第四話 No.3玖蘭鬼灯
※7/21、三人称視点に改稿完了致しました。
【前回までのあらすじ】
愛(呪い)のデスクッキングにて曲馬団壊滅の危機
「「『「いってきまーす!」』」」
悶着はあったものの(主に鬼灯のせい)、四人……もとい三人と一体は声を揃えて、元気良く登校して行った。
――その僅か数分後。
「……何で僕が学校なんかに……」
自室の姿見に写る鬼灯は学校指定のワイシャツの上に黒いセーターを羽織り、これまた学校指定の長ズボンを着たスタイルで、その格好だけ見れば、中性的な顔立ちはともかく普通の高校生である。
しかし、それはあくまでも彼が死相を浮かべながら壁に凭れかかってさえいなければの話なのだが。
鬼灯は今日も今日とて自宅警備員という名の崇高なる天命を全うしつつ、新作幼女系ギャルゲーをやり混む予定だった。
過去形なのはいざカセットをゲーム本体に合体させようとした所塁兎に見つかり、ついでとばかりに学校へ行く支度をさせられたのだが……数ヶ月ぶりに袖を通した制服に、ダメ人間こと鬼灯の気分はジェットコースターの如く下降中である。
「はぁーあ……」
足取りも重く階段を降りる。正直サボりたい気持ちで一杯だ。鬼灯から見れば学校なんて大して難解な勉強もしないし、何が楽しいのか分からない。
これが幼稚園や小学校なら話は別だが、鬼灯がこれから登校するのは高校。高校だなんて年増ばかりで、ショタもロリも全然居ないじゃないか。
どうせなら先日開発した体が縮む薬を使い、小学校に潜入してロリショタ達と楽しくしたい。
しかし、そんな幼児性犯罪者的思考を漏らせばまもなく我らが団長塁兎に無言でそっと警察に突き出されるだろうから、心の中だけでそっとぼやいた。
いつもチサキの尻に敷かれていた塁兎も、今では大分強気になったものである。
今の塁兎は殴ってくれるし、罵ってくれるから鬼灯的にはかなり美味しいのだが、かつての繊細で泣き虫だったショタ塁兎も捨て難い。
「小学生の時の塁兎は本当食べたいくらい可愛かったなぁ、ぐへへへへ……フォウ?」
涎を垂らしながら完全にアウトな世界に片足を突っ込みかけていた鬼灯は、階段を下りたすぐ先に置いてある何かに気づく事が出来なかった。
足の小指を何かに強打して初めて、彼の意識は現実世界へと引き戻される。
――人の妄想途中に邪魔をするとは空気を読めないヤツだ。全く以ってけしからん。
自分勝手な苛立ちを露わに足元に視線を向け……脱力する。
「……零音君……ランドセル家に忘れてるよ」
驚きを通り越し、呆れを通り越し呆然とその場にしゃがみこんだ鬼灯は、深海をそのまま写したような、深い青色のランドセルを拾い上げると依然として朝の慌ただしいリビングへ足を踏み入れたのだった。
* * *
夏は嫌いだ。
理由は簡単、寒さは厚着すれば凌げるが、暑さはどうにもならないから。
魔法さえ使えればこの程度の暑さなどどうにでもなるのだが、異世界の事象には干渉してはいけないという暗黙のルールがあるのでそうもいかないのが現状である。
「つか、俺様炎属性特化型で魔術は炎と闇しか使えねぇから本末転倒じゃねぇか……」
溜息を吐き、目的も行き先もなくぶらぶらと街を徘徊する。
魔界ではまず見ない形状をした細長い建物が天へ向かって聳え立ち、町の喧騒と蝉の音が混ざり合って不協和音を奏でている。
射抜く様な陽射しに顔を顰め、額に手を翳しながら歩いてゆくと、丁度その先に人だかりができていた。
「……?」
人々は同じ方向を向いていて、皆一様にその場から動こうともしない。
些か気味の悪い光景にその場を立ち去ろうとしたが、好奇心が僅かに勝った少年はつま先立ちになって人だかりの向こう側へと目を凝らす。
黒い道の上に伸びる白線の連なり、その上を鉄の箱に車輪が付けられたような物体が過ぎっていた。
あれは確か……
「自動車……」
人間はあの「自動車」という乗り物を使い、遠くの場所へと移動すると以前に主が言っていたのを少年は思い出す。
馬車よりは早いが、空は飛べない乗り物。「それならば箒の方がもっと早いし、飛べるし良いだろ」と少年が言った時、主は「飛行機があるから大丈夫」と言っていたが……飛行機とは何だろうか。疑問符ばかりが飛び交う。
つくづく人間界の文化とは未知の領域である。子供特有の好奇心が渦巻くのが分かる。
白線の連なりの終着点、其処には地面に突き刺さった棒の上部に赤く煌めく箱が取り付けられていて、集団の大多数が其れを凝視している様に少年は益々気味が悪くなった。
彼らは何故、集団で集まってあんな物を眺めているのだろう?
