166 Walk around8
「何の話しているの?」
ひょこっと通路側から美咲が顔を出して聞いてくる。
「え、いや何でもないよ」
「ライバルがどうとか聞こえたけど」
美咲どんだけ地獄耳なんだよ。
太一は相当な小声で言ったぞ?
美咲は不審そうな顔から急に何かに気付いたような顔してさらに顔を近づけてくる。
「アリカちゃんを巡って、私とライバルだって認めたのね?」
何で目がキラキラしてんだよ。
誰か道路に放り出してくれないか?
「勝手に言ってて下さい」
「綾乃ちゃーん。明人君が冷たいよー」
ガーンとした表情をしフェードアウトしていく美咲。
後ろを振り返ってみると、綾乃の胸元に泣きついている。
綾乃は美咲の頭をなでなでして、
「あははは……よしよしですー」
と乾いた笑いが口からこぼれ出ていた。
大きな子供ですまないね。
「あ、そうだ。明人君もうすぐ着くよ」
美咲はむくっと起き上がるとバス内の案内表示板を指差して言った。
その変わり身は何だ。
「はいはい」
俺が適当に返事した時、太一が胸元から携帯を取り出してちょんちょんと指で叩いた。きっと後でメールするなり連絡するということだろう。
小さく頷くと、太一は元のポケットに携帯をしまった。
俺達の降りるバス停が見え停車のアナウンスが流れてから静かにバスは止まる。俺は立ち上がり、残る太一と綾乃に「それじゃあまたな」と手を振り声をかける。
「おう。おつかれさーん」
「お疲れ様でした。美咲さん今度一緒にお出かけしましょうね」
そう言うと美咲に続いて綾乃も立ち上がる。
俺達が降りた後、太一の横に座るつもりなのだろう。
「うん。ぜひぜひ。太一君もお疲れ様またね」
美咲も綾乃の手を取って別れを惜しんでいた。
随分と仲良くなったみたいだ。
前に妹がいたらと言うような話をしていたこともあったから、綾乃の事を妹みたいに感じているのだろうか。
バスから降りた後、バスの出発を見送った。
太一達を乗せたバスが見えなくなってから、美咲がぼそっと呟いた。
「終わっちゃったね」
しんみりとした表情を浮かべる美咲。
「何言ってんの? これで最後じゃあるまいし」
「……楽しかったんだもん。私、今までこういうのってあんまり無かったから」
「それを言ったら俺もだけど……」
言葉が詰まり、後の言葉が思い浮かばない。
俺の言葉を待つ美咲のウェーブがかった髪が緩やかな風にさらりと揺れる。
いつもと違う髪型で現れた美咲。女ってのは髪型一つでこうまで印象が変わるのか。何だかしんみりとした表情の美咲が余計に大人っぽく見えて、また見惚れてしまっていた。目を奪われるというのは、こういうことなんだろう。
随分と慣れたつもりだったが、たまに美咲の顔を近くで見るとなってしまう。
「明人君?」
きょとんとした顔になって俺を見つめる美咲。
思わず我に返り慌てて誤魔化す。
「い、いやなんでもない」
「むー、今、絶対なんか考えてた」
見惚れてたなんて言えるか。
言ったら言ったで、またバシバシ叩かれても困る。
「気にしない。気にしない。行こうか?」
誤魔化して踵を返して帰路へと足を進めていく。
顔を見られていつもみたいに考えていることを読まれても困る。
「……絶対なんかあった」
美咲は納得いかないようにブツブツと言いながらも俺の横に並んだ。
二人並んで歩くバス停からの帰り道。今日の出来事を振り返りながらの帰り道。一〇分ほどの距離だけれど、それでも一人になる時間に猶予が得れる。
美咲を送った後はどこかで時間を潰すことにしよう。
まもなく美咲の家が見えてくる。
「明日からまたバイトだね。がんばろうね」
「ああ、そっか。またいつもの日々だ」
もうちょっと人が来ればいいのになと考えていると、
『パパッパ、パパッパ、パ♪ ビヨビヨビヨ♪』
聞き覚えのある音がした。美咲の携帯音だ。
「うわ、ごめ。あれ?」
美咲が慌てて携帯を取り出して画面を確認。
「――春ちゃんだ。電話なんて珍しい。――はい、もしもし」
『美咲、今どこだ?』
随分と大きな声で話しているのか、それとも美咲が設定しているのか、携帯から春那さんの声が漏れ聞こえる。
「今帰ってるところだよ。もう家の近く、明人君も隣にいるよ」
『まずいな。今、帰ってくるな』
「へ? ちょっと何言ってんの?」
『どっかで時間潰して来い。後でまた電話する。それじゃあ』
「もしもし? ――切れちゃった。なんだろ?」
携帯を見つめて呆然とする美咲。
「春ちゃんがね。帰ってくるなって」
「春那さんの声聞こえてたよ。随分と慌ててたみたいだけど、こういうことたまにあるの?」
俺が聞くと美咲は首を横に振った。
どうやら初めての様子だ。
「帰ってくるなって言われても、もう目と鼻の先なのに。ミスターGでも出たのかな?」
ところでミスターGって誰ですか?
