230 澤工王女4
昼の騒動は予鈴に助けられた。
放課後、いつものように愛と一緒に勉強会。
けれど、愛の表情は不機嫌さを隠しきれていない。
昼のこともあるようだけれど、今日は響が一緒にいるからだ。
自習室に向かうとき、中央階段のところで響が俺を待っていた。
生徒会はどうしたと聞くと、試験後に動き出すそうで活動停止したそうだ。
動きようがない状況というやつらしい。
生徒会がないのならと響も同席しようと考えたようだ。
とはいっても、響は俺たちの邪魔をするわけでもなく、俺の隣で問題集を開いて、黙々とノートにペンを走らせているだけ。それにしても書くのも速いというか、問題を解くのが異常に速い。
次々に解いてる。愛が一問やっているうちに十問はこなしているだろう。
やっている問題集もどうやら大学受験用の物のようだ。
既に受験に備えていて、高校レベルは習得しているということだろうか。
そりゃあ学年トップにもなるわ。
多分、高校最後まで他の奴にトップを譲らないだろう。
「明人さん。この場合に使う公式はこれで合ってますか?」
「そうそれ。合ってるよ。あとは順番に当てはめてみて」
響が作った問題を愛がやって、途中で俺に確認してくるのが最近の主流だ。
愛はノートに書いた公式に問題の数字を当てはめていく。
「愛ちゃん。その数字は頭の数字だから、そこには当てはまらない」
「ああ、そうでした。えと、この数字がaで、この数字がbで……」
愛は来週の一発目に数学の試験だ。
最初に比べれば進歩している。前までなら簡単な公式すら覚えていなかったのだから。
数学は公式を覚えて、正しく使えば点が取りやすい科目だ。
応用問題は公式を複数使って解いていく問題が多い。
どこで間違えるのか。公式の使い方だと俺は思う。
公式は一種の結果論であり、過程論ではない。
公式で答えは導き出せる。その結果が、自分が計算して求めた答えと一致しないというのは、計算過程をどこかで間違っていることになる。それはすなわち公式そのものを正しく使えていないという理屈だ。
頭の良い奴は、しっかり記憶して頭の中で十分計算できるだろう。
頭の中で覚えられないのなら、紙に書くしかない。
手順書である公式をすぐに余白に書いて、それに当てはめていく。
時間はかかるが、確実に手を付けることはできる。
多分、愛の実力では全ての答案を埋めることは無理だろう。
7割埋まればましな方だ。その7割をすべてを埋めても正解率は完全じゃない。
正解率はおおよそ半分。我が校の赤点は40点未満。ぎりぎり届かない。
そこで俺が狙うのは部分点。
答えのみ記入するものだけでなく、式も書かないといけない問題もいくつかある。
たとえ、答えにたどり着けなくても途中まであっていればその分は点数として貰える。
小さな一点かもしれないが、積み重ねることによって赤点を免れることもあるのだ。
愛に数学を教えるとき、愛は公式を書くことから始める。
これを繰り返した。
毎日繰り返した結果、覚えなくてはいけない公式の半分は書けるようになった。
あとは使い方だ。数字を当てはめていくやり方さえ間違わなければ部分点は取れる。
この一週間、愛も頑張っている。
「明人さん。数字を当てはめたんですけど、分母も分子も数字が大きくなりました」
「それ両方偶数でしょ。だったら2で割っていけばいいよ。割れなくなったところで止めればいい」
「えと、12だから6、下は8だから4で……。まだ割れる……から、えと、上が3で下が2。これで合ってますか?」
「うん、合ってるよ。式も間違ってない。ばっちりだ」
「良かった。やっぱり分数の問題は苦手です」
「最初に比べりゃすごい進歩してるよ。自信持っていいよ」
「少しは公式を書けるようになったんですが、どれを使うかがまだ自信ないです」
「それは俺も一緒だよ。全部識別できたらそれこそ百点以外ないよ」
「そうなんですか?」
「数学はそういうもんなんだ。少し休憩しようか」
愛は勉強に不慣れからか勉強に対する集中力がない。
おおむね30分が限界ラインだ。
連続でやらせすぎると、余計に覚えが悪くなる。
中間試験の本番も自分で時間配分しないといけないだろう。
これの対策については愛自身から提案があった。
「明人さんたいむを設けます」
「何それ?」
「試験の半分ぐらいで明人さんをねたに妄想する時間を作るんです」
「意味が分からないんだけど」
「私の究極の癒しである明人さんを思う時間を作ることによって、りせっとされるという策です」
「妄想時間は制御できるの?」
「ああっ!? そのことは考えてませんでした。妄想に入ったまま試験が終わったら確実に終わっちゃいますね」
うーん、と真剣に考えている様子の愛。
「ああ、歌なんてどうでしょう? 明人さんがからおけで歌ったのを思い出すとか、曲が終わったら試験再開」
「アンコールしない?」
「……するかも。ああっ、明人さんたら愛の心をこんなにも占めているなんて、明人さんが恨めしい」
いや、俺は何もしてないんだけど?
