第二十七・五話① クマ耳少女の願い事
※一部本編パロディーです。
百本入りの蝋燭箱……あの場に存在する筈の無い、曲馬団以外の十一人目を思い出した二人。
「……百物語をした者の元に、訪れる結末は――」
「うわぁっ!?」
まどかの言葉に被せる形で、悲鳴が響き渡る。
恐らくは幼い少年のものと思われるその甲高い悲鳴に彩葉は零音に何かあったものだと思い込み、今すぐにでも飛び出していきたい気分であったが、結果として言わせてもらうとそれは杞憂だった。
「……マスター」
まどかは隣に居た彩葉さえも聞き落とすくらいの小さな声でそう言った……というよりは呟いた。
この変声期突入前の少年独特のアルトの音域を持つ声の持ち主は曲馬団ではテオドールしか居ない。
零音もそれに近い声だが、彼はソプラノ寄りだ。
零音が関わると平静さを欠く彩葉とは違い、現在も冷静沈着な彼女はすぐにその僅かな差が判断出来たのだ。
だがまどかにとって重要なのは悲鳴の持ち主ではなく、悲鳴が聞こえたという事実だ。
「行きましょう」
「無論よ」
彩葉とまどかはアイコンタクトを交わす。彩葉は目を蒼く光らせて吹雪を放ち、まどかは全身に闇属性の魔素を取り込んで戦闘態勢に切り替えた。
その行動力の原理に違いはあれど、互いが取るべき行動は同じ。彼女らはテロでも起こす様な勢いで部屋へ直行……しようとしたのだが。
脱衣所を飛び出してすぐ、二人の少女の動きはぴたりと止まる。
「……ねぇ彩葉ちゃん」
「……何でしょうまどかさん」
互いの顔を見る事無く、感情を消し去った無表情で眈々と言葉の応酬を交わす。
「部屋って……どっちだったかしら?」
――少女達の前には壁が立ちはだかっており、通路はその左右に開けていて、そのどちらも全く同じ形状をしていた。
湯上りの時は行き帰り共に意外と記憶力は良いと自負するあらまぁに付いて行っていた為に道順など気にも止めず、歯磨きと称して脱衣所にやってきた際も部屋を出て真っ直ぐ広がる一本通路の途中にある一室に入っただけで、特に複雑な道順では無かった筈なのだが……
「行き道は覚えてるけど帰り道分からない事ってザラにあるわよねー」
「それよく分かりま……じゃなくて、まどかさんも現実逃避してないで何方に進むべきか考えて下さいよ」
まどかはさり気なく現実から逃避し、彩葉も一瞬まどかに同調しかけたがすぐに例の悲鳴を思い出し、すっかり気が気では無くなった彼女に急かされまどかは暫し沈黙する。
「……取り敢えず右に行ってみましょう。もし間違っていたら戻ればいいし」
彩葉はその提案に頷き、二人は此処が旅館内だという事を気にも止めずに全速力で廊下を駆け抜けた。
ただでさえツルツルに磨かれて滑り易くなっているフローリングを歩き難いスリッパを履いていた為にその速度は普段よりも落ちてしまっているのだが、何とか最奥の間に辿り着いた。
――思えば、その時ドタバタとかなりの騒音を立てて走っていたのに最奥の間に辿り着くまでの間誰にも咎められなかった時点で二人は訝しむべきだったのだ。
「大丈夫ですかっ、零音く――」
――彩葉が勢い良く襖を開けたのと時を同じくして、フッと視界が暗転する。
それは部屋が暗くなったという意味ではない。第一に襖の中は初めから暗闇だった。
ならば何が暗くなったのかというと――部屋以外の全ての照明、だ。
「えっ……!? ちょ、何ですかコレ!?」
「冴島さんっ!? 何処!?」
薄ぼんやりと廊下の輪郭を浮かび上がらせていた蛍光灯も、各部屋から漏れていた灯りも全て落ちた真っ暗闇の空間は二人の方向感覚を狂わせる。
「私は此処です! まどかさんこそ何処ですか!?」
「安心して、さっきから動いて無いし無事よ! これって消灯……? それにしては早いわ」
消灯時間は夜十時だった筈だ。怪談が始まったのが八時頃で二人が出てきたのは九時頃……消灯にはまだ早い。
だとすると、これは……
