22 表屋と裏屋1
木曜日
目覚ましの音で起こされたが、寝不足のせいか体がだるい。
昨日の出来事は、俺には刺激的だったようで、悶々としてなかなか寝付けなかった。
洗面所で洗顔をすませると、キッチンに向かい昨日の夜に作って置いておいた、肉の少し入った野菜炒めとインスタントの味噌汁で朝食をすませた。
四人掛けのテーブルに、一人でぽつんと食べる朝食は味気も何も無い。けれど一日のリズムを作るためにはできるだけ欠かさないようにしている。
いつか一人で暮らすときに、この事が役に立つこともあるだろう。
学校に行く支度を済ませ、荷物を手に玄関へ向かう。
玄関から一歩外に踏み出した時、覆いかぶさっている陰鬱な空気が、ひとつ落ちたような気がした。
自転車の籠に荷物を入れ、学校目指してゆっくりと漕いで行く。
学校が近付くにつれて、一つ、また一つと、俺の体から陰鬱なモノが剥がれていく感じがした。
学校に入ると、今まで俺を覆っていたものは、殆ど感じなくなっていた。
自転車を駐輪場に置いて、下駄箱で靴を履き替える。
下駄箱の周辺では、仲の良い友達同士が朝の挨拶や、昨日見たテレビの話をして小さな社交場と化していた。
二階の教室に足を踏み入れると、珍しく俺より先に来ていた太一が挨拶をしてきた。
「明人、おはようさん。昨日は邪魔したな」
朝からヘラヘラとしているが、逆に太一らしくて何故か落ち着く。
「おはよう。別に気にするな」
俺が挨拶を返すと、太一は美咲さん達を思い出したのか、
「あれから美人二人と一緒だったなんて、明人が羨ましいぜ」
「確かに美人だけど。羨ましい事なんて何も無いぞ?」
「だって同じ空気吸って、あのナイスバディを間近で見れるんだぞ? 」
一緒にいると同じ変態扱いされそうだから、ちょっと離れたくなってきた。
「帰る前に会ったアリカちゃんも可愛かったしな~」
「あれ? お前あいつと会ったの?」
太一の口からアリカの名前が出たので、少し驚いて聞いた。
「あ、言わなかったっけ? 俺が連れて行かれた後、叔父さんと店長とで話してる時に店長を呼びに来たんだよ」
そういえば、店長が昨日は全員揃っているとか言ってたな……。
「あのちっこさにツインテールなんて、俺ロリコンでもいいやって思ったぞ」
誰か来てくれ。ここに将来を棒に振りそうな犯罪予備軍がいる。
「なんか噛み付かれなかったか?」
「は? なんであの子が噛み付くんだよ?」
太一は俺の言ってることを飲み込めない様子だ。
「俺、あいつから初対面のときに、散々噛み付かれたんだよ」
散々馬鹿にされた事を思い出すと、少しむかむかしてくる。
「お前が詰まんないこと言ったんじゃねーの?」
太一は目を細めて疑いの目を俺に向けてくる。
俺はアリカの外見を悪気があって言った訳じゃない。
何であいつが怒ったのか、俺にも分からない。
「言ってねえよ。あいつが勘違いしたのもあるんだよ。それにお前も美咲さんも、あいつの事可愛いとか言ってるけど。あいつ可愛いか?」
「無茶苦茶可愛いじゃねーか。お前美咲さん見てるから、目が肥えすぎなんだよ」
太一よ、それは違うだろう。毎日美咲さんを見てると、可愛い女の子は気にしなくなるものなのか?
太一による『アリカのここが可愛い』を俺は嫌々聞かされ、途中『春那さんのここがエロイ』に話が変わり、太一は悦に入ったのか、チャイムが鳴っても話続け、担任が教室に入ってきて、ようやく口が止まった。
「はいはい、しゃべくってないで自分の席に座る。さっさとホームルームやるよ」
担任に席に着くように言われて、太一は慌てて席に座り、俺は太一から開放されてやれやれと席に座った。
普段と変わらぬ学校での一日の始まりに何故か少しほっとした俺だった。
☆
学校の一日は、いつも早く終わるように感じる。休み時間や昼休みは、太一達と話していることが多いので、時間が経つのは早い。
睡眠不足のだるさや春の陽気に誘われて眠気を覚えることは時折あっても、勉強自体が元々嫌いじゃないので、授業は苦痛でも無い。
この事を太一に言うと、授業とか勉強が好きな奴は、頭のどこかがおかしいと、真面目な顔で言っていたが、周りの奴から『お前は勉強嫌いだもんな』と笑われていた。もうちょっと勉強しようぜ。
帰りのHR中、辞めるバイト先をどうやって回ろうかと順番を考えていた。
ファミレスがてんやわん屋に一番近いから最後に回るとして、本屋と皿洗いをやってた居酒屋は、お互いの店の距離は近いが、学校を中心に考えるとファミレスとは真反対に位置している。
この二つは四月になってから、一度もシフトに入れられてない。
辞める時の挨拶も短時間で済みそうなので、先に回ったほうが良さげだ。
帰りのHRも終わり、帰る前に太一に声をかけておこうと思ったら、太一が珍しくクラスの女子達に何やら話しかけられていた。
あいつにとって至福の時だろうから邪魔しては悪い。
教室から出るときに「じゃあな太一」とだけ声をかけた。
太一が返事代わりに手を挙げたのを見て教室を後にした。
……太一よ。顔がにやついてたぞ。
学校から出た俺は自転車で清和駅を目指していた。
清和駅周辺の表通りは百貨店や大きなビルが並び、テナントに飾られたディスプレイが彩を添えている。
裏通りは繁華街になっていて、ゲームセンターやカラオケボックス、映画館その他諸々に学生も遊べる施設が多い。また、施設に来る人たちを目当てに、ありとあらゆるジャンルの飲食店が乱立しており、その目論見どおりに、夕方から深夜にかけて若者達やサラリーマンで賑やかになっている。
俺のバイトしていた本屋と居酒屋は、その繁華街の一角に位置していた。
目的地に着き、本屋と居酒屋に辞める事を伝えると、両方ともあっさり了承された。少しくらい何か言われると思っていたのに拍子抜けした。
来た時よりも学校帰りの学生が増えた繁華街の主要道路は避けて、人の少ない路地を選んで、次の目的地へと向かう。
その選択は正しかったようで混雑の影響もなく、二十分ほどで次の目的地の卸会社に辿り着いた。
倉庫の奥にある事務所に行くと、田崎さんがデスクワークをしていた。
田崎さんは、事務所に入ってきた俺に気付き声をかけてくる。
「あれ? きっざき君、今日バイトの連絡してないよね?」
「あ、バイトで来たんじゃないんです。俺、長期のバイトが決まったんでここを辞めようと思ってきたんです」
「ええ⁉ 辞めちゃうの? それはちょっとあれだな。……無理は言えないよね」
残念そうな顔をして田崎さんは言った。
「田崎さんには本当にお世話になりました。これからも頑張って下さい」
俺が挨拶すると田崎さんは頷き、少しだけ田崎さんと話をした。
話が一通り終わった後、他の面識ある人達にも一通り挨拶を終えた。
会社を出て行こうとした時、
「今までありがとう。君も新しい所で頑張るんだよ。何かあったら話くらい聞くからね」
田崎さんは会社の前まで見送りに来て、最後の最後まで優しく俺を送り出してくれた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。