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我らノワール曲馬団〜おかしな少年少女達の日常〜【更新停止】  作者: 創造神(笑)な黒死蝶氏
第一章 ノワール曲馬団
3/36

第三話 No.2霧島由梨愛

※2/24、三人称視点に改稿完了致しました。



 何か柔らかいものが頬を擽る感触に零音の意識は呼び戻された。

 身体の上に何か重量感のあるものがのしかかっているような圧迫感がし、怪訝に思った零音がゆっくり瞼を開いてみると視界は霧でもかかっているかのように薄らぼんやりと霞んでいてよく見えない。だが色彩だけは何とか識別できる。


 ――案の定、長い白髪がゆらりと垂れていた。



 白い髪。

 零音以外に白い髪を持つ人物で、尚且つ零音の寝室に堂々と入って来れる人物は彩葉くらいしかいない。


 彩葉が起こしに来たのだろうか? ……だとするとそれはおかしい。

 零音が朝、たまに寝過ごした時は大体塁兎か(らん)が起こしに来るのだが、彼女が来る事なんて滅多にないのに。

 彼女は色々と規格外で常識外れだが、まだ乙女としての恥じらいが残っていたようで零音が眠っている間寝室に入ってくるような真似はしない。


 ――あれ、というか自分はどうして眠っていたのだろうか。

 確か塁兎の手当てをしようとしていた筈では……



 頭が徐々にはっきりしてくるに連れ、夕べの記憶が蘇ってくる。



 *




「あー、補修疲れたぁ……」


 何とかリビングまで上手く二人を誘導して、ソファに座らせる。

 由梨愛はつい先程まで馬鹿みたいに明るかった癖に、ソファに腰を下ろした途端酷くやつれた顔になる。



「ゆ、由梨愛ちゃん……また試験の結果駄目だったの……?」



 だらしなく背凭れに凭れかかる由梨愛の真正面に座ったのは、右目に黒い眼帯を付けているのが特徴の常にオドオドしている青年こと藍。

 話すスピードが他人(ひと)よりゆっくりめな彼は少し長く時間をかけ、尚且つ普通の人には聞き取るのが些か難しい音量で尋ねた。



「いやぁ、実は日本史と現代文はギリギリ赤点免れたけど後は全部一桁台で全滅と言いますか……」


「馬鹿にも限度があるでしょ!?」



 由梨愛が真っ白に燃え尽きながら発した返答に零音は思わず音速でツッコんだ。いや、これは零音がツッコまずともどの道誰かがツッコまざるを得ない発言だった。



「ちょ……そこまで言う事ないじゃん! 由梨愛お姉ちゃん泣いちゃうよ!? いーの!?」


「はいはい、勝手にすればいいじゃん」


「むっかぁあ! 由梨愛お姉ちゃん激おこだよ! ちょっと藍君、君も黙ってないで何か言ったらどうかね!?」


 馬鹿と言われた由梨愛は不服そうに返すが、その返しがもう既に小学生の零音より低レベルである。

 これには流石に気は弱いけど温厚な藍ですらフォロー出来兼ねるようで、少し困ったように「……どんまい」と苦笑いを浮かべた。



「二人共酷くない……? そこは慰める所だよね!?」


「黙って馬鹿姉」



 その反応が不満だったらしい由梨愛姉は不細工にならないように軽くむぅっと頰を膨らますという、そこらの童貞なら一発で消し飛ぶレベルの女子力の高い怒り顔で零音を睨めつけるが、零音は一切動じた様子を見せずに適当にあしらう。

