175 失ったものと得たもの8
美咲に火が着いたのか、その後、美咲の暴走する発作が何度か起きた。
その度に精神的ダメージが俺に蓄積していく。
暴走するたびに元気になっていく美咲とは逆に疲れ果てていく俺がいた。
美咲もしかして腹が減りすぎてナチュラルハイになってんのか?
餓えた獣は性質≪たち≫が悪い。
ふと、遊園地でのアリカを思い出す。
あいつもあいつで凶暴化しそうになっていた。
アリカと美咲は性質が違うだろうが、何となく身の危険を感じる。
何か食べさせた方がいいかもしれない。
店じまいするまで、まだ三時間もある。
「美咲。柏餅まだ残ってる? 腹減ってるなら食べておいでよ」
そう言うと、美咲は自分が持ってきていたトートバックに目を移す。
その途端、思い出してしまったのか、ずーんと暗く沈んでしまった。
「ふ、ふふ。そうだよね。そもそも私がこれを持ってきたのが間違いなんだよね……」
ああ! 余計に面倒くさい方向にシフトした。
――また小一時間、あの手この手を使って美咲を励ます羽目になった。
今日の美咲はいつも以上に不安定だった。
今日は一体何なんだ。
ようやく落ち着きを取り戻し八時を回った頃、アリカが皿にパウンドケーキを持って現れた。
「ごめん。すっからかんに忘れてた。これ愛から」
餓えた美咲にはちょうどいい。
渡りに船だがどうせならもっと早くもって来て欲しかった。
愛が作ったと言うなら安心して食べられる。
「あたしもちょっと手伝ったんだよ。――何その顔は?」
アリカの言葉を聞いた途端、無意識に顔が引きつったらしい。
「手伝うっていっても混ぜるとか型に入れるとかよ。安心しなさい。……愛に駄目って怒られたし」
それなら安心だ。
料理のことだと、アリカも愛には頭が上がらないのだろう。
アリカが店番をしてくれると言ってくれて、美咲と二人で更衣室でお茶タイム。
俺はロッカーの荷物からマグカップを取り出した。
遊園地で買ったポーンとアルトの親子ペアのマグカップだ。
「それ、持ってきてくれたんだ?」
「ここに置くって言ったでしょ?」
「……嬉しい。私、お茶入れてくるね。紅茶でいいかな?」
「任せるよ」
マグカップを大事そうに持って、美咲は更衣室を出て給湯室へ向かった。
ほんのりと頬を赤らませて嬉しそうにしていた美咲。
その嬉しそうな表情を見ると、なんだか俺もほっとした。
戻って来た美咲と雑談しながらティータイム。
愛が作ってくれたパウンドケーキは、とても美味しい。
「また、一緒に行こうね」
美咲がマグカップを見つめながら微笑む。
何を思うのか、ただ嬉しそうなのは分かった。
「そうだね。いろいろな所行きたいよね」
ばたばたとした一日だったけど、これで完全に落ち着くことを祈ろう。
まあ、暴走はときおり起こるかもしれないけれど、それはそれで楽しいと思える自分がいる。
てんやわん屋に来てからというもの、俺の周りは変化している。
それもいい方向に。
居心地がいいと思うのは当然だろう。
☆
まもなく店じまいの時間。来店者は結局一桁どまり。購入者は一名。
この店が潰れるような予感がしてマジで心配になる。
前島さんからインターフォンで店を閉めてくれと連絡が入る。
二人で分かれて店じまい。もう手慣れたものだ。
自分の持ち場をさっさとやって、美咲にレジの清算してもらう。
俺はその間に美咲がいつもやっているほうの片付けと掃除をしていく。
「金庫に入れてくるね」
美咲が裏屋に行ってる間に俺は更衣室で帰る準備をすすめる。
すぐに美咲も戻ってきて帰る準備を始めた。
店内の電気を消して、従業員用の入り口から出て三日月のキーホルダーのついた鍵で扉を締める。
「あれ? 明人君、今日は自転車ないの?」
「ああ、今日は父さんと一緒だったからバスだったんだよ」
「ああ、そうなんだ。歩きだと遠くない?」
ちょっと遠慮気味に言う美咲。気にしないで欲しい。
美咲が心配なのは事実だし、送っていくのを変えるつもりは無い。
「全然平気。美咲を送ってるのも父さんには言ってあるし」
「ええ? お父様も知ってるの? うわー、次顔合わせたときは、ちゃんとそのこともお礼言おう。……何か言ってた?」
「うーん。そういうことできるのは偉いなって褒めてくれたかな」
これは本当の話。
純粋に褒められて嬉しかった。
てんやわん屋の前にある駐車場を歩いていくと人影が見える。
このシルエットには見覚えがある。
「美咲! 迎えに来たよ」
やはり牧島晃だった。
――東京なり、実家なりに帰ったんじゃないのか?