「――はい、という訳で」
まどかの思考はパチンと指を鳴らす音に掻き消された。
壁に等間隔に設置された燭台が部屋の中心部に近い順に徐々に部屋の奥へ伸びてゆく形で灯され、次第に部屋の全容が明らかになる。
煉瓦造りの講義室は零音のいる教壇が一番低くなっており、それを円形状にぐるりと座席が囲んでおり、外側に近づくに連れ高くなっている。
「これより『よさのん誕生日おめでとうスペシャル特別編』を始めさせて頂きます!」
「どんどんぱふぱふー」
零音は教壇越しに手前の生徒達に向かってわーっと声を張り上げ、テオドールは明らかに乗り気では無いのが明白な酷い棒読みで合いの手を打った。
手前の座席にはテオドールが腰掛けており、講義室の扉付近に立ち竦むまどかと彩葉はぽかんと口を開いたまま固まっていた。
そんな二人の反応に零音は不思議そうにしている。
「ん? どうかしたかな、二人共?」
「いえ、あの……零音君? 私達今まで旅館に居たのに、此処は何なんですか……?」
「え……ああ、そっか」
明らかに今まで居た和風旅館とは建物の造りからして明らかに違う、白亜の円形劇場をキョロキョロ見回す彩葉の仕草とその言葉で零音は合点が行ったらしく、「ああ」と手を打った。
「今日は折角の友達の誕生日だし、盛大に祝おうとちょっと上層部を脅してきた♪」
純真無垢な笑顔で物凄い事をサラッと言って退けた零音にその場にいる誰もが自身の表情筋が引き攣るのを感じた。
でも、これだけは言っておかねばならないとまどかは口を開く。
「……気持ちは嬉しいけれど、わたしの誕生日は五月二十一日よ? 今は八月十三日じゃない」
すると零音は「何だ、そんな事か」と事も無げに笑った。
「それは『ノワ曲』の中での時系列でしょ? 今までだってクリスマスとか、正月の設定資料集とか、バレンタインデーとか、ホワイトデーとか、僕の誕生日記念更新とかしてきたじゃないか」
「何の話をしているんですか?」
彩葉さえも零音の口から次々に語られる事実に困惑している。
零音は溜息を漏らし、半眼でそんな彩葉をじとりと見やる。
「君は今まで疑問に思わなかったの? ……なら今すぐ思い出してよ。今までの『特別編』……イベント事を」
「冬から春にかけてのイベント事……」
鸚鵡返しに繰り返し、そう遠くもない記憶を引き出す。
彩葉は零音とホワイトクリスマスを過ごしたいが為に数時間にも渡って雪を降らせる準備をしたり、その数日後には零音と共に着物を着て新年の挨拶をしたり、ホワイトデーには悩める子羊達の恋愛相談に乗ってあげたりしていた。
……だがそれだとおかしいのだ。
ノワール曲馬団を結成したのは今年の二月。そして現在は八月。
クリスマスパーティーや新年の挨拶といった行事をノワール曲馬団皆で祝っていたという記憶が存在する事実がもうおかしいのだ。
「ホワイトデーはギリギリ祝えたかも知れないけれど、テオドール君が曲馬団に加わったのはつい先月で、アンリが実体化出来るようになったのも同時期。時系列的に考えてあり得ないんだよ」
ホワイトデー以前のクリスマスやバレンタインデーでも同様に、平然と彼らが存在している状況に疑問すら覚えず、普通に日常のワンシーンとして認識していた。
「……じゃあこの記憶は何だって言うんですか……? 貴方は何を仰りたいんですか……!?」
指摘されて初めて事態の異常性に気付かされた彩葉は許容量を遥かに超える事実を次々明かされ、取り乱しながらも気丈に振る舞う。
「つまり、貴方の言う『特別編』というのは限りなく現実に近く創られたパラレルワールドにおいての擬似仮想体験……って所かしら?」
そんな彼女の疑問に答えたのは本日の主役、まどか。
まどかは零音の目をしっかりと見据え、一切言い淀む事無く言い切った。
――刹那、円形劇場に拍手が起こった。
「正解だよ。これでやっと先に進めるね」
