109 家族の絆7
少しばかり、静さんの身の上話を聞いた。
早くに母を亡くした後、響の祖父である父親に溺愛されて育ったこと。
自分の身の周りの事は全部、家に仕えていた家政婦さんがやってくれていたこと。
旦那は祖父が選んだきた男だが、断る理由も無く従ったそうだ。
結婚する際に婿養子に入ってもらい、東条家の名を継いで貰った。
父親は地位や名誉、財産が目当てではなく、ありのままの静さんを愛していたこと。
「私は覚えてないんですが、お父さまが一度家に連れてきていて、その時に私を見初めたと主人から聞きました。私の結婚相手になるために相当努力したらしいんです。お父さまの眼鏡にかなうのは大変だったと思います。」
静さんは結婚しても、今と同じで家事も何も出来なかったが、決して怒らなかったそうだ。
仕事熱心で不在も多いが、浮気一つせず、一緒にいれるときは静さんと過ごしているらしい。
それは今でも変わらないようである。
「本当に妬けるくらい仲がいいのよ。この夫婦。バカップルみたいだもの。いい歳して夫婦でゲームとか真剣にしてるしね。静さんに合わせちゃう旦那さんは凄いと思う」
三鷹さんがそんなコメントを出すくらい仲睦まじいようだ。
「私は自信がまったく無いんです。常識とか、何が普通なのだとか分からないんです。私の行動の結果が主人に迷惑かけてしまうんじゃないかと思うと、怖くて外に出たくないんです」
「何度も言ってるけれど、父さんは気にするなって言ってくれてるのよ?」
どうやら、静さん自身の問題のようだ。
恵まれた環境で過ごしても、恵まれた伴侶を得たとしても、自分への自信の無さから閉じこもる。
それはそれで響にとって悲しいのではないだろうか。
響がそんな母親に対して刺激を与えたいと言ったのも、今では分かるような気がする。
「父は私に、母と同じ思いをさせたくないと言って、厳しく育てると言ったわ」
響が父親の言うことに従順している理由はここにあるのか。
響を想うが故の教育、そしてそれを理解しているからこそ、響も父に従っているのだろう。
目に見えない家族の信頼関係がちゃんと成立している。
俺にはない羨ましい話だ。
それから話題は遊びに行く時の話になり、静さんから改めて響の事をよろしくと頼まれた。
静さんにとっても、響が普通の子供のように遊びに行くのは嬉しいことらしい。
「響が主人におねだりしたって聞くの初めてだったの」
そう言って微笑みを浮かべる静さんの姿は、本当に嬉しそうだ。
言われた響は少し顔を赤らめていたのが、また印象的だった。
俺達がそろそろ引き上げることを伝えると、静さんは名残惜しそうな表情をする。
「また遊びに来ます。今度はもっと人が来るかもしれないですけど」
そう言うと静さんは無邪気な笑みで、「心からお待ちしてます」と言ってくれた。
響がマンションのエントランスまで付き合ってくれたが、その時の響は何だか嬉しそうだった。
「美咲さん、明人君、ありがとう。やっと母さんに友達を紹介できたわ」
少し赤らんだ顔で響は言う。
俺としても照れ臭いけど、役に立てたなら幸いだ。
響と別れ、美咲と二人で、マンションを背中に歩き出す。
途中、アリカの家の前を通った。
車がないからまだ両親は帰っていないようだ。
姉妹二人でどんな事しているのだろう。
今日の美咲との買い物話でもしているのだろうか。
アリカのちょっと女の子らしい所が新鮮だった。
俺の前では見せない普通の愛の態度が新鮮だった。
そして、響も、また友達としての距離が近くなった気がする。
こうして俺達は時間と経験を共有して成熟していくのだろうか。
俺もいつかはみんなに打ち明けられるんだろうか。
温かい家族的な環境をみると、いつも羨ましく思ってしまう。
家族というコミュニティ。
俺にも失ったものをいつか取り戻すことが出来るのだろうか。
いつか俺が家族を持ったときに、いや、そもそも家族を持つことが出来るのだろうか。
自分の状況を改善も打開もせず、ただ逃げているだけの俺にその勇気と覚悟がもてるのだろうか。
