9 てんやわん屋6
学校を出てから、気持ち急いでてんやわん屋へと向かう。初めての出勤からか、いつもと違う緊張感があった。店長ともまだ顔あわせをしていない。そんなことを考えていたら益々緊張してきた。
いくつかの交差点を超えると、遠くに目印の郵便局が見える。
目印の郵便局を通り抜けてすぐにてんやわん屋にたどり着いた。
ここでどれだけの期間働けるかわからないけれど、やるだけやってみよう。いつもどおり、真面目にやってたら首にされることはないだろう。
外から中を見る限りだと、誰もお客はいない。利益重視では無いにしても、これで良いのだろうか?
店の横の邪魔にならないところに自転車を置いて、入り口から入る。
「いらっしゃ~い」
覇気を全く感じさせない声、オーナーや美咲さんと違う。俺の知らない声だ。声の主を見ると、店のレジのところでイスに座ったまま雑誌を読んでいた。
見た目は三十代後半だろうか、髪も耳にかかる程度だが、ひいき目に見てもボサボサな感じは否めない。顔つきもやる気がないってのが、丸わかりでぽつぽつと顎にも無精ひげがある。よれよれのシャツにデニムのパンツ、それに茶色いエプロンを着けているから店員と分かる。
エプロンが無ければ、ただのおじさん。だらしがないってのが正直な印象だ。
「……何かお探しで?」
男は動作も緩慢にこちらを見やると、しょうがないなあって感じで聞いてきた。
「あ、あの今日からこちらでお世話になります。木崎です。よろしくお願いします」
「あ~、そういや、そうだった~。うん。確かにその顔はそうだ。ここの店長やってる金城ね~。んじゃ、バイト始めていいよ~」
店長と名乗る男はけだるそうに返した。
俺は唖然とした。ちょっと待て! おかしいだろ?
初めてバイトに来て、挨拶してきた人間に店長として何か言うことあるだろ!
金城はちらっと、俺が何かを言いたげにしているのを見やる。
「準備しておいで~」
金城はそう言うと、また雑誌を広げて読み始めた。
「はい、準備してきます……」
俺は憮然としながらも、更衣室に向かい扉を開け、中に入った。
更衣室に入った途端、
「明人君きたああああああああああっ!」
声の主、美咲さんが俺を指差しながら叫んできた。叫ぶのはいいけど、人を指差すのは止めなさい。店の中にいないと思ったら、ここにいたのか。
今日の美咲さんは、黒の長袖のTシャツとデニムのパンツ。それに青地のエプロンといったラフなスタイルだ。顔が綺麗だからか、スタイルのバランスがいいからか、ラフな格好なのに、なんだこの妙な存在感は。これで巨乳だったら天下無双に恐ろしかっただろう。
「こ、こんちわ、み、美咲さん」
「みみさきさんなんて、いないよ?」
美咲さんはギロリと睨んで『誰それ?』見たいな顔して言った。
「どもっただけです!」
「明人君やっぱ反応いいね。私に惚れちゃダメだよ? 苦労するよ?」
ニコニコとしながら美咲さんは言ったが、苦労するのが前提なんですか?
「それは無いです」
俺がさらっと返すと、美咲さんは後ろを向いて、「素で言われた……」とぶつぶつ言っていた。しばらく、そうして落ち込んでて下さい。
テーブルの上を見ると、ペットボトルのレモンティーと紙皿の上に食べかけのドーナツが置いてある。状況から察するに休憩中なのだろう。
「休憩中だったんですか?」
まだ何かぶつぶつ言ってる美咲さんに聞いて見る。
「……」
美咲さんは俺の質問に答えず、少しの間沈黙。
何かに気づいたように、『はっ!』とすると、
「ちょっとドーナツ食べたかっただけよ! 明人君がくると思って、ここで待ってたんじゃないんだからね!」
俺を指差して言った。
……美咲さん思いついたからって、ツンデレキャラ演じるの止めろ。それよか、キャラ統一してください。言ってる事は、事実なんだろうけど。
「はいはい……わかりました」
あきらめ口調で返答すると「これも違うか?」と、また美咲さんは、ぶつぶつ言い出したので放置することにした。
面接に来たときに教えてもらっていた自分のロッカーに、着ていた学生服をしまい、リュックの中から私服を出す。着ているYシャツを脱ごうとしたとき、背後から視線を感じた。
「……何、見てるんですか?」
後ろを振り返ると、両手をぐっと握り締めて、目をキラキラさせている美咲さんがいた。
「え? 決まってるじゃない! 明人君のお着替えシーンを堪能中よ!」
「何言ってんだ! あんたは!」
これが漫画だったら、美咲さんの周りに「ハァハァ」って文字が浮かんでそうだ。
「ほらほら! さっさと脱がんかい!」
「どこのおっさんだ!」
この人は一体何なんだ……。とりあえず俺は着替えたい。
「美咲さん……」
「はい! なんでしょう?」
美咲さんは、純粋な子供のようにまっすぐ右手を上げ答える。
俺は扉を開けながら、右手で外に出るよう促した。
「後から来てなんですけど、着替えるんで出てもらっていいですか?」
「明人君のけち~」
ぷくっと頬を膨らませ俺を睨む。けちってマジで見てる気ですかあなた? 美咲さんの後ろに回り、肩を押すようにして美咲さんを誘導した。
「はいはい、わかりました。出ときますよ~だ!」
観念した美咲さんは部屋を出て、ゆっくりと扉を閉めた。閉めた途端、扉の向こうから走り去る音と叫び声が聞こえる。
「えーん、店長~! 明人君がいじめるんです~!」
ちょっと待て! 人聞きの悪い言い方すんな!
これはさっさと着替えて、俺の立場説明しないと。
すばやく私服に着替える。今日は動きやすい格好がいいだろうと思い、シンプルに青地の長袖のTシャツとデニムのパンツにした。それと家に元々あった黒地のエプロンを着ける。
急いで更衣室から出て美咲さんのところに向かった。レジのほうへ向かうと、美咲さんが店長に話かけている。
「美咲さん、人聞き悪い言い方しないで下さいよ」
美咲さんは、『え?何が?』見たいな顔してこっちを見ている。
「美咲ちゃんにいちいち構ってたら大変だよ~?」
やる気のない声でいう店長は、雑誌に目を向けたままだが、話は聞いているようだった。店長は読んでいた雑誌を畳むと、立ち上がり薄ら笑いを浮かべると俺らの方を向いた。
「んじゃ~、二人とも。俺は裏に戻るからよろしく~」
「はーい」
「え?」
美咲さんが軽く返事をしているが、俺は店長の言っていることが分からずにキョトンとなった。店長はそのまま裏の扉から出て行ってしまった。
「どういう事ですか?」
「店長は裏屋の人だもん」
美咲さんは淡々と答える。
裏屋の人って、表屋は俺がいなければ、美咲さんだけでやっているのだろうか。
「美咲さん。他に人いないんですか?」
「いないよ。先月までは私の先輩がいたんだけどね」
美咲さんはちょっと寂しそうな顔を浮かべながら教えてくれた。
「でも、明人君が入って来たからね」
本当に嬉しそうに微笑みながら言う美咲さん。何となくだが、俺にテンション高く絡んできた理由は寂しかったからかもしれない。
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