201 愛とデート編4
フィッシング・エリアから舞い戻り、散策路をまた進み始める。
俺の腕をしっかりと抱いた愛は、ただ一緒に歩いているだけなのに嬉しそうだ。
それよりも、肘の上辺りに、さっきからぷにょぷにょと当たる回数が増えているのだが。
これはわざとなんじゃないだろうか、と疑いたくなってくる。
口に出すのも気が引けるし、とはいえ、当たっていても気が落ち着かない。
散策路を進んでいくうちに、海に面した所に出てきた。
街灯が等間隔に並び、茶色と赤いレンガで敷き詰められた歩道。
海側にある柵の向こうには、沖の方に浮かぶ白い船が見える。
ずいぶんと大きな船のようだけれど、距離があって小さく見えた。
内側にはベンチがいくつか並んでいて、そこでからだを休める人も見受けられた。
俺達もそのベンチに腰をかけて、ゆっくりすることにした。
緩やかな潮風が、頬に当たり、時折、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
年老いた夫婦が、のんびりと二人で並んで通り過ぎていく姿もあった。
長年連れ添った夫婦なのだろうか。
二人の表情はとても穏やかで、何だか見ていて微笑ましい。
恋愛ってものすら、わからないけれど、俺もいつかあんな夫婦みたいになりたいものだ。
「明人さん、なんだか最近、急に表情が柔らかくなった気がします」
俺の顔を覗き込んで、愛が言った。
そう言われても自分では分からないけれど、もしそうなら父親との和解が影響しているのだろう。
「そう? まあ、今日は可愛い子にくっつかれてるから、余計に緩んじゃってるかも」
返した途端、愛は顔を真っ赤にしてうろたえた。
「ふ、不意打ちは卑怯です!」
「何が?」
「愛が攻めるのはいいですけど、受けるの苦手なので」
「そういうもんなの?」
しかし、初めてのデートで、こうやってぶらつくだけっていうのも、どうなんだろうか?
横にいる愛に視線を飛ばしても、にこっと笑顔を返してくれるので、不満は感じていないようだけれど。
「明人さん、どうされました?」
「いや、そのデートって、こんなのでいいのかなって」
「まだ気にしてるんですか? 愛的には最高なんですけど?」
「それだったら、いいんだけど……」
「明人さんは考えすぎですよ。女の子は、好きな人と一緒にいられるだけで、幸せなんですよ。まあ、愛と明人さんの関係で言うと、実際のところ、恋人同士ではないのが残念なところですけど」
「……」
「ああ、そんな顔しないで下さい。そういう顔を見せられると辛くなります」
肩にもたれかかってくる愛。
思わず、慌ててしまう。
「ふふ。そういう風に慌てる明人さん可愛いです。萌えます」
「いや、誰だって慌てると思うよ?」
「いえいえ、愛的には、これで明人さんに欲情してもらった方が、都合がいい展開に――」
「いや、しないから! もっと、自分を大事にしようよ!」
「生真面目さんですねー。まあ、そこも明人さんの良いところですけど」
また、ふふっと笑う愛だった。
なんだか手の平で転がされてる気がする。
「まあ、愛ちゃんに好きって言われると、嬉しいのは嬉しいんだけどさ――」
「――まだ、恋愛対象ではないと?」
「自分自身、恋愛感情というものが、いまいちよく理解できないというか」
「ああ、それならお気になさらないで下さい」
俺の言葉に笑顔を深めて返す愛だった。
「へ?」
「間違ってたらごめんなさい。愛の予想ですけど、明人さんはまだ、初恋もされてないんだと思います。短い間ですけど、一緒にいてそう思いました。明人さんは誰にだって平等でいようとするんです。でも、それって裏返せば、特別がいないってことなんですよね」
――特別がいない。
その言葉はやけに胸に響いた。
「これは愛なりの考えです。明人さんは愛にとって特別な相手です。もし、明人さんと香ちゃんのどちらかしか助けられないとなった時、愛は明人さんを選びます。これが特別ということです。これが明人さんの場合、仮に愛と香ちゃんのどちらかしか助けられないってなった場合でも、両方助けようとしちゃうでしょうね」
愛の真剣な表情は、その言葉に自信をもった顔つきをしていた。
それに俺自身の場合も――愛の言うとおりだと思ってしまう自分がいた。
「ちょっと極端でしたね。重い女だって思われました?」
「いや、そんなこと無いけど……」
「えーとですね――愛が明人さんに言いたい事があるとすれば」
愛は腕を重ねてぐぐっと背伸びすると、
「明人さんは、恋心は知らなくても、ちゃんと愛情は知っているんです」
俺をからかうような表情で言った。
「え?」
「特にそう思ったのは、響さんの件でした。明人さんが介入しても、明人さんが得することなんて、全然無いのに、響さんのために動きましたよね。多分、愛の知らないところでも、香ちゃんや美咲さんにも同じことをしているんじゃないかなって。愛の時もそうでしたし。見返りを求めずに行動するって、愛情がある証なんですよ。愛は、そんな明人さんが大好きですし、その明人さんに特別扱いされるように頑張るつもりですから」
「俺にそんな価値があるなんて思えないんだけど?」
「それは明人さんが決めることじゃないんですよ? 愛自身が決めたことですから」
女というのは精神年齢は男よりも高いというけれど、普段訳が分からないことを言っていることもあるのに、このときの愛は俺よりも大人びて見えた。
また一つ、愛を知った気がした。
「ということで、次のデートはいつにしましょうか?」
「え?」
「まさか、これ一回というのは、あまりにも残酷です」
「ええ?」
「愛を知ってもらうためには、もっとデートを重ねていただかないと」
「えええっ?」
「お約束していただけますか?」
肉食獣のような瞳で、俺を見つめる愛。
「えと、あの――」
ぴんと浮かぶ一時的対策。
「ほ、ほら、もうすぐ試験だし、勉強しなくちゃいけないし」
「愛の成績は壊滅的です。いまさら勉強したってどうにもなりません」
そこ断言したら駄目だよね?
成績が壊滅的でも、せめて試験頑張ろうよ。
「いや、頑張ったら少しでも上がるよ? 頑張ろうよ」
「それよりもお約束を」
ずずいと、身を寄せて迫る愛。
「待った。待った。一つ条件」
「条件?」
「俺は愛ちゃんに試験も頑張って欲しいから。えーと、一年だったら、GW前に五教科の小テストやったでしょ? あれ、どれくらいだった?」
「お恥ずかしい話ですが、五教科中、三教科が赤点でした。赤点じゃないのもぎりぎりです」
「んじゃあ、今度の試験で赤点取らなかったら、試験休みにデートということで」
顔を青ざめて悲しげな表情を見せる愛。
「それは未来永劫しないと、言われているようなものですけど?」
「いや、そこは頑張ったらできるよ!」
「ひどい、ひどすぎます。その条件は、愛にとって過酷過ぎ――――あ?」
ふと、何かに気付いたように愛は顔をにやつかせた。
「――わかりました。その条件承ります」
「おおっ! やる気を出してくれたんだ?」
「では、明人さん。愛が赤点を取らないように、しっかりと教えてくださいね?」
「へ?」
「愛は自力では確実に無理です。だからそんな条件を出した明人さんが、愛に勉強を教えてください」
「ええっ?」
「――責任、取って下さいね」
愛はにっこりと微笑んだ。
やぶ蛇どころか、完全にルートを間違えたようだ。
結果、俺は愛と試験勉強をすることになってしまった。
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