキスしようとするわよ。あの子が能力全開できたら私でも止められるか自信がないから気を付けてね」
響の忠告が翌日の朝に現実になろうとはこの時の俺は思いもよらなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。