そんな疑問ばかりが頭に浮かんだ。
「えい!」
不意に美咲に鼻を摘まれる。
「ふぁにを?」
「まーた、変な事考えてたでしょう?」
図星なだけに何も言い返せない。
摘んだ鼻から手を離し、そっと俺の腕に手を置くと、
「明人君はさ。考えすぎなんだよ。結果はどうなるかなんて、誰にも分からないじゃない。がむしゃらでいいと思うよ。今は無理でも、未来は可能性があるから」
「……なあ、美咲。前から聞きたかったんだけど……」
俺がそう言うと、美咲は不思議そうに顔を傾げた。
「なんで俺が考えてること分かるの?」
「分からないよ? 明人君が何を思って、どんなことを想像してるかなんて、分からないよ。でも、明人君ならこう言うとか、こう考えてるんじゃないかって。何故か当たってるみたいだけどね」
「それって偶然にしちゃあ当たりすぎですよ。俺、表情に出てるのかな?」
「出てるときもあるけど。こういうのなんていうのかな。テレパシーじゃなくてシンパシー? なんか明人君の感情がわかっちゃうときがあるのよね。特に言いにくそうな時かな」
「俺……」
言えないことがあると言いたいけれど言葉が出てくれない。
「無理に話そうとしなくても明人君が話せるときでいいと思うよ。私にできることなんて、なにもないかもしれないけどさ。でも一緒になって考えることくらいはできるよ。その時まで待つよ?」
美咲はやっぱり俺が考えていることが分かるのか。
いつかの帰り道で俺が話せるようになったら話してといった言葉を守ってるんだ。
少しだけ気が楽になる。
「と、こ、ろ、で?」
また鼻をギュッと摘まれる。
「ふぁい、ふぁんでしょう?」
うん。この感じ。俺にも分かるぞ。
これがシンパシーというやつか。いや、これは経験則だ。
この笑顔、いい加減見慣れすぎていて、すぐ判別できる。
笑顔なのに笑ってねえええええええええええええ!
「響ちゃんと待ち合わせするって言うのは聞いてなかったけど?」
「ぜんふぁいふぉげとふぉもひまひて」(善は急げと思いまして)
「何言ってるか、わかんない。真面目に答えなさい!」
「ひゃあ、ははからへほはなひぇひょ!」(じゃあ、鼻から手を離せよ!)
鼻を摘んでると会話にならないことに気づいたのか、鼻が開放される。
「話せるようになったね。さあ、聞かせてもらいましょうか?」
美咲の目が据わってる。
もしかして、今日アリカを襲えなかったことが影響してるのか?
「――――――それで、時間があるから今日にしたのね?」
「そのとおりでございます」
『学校ですると…………偶然会ったから良かったものの……』
何かブツブツ言ってるけれど、なに言ったか全部聞き取れなかった。
うむ。なんだかご機嫌斜めの様子なので、ここは一丁ご機嫌取りといこうか。
「そんなに怒ったら、せっかく綺麗なのが台無しだよ?」
「へ?」
お、いいぞ。効き目抜群だった。
クリティカルヒットしたか?
美咲の顔が見る見る真っ赤になっていくぞ。
「そ、そんなに綺麗……かな?」
「うん。マジでなんか見惚れるって言うか。いつもと違って新鮮って言うか」
顔を真っ赤にした美咲は恥ずかしさが込みあがってきているのか、両手を顔に当ててクネクネしている。
『も~、明人君たら見惚れてるだなんて。そういうこと言われると期待しちゃうじゃない』
クネクネしながらなにやらブツブツと言っているが、気にしないでおこう。
しかし、この状態なら、もう何を言っても大丈夫だろう。
矢継ぎ早に色々話を振ってみよう。
「アリカも可愛い感じでしたよねー」
「あ゛?」
うわ、怖い。一瞬で顔が豹変した。
「うふ。うふふふふ。どうやら明人君の目は、可愛い子にすぐ目が行っちゃうようだねえ?」
うむ、どうやらルート選択を間違えたらしい。
俺の脳裏に響の家で見たバッドエンドの画面が浮かぶ。
あれって、これのフラグだったのかもしれない。
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