24 表屋と裏屋3
てんやわん屋に着くと、いつもの場所に自転車を止める。
鞄から三日月のキーホルダーを出して、従業員用の扉を開けて中に入った。
「あ、明人君来たねー」
レジの椅子に座っていた美咲さんが立ち上がり、俺に向かって手を振りながら言う。
「こんちわー、予定より遅くなりました。すぐ入りますね」
俺が挨拶を送ると美咲さんは「はいはーい」と笑顔で返した。
更衣室で手早く着替えてレジに向かう。
「お待たせしました。他のバイト先の挨拶済ませてきましたよ」
「早かったね。もうちょっと遅いかと思ってたよ」
思っていたよりも早く来たからか、ご機嫌そうな顔で言う。
「バイトに遅く入るの嫌だったんで、少し急ぎましたから」
「む! それは私に会いたかったからだね?」
このパターンで慌てると美咲さんの暴走に巻き込まれる。冷静に対処しよう。
いつまでもその手に引っ掛かる俺ではない。
「それはないですけどね」
「明人君は嘘ついちゃ駄目だよ? 私の魂が泣いているよ?」
俺の冷静な対応にあてが外れたのか、少しむくれたような口ぶりで言う。
「意味わからんです」
美咲さんの流れに持っていかれないよう慎重に言うと、美咲さんはエプロンのポケットから、何かを取り出し俺に渡してきた。
「……これあげる。明人君が来るまでやってたの」
手渡された物は梱包などに使われるビニールの緩衝材だった。
俺はこれをプチプチと呼んでいる。
十センチ位の正方形のプチプチは、感触がプニプニとして気持ちいい。
空気玉の部分を押してビニールを破くと、『プチ』と鳴って暇潰しにもってこいなのだ。しかし、これはある意味、究極に暇な時にやる行為だろう。
渡されたプチプチは、ていねいに端っこから順番に潰してあって、半分まで到達している。
「………………こうしてやる!」
俺は手渡されたプチプチを雑巾のように絞りこむ。
プチプチから『プチプチブチブチ!』と一斉に空気玉が弾ける音がした。
「ああああああああ!? 私の成果が一瞬で!」
美咲さんはムンクの叫びのように頬に手を当てて叫ぶ。
俺が最後にギュッと一絞りすると、小さく『ビチ』と音がして、プチプチは沈黙した。
美咲さんは肩を落とし、俺の手に握られたプチプチを名残惜しそうに見つめていた。
「うう、明人君にいじめられた……あら、何、この感覚? 少し、快感?」
おい、変な方向に目覚め始めるな。何を体を震わせて恍惚そうな表情を浮かべて言ってるんだ。そっちに行っては行けない、引き返せ。
「待て! 美咲さん。それ目覚めかけてるだろ!」
俺の一声で正気に戻ったのか、はっとした表情を浮かべると俺を睨んできた。
「は! 危ない。明人君の罠に引っ掛かるところだった」
「いや、俺罠なんて仕掛けてませんけど? 勝手に俺のせいにしないで下さい」
「明人君がいじめるから目覚めかけたんじゃない! どうしてくれるのよ!」
今度は逆切れですか? 自分で目覚めかけたって言わないで欲しい。
「なに逆切れしてんすか? そもそもプチプチを潰してるからでしょう!」
「そこにプチプチがあるからよ!」
おいちょっと待て。
そのセリフは登山家とかが使ってる有名なセリフのパクリだ。
プチプチなんぞに使うセリフじゃないぞ。
「暇だからって何もプチプチで時間潰さなくても……」
冷ややかな目で美咲さんを見つめながら言うと、
「……やりだすと、つい」
美咲さんも言ってることの馬鹿さ加減に気が付いたのか、しゅんとして言った。
退屈だからといって、店員がプチプチで時間を潰す……自由すぎるだろ。
思えば店長も最初に会った時は、ここで雑誌を読んでいたが、店長からして自由すぎる。とはいえ、確かに来客が少ない店に一人でいると、実際やる事がなく時間を持て余してしまう。
