251 女の勘は危険5
美咲の匂いがする。ズバリ言ってのける響。
どうして固有名詞が即座に出てくるのか、女の勘にしても恐ろしい。
このネタを振るとまずいことになりかねんがあえて振ろう。
「美咲さんの匂い……土曜日に家に来たからか?」
ぴくんと響の眉がわずかに動く。
「……そういえば、そんなことがあったわね」
試験の初日、残って勉強会をしたときに愛が俺の家に来て勉強したことを響に暴露。
それを知った響は、俺の襟首を掴んで手刀を突き付けてきた。
美咲もいたことを言うと、手刀を下げてくれたが、自分が呼ばれなかったことで愛と差を付けられたみたいで気分を害したらしい。やっぱり、まだ根に持ってたか。
「あれは急に決まった話だったから」
「今更だけど聞くくらいできるでしょ?」
「今回はちゃんと聞いただろ」
「ふふふ。愛はお呼ばれするのこれで2回目ですから、2回目ですから」
愛は響に勝ったとばかりに自慢げに言う。
響の眉がほんのわずかに動いていたのは見逃さない。
「……愛さんはうさぎと亀のお話知ってるかしら?」
うさぎと亀の話と言えば、競争の話。
足の速いうさぎはゴール手前で、うぬぼれて居眠りしてしまう。
寝ている間に最後まで勝負を諦めなかった足の遅い亀に競争を負けてしまったという話だ。
どんなに有利でもうぬぼれてはいけないことと、どんなに不利でも最後まで諦めないことの教訓話の一つ。有名な話だからいくら愛でも知っているだろう。
「何ですか、それ?」
――知らないのか。変なことは結構知ってるのに、こういう大事な話は覚えていてほしいものだ。
「……そう、知らないのね。……愛さんはうさぎなのよ」
「うさぎって、可愛いですよね!」
話を知らない愛はうさぎに例えられて喜んでいる。
響は愛が知らないことをいいことに、自分が最後に勝つと言いたいのだろう。
響らしいと言えば響らしいが、愛が事実を知ったらまた一騒動になりそうだ。
しかし、うまい具合に愛の一言で響の気がそれたようで、響から美咲の件についての追及はなくなった。
ベッドでの延長戦か、響と愛が微妙な間合いで、お互いに俺に近づくのを阻止しあっている。
響的に美咲よりも目の前の愛の方を問題視しているのだろう。
時折、俺の背後でビシバシと音がしているけれど、俺の死角で何かやりあっているようだ。
しばらく雑談と洒落込み、太一から綾乃の話題が出る。
6月後半に高校見学として清和高校を訪れるらしい。
響も生徒会としてその企画に参加しており、見学に来る生徒の世話役になるとか。
つくづく生徒会は忙しいのだなと思い知らされる。
お昼になり、愛の作ってくれた昼食をみんなでいただく。
冷蔵庫にある有り合わせのもので作ったとは思えないほどの出来栄えだった。
食卓に並ぶ愛の手料理を見て、太一はやけに嬉しそうにしている。
「ところで響は料理できるのか?」
「愛さんみたいにできないけれど、三鷹さんから教わったものならいくつか作れるわ」
「三鷹さん?」
愛が首を傾げて聞いた。
「うちの家政夫さんよ」
「家政婦さんがいるんですか。家事のぷろから教えてもらえるなんていいなー」
何となくだけど、愛は女の人を想像しているように思えた。
三鷹さん男なんだよね。心は女だけれど。
「どういうの教わったんだ?」
「普通の家庭料理よ。三鷹さんが男のハートを掴むには普通が一番というので、肉じゃがとか、おひたしとか」
男のハートねー。まあ、三鷹さんならそういうかもしれないな。
昼食も終わり、愛と響は相変わらずお互いを牽制する動きが続いたが、今のところ実害はないので気にしないでおこう。
☆
あれから数時間がたち、俺は目的を果たせないでいる。
アリカから言われた頼みを愛にまだ告げられずにいる。
まずい。みんなが帰る予定の時間まであと30分ほどしか残っていない。
何とか話を切り出そうとするのだけれど、その度に事が起こる。
太一が固まったり、愛の隙を突いた響が俺の背中に抱きついてきて、つかみ合いになりそうになり、止めに入った太一がまた固まったり(愛に八つ当たりされ顔に落書きされる)、響がトイレに行った隙に仕返しとばかりに愛が抱きついてきたり、帰ってきた響に八つ当たりされて、またまた太一が固まったり(響にも顔に落書きされる)、太一の被害が増えていく。
俺自身にも誤算があった。
単に明日アリカと出かけることを言うのが、こんなに言いづらいものだと思わなかった。
中身はともあれ、二人で出かけるならデートだと言われても仕方がない。
響と愛の顔を見るたびに、口にしたらまた詰め寄られるのではと意気消沈してしまう自分がいる。
何とも情けない状態である。
そんな状況を打開してくれたのが太一だった。
「さてと、もうあまり時間もないからそろそろ話しろよ。明人は何か言いたいことあるんだろ?」
いつの間に気付いていたのか。俺の行動を見ていて不審に思っていたのか。
太一の言葉に響と愛の視線が俺に集中する。
「何か段々そわそわしてるって感じだったぞ。ほら、言ってみ?」
「んー、実は明日アリカと出かけるんだ。あいつ試験で一番取ってさ、まあそのお祝いみたいなもん」
響は片方の眉をわずかにぴくんと動かし、愛は首を傾げる。
響は想像した通りだったけれど、愛の反応が思ったよりもおとなしい。
「……それはアリカと電話で言ってた件かしら?」
「そうだ。お互い都合がいい日ってことで明日になったんだよ。一応ちゃんと言っておこうと思って」
「あー、これで納得できました。昨日、香ちゃんの様子がおかしいなって思ってたんですけど。なるほどです」
大雑把なプラン(チャレンジメニューの件は秘密)をみんなに教える。
「あの、明人さん。香ちゃんはお腹が空きすぎると狂暴化するので、こまめに様子見てあげてください。不機嫌な時は甘いものあげるとたいてい機嫌よくなりますから。多くは与えないでくださいね。それと衝動買いが非常に激しいので無駄遣いしないように見張ってください。あと意地っ張りですが大目に見てあげてください」
愛がアリカの取り扱いについて説明する。
愛は何とも思っていないのだろうか。何とも拍子抜けである。
「あの……愛ちゃんは何とも思ってないの?」
「んー、本当ならついていきたいところですけど、相手が明人さんだから安心だしお任せしてもいいかなと。香ちゃんも男の人に慣れた方がいいと思うんです。同世代の男の子を毛嫌ってるところありますし。あ、でも帰りは香ちゃんをうちまで送っていただけると愛も明人さんのお顔が見れるのでお願いしたいです」
俺への信頼なのか、アリカの将来が心配なのか。
こういう時の愛は何だか妙に大人びて見える。
普段が普段なだけにギャップを感じるところだ。
響はというと最初こそ反応したものの、黙って話を聞いている。
怒ってるような気配もないし、これは受容したと受け取っていいのだろうか。
「えと、響は何か言いたいことある?」
「一つだけ確認させてもらっていいかしら?」
響は人差し指を立てて聞いてくる。
「……明人君に幼女趣味はないのかしら?」
「ねえよ!」
「それなら反対する理由がないわ」
幼女趣味があったら反対するのかよ。
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