173 失ったものと得たもの6
――今、美咲はブラックホールと化している。
カウンターの中で床に座り込み、膝を抱えてぶつぶつと呟いていて、とても病んでいる。
美咲がこうなったのには至極簡単な経緯がある。
俺はオレンジスライム羊かんを口にして、最終的に気を失った。
美咲には悪いがさすがに耐えられなかった。
前に食べた青いスライム羊かんなんて可愛かった。
スライム羊かんを食べた瞬間、天地が逆転し立っていられなくなった。
次に胃が千切れそうにもなった。
腹の中にエイリアンの幼生がいるのはあんな感じかもしれない。
ちなみに言語中枢も麻痺したのか話す事もできなくなっていた。
俺はこうなるのを覚悟していたからしょうがないのだが、犠牲者は俺だけではなかった。
目が覚めた時に見たのは横たわるアリカの姿だった。
白目をむいて手をヒクヒクとさせている。
可哀想に、俺が気絶している間に表屋に来て犠牲になったようだ。
面白いから写真に撮って「てんやわん屋アルバム」にアップしたいとも思ったが、後が怖いのでやめておくことにした。
魔食を作った美咲は両手で口を押さえてショックを受けて呆然としていた。
先にアリカをなんとかして、美咲は後でケアすることにしよう。
アリカを揺すってみても起きる気配が無い。
そのままにしておくのも可哀想なので、裏屋まで運ぶことにした。
アリカは身体が小さいので軽くて抱きかかえやすい。
いわゆるお姫様抱っこで運ぶ。
ときおりアリカが歯を食いしばっているのは、脳内でスライム羊かんに抵抗しているのだろうか。
裏屋の受付にいた前島さんに一声かけて、いつも店長のいる事務所のソファーにアリカを寝かせた。
「――美咲さんどいて。そいつ殺せない」
意識が混濁しているのか、寝言なのかわからなかったが、アリカは気絶してなお何かと戦っているようだ。
頑張って勝利して帰って来い。
相手は魔神級だと思うから、ちょっとやそっとじゃ倒れないぞ。
戻ってきたとき美咲がカウンターの隅で体育座りして落込んでいた。
気のせいか。床にめり込んでいるようにも見える。
「……無理だ。無理なんだよ。私みたいなちっぽけな人間が土台料理なんか無理だったんだよ……食材さん、ごめんなさい。調味料さん、ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい」
ぶつぶつと怪しい独り言を呟いていてかなりひどい状況だった。
俺はこれを救えるのか?
「美咲。いつまでも落込んでないでさ」
「……いいの。放っておいて。私は世の中の日の当たらない場所でひっそりと静かに過ごすの。カビさんや苔さんやキノコさんと一緒に誰にも気付かれずに絶えるの」
ああ、駄目だ。
随分とやさぐれ始めている。
落込んだ美咲を慰めるのに一時間ほど時間を費やす。
かなり面倒だったが、あの手この手とやってみたら何とか普通の状態に近付いた。
今、考えればこの選択も間違っていた。
自然に回復するのを長い目で待っていればよかった。
一時間ほどかけて励ました結果、ほぼ普通の状態に戻った美咲。
「今度は気をつける。ちゃんとした羊かん持って来るね」
反省しながらそう言った。
しかし、羊かんは作る対象から外せないらしい。
次は、はぐれあたりか、メタル系、もしくは意表を突いてライダー系が来るかもしれないと思ったが、口に出すのは止めておいた。
美咲が俺の顔を見てはっとする。
今の考えてたことがばれたのか?
「……明人君。さっきのは何かな?」
「さっきのって? ――――!」
美咲のこの顔は何度も見たことがあるのでよくわかる。
笑っているけど笑ってない顔だ。
「いやいやいや。ほら、さっきの行為だよ」
「行為?」
マジでわからん。さっきの行為って何だよ?
美咲がこの顔する意味がわからん。
落ち込んだ美咲を励ましただけだし。
もしかしてマジではぐれとか、メタル系って考えていたのがばれたのか?
俺の考えていたことが、また読まれたのか?
「何でアリカちゃんをお姫様抱っこしてたのかな?」
え、それ?
だってしょうがないじゃん。
気絶したままここにおいておくのも可哀想だし。
どうせなら裏屋で休ませてたほうがいいじゃん。
「余計なところ触ってないぞ。あいつ出てたほうがいいところ出てないから当たるものも無いし」
そう言った瞬間、背中に悪寒が走ったが、今は目前の美咲がやばい。
「ふふふふふ。さあ、お仕置き確定だね?」
「いや、ちょっと待て。あれは人助けだろ?」
「問答無用!」
思わず逃げた。
――――が。
「いて!」
カウンターの中から脱出しようと試みたが、カウンターの角に脇腹が当たる。
普通に痛い。
痛みで動きが一瞬止まり、その隙を突かれて美咲の腕が俺の首に絡みつく。
「つーかーまーえーたー」
美咲がにやりと笑いながら耳元で囁く。
やべえ。鳥肌が立つほど怖い。
「――――おしおきだああああああああああああ!」
「うきゅー」
また落とされてはかなわん。必死で抵抗を試みる。
それにしてもさっきから、背中にぷにぷにぷにぷにと当たる柔らかいものが意識を奪う。
さっき美咲の胸に抱かれたことをふと思い出す。
美咲はそういうこと気にしないのか?
「にーがーさーなーいーよー」
どうやら別のキャラになりきってるようだ。
もしかしてホラー系?
やばい。いい加減血の巡りが悪くなってきたのか、意識が薄れてきた。
あ、これ。もう無理かも。
「美咲さんストップストップ! 明人死にかけてるよ!」
薄れそうになった意識の中で、視界の隅にうつるツインテール。
ああ、よかった。アリカ復活したんだな。
ということは魔神に勝ったんだ。
アリカの声に気を取られ美咲が腕の力を緩めた。
その隙を逃さず美咲の腕から脱出。
危なかった。もう少し遅かったらまた落ちるところだった。
「ああ! 逃げられた」
手をわきわきとさせて残念そうな表情の美咲。
「明人、大丈夫?」
駆け寄ってくるアリカは俺の顔を見つめて心配そうな表情で言った。
おお。俺の天使。命の恩人。
お前、最初は印象悪かったけどいい奴だよな。感謝するよ。
「ああ大丈夫だ。助かったよ」
「そう、良かった」
アリカはほっとした表情をした途端、表情がころりと変わる。
「……じゃあ、覚悟はいい?」
その表情はよく見覚えのあるアリカの怒った顔だった。
「え?」
がしっと俺のこめかみをアリカが掴む。
これって、もしかしてじゃなくてアイアンクローだよね。
なんで?
「誰が出てたほうがいいところ出てないって? 死になさい!」
「ぐああああああああああああああああ」
静かな店内に俺の悲痛な声がこだました。
……誰か助けてくれ。
お読みいただきましてありがとうございます。
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