99 スライムと卵焼き4
裏屋から戻ってきた俺が見たもの。
カウンターの中で倒れてヒクヒクしている店長の姿。
その横で呆然と立ちすくむ美咲の姿だった。
「何が起きた?」
自分で言っておきながら、すでにわかっている。
カウンターに例の緑色の容器が置いてあるからだ。
俺が裏屋で仕事している間にサポートでもしに店長が来て、アレの存在に気付いたのだろう。
恐らくではあるが、その話題に触れてしまい、店長が試食を申し出たに違いない。
羊かんから卵焼きコースではなく、卵焼き直撃コースを選択したのだろう。
思い出すだけでも身体が震えてくる。
「店長! 大丈夫ですか?」
俺はすぐさまカウンターに入り店長を抱き起こす。
肩を叩きながら呼びかけると、店長はビクビクと痙攣して意識を取り戻した。
「……あ、あれ? 川は? お爺さんとお婆さんは?」
あんたも会ったのかよ⁉
青ざめた表情の店長はぼ~っとしたまま辺りを見回す。
どうやら俺の顔を見て、現実世界を認知したようで、椅子に座るとぐったりとした。
「い、いやあ、強烈だったね~。卵焼きだと思って油断したよ」
その言葉に美咲の肩がビクッと動く。
「ま、まあ、初めてだからしょうがないよね~。うん。大丈夫。修行すればきっと上手になるよ。うん」
自分に言い聞かせてるような感じがするのは気のせいか。
ああ、店長の言葉に美咲が完全に沈んだ。
これ、どうしてくれるんだよ。
さっき見たときは機嫌が戻ってたのに。
「あ、明人君戻ってきたんだね。それじゃあ、俺はまた裏に戻るから」
店長はフラフラしながら裏屋へと戻っていった。
おい、この状況改善してから行きやがれ。どうすんだよ。
「………………あうう」
うわあ。マジでどうしよう。
何か美咲の周囲まで重力化の魔法でもかかってる感じがするぞ。
これ、どうやって励ませばいいんだ?
「……まあ、こういうこともあるよ」
いや、これ駄目だろ。何の励ましにもなってないわ。
今にも泣き出しそうだよ。どうしよう。
ちょっと視点を変えてみようか。
「美咲。今日の反省会しよう」
「……へ? 反省会?」
虚ろな眼差しでぼんやりと俺を見つめる美咲。
「料理が失敗したのはしょうがないよね。まあ、ちょっとアレだったけど」
しまった。言葉を使い間違えた。
急速に美咲の目に涙がたまってる。
「それはとりあえず置いといて。何が悪かったのか、反省点を出そう。次のときそれを踏まえた料理をすればいいだろ? 美咲だって料理できるようになりたいだろ?」
「……うん」
「それじゃあ、まず羊かんの反省点考えてみようか。美咲は何が悪かったと思う?」
「えと、やっぱりハバネロ?」
「うん。そうだよな。普通の羊かんにハバネロ入ってないもんな。美咲は何でハバネロ入れようとしたの?」
「味見した時に甘さだけだったから、甘ったるいかなと思って入れた」
「ふむふむ。なるほどね。甘いから辛いとかしょっぱいとか、別の味を重ねればいいと思ったんだな?」
「……うん」
「それは間違いの一つだと覚えような。今回の羊かんで言うなら、甘さの強弱だけで考えた方がいい。たとえば砂糖の量だけ調節するとかね」
「そっかー。味重ねたら駄目なのか。料理のレシピ見たら色々混ぜてるからいいんだと思ってた」
「あーいうのってアレンジメニューが多いから、素朴な味付けじゃないことがある。それは卵焼きにも言えることだよ。あとは調味料の分量だね」
「春ちゃんは適当でいいよって言ったよ?」
「それは受け取り方が違うと思うな。春那さんが言ってるのはどうでもいいよって意味じゃなくて、作る分量にあった、えーと、この場合適量でいいのか。そういう意味で言ってるよ」
「え?」
やはり誤解しているか。
美咲は頭がいいのに少し常識が足りないような……。
「卵焼きの形とかを見る限りだと、それ自体は悪くないんだよ。では、改めて今回の反省点は?」
「えーと。別の味を重ねないって事と、調味料を入れすぎない」
「そう。んじゃ、それを次は気をつけてみようか」
「うん。ちょっとまってね。メモする」
エプロンのポケットから取り出したメモ帳に書き出している。
そういや前にも美咲のテンションが高い時にメモを書いていた。
乙女のメモ帳だったっけか。あの時は俺を道連れに死のうとか書いてたけど。
他にどんなことが書いてあるんだろう。
書いている最中に疑問点でも浮かんだのか。美咲のペンが止まる。
「はい! 質問!」
小学生のように手を上げる美咲。
「はい。美咲君」
悪乗りしてしまう俺も俺だが。
「卵焼きにハバネロ駄目ですか?」
そこまでハバネロにこだわる理由を俺に教えてくれ。
「ハバネロを使いたいなら、焼いた後に横に添えるとかすればいいだろ。混ぜる必要は無いよね。その方が個人の好みに応じて、自分で量調節できるし」
「……ソースか。その発想は無かった!」
いや、美咲の発想の方が無いよ?
「味付け自体はシンプルでいいんだよ」
俺が答えると、美咲はこくこくと頷きながら乙女のメモ帳に書き加えている。
「あ、明人君は私が料理できるようになったら……えと、その、……喜んでくれるかな?」
「そりゃあもちろん」
「そ、そうなんだ。喜んでくれるんだ」
料理が上手になったら、今回の卵焼きみたいなのを味見しなくて済むじゃないか。
美味しいものならいくらでも味見する。
「わ、私、頑張る! 頑張って美味しい料理できるようにする!」
「うん。頑張れ。んで俺に美味しい料理作ってくれよ」
「ふえ? そ、そんな、俺のために味噌汁作ってくれみたいなセリフ言われると……」
顔を赤くしながらうろたえる美咲。
何だかモジモジ、クネクネしているけれど、誰もそういうこと言ってませんから。
それプロポーズっぽいだろう。
「うーん。燃えてきたわ! は! 閃いた。ハバネロが駄目なら山葵があるじゃない。あれこそ素朴な味よね。シンプルよね」
「落ち着け美咲。せっかく覚えたことを忘れるくらい燃えるな。山葵に挑戦するな」
ハバネロが山葵に変わっただけじゃねえか。とりあえず混ぜたいだけだろ。
春那さんはもしかして美咲に教えることを羊かんの時点で諦めたんじゃないだろうか。
そんな気がしてならなかった。
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