 この程度のあざとさでは零音の心を動かす事など出来はしないのだ。



「うー、零音君の鬼畜ショタ!」


「鬼畜? そんなの知らないよ。僕は一刻も早く塁兎の側に行かねばならないんだ」



 そう言ってから零音は気付いた。この言い方、聞く人が聞けばなんだか薔薇っぽいと。……聞く人が聞けばね。大事な事なので二回言った。

 まあ零音は手当てをしに行くだけなので、疚しい事など何もありはしないのだが。



「今日のご飯作るの彩葉だから、適当にテレビでも観て寛いでてよね」



 塁兎を待たせている身として、これ以上のんびりできない。


 ――尤も、その塁兎は今天井に潜んでいた変質者と彩葉の奇行について対話している所なのだが。


 そんな事を知る由もない零音はそれだけを言い残し、さっさと物置部屋に救急箱を取りに行こうと廊下側に目を向けた。



「え、塁兎君怪我したの……?」


 ――のだが、由梨愛の放った衝撃的な一言により強制的に彼女に視線を戻させられた。




「……由梨愛姉、勝手に視ないでっていつも言ってるでしょ……」


「ち、違うって! 今のは事故!」



 零音に呆れ顔を返され、慌てふためている彼女のその夕焼け色に煌めく髪と瞳が全てを物語っていた。

 この色こそが、由梨愛が決してただの残念美少女ではないという事の証明である。


 ノワール曲馬団No.2、霧島由梨愛は人の心を読む能力を持つ、言わばサイコメトラーだ。

 だが当の本人は約半年前まで自分が超能力者という自覚が全くなかったらしい。



「……分かってる、また暴走したんでしょ?」



 何故かというと彼女の能力は弱く、今までは視界に入った人物の感情の動き程度しか読み取れなかったからだ。

 しかも能力の発動時、彼女に起こる変化といえば瞳の色が栗色から淡いオレンジ色に変わるくらいだし、それと光の角度で色が変わって見えているだけという誤魔化しの聞く範囲だったのだ。


 それが塁兎によって自身が能力者と自覚してからのこの数ヶ月、急激に能力の強さが増したらしく、今では瞳だけではなく髪の色まで鮮やかなオレンジ色に染まってしまうようになり、強く発動した際は視界に入った人の考えている事……記憶まで視えるようになってしまったのだ。



「プライバシーの侵害も甚だしい能力だよね、本当に」


「むむっ! 私だって見たくて見てるんじゃないんですぅー! 第一、覗ける内容選べるならショタのお着替えシーンとかイケメンがいちゃついてるのを覗きたいもん!」


「大丈夫? 主に頭」


 本日何度目になるか分からない溜息を漏らせば、由梨愛が不満気に反論……と見せかけて知りたくもない本心を吐露した。



 能力のコントロールができない彼女がうっかり人前で暴発させたりしたら……という事で、使いこなせるようになるまでは学校では同じクラスでしかも隣の席である塁兎がしっかり見張っているらしい。



