108 家族の絆6
それから俺たちは居間の奥にある小さな和室に案内された。
小さいといっても俺の部屋よりも倍は広い。
ここは普段、静さんがゲーム以外のときに過ごしている部屋のようだ。
壁には書棚があり、そこには本以外にもブルーレイやDVDが並んでいる。
和室の真ん中には和風な長方形のテーブルがあり、俺と美咲は並んで座り、向かい側に静さんと響が並んで座った。
ここに来てからずっと大人しい美咲の様子をみると、まだ少しビクビクしている感じがする。
まだ三鷹さんのキャラを警戒しているのか?
気になったので、美咲に耳打ちして聞いてみた。
『美咲どうした? 具合悪いのか?』
『明人君。わ、私、外で面識ない男の人に会うと駄目なの』
『え?』
『まだ、三鷹さんに慣れてないから緊張するの』
……そういえば前にもそんなことを言っていた。
店長と話すのに三週間かかったと。店長ですら三週間。
美咲も昔から進歩しているとはいえ、初見ではまだ緊張するらしい。
まさか家政夫さんがいるとは、美咲も思っていなかったのだろう。
三鷹さんを見てからというもの、ずっとおかしいと思っていたけれど、ずっと緊張してたんだな。
いや、気付いてやれなくて悪かった。
てっきり、キャラのインパクトにびびってるだけだと思ってた。
まあ、性質みたいなものだから仕方がない。
基本、俺が話していけばいいだろう。
目の前にチョコンと正座している静さんは、響の母親だけあって綺麗な顔立ちだ。
実年歳は分からないけれど、年齢的に若い感じがする。
太一の母、涼子さんほどではないにしても、十分見た目は若い。
髪の後ろ側を簡単に束ねているだけだが、髪の毛が多いのか、ボリューム感があって、腰ほどまでありそうだ。
ただ、響が凛とした感じなのに比べるとやや緩い顔。
俺と美咲を見る目が、警戒感などまったく無いように、ぽやっとしてる。
そうか、この人は雰囲気が幼いんだ。子供っぽいんだ。
そういえば表情も響と違って喜怒哀楽が激しい。
ギャルゲーをバッドエンドしたからといって泣き沈み、ゲームに向かって怒る。
三鷹さんがお茶をもって来ただけなのに無邪気に手を叩いて喜ぶ。
そして今、楽しげな顔で俺達と面向かい合っている。
たった数分の間に喜怒哀楽をフルセット鑑賞させてもらった。
本人自ら自宅警備員と名乗り、娘にはそれすらもしていないと指摘される。
会社の社長夫人なのだから家政夫くらい雇うのは分かるが、煌びやかな生活じゃないの?
「母はね、祖父に甘やかされて育ったから何も出来ないの。人としてどうかと思うくらいにね」
響が実の母を厳しくこき下ろす。
それ言っていいのか?
「響の言うとおり、私は甘やかされすぎて世間知らずな上、何も出来ません。一人だと衰弱死する自信だけはあります」
堂々と姿勢を正して胸を張って言う静さん。
自分で言い切ったよ。
俺と美咲どうしていいか、わからないじゃん。
俺と美咲がどう返していいか戸惑っていると、
「それはそうと、ひーちゃんがお友達連れてくるの初めてね」
お茶を配り終えた三鷹さんが気遣ってくれたのか、話を逸らしてくれた。
だが、その言葉を聞いて、静さんはがっくりとうな垂れた。
「私がこんなだから……響が友達を家に連れてこないのかと……」
「母さん、それは違うわ。普通に友達がいなかっただけよ?」
響それは親に言ってはいけない言葉だ。
「ひびきいいいいいっ!」
響の言葉を聞いて、響の胸に自分の顔を押し付けて泣く静さん。
親としては今の台詞は悲しいし、聞きたくないよな。
俺もそんなの聞かされたら同じ態度に出るかもしれない。
抱きつかれている響は動じた様子も無く、無表情のまま母の頭を撫でている。
静さんが俺達をチラリと見て、「あ」と口を開けた。
「すいません。響が悲しいことを言うので取り乱してしまいました」
静さんはすすっと響から離れて、姿勢を正す。
今のは仕方がないと思います。
「そういえば明人君、さっき色々聞きたいことがあるって言ったわね。なにかしら?」
響、本人の目の前じゃ聞きにくいよ。
「もしかして、アタシのこと?」
三鷹さんが自分を指差して首を傾げた。