「訳分かんねえ……」
前に人間界に来たのは数年程度前だったが、こんなに人の往来は激しくなかったし、山と畑とちょっとした家があるだけだったし……同じ国だというのに、何故地域によってこうも差があるのだろうか。
集団から目を逸らしかけた少年は、視界の端に見慣れた白を見た気がして再び強制的に視線を戻させられた。
――今のは、まさか。
* * *
容赦無く日差しの降り注ぐ炎天下。蒸すような熱気。
陽炎が立ち揺らめきでもしそうな絶好の真夏日であるにも関わらず、午前八時を回った現在も大通りに面した交差点はまだまだ人の波が収まる気配を見せない。
只管平謝りしているサラリーマン、子連れの母親、零音達と同じ歳くらいの子供達も多くいる。
遅刻は免れそうだが、昨日やる暇のなかった宿題を学校で済ませなければならない零音としては一刻も早く教室へ向かいたかったのに、これのせいで足止めを食らう羽目になるなんて。
額から頬へ伝う汗を手の甲で拭い、依然赤いままの信号機を睨みつける。
「やっぱり鬼灯×塁兎とアンリ×藍は良いよね! 幼馴染万歳!」
「何と言いますか、由梨愛さんって本当幼馴染という関係が好きですよね……」
「ねぇねぇ彩葉ちゃんはどの組み合わせが好き!?」
「私は零音×彩葉と彩葉×零音以外断固として認める気はありません」
「くっ……手強い……! でも負けないわ、彩葉ちゃんもいつか腐女子に洗脳してやるんだから!」
零音の一歩前で信号待ちをしている由梨愛と彩葉は何やら神妙な顔つきで話し込んでいるが、何の話題かよく分からないので会話に混じれない零音は適当に携帯を弄ってWeb小説サイトを覗いていた。
ブックマークに登録していた小説は、今朝方にミステリー小説が一個更新されていた。
一ヶ月ぶりの更新に胸が踊る。作者様が学生で、時間の合間を縫って執筆されているのでどうしても更新間隔が空いてしまうが、それを補うのがこの作品の完成度の高さだ。
十九世紀ヨーロッパ風の世界観。世界帝国。張り巡らされた伏線。様々なミスディレクション。交差する過去と現在……
「……つまりこの作品は超面白くて、作者様はマジでリスペクトって事だね」
よし、この素晴らしい作品を見つけて初めてのブックマークを入れた読者第一号として放課後にでも感想と評価を入れなければ。それから宣伝もしてこの素晴らしい作品の認知度を上げなければ。
謎の使命感に燃え上がる零音。
『……なー、零音。盛り上がってる所悪いんだけどさー』
そんな彼を呆れ混じりに機械的な声が呼ぶが、液晶画面に仄かな黄金色の微光を纏う彼は見当たらない。
零音は無視して最新話を読み始める。
読み始めの数行でいきなり残酷描写が来て、胃から何か込み上げてくるが、路上でぶち撒ける訳にもいかないので気力で堪える。
初っ端から真っ二つとは相変わらずグロテスクだな……何が真っ二つなのかは言わないが。
――ん? 待てよ。この小説って確か十五歳未満は閲覧禁止だったような……
思い出した零音は慌てて画面上部にスクロールし、確認してみると「十五歳未満の方はすぐに移動してください。この作品には 残酷描写、十五歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現が含まれています。苦手な方はご注意ください」と警告の文字が書かれている。ふむ……
……さ、優雅な読書タイムに戻るか。