俺は働き始めたばかりで緊張感もあるし、美咲さんと一緒に過ごしているからか、時間は短く感じられていたが、慣れてきて一人になったら、きっと退屈するだろうと思う。
「確かに一人だと退屈ですよね。掃除とか棚の整理も限りがあるし」
「そうなのよね。私はお客さんがいない時レポートとかやってるわ」
「え? やってて怒られないんですか?」
それは羨ましい。いや、けしからん。
「全然、春ちゃんがここで働いてた頃から推奨されてるわ。店番してる時、やる事なくて暇だったら自分の勉強とかしなさいって、オーナーに言われたんだって」
「ええ? オーナーがそんな事言ったんですか?」
経営者がそんなこと言うなんて、オーナーは外見どおりの悪魔か。
店員を堕落させる気なのだろうか。
「私もここで勤め始めた時、びっくりしたんだけど。春ちゃんが目の前で課題とかやってて、店長に課題の相談したりもしてたよ。答えてる店長にも驚いたけど」
「店長も公認ですか。……これで給料貰っていいんですかね?」
「オーナーがいいって言ってるからいいんじゃない? 明人君も学校の課題とかあったらやっててもいいよ。お客さんが入って来るのだけは気にしといてね」
今まで寝る前に学校の課題をやっていて、寝る時間が遅くなる事も度々だ。
家でやらなくていいなら、俺は非常に助かる。気乗りはしないが……。
「よっぽど暇だったらですけどね」
「それって毎日じゃ?」
それを言ったらおしまいだろう。ここは話題を変えてやろう。
「ファミレスのバイト土曜日で最後になったんですよ。だから土曜日はこっちに来れないです」
「えー、そうなんだ? まあ、急な話だから向こうも困ったでしょうしね」
仕方ないかといった顔で答える美咲さん。
「ええ、実際、俺のわがままですから。それくらいしないと罰当たります」
「そっか~。土曜日明人君来ないのか。……退屈だな」
うんざりとした表情を浮かべながら言う。
「店長は土曜日いるんですか? この間は休み取ってたみたいですけど」
「今度の土曜日はいるわ。連休で休み取るから、それまで取らないみたい」
店長は全然休んでいないみたいだが、家族の人とか困らないのだろうか。
「この間家族サービスって言ってたけど。ご家族大丈夫何ですか?」
「あー、明人君聞いてないんだね。あんまり店長と一緒にいないから、しょうがないか。店長はずっと前から別居中なの。理由は私も聞いてないけど」
あの優しい店長が別居してるなんて正直驚きだ。てっきり幸せな家庭を築いていると思っていたが、やはり家族や夫婦の関係は、はたから見ても分からないものなのか。
「店長も色々あるんですね……」
「でも……仲いい感じなのよね。あの夫婦」
「へ? 別居してるのに? てか、会った事あるんですか?」
美咲さんの話に脳がついていかない。別居なのに仲がいい?
「うん。前にもバーベキューやった事あるんだけど。奥さんと娘さん来たのよ。仲睦まじい感じで、別居じゃなくて、実は単身赴任じゃないかと思ったくらいだもん」
別居してるのに仲が睦まじいなんて意味が分からない。
「何で別居してるんですか?」
「理由は聞かなかったの。さすがに聞きづらくて」
なにか別居になるほどの理由が出来たのだろうか。
「美咲さんは、何で店長が別居中なの知ってたんですか?」
俺は疑問に思ったことを口にすると、
「店長から直接聞いたもの。嫁とは別居中で娘に寂しい思いさせてるって」
美咲さんは同情した表情を浮かべながら言ったが、それは店長か娘さんか、誰に対しての同情だろうか、俺には分からなかった。
「今度のバーベキューも来てくれるといいですね」
「そうだね。日曜日だから来てくれるといいわね」
ささやかな祈りではあるが、店長の家族がどうか来てくれますようにと願った。
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