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帰路  作者: まるだまる
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152 透明人間1

 いつもと同じ帰り道。


 楽しかった時間は終わり、また一人の時間。

 家との距離が縮む度に嫌な気持ちになる。

 帰りたくない場所が自分の帰る場所だという矛盾に解決策を得ないままに。

 母親がいないことを祈りつつ、帰路へと進む。


 もうすぐ最後の曲がり道、ここを曲がれば家が見えてくる。


 ……どうやら俺の祈りは通じなかったようだ。

 家の明かりが煌々と点いている。母親が家にいるのだろう。

 この間みたいに気まぐれに声をかけてくるのだけは止めてほしい。

 俺自身、どう返していいかわからないんだ。

 そっとしておいてくれ。


 一歩、近づくたびに鼓動が耳に届く。

 どっくん、どっくんと大きくなっていくように感じた。

 まるで俺が纏った陰鬱な空気が音を反響させているかのようだった。


 家に近づくにつれ、ふと、おかしなことに気が付いた。

 母親の車が駐車場に無い。

 車は無いのに電気が点いているのはどういうことだ?

 母親は性格がきっちりしているので、家を出たときに電気の消し忘れをしたとは考えにくい。

 故障でもして修理に出したのだろうか?  


 家の門の前から庭を見てみるが、リビングのカーテンが少しだけ開いているだけで中の様子はよく分からない。

 だが、光が漏れている以上、そこに母親はいるのだろう。

 不審に思いながらも、鞄の中から家の鍵を取り出して玄関を開けて中に入ってみる。


「……ただいま――!?」


 玄関を開けて目に入った物に、俺の心臓がまた一つ嫌な音を立てた。

 玄関に並ぶ男物のよく磨かれた黒い革靴。この革靴には見覚えがある。


 ……そうか。

 ……帰ってきたんだな。正月に見たきりの父親が。


 俺が玄関を開けたのを気付いたのか、父親がリビングから出てきた。

 部屋着姿。少し痩せたような気がする。

 遅く帰ってきた俺に何か言ってくるだろうか。 


 ……俺にまだ甘い考えが残っていたらしい。


 父親は俺の姿を見るなり、無言でリビングへと戻っていった。 

 何故、父親が声をかけてくると思ったのだろう。

 相変わらず父親の目に俺は映っていないんだ。

 単身赴任に出る前からそうだったじゃないか。

 何を期待してんだ俺は……。


 ずきんと頭が痛くなる。


 俺はすぐさま二階へ上がり自分の部屋へと逃げ込んだ。

 荷物をベッドへ置いて、傍らに座り込む。


 何で帰って来たんだ?

 何で母親がいないんだ?


 色々な疑問が巡る。


 楽しかったはずの一日が台無しだ。

 急に始まった頭痛が煩わしい。

 脈を打つたびにずきんと痛む。


 別の事を考えよう。

 何か気の紛れる事をしよう。


 晩飯を済ませてきたのは幸いだった。

 リビングにいる父親と鉢合わせしなくて済む。

 先ほど見た父親の部屋着姿だった。

 だとすれば、もう風呂は済ませているはずだ。


 顔を合わせたくない気持ちがどうしても出てくる。

 そうこう悩んでいるうちに、通路からバタンと扉が閉まる音が聞こえた。

 どうやら父親が自分の部屋に入ったようだ。


 父親は自分の部屋に入ると、次の日までそうそう出てくることはない。

 今のうちに風呂を済ませておくことにしよう。

 手早く着替えの準備を済ませ、音を立てないようにして静かに一階へと移動。

 そのまま浴室に向かった。


 浴室を開けてみると、浴槽に蓋がしてある。

 いつもなら湯が張っていないから、蓋は浴室の壁際に立てかけて置いてある。

 蓋を開けてみると、浴槽には湯がちゃんと残ってあった。

 入浴剤をいれたのか湯の色が乳白色で、香りはフローラル系の甘い香りがする。

 これが母親なら自分が入浴した後は、ご丁寧に風呂の湯を抜いている。

 おかげで、俺はほとんどシャワーになることが多かった。


 たまにゆっくり浸かりたいときは、自分で湯を張りなおして入っていた。

 水がもったいない気がして、気は引けたけれど。

 父親のことなので、いつも母親に任せていたのでそのままにしたのだろう。

 さっさと入ってしまうことにしよう。


 身体を流して浴槽へと身を沈める。

 甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 せめて疲れた身体だけでも癒そう。


 明日もあるんだ。


 それに父親もまた数日したら単身赴任先へと帰るだろう。

 それまでの辛抱だ。


 風呂から上がり、さっさと着替える。

 手早く歯磨きして、濡れた髪のまま部屋へと戻った。


 何かの用事で父親が降りてきて鉢合わせになることを恐れたからかもしれない。

 何、焦ってんだ俺は……。


 また、自分が嫌になる。


 明日の約束は午後一時だったけれど、早くに家を出よう。

 どこかで時間を潰してから待ち合わせ場所に行けばいいだろう。

 肩に重苦しいものを感じる。


 何か、何か別の事を考えよう。

 鬱陶しいこの空気から逃れたい。 

 

 ベッドに腰をかけて、濡れたままの髪をタオルで拭う。

 濡れたタオルをベッドのフレームにかけて置いた。


 ベッドの上に置いた荷物が目に入る。

 土産はてんやわん屋への物と、自分用のマグカップ、それとペアセットのマグカップが入っている。

 自分用のマグカップだけ普段使っている机の上に置いておく。

 次にてんやわん屋へ行く時にペアセットのマグカップと土産は持っていくことにしよう。


 携帯を見てみると、メールの着信が二件あった。


 一つは太一で、もう一つは愛だった。

 太一からの件名は相変わらずの『返信不要』だった。


 内容は、

『今日はお疲れ。写真のデータをみんなと交換するの忘れてた。明日カラオケ終わったら交換し合おうぜ』

との内容だった。


 ああ、そうだな。俺も気付かなかったよ。

 そうしてくれた方が、家に早く帰らないで済む。


 愛からの件名は『ありがとうございました』だった。

 相変わらず、文字数の限界に挑戦したいのかと思えるほどの長文メール。

 解読不能な単語も並んでいたが、要約すると一緒に遊びに行けて嬉しかった事。

 二人で撮った写真を宝物にする事。

 ライバルが増えて、愛はもっとバーニングするという内容だった。


 このライバルは響の事だろうけれど、愛らしくて少し笑ってしまった。

 それぞれに返事を打ち込んで返信しておく。


 助かったよ。少し気が紛れた。


 続いて俺が撮った写真を見ていく。

 太一のメールを見て、気分転換になるかと思ったからだ。


 美咲と綾乃が抱き合っている写真。

 観覧車で愛と一緒に撮った写真。

 頭にセントバーナードの前足が乗った状態で引きつった顔のアリカの写真。

 響と迷路でポージングをしたときの写真。


 それぞれを見ていくと、楽しかった事が思い起こされて心が休まるのを感じた。

 

 この気分が残っているうちに寝てしまおう。

 もう、余計なことは考えたくない。

 

 お読みいただきましてありがとうございます。

 次回もよろしくお願いします。

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