258 人の噂も75日1
――月曜日。
学校に着くと駐輪場でいつものように愛が待っていた。
「明人さん、おはようございます。あれ? 明人さん妙に疲れた表情されてますけど」
「おはよう、愛ちゃん。いや、何でもないよ」
美咲を起こしてくるのに疲れたとは言えない。
今日もなかなかてこずらせてくれた。
「お仕事で疲れたんですか? 何でしたら愛が全身をもみもみいたしますが……」
「いいよ。大丈夫だから」
愛から弁当を受け取り、下駄箱へと移動。
移動中、愛はニコニコして何度も俺の顔をちらちらと見てくる。
様子がおかしいのはいつものことだけれど、今日はやけに嬉しそうだ。
「どしたの?」
「愛は感動しているのです。香ちゃんから聞きましたよ。愛と明人さんが幼い時に会ってたなんて。こんなの運命以外にあり得ないじゃないですか」
「ああ、その可能性があるってだけで、実際はどうか……」
「いいえ、愛は信じます。残念なのは愛にその記憶が全くないことです。頭が悪くてすいません」
「いやいや、俺も覚えてないから」
愛は身体をふりふりして照れた表情を浮かべる。
「愛は〝さらに愛にばーにんぐ″しようって決意が生まれました。絶対、明人さんが愛なしではいられないようにしてやろうと。次のでーとは失敗しないようにするつもりです」
このまま勢いに乗せるのはまずい気がしてきた。
一応、牽制しておこう。
「それは試験の結果次第だよね」
「――あぅ」
試験結果と聞いて、愛はがっくりとうなだれる。
「あれ? 神が舞い降りたとか言ってたじゃない」
「……いつもよりは書き込むことができたんですが、合ってる自信はありません」
「そればっかりは結果が返ってこないとね」
「ああっ。もし、でーとがお預けになったら、愛は何を楽しみに生きていけばいいんですか?」
じわっと目に涙を浮かべて訴えてくる愛。
うわ、泣かれたら困る。
ぽふっと、愛の頭に手を置く。
「もし、駄目だったら、また期末も放課後特訓な。まあ、そうじゃなくても週に一度は勉強会継続しようと思ってるんだけど」
わしゃわしゃと愛の頭を撫でくる。
「明人さ~ん」
逆効果だった。
慰めて終わるつもりが、抱き着かれるとは思わなかった。
みんなの視線が痛い。特に背中に冷気を感じるんだけど――冷気?
この冷気が殺気だと気づいたときには時すでに遅く、完全にノーガードだった右の脇腹に手刀が突き刺さる。
「ぐぁっ!?」
結構な勢いで入ってきたぞ。
愛は衝撃にびっくりして体を離し、俺はそのまま膝をついた。
「おはよう明人君。朝っぱらから随分といちゃついてくれてるわね。これは一体どういうことかしら?」
手刀の主、響が右手を伸ばしたり握ったりして、次の手刀を準備しながら言った。
「響、おはよう。……今のはきつかったぞ」
「朝っぱらから愛さんに抱きつかれて鼻の下を伸ばしてるからよ」
「響さん、おはようございます」
「愛さん、おはよう。愛さんにも説明を求めようかしら?」
俺と愛は簡単に説明をする。
「ふーん。それだったら抱きつく必要ないわね。だって、明人君はその約束をとっくの昔に破棄しているもの」
「は? 俺そんなこと言ってないぞ?」
「私も耳にしたのよ? 愛さん携帯に証拠があるでしょ」
「はい?」
愛はきょとんとして首を傾げる。
「前に私に聞かせてくれたものがあったでしょ」
「あ、これですか?」
愛は携帯を取り出すと慣れた手つきで携帯を操作する。
『ああ、何度でも言うよ。デートくらい、いくらでもする』
俺の声が愛の携帯から流れる。
これは愛とデート中に熱を出したときに、愛が録音したやつだ。
いつの間に響に聞かせてたんだ。
「この発言は最初にした条件付き約束の後でしたものでしょ。だったらこっちが有効だわ」
愛が響に対し尊敬の眼差しを向ける。
「そういうことになるんですか? 響さんが神様に見えます」
愛は目をキラキラとさせて響を拝む。
響が愛の支援に乗り出すとは驚きだな。