『れーーおぉぉおーーーんーーーーーー!』
一段と声は張り上げられるが、それでも無視して読み進めていると携帯が勝手にひょいと上に持ち上がった。
手にのしかかっていた微かな温度と重みの喪失に頭が付いて行かず、ぱちぱちと数度瞬きする。
『携帯ばっか弄ってねーでさ、そろそろ俺に構ってくれてもいいんだぜ〜?』
目線を上げると零音より頭一個分くらい大きい、金色を纏った少年が不機嫌そうにむくれていた。
そう、アンリである。
今朝行われたアップデートによって新たに実体化機能とコスチュームチェンジ機能を手に入れた彼は外の世界に舞い上がっているのか、何故か零音達と共に登校していたのだった。
二次元と三次元の差はやはり大きいのかと問われれば、そこまででもない。
アンリのグラフィックはほぼ写真に近い3D調の絵柄だったので、違いは精々感情に合わせてぴこぴこ動く耳と、楽しい時や嬉しい時無意識にゆらゆら揺れている尻尾が無いくらい。
絵がそのまま実体化したようなアンリを見ていると、軽く苛立ちが込み上げてくる。
「……うるさいな。僕は小説を読むのに忙しいの!」
携帯を取り返そうと伸ばした手はアンリが更に手を上げたことにより空を切る。
『はいはい、歩きスマホはマナー違反だぜ〜没収没収』
とある中学校の制服のデータを元に作ったというワイシャツにスラックス、クリーム色のセーターにの制服を纏っている姿はどこからどう見てもまごうことなき男子中学生である。流石コスチュームチェンジ機能。
……まぁ金髪はやはり浮いてしまうが、それを言うと零音、彩葉、鬼灯なんて白髪だし、塁兎は黒髪赤メッシュが地毛で常に黒パーカーを装備、通学用鞄を高校に入学してから一度も使っていないという校則を完全無視したスタイルだからそれに比べれば幾許か普通に近いのかもしれない。幾許か。
いや、髪色はこの際いい。全員地毛だし、塁兎以外は校則違反なんてしてないのだから。なら零音はアンリの何が気に食わないのかというと……
「アンリの癖に僕より背高いのがムカつく……!」
アンリの身長が零音よりも頭一つ分大きかった事である。
『え、俺……霧島嬢にすら負けてるけど……?』
アンリは前の由梨愛をちらりと見やると、しょんぼりと項垂れた。表情は伺えないが、心なしか切なそうに見える。
彩葉はそこかよと内心ツッコミを入れるが、思春期男子には重要な問題なのである。
「そ・れ・に! 画面の中でちんまりしてるアンリが実体化したら僕より背高いなんて聞いてないし!」
『そりゃ小学生には負けねえぜ!? ……いや、彼奴には負けっ放しだったけど……あれは向こうが大きすぎただけで……』
「いやアンリ童顔だしあの変な格好も見た目の低年齢化を助長させてるから僕と同年代くらいにしか視えないからね!?」
珍しく歯切れの悪いアンリにも気付かないくらい感情の昂った
『目が大きくて悪かったな。今朝のアプデ前まではあの衣装も含めて俺という存在を構成するのに必要なデータの一部だったから着替えたくても着替えられなかったんだよ!』
悔しながら同い年の彩葉にすら一センチ負けている零音だが、今まではアンリが童顔で電子端末に住んでいた影響もあって自分よりも小さく見えていたので、何とか平静を保てていた。
だがアンリが自分よりも大きかったという事実が露呈した今、ノワール曲馬団の中で一番小さいメンバーは考えるまでもなく……
