214 校外学習その9
カニタ食堂を出て、俺達は大学構内の広場へと移動してきた。
集合までは自由時間だ。
とはいえ、食事をとるのに時間を使ったので、残り時間はそれほどない。
今、俺達は集合場所近くの木陰にあるベンチで腰を掛けている。
木々の隙間からこぼれる太陽の日差しが眩しい。
今日は穏やかな天気というより、五月にしては気温が高くて少し暑い。
緩やかな風が通り抜けて行く度に心地よさを感じる。
俺の右には太一、左には美咲が座っている。
左隣のベンチには、武藤と佐々木が携帯をいじりながら話をしている。
響らはというと、川上を筆頭に佐伯や小早川らで響を囲い込み、雑談に夢中になっている。
長谷川の話す相手に顔を向ける動作が、落ち着きのない子みたいに見えて少し面白かった。
もう川上らも、響に対して敬語らしいのは使ってない。
雑談中に一度、小早川が響と目が合って固まってしまったが、問題にはならなかったようだ。
可哀想に。状態を戻すために、響が離れた時に残ってくれたのは長谷川だけだったな。
他のクラスの子にも気を遣うなんて、長谷川は行動が太一に似ている。
ときおり対処に困ったのか、響が俺に視線を送ってくることがあった。
ヘルプして欲しいのか、それとも、安心しろと言いたいのか。
無表情に視線を送られても、こっちが悩むだろ。
俺の横に座る美咲が、響たちの姿を眺めて話しかけてくる。
「あの子達、随分と仲良くなっちゃったね。明人君、響ちゃん取られたみたいで少し焼ける?」
「ないない。俺としては本望だよ。今日は、あいつにとっていいきっかけになるだろ」
これは本音だ。
あいつが"姫さま"としてじゃなく、東条響個人として対等な関係で友人ができたらいいことだ。
「そうだといいんだけど――」
俺の話を聞いて、太一がポツリと呟き、言葉を続けた。
「――武藤と佐々木に聞いたんだけどさ」
「何をだよ?」
「響のこと。クラスで浮いてる理由。他に何かあるって思ってさ。てっきり、響のスペックがすごすぎて近寄りがたいのかなって思ってたけど、俺が思ってたのとピントがずれてた。一応、俺が思ってたことも影響あったみたいだけど。聞いた話だと、クラス委員長を決めた時に響がきつい言い方したようでな。その影響らしいぞ」
いつの間に情報集めてたんだ。
相変わらず底の知れない奴だ。
太一が聞いた話では、響はクラス委員長に推薦されたが、すでに生徒会入りが決まっていたので断ったらしい。
その時の響の態度がきつかったらしく、また、何人かが固まるという事件にまで発展したようだ。
そして、響は普通の子とは違う異質な子として見られたようだ。
「その時に響が何て言ったか聞いたか?」
「――ああ。何でも「"やらない"じゃなくて"やれない"」とか言ったらしい。言ってることはあってるんだけどな。これは長谷川から聞いたことけど、生徒会役員は規則でクラス委員長とかクラブの部長とかを兼任できないようになってるらしい。俺も知らなかったけど」
「本人は分かってるけど、周りからしたら嫌がっただけにみえたのか」
「ああ、それプラス、固まった中に目立つグループの子がいたらしい。それをきっかけにクラスの奴らから距離を取られたようだぜ。目立つ奴が距離を取ると、それを気にする奴もいるからな」
「……悪循環だな」
「まあ、問題はそれが常態化されてるってとこだな。響の班の奴は大人しい部類だから、そいつらが行動起こしてすぐに変化するってのは期待できないぞ?」
響が普通という言葉を使った意味が分かった気がする。
響は俺達と友達になるまで、ずっと普通じゃない扱いをされてきたのだ。
優秀すぎるからか、その美貌からか。周りの責任だけじゃないだろうけれど。
「うむうむ。青春だねえ」
話を聞いていた美咲が横でコクコクと頷いている。
他人事みたいなんだけど?