「晃ちゃん何でここに? 今日帰ったんじゃないの?」
「美咲とちょっとしか話してないんだもん。さっさと帰るのなんて嫌だよ。――――てか、何でこいつがまたいるの?」
俺に気付いてギラリと睨んでくる晃。
当たり前だろ。
今、バイトが終わったばっかりなんだ。
「もう! 晃ちゃん昨日も言ったでしょ。明人君は私を心配して送ってくれてるって」
「そうそれ! おかしいと思わない? 下心ありありなの丸見えじゃん。美咲が可愛いからって狙ってんじゃないの?」
そんな気さらさらねえよ。
マジ百合の嫉妬はやめてもらえないか?
「晃ちゃん! いい加減にしないと私も怒るよ? 明人君は紳士なんだよ。そりゃあたまに他の女の子にでれっとすることあったり、くっついたりすることもあったり、春ちゃんのおっぱいに顔埋めたりするけどさ」
おい美咲。俺を庇っているようにまったく聞こえないんだけど?
てか、春那さんの胸に顔を埋めたのはいう必要ないよね?
後ろの味方からの援護射撃で背中撃たれている気分だぞ。
「はあ? 何それ。全然紳士じゃない変態じゃん。そんな奴に美咲任せられない!」
うん。美咲の言い方だったら俺も任せられないと思う。
特におっぱいの件は変態だと思います。
「でも、女の子同士だとやっぱり危ないんでついて行きますよ」
俺がそう言うと晃は鼻で笑って俺に一歩近付いた。
「余計な心配いらないよ?」
ヒュッ――――俺の目の前に晃の拳が繰り出され鼻先で寸止めされる。
寸止めしたはずなのに顔全体に風圧を感じた。これ素人じゃない。
「こう見えても私、空手の有段者だから。美咲を守ることだって出来る」
ふふっとほくそ笑みながら、突き出された手を降ろした。
危なく腰が砕けそうになった。マジでびびった。
「晃ちゃん!」
「当ててないだろ? 論より証拠だと思ったから。それじゃあ、君。美咲は私が送っていくから帰っていいよ」
「――言いたい事は分かりました。美咲さんをお願いします」
俺がそう言うと晃は勝ち誇ったような顔をして、美咲は不安そうな顔をした。
晃はそのまま美咲の腕を取って帰路へと進んでいく。
☆
「――――ちょっと、何で君ついてくるの?」
「いやいや、俺も帰り道こっちなんで」
俺が晃の言葉にそのまま従った理由。
帰り道が一緒だったから。
確かに美咲の用心棒は晃に勤めて貰う。
俺はその後ろを歩いて帰っているだけだ。
ただ、何かあったときにいつでも飛び出せる距離をキープしながらだけれど。
「もしかしてストーカー?」
「ひどいですね。帰り道が一緒なだけですよ。お二人は気にせずお話でもして旧交を深めてください。内容は聞こえてないんで。ああ、それと美咲さんを車道側に歩かせるの止めてもらえます? 危ないですから」
普段、俺が気をつけていることをついでに注文する。
もし、万が一車が寄って来た時に車道側にいると危ないだろ。
「わ、わかってるよ!」
晃は気付いていなかったようで、美咲を車道側の反対側へ立たせた。
晃の横で美咲がさっきまでの不安そうな顔ではなく、嬉しそうな表情でチラチラと俺を見てくる。
俺だって男の意地がある。
そう簡単に負けを認めてたまるか。
お読みいただきましてありがとうございます。
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