俺たちはとりとめもなく、まとまりもなく、どうしようもない話をしていた。
ふと気付くと、響がペンを止めている。
全く動きもせずに、ノートをじっと見つめてる。
問題が難しいのかな。
「響?」
「え? あら、いけない。……まだまだ修行が足りないわ」
響は我に返ったようにぼそっと呟いた。
「ごめんなさい。もしかして、愛がうるさかったですか?」
「いいえ。愛さんのせいじゃないわ。今のは自分に言ったのよ」
「自分に? 何だそりゃ」
「今の愛さんの話が耳に入ってきて、不覚にも明人君タイムに突入してしまったわ」
「お前一体何やってんの?」
「あら、明人君は私も人間だってこと忘れてないかしら? 普通に妄想ぐらいするわよ」
響さん? あなた、自分が何言ってるか分かってますか?
お前って、そんなキャラだったっけ?
「明人君たら強引なんですもの。ちょっと熱くなりそうになったわ」
俺、お前の中で何したの?
その言葉に愛が反応した。
「響さん。鈍器と鋭利な刃物のどっちに興味ありますか?」
愛はにっこりと笑顔で言うけれど、目が笑っていない。
この感じ、たまに見せる黒い愛だ。怖いから止めてほしい。
「現実の明人君もああなのかしら。少し試してみたいわね」
響は愛の言葉を流してまだ続ける。
「その時は愛が全力で阻止します。多分、加減はできないと思いますが」
何だか空気が急にピーンと張り詰めていく。
「お願いだから止めてくれる?」
「分かったわ。私は続きをするから」
あっさりと響はそう言って問題集を再び始めた。
「じゃあ、俺達もそろそろ始めようか。初日は数学と現代社会だっけ?」
「えーと」
愛は鞄の中から試験の日程表を取り出して俺に手渡す。
「初日は数学と現代社会。二日目が英語、現国。三日目が総合理科と古典か。三日目が愛ちゃんの鬼門だね」
愛の苦手としている科目が重なっている
「そうですね。現国ですら分からないのに、古典なんて全然分からないですよ。愛に分かるのは〝てふてふ″が蝶々だってくらいです。授業でも先生が何言ってるのか、愛には全然分かりません」
愛はげんなりとした顔で言う。
「まあ、確かに勉強方法も分かりにくいし、俺もあまり得意じゃないからね。でも、愛ちゃんは響の作ってくれた問題やってたから赤点は免れるかもしれないよ。これマジですごいよ。要点しっかり押さえてるし、覚えやすい。実際に愛ちゃんも俺が教えるより、これをやり始めてからの方が伸びたからね。響マジですげえって思ったよ」
言った途端、俺の背中にぴたりと何かが張り付いた。
振り向くと張り付いていたのは響。
「そう褒められると、明人君の役に立ったみたいで嬉しいわ」
そう言って、俺の背中に頬ずりし始めた。
響が張り付いていることに気づいた愛は、持っていたペンをくるりと回して響に突き立てた。
素早く反応した響は指でペンを挟み込み受け止める。何、この達人対達人みたいな動き。
受け止めた響はさすがだなって思ったけど、愛の訓練されたような一連の動きには驚いた。
前に響が愛の運動スペックは高いと言っていたけれど、あながち間違いじゃない気がする。
力が均衡しているようで、二人の押し合う手がプルプルと震えている。
「響さ~ん。ちょっとおいたが過ぎませんか~? つい、愛の手が滑ってしまったじゃないですか~」
「ごめんなさいね。急に褒められたものだから我慢ができなくて」
あの、とても怖いので帰っていいですか?
お読みいただきましてありがとうございます。
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