21 子供と大人8
疲れきった体と心をどうやって回復させようかと一息ついた時に、太一がオーナーと一緒に戻ってきた。表情を見るからに、叱責や文句を言われたような感じは見えず、どちらかというと楽しい事を見つけたように戻ってきた。
太一は俺達を見やると、
「話終わったから俺そろそろ帰るわ。美咲さん、俺、日曜日楽しみにしてますね。今日はありがとうございました」
そう言って美咲さんに頭を下げた後、店の入り口から出て行ってしまった。
「やけにあっけらかんとしてたな太一。何の話したんだろ?」
「そうね。怒られた様子じゃないわね。あの感じだと」
俺と美咲さんが頭を傾げながら太一が出ていった入り口を見ていると、自転車に乗った太一が外から手を振ってきたので、手を振り返す。
「……そろそろ出るぞ」
相変わらずの迫力のあるオーナーの声に、春那さんは「はい、わかりました」と短く答え、俺達に軽く手を振ると、そのままオーナーについて裏の扉から出て行った。
「「はあ」」
今までの騒ぎは何だったのかと言うくらい、静かな店内に大きなため息が二つ漏れる。
「何か今日は濃いわ。濃すぎるわ」
美咲さんが珍しくげんなりした顔で呟く。
いつもの美咲さんに加えて、太一と強力キャラの春那さんまで、強大な嵐のごとく俺を乱していき、非常に疲れた。でも嫌な気がしないのは、一緒に過ごしたのが楽しい時間だったからだろう。
「……本当に春ちゃんたら、適当な事ばっかり言うんだから」
美咲さんはさっきからぶつぶつと、春那さんの文句を言っている。
「美咲さんの事、大事にしてるのは分かりましたよ?」
そう言うと、美咲さんは少し恥ずかしそうに、
「……うん。大事にしてくれてる。春ちゃんがいなかったら、今の私と違うと思うもん」
そう言う美咲さんを俺は微笑ましくも、また羨ましくも思った。
☆
今は美咲さんにも疲労の色が見える、いつものように俺を慌てさせるような暴走を起こす事も無く、静かに緩やかに時間は過ぎていく。
客足も相変わらず乏しいものだったが、来店した客のそれぞれが商品を購入していったので、俺がここで働いてからの売り上げでは、一番多い日になった。
店じまいの時間も近付き、俺達は分担して片付けを始めた。
俺が入り口付近の片付けをしていると、レジ脇に置いてある表屋と裏屋の連絡用インターフォンの呼出音が鳴った。
レジ周りの掃除をしていた美咲さんが「私が出るね」と言って受話器を取ると、何かの用を言いつけられているのか、何度か頷いてから「わかりました」と受話器を置いた。
「店長よ。今日は用事でこっちに来れないから、レジの清算終わらせて上がってくれだって。ちょっと私レジの清算するね」
そう言いレジに入ると締め作業に移った。
俺が店の中の掃除、表に出してあった看板も片付けを終え、美咲さんの所に行くと、レジの集計も終わっていた。いつもレジ下に入れてある黒い手提げ鞄に、プリントアウトされた用紙とレジの中の現金をすべて入れると、「金庫に放り込んでくる」と言って、裏の扉から出て行った。
美咲さんが行っている間に、帰り支度でも進めようかと、更衣室の扉に手をかけた時、行ったばかりの美咲さんがもう戻ってきた。
「早いですね? さっき行ったばかりじゃないですか」
「金庫に入れるだけだからそりゃあすぐよ。そのうち明人君も頼まれると思うよ」
「え? 金銭関係を高校生の俺がやっていいんですか?」
「店長がいない時は、殆ど無いから大丈夫だけど。今日みたいな時もあるからね」
「はあ、何か怖いな。でも店内に金庫って泥棒とか心配ないんですか?」
「セキュリティの会社と契約してるみたいだし、保険にも入ってるようだから大丈夫じゃないかな?」
「そういうのしっかりしてるんですね」
「オーナーの本業はどっかの社長だからね。会社運営の一環なんでしょ」
俺達は帰り支度を済ませると、店内の内側すべての施錠確認をし、電気を消す。
電気の消えた店内は、今までとは違う異質な空間をかもし出し、飾られたオブジェの陰影が、その雰囲気を余計に引き立たせていた。
俺達は従業員用の扉から出て、三日月のキーホルダーの付いた鍵で扉に鍵を掛けた。
自転車に荷物を放り込み、自転車を押しながら美咲さんの元へと向かう。
