裏・帰路(愛里香)
愛里香ことアリカ視点でございます。
ナンバリングでいうと「252 祈念」に掠るところです。
やばい。どうしよう。
とうとう、この日がやってきた。
何気ない会話から生まれた約束。
明人と二人きりでお出かけする日。
あたしが試験勉強を頑張っていたからか、結果が良かろうが悪かろうが、頑張ったご褒美にと明人がご飯を奢ってくれることになった。結果、あたしは頑張った甲斐があって学年一位という自分の目標を達成した。
明人と二人きりで出かけるのは、愛に申し訳ない気持ちもあるけれど。
正直、浮かれている自分もいる。
いや、明人のことが好きとかそういうのじゃないんだけれど……嘘だ。いや、嘘じゃない。
好きなのかどうかよく分からないけど、明人のことを気にしてる自分がいるのは分かる。分かってる。
初対面の時は最悪だった。あたしもあたしで警戒しすぎたし、明人も明人であたしに対する禁句をさらっと言った。あたしのことを「小学生か?」って言ったあの時はマジでぶん殴ろうかと思ったけれど……。
その後、大人の対応というやつなのか、どういうつもりか分からないけれど、あいつは歩み寄ってきた。
あいつはあいつでいきなり人のことを可愛いだの、突然優しい言葉をかけてきたりしてあたしを惑わす。
正直、男の子には色々幻滅してた頃にそういうことされると、男に免疫のないあたしにとっては対応に困るというのが実情だ。どういう態度をすればいいのか分からないんだもん。
二人で出かけるなんて知ったら怒るかもしれないと思っていた愛も何故かあたしに協力的で、バイトから帰ってきたあたしと一緒になって、ああでもないこうでもないと着ていく服を選んでくれたりした。
昨日の夜はなかなか寝付けなくて朝に起きれなかったらどうしようと悩んだくらいだ。
そんな悩みなんかなかったように勝手に目が覚めて、時計を見たら起きる予定の2時間前。
視界に入るのは吊るされた着ていく予定の服。美咲さんと一緒に買い物しに行ったときに一目ぼれした服。
灰色ボーダーのワンピース。
灰色に細い白のラインが入っていて、しかも奇跡的にあたしに合うサイズが在庫にあった。運命の出会いと思って買った一着だった。袖を通すのが惜しくて、何かの大事なタイミングで着たいと思っていた一着だ。昨日の夜にこれを着る決意をしたものの、本当にこれでいいのか不安になって、また服や鞄を引っ張り出す。でも、この服以上にピンとくるものが見つからず、結局その服で行くことにした。
「香ちゃん、何をごそごそやってるの?」
あたしがバタバタしていたからか、朝ご飯を作るのに起きてきた愛が部屋を覗き込む。
相変わらず寝癖がすごい。いつも髪をくくる部分を起点に放射線状に髪が広がっていた。どうやったら髪の毛があれだけ横に広がるんだろう。元々、愛は部分的に猫っ毛で、それを隠すためにサイドポニーにしている。シュシュを外したらそこだけぴょこんと髪が跳ねるので、愛にとってはコンプレックスになっている。
愛はいつも、家族の朝ご飯とお弁当を作るためにあたしが起きる一時間前にはすでに起床している。
前の日にどれだけ遅くなっても、自分の体調が悪くても必ず起きて準備してくれる。
料理が好きだからと愛は言うけれど、それ違うよね。
大事な家族のためだからだよね。あんたはそういう優しい子だ。
普段はなにやらせてもいいところがなくて、頭もこっちが真剣に心配するくらい足りない子だけど、この子はあたしよりずっと女の子らしい。きっといいお嫁さんになると思う。
そんな妹が好きな相手とあたしは二人で出かける。
罪悪感が半端なく襲う。
ただでさえ明人と二人で出かけることを考えたら、食欲が下がっているのに、愛のことを思うと輪を掛けて喉に通らない。
そんなあたしを見て愛は、
「香ちゃん緊張しすぎ。今日は明人さんの魅力をたっぷり堪能してこなくちゃね。香ちゃんに分かるかなー。明人さんが自然体でいるときのあの感じ」
と、口元を緩めながら微笑んでくれた。
あんたは本当にそれでいいの?