「……うあぁあああ! もう身長の事考えるのやめたやめた!」
『だな! お互い思う所があると思うしここで止めにしよう!』
二人は半ば強引に身長論争に終止符を打った。
息切れしながら睨み合う二人に信号待ちをしている方々の視線が突き刺さるが、零音にとってはこれで終わりではない。彼は息が整うのを待ってアンリにびしっと人差し指を突き立てこう訴える。
「……ってか早く僕の携帯返せよこのドS猫野郎!」
『どっドS猫野郎!?』
――程無くして新たな口論劇の幕が上がった。
「仲が良いって良いねぇ」
「ええ」
賑やかというよりは単に騒がしい声を上げる少年二人の前に少し間を空けて並んでいた少女達は互いに顔を見合わせる。
後ろの二人は口論に気を取られて、少女達に盗み聞きされている事には気づいていないようだ。
「自分とそう年の頃が変わらない子供と並ぶ零音君も一段と素敵です……男友達くらいなら私に気を遣わず作ってくれても構わないのですが……」
「零音君ストーリーか……ふむ、零音君は幼すぎて外してたけど悪くないね」
「はぁ?」
顎に手を添え、自分の呟きに自分で頷いて自己完結しかけている由梨愛を彩葉は小学生女子が発してはならない凄まじい殺気を放ちながら睨みつけた。
「零音君は巻き込まないでください。それにこの場合どちらが攻めでどちらが受けになるんですか?」
「彩葉ちゃんか攻めとか受けとか言うと思わなかったよ! でも確かにこれって零アン? アン零?」
「ですから邪なる眼で見ないでください零音君が穢れます」
彩葉の質問に盲点を突かれたように唸る由梨愛だが「うーん、どっちがどっちでも萌えるけどなぁ」という曖昧な発言を以って思考を終わらせ、その後飛んできた彩葉の追及もスルーして再び観賞に戻るのであった。
* * *
――随分とお気楽な事だな。
赤毛の少年は周りに気づかれないように口元だけ吊り上げて嘲笑した。
偶然か、はたまた因果か、零音の姿を見つけた彼は本人なのか確める為に真後ろに回ったのだが……彼奴と同じ姿をした彼はお友達と仲良く登校中だった。これは中々に愉快な光景だ。
彼奴は昔から何故か人好きのされる人物だったので誰かに囲まれている事自体は珍しくも無いのだが、まさか人間や妖怪らしきモノにまでモテるとは。
ちらと零音の左斜め前の娘を見上げると、楽しそうにきゃいきゃい隣の女子と話している女子高生の明るい笑顔と、陽に透ける栗色の髪が風に靡いた。
あの少女の面影を色濃く残しており、一瞬本人が成長した姿で現れたのかと見紛う程だが、よくよく見れば雰囲気はあの少女と丸っきり違う。
第一にあの少女はもう居ないのだ。我ながら馬鹿な思い違いをしてしまった。
ならば顔の良く似た他人か、という結論に帰結し、女子高生から零音に意識を戻した。
「だっから携帯返せよ!」
『ダーメーだーぜー! どうせ歩きスマホすんだろ?』
「ここの交差点の信号変わるまで長いから時間潰ししてただけだっつの! てかこの信号本っ当長くない……!? もう何分待ってるっけ!?」
信号というものは何か? それを考え込む前に、零音の前を横切った車に気を取られる。
どういう仕組みかは分からないが、あんな猛スピードで移動する巨大な鉄の塊にぶつかったら、人間なんていう脆弱な生き物は一溜まりもないだろう……
……待てよ。もしやこの人だかりは車に轢かれないように、車が全て通り過ぎるまで待っているのか?
