13 てんやわん屋10
俺と美咲さんが従業員用の扉から出ると、美咲さんが鍵を締める。
「明人君もここから出入りしてね。出る時は鍵を閉め忘れないようにね」
オーナーから貰った三日月のキーホルダーがついた鍵のことだろう。
持ってきてはいるが、今日は入り口から店に入ったため使わなかった。
自分の自転車に荷物を放り込みながら、美咲さんの帰りのことが気になって聞いてみた。
「美咲さん誰か迎えに来るんですか?」
「え、誰も来ないよ?」
「じゃあバスとか?」
「ううん。この時間もうバスないし、歩き」
「暗い夜道を一人で歩いて帰ってるんですか?」
「いつものことだし……」
この人自分の顔の事を自覚してるのか?
普通に考えても美人が一人で町を歩いていたら、声を掛けようとナンパする輩は幾らでもいる。ましてや夜道に一人で歩いていたら、最悪な目にあってしまうかもしれないってのに……。
「送ります」
「ええ、いいよ! 明人君の方が遠いでしょ?」
「心配なんで送ります。聞いた以上は送らせて下さい。俺は遅くなっても大丈夫なんで」
「明人君ってば、強引なのね。ぽっ」
「てーい! そのキャラやめんかい! 行きますよ?」
俺は自転車を押しながら歩み始める。
「でも、ありがとう。嬉しいな。本当は、ちょっと怖かったの」
俺の横に歩み寄ると、美咲さんは少しためらいながら言う。
「そりゃそうでしょ、女の子なんだから危ないですよ」
「でも、送りオオカミになったら駄目だからね!」
びっと指を立てながら俺に言う。
「あほかあああああああああっ! そんなことするか!」
俺は、早まったことをしたかなと後悔しつつも、美咲さんと帰路へと進んでいく。
二人で歩く帰り道、美咲さんから先月までは先輩と一緒に帰ってたことや、その先輩と今でも一緒に暮らしていることを聞いた。美咲さんの地元はここから遠く、大学に通学しようにも通える距離でないそうで、旧知である先輩に同じ大学に合格した事と住む所を相談したところ、その先輩が一緒に住もうと提案してくれた経緯があるらしい。
親御さんもその先輩の事を信頼しているようで特に問題は無かったそうだ。その先輩は就職後も結婚相手が決まるまでは、今のままでいいと言ってくれてるそうなので、言葉に甘えているらしい。
途中、小さな公園を通り過ぎたとき、ついこの間まで咲き誇っていた桜の話をしてくれた。今はもうほとんど桜の葉も散り、わずかながらに残っているだけだ。その時の美咲さんの表情は、まるではかない精霊のような顔つきで、俺は思わず見とれてしまった。視線が合ったので慌てて目を逸らしたが、何も言ってはこなかった。
四月も後半に入れば桜も散り若葉が実る。段々と季節が変わっていく姿は情緒あるものだと思う。ただ残念なのは、今の話を聞くまで桜を愛でようという気持ちを忘れていた自分が悔しかった。今まで何度も視界に入っていたはずなのに……。
「あ、春ちゃん、まだ帰ってないんだ……」
自分の住んでいるところが見えたのか、美咲さんは見上げながら呟いた。
「あ、明人君、ありがとね、送ってくれて。そこの三階なんだ」
指した指先を見ると、四階建てのハイツがあり、言われた階には電気がついてなかった。
「いえいえ、俺の通り道なのも分かったし。これからも一緒のときは送りますよ?」
俺がそういうと、美咲さんの顔が一瞬でゆでたこみたいに赤くなる。
「で、でで、でも、ま、毎回、一緒に帰るのって……」
「何言ってるんですか。女の子一人で帰すのなんて出来ませんよ?」
「……ぬ~、そっちか~」
照れたような顔をしたかと思うと、急に口を尖らせてぶつぶつ言っている。
相変わらず訳の分からない人だ。
「でも、ありがとう。嬉しいわ、おやすみなさい」
そう言って、自分の部屋へと上がる階段を登っていった。
ガチャっと扉の音が聞こえた後、部屋の明かりがつく。
部屋に入ったことを確認した俺は、さて帰るかと視線を落とそうとした時、電気のついた窓辺に美咲さんの姿が映し出されたのを見た。
美咲さんは俺が見ているのに気付いたようで、小さく手を振っている。
俺はそれに手を振って応えると、自転車を押しながら帰路へと赴いた。
また、一人の時間がやってくる。帰りたくもないのに、家に帰る。……滑稽な話だ。肝の据わった奴なら不良になるなり、家出するなりできるだろう。そんな勇気も度胸もない俺は、こうやって足掻いてるだけ……。いつか、俺が帰る場所が出来ることを夢見たい。
今の俺にはそれしかできない。
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