心の底からホッとした様子の零音は一頻りまどかに賞賛の拍手を送った後、室内に入る様促した。
二人が恐る恐る室内に踏み込んだ瞬間、誰も触れていない扉は独りでに閉じた。
開けた時は襖だったのに、いつの間にやらゆうに彩葉達の身長の三倍は超える両開きの大扉になっていた事に漸く気が付いたが、此処が『特別編』という大衆の価値観の範疇を無視し切った空間であると認識した二人は然程驚く事もなく、ゆっくりと階段を降りてテオドールの隣へ腰掛けた。
「で、今日は君の誕生日会をするという名目なんだけど……生憎女性への贈り物の経験が少なくてね。それに僕は君については殆どと言って良い程に何も知らないので、何も思い浮かばなかったんだ」
零音は肩を竦め、心底困りきった顔で苦笑して見せた。
この状況、そして先程の説明から何となくは理解していたのでまどかは一つ頷き、視線で続きを促した。
「そうなると、もう君本人にリクエストして貰うしかない訳で……何か願い事はある? 三つだけ、何でも叶えてあげるよ」
アバウトで、その癖壮大な質問にまどかは考え込む。
「……確認していい? 本当に何でもアリなの? そして貴方に叶える力はあるの?」
特に後者の疑問がまどかにとって尤も気になる部分であった。
此処が時系列も空間も無視しきったこの『特別編』なる世界に置いて、この零音がかなりの権限を有しているのは今までのやり取りから理解出来た。
なら、まどかの知る人間界では魔法の使えないただの人の子である彼がこの世界において魔法を行使する事が出来る可能性も高い。
零音ががあの化け物じみた強大な力を悪用する様な人間には思えないが、もう一つの人格がアレなのだから気になるのも無理は無い。
「僕が望めば魔法も使えなくは無いけど……あくまで今の僕の役割は聞き届けた願いを絶対なる支配者、創造神に伝えて無理矢理にでも叶えさせるだけ。
だから絶世の美女になりたいとか、一話限定で異世界にトリップしたいとか何でも構わないよ……尤もこのやり取りで一話分消費してしまったから実際に叶えるのは次話になるだろうし、二次元世界にトリップする場合その作品の内容を勝手に改変してしまうのは魔界法に触れてしまうから、二次創作のパラレルワールドになってしまうけど……」
少しだけ申し訳なさそうに言う零音。
一方、零音が言外に「進んで魔法を使うつもりは無い」と言い含めた事をしっかりと察知したまどかは少しだけ安堵した。
「OK、一つ目の願い事は決まったわ」
「え、もう?」
こんなにすぐ結論を出すとは思ってなかったようで、零音も驚いている。
冒頭以来一言も喋らず、すっかり空気になっていたテオドールや、空気を読んで黙ってくれていた彩葉でさえも目を見開いている。
「ええ、シエル(ニジマスの神P)の執筆する人気小説……緋咲奇譚の世界にトリップさせて!」
「お前か! 俺がこの前塁兎に貰ったラノベ盗ったの!」
テオドールがまどかに掴みかかるが、小学生女子とは思えない怪力の持ち主である彩葉に取り押さえられる。
「人聞きが悪いですねマスター、面白そうだったから借りただけよ!」
「せめて持ち主に一言断りを入れろ!」
「ま、まぁ二人共落ち着いて……」
「チッ……」
零音はテオドールの気迫にビビりながらも諌めに入る。
三対一では流石に分が悪いと悟ったテオドールは、舌打ちしながら彩葉の静止を振り解き、どかりと椅子に座り直した。
「テオドール君の言う事は正論だけど、暴力はいけないよ」
「るせぇな。さっさと願いとやら叶えろよ、つか何でオレがこの場に居なくちゃ……」
すっかり不貞腐れてしまったテオドールはそのまま愚痴を溢し始めるが、嫌われている自分が何を言った所で彼を宥める事は出来ないと解っている零音はそっとしておく道を選んだ。
「それでは、一つ目の願い事を叶えるよ」
――零音がまた指を鳴らすと、ぐにゃりと視界が歪み始めた。
次回、遂にあの人達が……!?




