270 秘密の重複1
日曜日。
バイクの教習を終えバイト先に向かうが、ペダルを漕ぐ足取りが重い。
バイトに行くのにこんなに憂鬱になったことは今までにない。
昨日のこと――響とのキスのことで思い悩んでいた。
あのあと少しばかり園内をうろついて園内で軽い食事をした後、家まで送ってもらって響との短いデートは終了した。響は全く変わらない態度だったが、俺の方がぎくしゃくしてしまっていた。
キスしたからと言って付き合う訳じゃない。
それは響も理解していた。
キスしたのは、ただ、自分が我慢できなくなっただけだと響はあっさり言ってのけた。
考えれば響みたいな美少女とファーストキスできた俺はかなり得をしたのだと思うのだけれど、他のみんなにばれたらどうしようと思っている自分もいる。
察しのいい美咲や勘が鋭いアリカに勘付かれたらどうなるんだろう。
いやらしいだ、不潔だと責められるんじゃないだろうか。
そうなるとお決まりのように説教・手刀・お仕置きのフルコースが準備されるだろう。
俺からしたんじゃないといっても、きっとあの狩人たちには通じない……。
――怖い。
とりあえず自然に振る舞うよう心掛けよう。
開店準備の時間もある。対策を色々考えなくちゃな。
いつもの郵便局を抜け、我がバイト先のてんやわん屋が見える。
店内のライトが点いていた。既に美咲が準備にかかっているようだ。
いつもの店横に自転車を置いて、従業員用扉から店内へと入る。
カウンターに美咲の姿が見える。
美咲は俺の姿を見ると、笑顔で手を振った。
「明人君、おはよー。用意終わったら昨日の話聞かせてねー」
その笑顔は見たくなかったな。目が笑ってねえ。
更衣室に入って荷物からエプロンを取り出す。
準備が終わったところでカウンターへと移動。
落ちつけ。落ち着くんだ俺。
冷静な態度で、昨日は何もなかったという態度で取り繕うんだ。
とりあえず態度を怪しまれないように普通に挨拶しよう。
「おはようございます、美咲様」
「明人君、なに言ってんの?」
――怪しすぎるだろ、俺。
冷静でいようとすればするほど焦りが生まれる。
「べ、別になんもないし。丁寧な挨拶しようと思っただけだし」
「明らかに動揺してるんだけど? まあ、とりあえず中に入って座りなよ。開店準備は終わってるし、聞きたいこともあるし」
「え、もう開店準備終わってるの?」
なんで今日に限って終わってんだよ。
いつもだったら俺が来るまで待ってるのに。
やべえ。これじゃあ冷静になろうにも時間稼ぎができない。
美咲の横の席にそっと座る。すでに胃が痛い。
「とりあえず、お話聞こうかな。昨日の響ちゃんとのデートはどうだったの?」
「はい。楽しゅうございました」
俺の返答に美咲は笑みを深めると、俺の両肩をがっちりと掴む。
「楽しかっただけじゃないよね?」
「ない。特に目立ったことはない!」
俺はブンブンと顔を振る。
俺の肩を持つ美咲の手に力が込められていく。
「あったよね?」
美咲の顔から笑顔がなくなり、目が据わっている。
普通に怖い。
俺の脳内では加速度を増し、ありとあらゆる言い訳が生まれていた。
多分この言い訳を口に出したら崩壊するだろう。
考えろ。考えるんだ俺。
「いや、実は何かよく分からんけど、響のじいさんちで宝探し勝負させられて、響の親と会って。んで、風呂ご馳走になって、そのあとこの間みんなで行った遊園地で二人で行ってちょっと遊んで飯食って送ってもらって帰ってきた」
木葉を隠すなら森の中だ。
事実を概略に伝えて、肝心な部分だけ割愛して話せば気付かれることもないはず。
「まだ足りないよね?」
「え、昨日の行動的にこれで全部なんだけど」
「そうか。そうか。肝心な部分を隠してるよね?」
「な、なんのことでしょう?」
美咲はポケットからスマホを取り出す。
「昨日の夜ね。みんなでチャットしてたんだよね」
「チャット?」
「みんなで作ったてんやわん屋のアルバムあるでしょ? あれの機能で同じグループ内の人とチャットできるの。愛ちゃんが気付いて教えてくれたの。んで、愛ちゃんから明人君と太一君を除いた女子会を開きましょうって提案があって、急きょ開いたの。響ちゃんが明人君とのデートが終わったの確認してから誘ってしたんだよ」
なんで、そんな危険なことやってんだよ。
響もしかして、その女子会で言ったんじゃねえだろな。
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「響ちゃん本人からさ――」
「ひ、響から何て?」
「2回ハグいただきましたって聞いたんだけど?」
ガックシと脱力する。よかった。
あいつもそこまで馬鹿じゃない。
「したの?」
「はい、しました」
キスしたことがばれるよりも全然マシなだけにきっぱりと言い切る俺だった。
「――じゃあ、わかってるよね?」
「はい?」
美咲は素早く背中に回り込み、俺の首に手を回す。
「おしおきだあああああああああああ!」
「うきゅー」
即落ちでした。
☆
ぺちぺちと頬を叩かれる感触。
ああ、この感じ。あー、また落ちたのか。
うっすら目を開けると目の前につなぎ姿のアリカがいた。
「起きた?」
周りを見るとここは更衣室で、どうやらアリカが運んでくれたらしい。
「悪い。また運んでくれたんだな」
「店の中で気絶してたら見栄えってもんがあるでしょ」
「今日はすげえ勢いで締め付けられた」
「ふーん。そっかそっか。で、あんたに聞きたいことがあるんだけど?」
あれ? よく見るとアリカさんすでに目が据わってらっしゃる?