この人、仕草まで女っぽい。
静さんの横に座る三鷹さんは、見ためにはいい男だ。
三鷹さんは爽やかでクールな感じのする好青年って感じの超イケメン。
俺が知ってるイケメンで言うと、立花さんも黙ってればイケメンの部類だが、三鷹さんは、なんていうか色気もある。肩幅も広く、手足の長さもリーチがある。残念なのはハートのエプロンだけだ。
「アタシがどうして女声とか女っぽい格好や話し方してるかよね。よく聞かれるのよ。声は声変わりがなかったの。これ本当の話よ。あとアタシは心は女だから」
三鷹さんはケタケタと笑いながら手をパタパタと振る。
キャラ作りという訳ではなく、純粋に心が女性なのだというけれど。
本人にとって、それはどれだけ生きにくいものだったのだろう。
『あ、明人君、ど、どういう意味?』
横から美咲がどもりながら小さく囁く。
その美咲の行動を見て、疑問を察したのか三鷹さんは説明を続けた。
「いわゆる性不一致障害よ。男の身体で生まれても心は女。でもまあ、立派に育っちゃって」
そう言って、三鷹さんは自分の身体をあちこち触ってケタケタ笑う。よく笑う人だ。
「こういう身体と声と心でしょう? 家族ですら嫌がるアタシを雇ってくれる所なんて全然なかった。もし静さんに気に入られてなかったら、路頭に迷って死んでたかもしれないわね」
三鷹さんの話によると響の父親が家政婦を募集していて、諦め半分に応募したそうだ。
面接で落とされると思っていたらしいが、面接の時に会ったのは静さん。
三鷹さんは静さんに、わざわざ自分から性不一致障害についてカミングアウトしたらしい。
とても勇気のいることだと思う。
面接の結果、静さんはそんな三鷹さんを何故かすこぶる気に入ってしまい、家政夫として雇われることになったそうだ。響の父親も最初は三鷹さんが男だったので、雇用しないつもりだったようだが、三鷹さん自身がカミングアウトした事と、静さんからの熱望で雇うことにしてもらえたらしい。
「父は母にとても甘いのよ。祖父よりはマシだけどね」
響はそう言ったが、かすかに微笑んでいたように見えた。
聞く分には、ダメダメな母親だけれど、目の前にいる響を見ると決して嫌っていない。
母親の事をしょうがないなと思いつつも、大事にしているようだ。
失礼なことを聞いたのに、丁寧に話してくれたのでお礼と侘びを入れると、三鷹さんは、またケタケタと笑って「構わないわよ」と言ってくれた。
「住み込みでお世話になって、もう三年になるかしら?」
「私が中学に上がってすぐだったから、四年になるわ」
「三鷹さんには本当にお世話になってます。ずっとうちに居てください」
静さんは深々と頭を下げる。
「そう言ってくれるのは静さんだからよ。普通の人は気持ち悪がるんだから」
「父も三鷹さんを雇って良かったと、いつも言ってるわよ。私もいてくれて嬉しいと思ってる」
「それはありがたいお言葉です。励みになるわ。ありがとう、ひーちゃん」
二人の様子から三鷹さんは家族と同様な感じが見受けられる。
響達の家族との間に三鷹さん自身の努力と成果で信頼を得たのだろう。
響も家族には恵まれているんだと思うと、羨ましくなった。
もしかしたら、響は俺に響自身の事を目で見せて伝えたかったのかもしれない。
俺の知らない響がまた一つ消え、俺の知ってる響がまた一つ刻まれた。
俺達はこうして繰り返す。互いに知らないことを消しながら。
お互い理解しあえるように、お互いをさらけ出してお互いを刻んで過ごして行く。
そう考えると、胸がチクンと痛んだ。
俺にはどうしても話せない事があるから。
さらけ出す勇気が無いから。
俺は嘘つきのまま、みんなと接していっていいのだろうか。
不意に袖口を引っ張られる。
美咲が心配そうな顔をしていた。
「今は余計なこと考えたら駄目だよ?」
美咲は小さく囁いた。
うん、そうだね。美咲の言うとおり、今はその時じゃない。
今は深く考えないようにしよう。
でもいつか、俺も響みたいにできる日があるといいな。
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