「――でもさ。種はまけたよね。何もなかったときと比べて進歩だよ」
「ですよねー。駄目だぞ明人。なんでも悲観的にものを見たら」
俺の親友は裏切るのが好きらしい。
お前から言い出した話じゃねえか。
まあ、それはともかく、
「太一――」
「分かってる。しばらく響のクラスの情報集めとく。俺も気になるからさ。あー、俺、ちょっとトイレ行って来るわ」
太一は立ち上がり、校舎の方へと移動していった。
「太一君はいい子だねー」
「そうだね。あいつは人に気を遣いすぎるから……」
太一との交流が始まったのは、去年の今頃行くつもりのなかったバッティング・センター。
クラスでポツンといた俺に、強引に遊びに行く約束を取り付けたのも太一だった。
思えば、すでにあいつはその時から俺に目を付けていたのかもしれない。
まだ付き合いが浅かった頃、太一の本音はどうなのかなって思うときもあった。
あの頃の俺は家族との関係が原因で人を信じることができなかった。
見切りを付けられてもおかしくないほどの態度だったと自分では思う。
だけど太一は俺のそんな態度をお構いなしに何度も何度も接してきた。
鬱陶しいと思う反面、俺は安心していたのだと今では思う。
俺は太一と友達にならなかったら、きっと今でも人を信じられなかっただろう。
太一自身はどうなのだろう。自分だけが抱えている問題というのがないのだろうか。
「明人君。また癖が出てるよ?」
俺の顔を覗き込んで言う美咲。
いけない。また考え込む癖が出てしまったようだ。
ここは話を切り替えよう。
「――それよか、美咲。五十嵐教授が美咲の顔見て少し驚いてたけど」
「ああ、だって私の態度がいつもと違うんだもん」
「……普段の美咲って、最初の講堂で見た感じなの?」
傍から見ててオドオドしているのがわかる程だった。
「え、見てたの? やだ、恥ずかしい。……実際、あれよりひどいかも。よく教授にも心配される」
「五十嵐教授?」
「うん。一年の頃から色々とお世話になってるの。春ちゃんもお世話になったって。課題は厳しい先生だけど優しいよ」
美咲のしみじみとした口調からするに、五十嵐教授はいい教授なのだろう。
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、心配かけさせないようにしないとね」
「今みたいに、てんやわん屋にいるみたいでいられたらいいんだけどね。やっぱり人が怖いというか」
「俺の前だといけるのに。もったいない」
「何が?」
美咲は首を傾げて聞き返す。
「そんなに綺麗な顔してるのに、美咲も響と一緒だよ」
「だ、だから、自分としてはそう思ってないんだってば。その話は終わり!」
恥ずかしくなったのか、美咲は手で大きくバツを作って俺の話を打ち切った。
集合時間が近付くにつれ、別の食堂へと行っていた残りの二つの班が集まってきた。
美咲の案内で午後の大学見学へと移行する。
午後は施設を授業風景を見て回り、実際に大学生がどんな事をしているのか見学していく。
見学する場所も数多く、学校に戻る時間もあるので、一箇所あたりの時間は短かった。
最後に、最初に集合した大講堂に連れて行かれて、そこで美咲と別れることになった。
美咲の話だと、この後すぐにバイトに行くようで「また後でね」と耳打ちされた。
五十嵐教授が現れて、みんなに別れの挨拶をしている。
皆さんからの課題を楽しみにしてますと釘を刺されたけれど。
うちの未完成の課題は、混沌をどうやって秩序に戻すかが課題だな。
その辺は委員長の長谷川に期待しよう。俺には手に負えないものだ。
五十嵐教授の話が終わった後、俺達はお礼の挨拶をしてバスへと移動を始めた。
美咲や他のアシスタントの学生らが見送ってくれている。
中には仲良くなった生徒もいるようで、親しげに声をかけている奴もいた。
バスヘと移動する時に、俺の横に来た響が俺の袖をつまんで言った。
「お昼から少しだけ欲求不満になったわ」
「友達増えたんだからいいじゃないか」
「明人君を独占するチャンスを失ったわ」
「お前な……」
俺は響の言葉に呆れて、バスへと移動を始めようとした。
――その途端、響に袖を引っ張られた。
「明人君、今更だけど聞いていい?」
「何を?」
「どうして美咲さんのこと『美咲』って呼んでるの?」
「――⁉」
無表情の響の問いかけに俺は言葉を失った。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。