結論に行き着くまでが遅すぎたが、今まで胸中に突っかかっていた靄がすぅっと晴れてゆく。
何だ、そう言う事だったのか。確かにあんな鉄の塊に突進されれば魔族でも危険なのだから、自動車を開発する上でその問題点に気付かない訳が無い。
ふむ、何だかそれで合っているような気がしてきた。
少年は一人ほくそ笑み……零音へと手を伸ばした。
「えっ……?」
全く想定していなかった背後からの衝撃に、零音の身体はいとも容易く彩葉達の間をすり抜けて道路へと押し出される。
今の此奴は脆弱な人間と変わらない。
普通の人間が車に轢かれると一溜まりもないというなら、それは彼もまた然り。
零音と話していた金髪の男子も、二人の前に並ぶ少女達も、周りの奴らも誰も見ていない隙を突いて押してしまえば簡単に事故に見せかけて消す事が出来る。
……勝手な行動を取ればアレに怒られるが、その時はその時だ。
――全ての情景がスローモーションのように、ゆっくりと流れ出す。
零音の軽い身体が車道側に飛ばされるのを通行人は目を見張り、中には悲鳴を上げる者までもいた。
零音と共にいた女子達が何やら叫んで手を伸ばすが、伸ばされたその手が零音を掴む事はなかった。
零音は飛ばされる途中、体を捻って此方側へ反転させて少年の存在を確認すると、目を剥いて何か言いたげに少年を凝視する。
「……じゃあな。闇と重力を司る少年」
少年は口角を片方だけ釣り上げ、勝ち誇った表情でひらひらと手を振った。
「――仲間に手は出させない」
全て自分の思惑通りに事が進むと少年が確信したその時、彼の脇を漆黒を纏った影が通り抜けた。
「ほ、本郷塁兎!?」
――何故、貴様が此処に……!
いつの間にかスローモーションは解け、少年が漆黒の影の正体に気がついた時にはもう既に塁兎は零音の腕を掴み、そのまま脇に抱え込むようにして白と黒の境界線上を向こう岸へと駆け抜けていった。
その瞬間赤い色彩を放っていた信号機は青色に変わり、堰き止められていた通行人は事態の変化に戸惑いながらもぽつりぽつりと道を渡りだした。
「っ邪魔を……」
後もう少しで、もう少しで消せたのに……!
「……ナイス、塁兎」
塁兎を睨みつけ歯軋りしていた少年は、いつまでも塁兎に気を取られていたが故に新たに現れた気配に気付くのが遅れた。
気付いたのは耳元で聞き覚えのあるテノールが響いた後で、条件反射で飛び退こうと足に力を込めるも足先が何かに引っかかり、ぐらりとバランスを崩してアスファルトに体を打ち付けた。
「いっ……!」
転んだ際に地面に膝を擦りつけてしまったようで、痛みと熱さが同時に膝から全身を駆け巡る。
じんじんと脈打つように痛みが一度収まり、次にまた鋭く痛む。
交互に襲ってくる足の痛みに耐えて身体を起こし、足に引っかかった物を確認しようと顔だけを後ろへ向かせると足首に黒い蔓のような物が絡みついているのが見えた。
「何なんだこれ……魔術? いや……」
魔術。其れはその名の通り魔力を介して行使される術だ。
洋式魔術と和式魔術の二通りがあるものの、どちらも魔術を発動するには杖で魔法陣を宙に描き、魔力を込めて呪文を唱えるのが一般的な方法なのだが……近くに魔法陣は無い。
「まさか、魔導具か?」
「ご明察。それは魔導具さ。まぁ一般的なものとは少しばかり異なるがね」
金に近いプラチナブロンドと白衣を風にはためかせる、美少女顔の少年玖蘭鬼灯はにっこりと笑みを作り、腕につけた赤いブレスレットを得意気に見せびらかす。
一見ただのブレスレットに見えるそれは目を凝らして見てみると数珠の一粒一粒に途切れ途切れに魔法陣が描かれている。
こんな物で一体どうやって魔術を発動するというのだろうか……と疑問には思うが、今はそれよりも気にすべき事があるだろうと少年は思考を強引に停止させた。