「……この大腐女神様が能力を使いこなせるようになったらそれはそれで大問題だけど」


「失礼な!」


「受け入れなよ、日頃の馬鹿姉の行いのせいなんだから」


「私はただ綺麗な顔立ちの男の子が次元を問わず好きなだけの乙女だもん!」


「ソダネー、『乙女』と書いて『おつおんな』と読むんだもんねー」


「ムッキャアァア!!」



「……あの、ちょっと」


 藍兄が挙手し、零音と由梨愛はお互いの目を見合わせる。

 両者共まだ言いたい事がありそうだが、ここは一時休戦する事にしてすっかり蔑ろにしていた藍に向き直った。



「話についていけないんだけど……由梨愛ちゃん何か見たの……?」



 一人だけ事態が飲み込めていない藍は、眼帯で隠れていない方の左目で零音と由梨愛を交互に見遣る。


 ――彼には話しておいて問題はないだろう。

 零音の知る限り一番騒ぎそうなこのお腐れ様にバレてしまったのは誤算だが、予想よりもあまり混乱していない……むしろ勝手に覗いた事に罪悪感を持っている。


 零音が目線で「話しても構わない」と告げると、由梨愛はそれを察したのか頷き、次に依然疑問詞を浮かべている藍に視線を戻す。



「実はね、塁兎君がうっかり『事故』で怪我しちゃって今零音君の部屋で休んでるの」


「え、塁兎君が……?」


「せやでー」



 説明時に彩葉の暴走のせいとは言わず、『事故』と言ったのは心配性で究極的ネガティブ思考な藍を気遣っての事だろう。


 ――とりあえずこの場は彼女に任せておこう。

 バレてしまったのは非常に、非常に不本意だったが(大事なことなので二回言った)これ以上塁兎を手当てする時間を遅らせる訳にはいかない。

 説明は彼女に任せておいて問題ない判断した零音は、今度こそ廊下へと歩き出した。



「ちょ、どこ行くの?」


 後ろから呼び止められ、嫌な予感を感じ取りながらも振り向くと、いつの間にかソファから立ち上がっていた由梨愛が有無を言わさぬ笑みを作って零音の背後に構えていた。

 その笑みがどういう意図を持っているか、想像するのは実に容易だった。



「……勝手に来れば良いでしょ」


「わーい! やったやったぁー♪」



 子供のように無邪気に喜ぶ由梨愛姉の姿に零音は内心溜息を漏らしたくなったが、彼女はこう言い出したら後はもう梃子でも動かないと知っていたので、仕方なく彼女を引き連れて部屋に戻った。



「……のに、何で寝てるのさ」


 寝室に戻ると、いつの間に移動したのかベットの上で静かに寝息を立てる塁兎の姿が其処にはあった。。

 しかもその足には文句のつけようがないくらい完璧に包帯が巻かれててあり、ベットの下には救急箱が置きっ放しになっている。

 倉庫を幾ら探しても無いと思ったら、此処にあったのか。


 しかも床に広がっていた夥しい量の血溜まりまでもが嘘のように綺麗さっぱり拭き取られている。



「急ぎ損……」


「……またいきなり寝ちゃったんだねぇ」


 ――僕が来るまで待っていろと言ったのにこの野郎。


 ここまで急いでいた意味が全て無駄だと知り、内心悪態をつく零音の頭上で由梨愛はくすくすと口元を手で押さえて笑っている。

 何がそんなに可笑しいと言うのだろうか。

 これまでの気苦労が無駄と化し、一気に脱力した零音が八つ当たり気味に由梨愛を睨みつける。


 由梨愛は悪戯をした子供に「しょうがないなぁ」と言う母のような複雑な表情を塁兎に向けていた。

 普段誰よりも子供っぽい彼女は偶にこうして大人っぽい表情を見せる時がある。


 その表情を見る度、自分の中の彼女のイメージとのギャップに零音は混乱する。



「……でもさ、幾ら僕が来るの遅れたからって一人で全部処理しちゃうなんてこれまでの僕の気苦労が報われないじゃん」


「一人、ね……」



 それでも動揺を態度に出さないよう、淡々と不満を述べる零音の心情など知る由もない由梨愛は天井の一点を見つめながらそう呟いた。

 真っ白な天井のタイルは隙間がなくびっちりと敷き詰められているが、由梨愛の視線の先にある一つのタイルが僅かにずれているのに零音は気がつけず、依然中空を見つめたままの由梨愛に首を傾げていた。



「まあ良いんじゃないかな。私達のやる事減ってむしろラッキーじゃん?」


「……その楽観的な思考が心底羨ましいよ」


「褒め言葉として受け取っておくねっ。……るーいっとくーん!」


 