敵に塩を送るとかいうやつなんだろうか。
「約束は破棄されてるけれど、明人君はこれから私とずっとデートするから愛さんは一生できないわね」
淡々という響に愛がぴきぴきと顔を引きつらせる。
「……おのれ、この女狐が……」
微かに愛の怨嗟の声が聞こえる。
久しぶりに見たけど愛がどす黒い目をしている。
「うふふ。響さん、今度のでーとはどこに行かれるんですか?」
「秘密よ。言ったら確実に着いてくるでしょ。邪魔は困るわ」
「うふふ。あと五日もあるんですよね。…………突き詰めてやる」
愛は最後に聞こえるか聞こえないくらいの声でぼそっと言った。
「さあ、いつまでもこうしてないで教室に移動しましょう」
響はぐいっと俺の腕を取ると、しっかりと抱きかかえる。
「ぐあっでーむっ!? 今日は愛もまだしてないのに!」
「あら、嫌だ。恋人と腕を組むのは当たり前でしょ?」
「誰が恋人ですか! そこは愛のぽじしょんです!」
愛は反対側に回り、負けじと俺の腕にしっかりと抱きつく。
あの……俺を置き去りにして二人で揉めないでもらえます?
☆
「疲れた……」
教室に着いた俺は机に突っ伏す。
結局、二人は下駄箱まで俺の腕を抱いたまま、ぎゃんぎゃんと言い合いを続けていた。
響って人の目を気にしないし、大胆な行動が多いので油断できない。
基本、無表情なのが行動を読みにくくさせている。
人の目を気にしない点では愛も同じだが、響と比べると表情で何をしようとしているか何となくわかるので、かろうじて防げている。
それにしても、響が愛とのやり取りを楽しんでいるように見えたのは気のせいか。
まあ、あそこまで響に食らいつくのはそうそういないだろう。
「木崎君、おはよー」
「おはよー。少年、何を死んでいる?」
川上と柳瀬が声をかけてきた。
「ああ、おはよう。ちょっと朝から疲れただけだ。どうした?」
「いやいや、ちょっとした報告.実は東条さんに近づくのが解禁になった」
柳瀬がぶいぶいとピースサインを出して言った。
「姫愛会の上が動いたみたい。サイトの方も東条さんの部分だけきれいさっぱり削除されててさ」
前に南さんが手を回すとか言っていたけれど、これか。
「そっか。じゃあ、少しは変わるかな」
「まあ、東条さんを一人にはしないようにこっちも動くから木崎君も安心してよ」
「そう言ってくれると助かるよ。お前らは響と普段どんな付き合いしてるんだ?」
「東条さん生徒会もあるし、習い事も多いからね。生徒会が終わったあと車が来るまでの間、柳瀬と東条さんでよく話するの」
「柳瀬的にも楽しい時間だ」
そうだったのか。
川上らと接触が少ないと思っていたけれど、そういう時間を作れてるんだな。
「……安心した。ちゃんと友達やれてんだな。教えてくれてありがとうな」
「柳瀬的に問題はない」
柳瀬は偉そうに頷きながら言う。
こいつも少し変わってる気がする。
「それに……木崎君になるべく話しかけてほしいって、東条さんに頼まれてるからさ」
響が何でそんなことをこの二人に頼むんだ?
「木崎君分かってないな。東条さんは木崎君の環境を変えようとしている」
「自分じゃ駄目だからって、私らにお願いしてきたんだよ」
……響のやつ。
「ほんとに何であんたみたいなのを気に入ってるのかが分からない」
「柳瀬的にもそれは不思議」
「ちょっと待て。そもそも、お前らが俺の噂を拡散したんじゃなかったっけ?」
「私は事実しか書いてない。これでも新聞部だし。嘘は書かない」
「柳瀬も放送部として報道に近い身。嘘は言っていない。目にした事実を言っただけ。実際に抱きしめてた」
反論できねえ。
「あんたはともかく東条さんは応援したいからさ」
「付き合って速攻で東条さんに振られるべき」
「おお、柳瀬。それいいね」
「これ、柳瀬的理想」
お前らやっぱり、俺に敵意を持ってるだろ。
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