「も、もしかして、昨日のこと?」
「――まあ、あんたが響を抱きしめようが、響に抱き着かれようが、あたしはどうでもいいんだけどさ。妹の心情を考えるとそれなりに許せないものがあるわけよ。一応、あんたの口から何があったかを聞いて、事と次第によっては決断しようかなって」
「えと、何の決断?」
アリカは俺に馬乗りになって、握り拳を作るとにやりと笑う。
「あんたを殺すかどうかに決まってるじゃない。さあ、マウント取ったわよ。事と次第によっちゃあ病院行きだから……病院で済めばいいけど」
あ、こいつマジだ。
これ、キスのこと言ったら俺終わるんじゃないだろうか。
「……前に愛ちゃんをご褒美で抱きしめたことがあっただろ。それと同じようにして欲しいって言われたからした……観覧車の中だったから、離れたときにちょっと揺れて、お互い支えあった時にもう一回したけど……」
「響から聞いたのと同じね。……嘘は言ってないようね。……でもさ、あんた彼女でもないのに抱きしめるってのおかしくない?」
自分自身でも後悔してる。
安易にハグしたせいで唇を奪われたのだから。
「まあ、いいわ――あんた明日は覚悟しといた方がいいわよ」
アリカは俺から降りて立ち上がると、膝の埃を払って言った。
「……覚悟?」
「愛の暴走する可能性が高いから。昨日の夜も響に噛みついてたし、家でもぶつぶつ言ってたから」
それはそれで怖い。
「はい。起きなよ」
アリカが手を差し伸べてくる。
「ああ、ありがとう」
俺が起き上がろうと勢いをつけたタイミングで、アリカが手を引っ張る。
起き上がろうとした勢いにアリカの馬鹿力が加わり、アリカも予想していなかったのか、引っ張り過ぎて勢いで俺を道連れにしてひっくり返る。
「いってー……」
――何だこれ?
目の前にアリカの見開いた目がある。
こんな至近距離でアリカの目を見たことなかったな。
しっかりとした二重なんだな。意外とまつげが長い。
……それよりも、唇に柔らかいものが当たってるんだけど。
これってもしかして――倒れ込んだ拍子に俺とアリカはキスしていた。
昨日が響で今日はアリカだと?
俺の人生どうなってんだ。
アリカは目を見開いて完全に硬直したままだ。
どうやら今の現状を一生懸命理解しようとしているのだろう。
自分より状態がひどい人間を見るとかえって落ち着くものである。
俺はがばっと起き上がり、まず土下座した。
見上げるとアリカは放心状態のまま口を手で押さえている。
「ご、ごめん!」
もう一度土下座して言うと、我に返ったアリカが俺の襟首を掴むとぐいっと引っ張って言った。
「あ、明人。い、今のは事故だから、絶対誰にも言ったら駄目よ」
「う、うん。分かった。その……ごめん」
「……あたしが引っ張ったからだから……事故だから。あたしも、その……ごめん。今のなし。ノーカウント。お互い忘れよ?」
無理なこと言うな。これ忘れるの無理だろ。
「それとも記憶がなくなるまで殴られたい?」
「忘れます」
簡単に屈してしまった。
だってアリカさんてば目が本気なんだもの。
「絶対、言ったら駄目だからね。じゃ、じゃあ、あたしそろそろ戻るから」
アリカは襟首から手を離すとさっさと更衣室から飛び出して帰ってしまった。
このあと一日を通してアリカが俺の前に姿を現すことは一度もなかった。
俺の秘密が増えていくのだけれど、この重複はかなりやばいのではないだろうか。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。