――しかし、このブレスレットの仕組みは置いておくとして発動した魔術自体は餓鬼でも使えるような簡易的な拘束魔術だ。
こんな子供騙しな術式に引っかかった己の未熟さに悔しさを抱きながら、零音達の駆けて行った方を見やるが、流石都会。其処はもう人が塵のように溢れかえっていて二人は愚か、行動を共にしていた少年少女達の姿も確認できない。
――完全に逃げられた。
時間的にそう遠くへは行っていないだろうが、零音はどういう訳か本郷塁兎と玖蘭鬼灯を味方につけている。
この二人を敵に回すと非常に面倒なので、此処は身元を悟られない内にさっさとこの拘束を解いて逃げるのが得策。
激昂を沈めて冷静に思考を働かせていた少年は、この時漸く一つの違和感を覚えた。
今し方往来であんな事があったにも関わらず、行き交う人々は何事もなかったような顔をして道路を渡っている。
というかこれだけ人通りの多い道の真ん中で子供が転んでいるというのに、皆見向きもせず平然と通り過ぎて行っているのが不気味だ。
こんな時代な上に都会だから、人間も多少ドライな奴らばかりだろうとは予測していたが、普通目の前で子供が転んだら少なからず好奇の目線が飛んでくる筈だろう……
しかし、いっそ不自然に思えるくらい無反応なのだ。そう、まるで……
「『まるで自分達が視えてないみたいだ』……でしょ?」
思っていた事を先に口に出され、少年は思わずびくりと身体を震わせた。
「そうだよ、君の憶測通り僕達は周りに視えていない。それはね……」
肯定しているも同然な分かりやすい少年の反応に鬼灯は嗜虐的な笑みを作り、更に衝撃的な言葉を吐いた。
「僕の能力で消してるから」
その瞬間、ほんの一瞬だけ視えた。
――鬼灯の周りを囲むようにして一帯に張り巡らされた半透明の薄青い膜が。
それは少年にとって酷く見覚えのあるものだった。
「……成る程な。まさかテメェが能力を得ているとは思わなかったぜ……ノワール曲馬団はもうお遊び集団じゃないんだな。現副団長様?」
鬼灯はこんな状況に陥っても気丈に挑発する赤毛の少年の言葉に些か意表を突かれたのか、僅かに目を見開いた。
それを隙と見て、少年はポケットの中に忍ばせていた携帯用の小さな杖を取り出すと、蔓に向かって素早く魔法陣を描く。
この蔓さえどうにかすれば、後は鬼門まで飛んで魔界に帰れる。
今自分は普通の人間には視えていない。つまり人の目を気にすることなく魔術が使えるのだ。
「――火炎放射」
そして、魔力を込めて魔法陣を撃ち出した……筈だった。
「……な、何で何も起こんねえんだよ!?」
撃ち出そうとした途端に込めた筈の魔力は霧散し、この一瞬に賭けていた少年は当然混乱した。
和式魔法は得意だ。実践での戦闘経験はないが、こんな初級魔法で失敗するだなんてあり得ない。想定外の事態に当惑する彼を嗤いながら、鬼灯は種明かしをする。
「あ、その蔓魔術を無効化するからその蔓に絡まれてる間は魔術使えないからねー?」
「なっ……!?」
魔術を無効化……? そんな魔導具、見た事も聞いた事も無い。
これでも魔導具にはかなり詳しい方だ。魔導具ヲタクの身内からの聞き齧りではあるが、同年代の子供達とは一線を画するだけの知識量は持っている筈だ。
戯れ言と鼻で嗤いたかったが、彼ならばそのくらいの芸当が出来ても不思議ではないんじゃないかと思ってしまう自分も居て何とも複雑な気分だ。
「そんな訳だから諦めてくれ。零音君に手を出した理由を尋問する予定だったけれど……その他にも聞きたい事が増えた」
「っ……」
――嗚呼、本当に運が無い。
久しぶりに人間界に来て、一番関わりたくない輩に立て続けに出くわすだなんて……いっそ呪われているのかと馬鹿らしい勘繰りをしてしまう程だ。