「美咲さん行きましょうか。」
「うん。ありがと。いつもごめんね」
美咲さんはまだ慣れないのか申し訳なさそうに言う。
「そういうの止めにしましょう。俺の通り道でもあるんだから」
「う、うん。そう言って貰えると嬉しいかな」
俺の言葉をそのまま受け止めたのか、美咲さんは振り返り帰路へと足を進めた。
「今日は何かいっぱいあった感じがするね」
今日の出来事を振り返るように美咲さんはしみじみと言った。
「そうですね。俺もそう思います。でも、この店に来てから俺は毎日そんな感じですよ?」
俺がそう返すと、美咲さんは「何で?」って顔で俺を見ている。
「美咲さん毎日暴走するから俺大変なんすよ」
「えええ? もしかして嫌?」
「いや、そりゃたまに勘弁して欲しい時もあるけど、基本楽しいですから」
「うう、ちょっと控えめにする」
「いやいや、それはいいですよ。本当に楽しいから。美咲さんには救われてるし……」
この言葉に嘘偽りは無い。
「私、何にもしてないと思うけど?」
美咲さんは俺が何を言いたいのかよく分からないようだった。
「気にしないで下さい。ありのままの美咲さんでいいって事ですよ」
「……ありのままの私か」
そう言うと、少し目線を下げて何かを考え始めていた。
「美咲さん?」
「あ、何でも無いよ。何でも無い」
この人はたまに俺を誤魔化すことがあるが、深入りしていいものか、俺にはまだその勇気が足りない。
しばらく無言のまま足を進めていた俺達だったが、沈黙を嫌ったのか思い出したかのように美咲さんは笑って言った。
「ふふ、今日の明人君、慌て方半端なかったね。春ちゃんが調子に乗りすぎだけど」
「あれは男なら誰だってなりますよ。俺、女の子と付き合った事無いから、免疫ないし」
「あ、そうなんだ。中学のときも無かったんだ?」
「中学の時は仲のいいグループで遊ぶのはありましたけど、特定の子はいませんでした。高校入ってからはバイト三昧でそんな余裕もありませんでしたし」
「あら、恋愛には全く興味ないの?」
「え……き、興味はあります。でも今の環境考えると彼女作るのは難しいと思います」
「そっか。明人君も複雑なんだね。よし私の胸を貸してやろう! 揉むのは駄目よ?」
「いやいや、そんな、え? 揉む? いやいやいや! 揉みません!」
俺の慌てる姿を見ると、美咲さんはいたずらっ子みたいに「ふふふ」と笑った。
美咲さんに少し元気がなくなっていたように見えてたから、俺は安心した。
歩みを進めているうちに美咲さんのハイツが見えてくる。
「あ、春ちゃん帰ってるんだ」
美咲さんの目線を追うと、今日は部屋の明かりが点いていて、美咲さんの言うように、先に春那さんが帰ってきているようだ。
「明人君ありがと。んじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい。美咲さん、明日は少し遅れますんで」
美咲さんは「うん、わかった」と言って階段を昇っていった。
扉の開く音がして、美咲さんの「ただいま」と声が耳に届き、扉の閉じる音が聞こえた。
少しだけ待って窓を見上げると、窓辺には美咲さんと春那さんが立っていて、二人は俺に小さく手を振ると俺も応えて手を振った。
視線を落として自転車を押しながら帰路へと足を向ける。
今日は恥ずかしい事や慌てた事が多かった日だけど、それでも楽しかった。
美咲さんを家まで送る間の時間は、俺に一人で考え込む時間の猶予を与えてくれている、美咲さんに救われていると思うのは、それがあるからだ。
電柱の電灯に照らされて、後方に伸びる俺の影。
一人になって寂しくなった俺を癒そうとしているのか。それとも、あざ笑おうとしてるのか。歩みとともに後方にいた影が真下に映り、その影はやがて大きく前方に伸びていく。やがて電灯の届かない範囲になると、また俺を一人にさせた。
この時間はいつまでたっても好きになれない。
美咲さんは家に入る時に「ただいま」と言っていたが、きっと春那さんも「お帰り」と彼女を温かく迎えただろう。
たったそれだけの事が、俺には羨ましかった。
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