それは黒くてツヤツヤして動きの素早いやつですか?
それなら俺も嫌いです。
あいつたまに攻撃すると向かって来るんだよな。しかも飛ぶし。
美咲は自分の家の方向を顔を向けてから、俺にどうしようかと目で訴えてきた。
春那さんが美咲を邪険に扱うこと自体が考えられない。きっと何らかの事情があるのだろう。
しかしながら、時間を潰したい俺にとっても好都合と言えば好都合だ。
ちょっと考えてから美咲に提案してみる。
「いつもの帰り道にあるコンビニまで行ってみる? 俺も付き合うからさ」
「いいの? なんだか申し訳ないんだけど」
「美咲を一人にするわけないだろ? 全然いいよ」
俺がそう言うと美咲は赤くなって口元をむにょむにょとさせ俯いた。
「……春ちゃん。ナイス」
「え?」
「いや、何でもない何でもない!」
顔を赤くしたまま手と顔をぶんぶんと振る美咲だった。
一旦、美咲の家の前を通り過ぎて、バイト先からの帰り道で通るコンビニに行くことにした。
思えば、その方法が間違っていた。
電話を受けた時点でUターンすればよかったのだ。
春那さんがわざわざ電話してくれたのに、俺達はそのことに気付いていなかった。
☆
美咲の家の前に影が立っている。
あの背の高さは春那さんだろうか。いや、髪形的に随分とショートだ。
その影は俺達に気付き、駆け出してきた。
美咲も気づいたようで「あ」と口を大きく開けている。
駆け出してきた影は街灯の明かりで女性だと分かった。
でも何となくどこかで見たような気がする。
美咲の前まで駆け寄ると、美咲をぎゅっと抱き締めた。
「美咲! やっぱり美咲だ。匂いがしたもの」
初めて見た人だけれど美咲の事を知っている。
嫌な予感がするのは何故だろう?
「あ、晃ちゃん? 何でここに?」
美咲の口からこぼれた名前。
この人が春那さんの妹で牧島晃っていう人か。
Yシャツにネクタイと何だか随分とボーイッシュな服装だ。
「美咲が悪いんだよ。実家に行ったら帰ってないって言われるし。だから……来ちゃった」
抱きしめる手を緩めて、目に涙を溜めて嬉しそうに言う牧島晃。
「わざわざ会いに来てくれるなんて嬉しいよぉお!」
そう言って美咲も晃に抱きついた。
晃も答えるように抱きしめる。
微笑ましい光景なのに、ますます嫌な予感がするのは何故だろう?
この嫌な予感は確実に当たる気がした。
この牧島晃、美咲の幼馴染であり美咲をずっと守っていた。
美咲に近付くもの全てから。
彼女の目に俺はどう映っているのだろうかと考えていると視線を感じた。
先ほどまで美咲に抱きつかれ晃は嬉しそうな表情を見せていた。
美咲を抱きしめたまま俺に気付いた途端、表情が一変している。
「――美咲、こいつ誰?」
晃は、俺に敵意のある眼差しを向けていた。
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