「お陰で、使わねぇって決めてた力を使う羽目になったじゃねぇか」
少年は目に魔力を集中させ、蔓を睨みつける。次の瞬間、蔓は風船に針を刺した時のような音を立てて爆発した。
「……えっ?」
鬼灯は間が抜けた顔で周りをきょろきょろと見回す。
今少年は魔術を使えない。なら何処かから彼の仲間がこの蔓を斬っていると考えるのも無理はないだろう。
だが、魔力自体を封じられた訳ではない。
そう少年が気づいた訳は、先程は魔術を放つ瞬間に失敗してしまったが、魔法陣を描き魔力を込めるまでは普段と何ら変わりなく出来たからだ。途中まで出来ていたからこそ、失敗したのが不思議でならなかった。
鬼灯の言葉と照らし合わせると、あの蔓の性質は恐らく魔術の発動時に放つ魔力を吸い取るといった所だろうか。
――なら魔術を発動させずに魔法を行使すれば良いだけの事だ。なんて簡単なのだろうか。
未だ辺りを見回す鬼灯に、それを逃げる好機と見て少年は隠していた蝙蝠羽根を広げる。鬼灯が周囲に自分達を視認出来なくしているお陰で、少年は気兼ねなく羽根を出す事が出来たのだ。
「あっ……!? ちょっ!」
下から切羽詰まった声に呼ばれるが少年は一切振り返らず、全速力でその場から飛び去ったのだった。
「――あーあ、逃げられちゃった。塁兎に怒られる……いやそれも美味しいから構わないけれど。ウヘヘ」
最後に鬼灯がこう呟いた事なんて、少年は何も知らない。知らないったら知らない。
*
*
*
「ひーかり飲まれぇ〜」
窓枠に手を添え、緋色月を見上げる少女は朧げな記憶を頼りに忘れかけた其の歌を口ずさんでいた。
「熱気と狂気が揺らぐぅ〜薄暗いー部屋でぇ〜」
適当に歌っているのか音程が所々外れているが少女は気にせず、妖しい魅力を放つ紅い月を、同じくらい真っ赤なその双眸にしかと映しこんでいる。
「崩れかけている君はぁ〜」
少女が陽気に歌を口ずさんでいるその部屋は、全てが紅く染まっていた。
豪華な装飾の施されたロココ調の壁は紅い飛沫で彩られており、床に敷かれた赤絨毯……元々は薄桃色だったそれは真っ赤に塗り替えられている。
「果てしーなーいノワぁールぅーにぃ、手をー伸ぉーばしーてぇーさぁ〜」
鉄錆と生臭さが入り混じった臭いの充満する部屋で、少女はその臭いをもろともせずに歌を紡ぐ。
「瞳を刺すぅ其ノ色彩はぁ、あの日の幻視に囚われていて〜」
月明かりに映し出された少女は華奢で小柄で、幼い少女のような顔立ちをしている。
黒蜜のように艶のある漆黒を頭の上で緩くお団子に束ね、血のように真っ赤なドレスに身を包んでいた。
完璧な美しさを持つ少女の美しさを僅かに損ねてしまっているのは、暗い闇色を纏う……光無き茜色の瞳だった。
「『――ねえ、空虚な幻影を描いても虚しいだけでしょう?』」
少女はその麗しい顔に微笑を湛えた。
「ノイズ混じりのぉ機械音がー耳元で鳴った〜」
しかし、見開かれた光の差し込まない瞳と口角が歪に釣りあがったその笑顔が感じさせるのは狂気以外の何物でもなかった。
少女の上に、月の光に反射して黄金に煌めく鱗粉が降りかかる。
「あれぇ……? 蝶々さんだぁ」
少女は焦点の定まらない瞳を頭上を飛び交う無数の金の蝶に向ける。
「ふんふん……へぇーえ、そーなんだぁ!」
少女は楽しそうにころころと笑い、金の蝶を指先で弄ぶ。
「人間界の方はまた楽しそーになってきたんだぁ。いいなぁ……やっぱり人間の血が一番美味しいものねぇ。荒魔亜も往きたい!」
少女が両手を広げると、その背から例の少年よりも巨大な蝙蝠羽が現れ、彼女の小さな身体は少し浮いた。
「んー……人間界は今、朝かなぁ? それともお昼? ……まぁいーや、日焼け止めは塗ったもん!」
少女は窓を突き破り、血生臭い古城から大空へと飛び立った。
「いざ往かん! 人間界へーっ!」