お姉ちゃんは何であんたが笑っていられるのかよく分からない。
朝食をとったあと、いつもの髪型で行こうとしてたら、
「香ちゃん、それじゃあ駄目! いつもと違う姿を見せるのも大事なんだよ! はい、ここ座る」
と、ママの使ってるドレッサーの前に座らされ丁寧にブラシをかけたあと、リボンで編み込んでくれた。
「うん。可愛い。香ちゃん可愛いよ」
愛は可愛いと言ってくれてるけれど、あいつはどうなんだろう。
鏡に映る見慣れない自分の姿に違和感が拭えない。
いつもと違う髪型や見慣れない格好で現れたら、どんな顔をするのだろう。
もし、笑われたらどうしよう。
もし、馬鹿にされたらどうしよう。
そんなことになったら、全力で明人を殴って逃げてしまうかもしれない。
あたしが全力で殴ったらもう大惨事になるだろう。
「何を不安そうな顔してんの?」
そんなあたしの不安を愛はさらっと見抜く。
この子も伊達にあたしの妹をやっているわけじゃない。
あたしのことを何だかんだとよく見ている。
「この格好……明人は子供っぽいとか笑ったりしないかな?」
「明人さんがそういうことするわけないでしょ。どっちかって言うと……明人さんは香ちゃんのその姿を見ていい意味で固まると思うよ。可愛いのがきたーって。愛的には明人さんが幼女趣味に目覚めないかが心配だけど」
「誰が幼女よ!」
「まあまあ。……大丈夫。今日の香ちゃんはどっから見ても可愛い女の子だよ。愛が太鼓判押しちゃう。だから、安心して楽しんできてね。あ、それと、明人さんに迷惑かけたら香ちゃん今日の晩御飯抜きだからね」
「そんなことしないって」
愛に見送られて家を出たあと、バス停へと向かう。
待ち合わせは前にみんなで遊びに行った時と同じ駅のバスターミナル。
バスに揺られて駅に近づくたびにあたしの胸の鼓動は大きくなっていく。
バスがバスターミナルに着いた。バスの中から待ち合わせ場所に明人の姿がいるのも見えた。
血液型がA型のせいかしら。あいついつも早くいるのよね。
なによ。このバスに乗ってるかなーみたいな顔しないでよ。乗ってるわよ。
そう毒気のない顔されたらこっちが逆に困るのよ。
あたしのこの格好見てどうなるか不安になるじゃない。
勢いよく前に現れて「アリカ参上!」とかポーズでも決めながら言ってみようか。
駄目だ。あたし何考えてるの。落ち着け。まだ笑われるって、決まったわけじゃない。
お願いだから笑うなよ。笑ったら殴る。絶対殴る。
「お嬢ちゃん、終点だよ?」
はっと気が付くと、他の乗客はみんなすでに降りていて、あたし一人バスに残っていた。
余計に目立ってしまう!
後悔しながらバスの運賃を払いバスから下車。
少々の人混みを抜けてあたしを待つ明人の元へ。
笑うなよ。絶対笑うなよ。もう拳はできてるぞ。
いつでも殴る準備はできてるぞ。
あたしは渾身の勇気を込めて明人に声をかけた
「明人、お待たせ。待った?」
返事をしようとした明人の動きが急に止まった。
え、なに? 何で急に無言になるの?
あたしおかしいの? やっぱり、この格好変なの?
明人の視線があたしの頭のてっぺんから足先まで動くのが分かった。
「な、何じっと見てんのよ?」
何であたしってばこんな言い方しかできないの?
視線に耐えられないからって、もうちょっと優しい言い方できないのかしら。
こんなんじゃ明人だって可愛いなんて言ってくれないよね。
笑われなかっただけましだと思おう。
「……いや、その、可愛い格好してるなって」
ちょっと待って。それ反則。一拍置いて言うの反則。
ああ、やばい。ここにいるのが恥ずかしくなってきた。
顔も熱いし、全身も熱い。あたし絶対に顔が真っ赤っかだ。
何か言わなきゃ。この空気飛ばさなくちゃ。
「こ、これ美咲さんと一緒に買い物に行ったときに買ったやつなの。そ、そっか可愛いんだ。か、買ってよかったわ」
落ちつけ。落ち着け。お願いだからあたしの心臓止まって。
いやいや、駄目だ。心臓止まったら駄目だよ。死ぬよ。
もう、ちゃっちゃと場所移動しよ?
これ以上見られたらあたし本当に殴っちゃうかもしれない。
「……今日は髪型も違うんだな」
ここでそれ言うかお前!?
ああ、やばい。今、反射的に殴りそうになった。
愛を思い出せ。愛の言ったことを思い出せ。
『明人さんに迷惑かけたら香ちゃん今日の晩御飯抜きだからね』
よしいける!
「で、デートなんだから、いつもと一緒じゃ芸がないって愛がしてくれたの。似合ってるかな?」
何とか耐えた。
愛見てなさい。お姉ちゃんものすごく頑張ってるから。
「……ああ、マジでいい感じ」
頼むからしみじみ言うなっ!
もう駄目。もう許容値が限界に来てる。
これ以上この空気に耐えられない。
あと十秒もしないうちに手が出る可能性が高い。
「そ、そっか。じゃあ、行こっか。最初はショッピングモールだったよね?」
あたしはギリギリのところでその言葉を吐くことに成功した。
これでもう一つ何か言われていたら間違いなく殴っていただろう。
それから二人でショッピングモール内へと移動した。
うん、大丈夫。もう落ち着いた。
明人も普通だし、これならいける。
――そう思っていられたのも束の間だった。
エレベーターに乗りこむと、後から後から人が乗り込んできてぎゅうぎゅうになった。
ちょっと、なんでわざわざ人が多いのに乗り込んでくるのよ。
もしかして体重オーバーのブザーを鳴らしたいの?
そんなことを考えていると、急に明人に手を引かれて壁際へと追いやられる。
――え、ちょっと待って?
「こっちにいろ。潰されるぞ」
「うん。……ありがと」
明人があたしを庇ってるのは分かるんだけど……この距離はやばい!
あたしの拳が勝手に臨戦態勢に入る。
落ち着けぇ、落ち着けぇ、落ち着け、あたしぃ。
殴るな。我慢しろ。絶対、我慢しろ。
「大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫」
今、あたしに声をかけるなってば!
危なく拳を振り上げかけたじゃないの。
あんた顎が隙だらけなの分かってないでしょ?
分かってる。あんたが体を張ってあたしが潰されないようにしてくれてるのは重々承知してる。
でもね。この距離はまずいのよ!
早く何とかして―!
ようやくエレベーターの乗客が降りて、人口密度が一気に下がり明人はあたしの横に並んだ。
「お、着いた。アリカ降りるぞ」
「う、うん」
明人は何事もなかったようにエレベーターを降りてあたしは後ろをついて行った。
明人はきょろきょろとしてどこから回ろうか検討中のようだ。
今のうちに神様に願っておこう。
どうか、今日一日明人を殴らないで済みますように。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。