 由梨愛はベットの上で眠っている塁兎の身体を大声を上げながら揺するが、塁兎は少し眉を顰めて唸っただけで目覚めるには至らなかった。


「ちょっとー? 塁兎くーん!」


「……無駄だと思う」


 普通の人間なら耳元で叫ばれた時点で起きるだろう。真面な神経をした普通の人間ならば。――しかし、しかし……



「塁兎は一日の平均十八時間は寝て過ごしてる人だから……」



 零音の言葉を受け、由梨愛は思い当たる節があるようで「ああ……」と呟いたきり切ない顔で黙り込んでしまう。

 ちなみに由梨愛が以前「塁兎君は学校では昼休みと放課後以外は全部寝てるの」と不満げに溢していたのを零音ははっきりと覚えている。


 零音は無表情を装い、「授業中寝てる癖に何で満点取れるんだよ、その頭脳分けろよおお!」と叫びたいのを必死で堪える。


 今日みたいに邪魔があった日は例外として、零音は毎日他のクラスメイトが遊んでる時間を勉強や家事に費やしている。

 それでも先週の漢字テストは九十八点。一問間違えた。


 クラス内で一番だった事に変わりはないけど「一問さえ間違わなければ満点いけてたのに」という想いが胸を締めつけているのだ。



「あ、お二人共此方にいらしたんですか?」



 脳内で塁兎に向けて散々愚痴を零していた零音は、可愛らしい少女の声と部屋に漂う異臭に現実へと引き戻される。

 扉口には腰までの長い髪を後ろで三つ編みに編んで、満面の笑みで立つ彩葉と――その手には大皿に盛られた……紫色の怪物が蠢いていた。



「なんぞそれ……」



 鼻を突く酸味のある異臭の原因である紫色の物体を指差すと、彩葉は可愛らしく頬を朱に染める。畜生、かなり不本意だが可愛い。



「今日は零音君へ愛を込めてカレーを作ったんです! 早くリビングに戻りましょう?」


「愛じゃなくて呪い入ってるだろ!?」


 ジャガイモが灰色に変色して人面っぽくなってるし、こんなマグマみたいに沸騰してるカレーなんて生まれて零音はこの方一度も見た事がない。

 彩葉は純然たる無邪気な笑顔を浮かべているが、おどろおどろしいカレーのせいでその笑顔にすら恐怖を覚える。


 ――こんなの食ったら(主に零音の胃が)無事で済む筈がない……っ! だが、素直に断っても彼女の性格上無理矢理食べさせられる気がしてならない……!



「あ、あー、でも……塁兎が起きなくて……」


 否定も肯定もできず、曖昧に溢して視線を彷徨わせた零音は由梨愛姉に視線で助けを求める。

 由梨愛姉は何かを察したように手を叩いて頷き――



「大丈夫、塁兎君は私が連れていくよ! だから零音君は愛しの彼女の手料理を食べてきて良いよ?」



 何をどう勘違いしたのか、親指をビシッと立てて爽やかスマイルを決める由梨愛姉。「違うそうじゃない!」と全力で否定したかったが、時既に遅し。

 ガシッと力強く肩を握られ、身体を強張らせた僕がギギギと音が聞こえそうな程ゆっくりと首だけで振り向くと、またも陰りのない純然な笑みを浮かべる彩葉の姿が視界に入る。



「さあさあ、藍さんももう食べ始めてますよ? 冷めちゃう前にいざ、食卓へ参りましょう!」


「え、あ」



 片手で器用に皿を持ち、もう片方の手で僕を廊下に引き摺り出す彩葉。

 相手は女の子だし抵抗できなくもないのだが、この子相手に抵抗なんてしてみろ。後が恐ろしい。

 ずるずると流されるまま、最後の希望を込めて由梨愛を顧みたが由梨愛姉此方に向かって笑顔で手を振るだけだ。


 ――あ、もう駄目だこれ。


 零音はこれから起きる地獄を悟った。










 ――そして現在に至るという訳だ。


 この後の記憶はふわふわとしていて且つ断片的なもので、思い出せそうにない。


 恐らくあのこの世のものとは思えない物体を食べさせられたのだろうが、その辺りの記憶が飛んでいるのは正直助かった。

 食べた時の記憶がなくともあの紫色の怪物を思い出す度に全身から血の気が引いていくのに、その上食べた時の記憶まで残っていたら間違いなくトラウマになっていた。


 それにしても状況から察するにあれを食べさせられ、そのまま気を失ってしまったのだろうか。

 あれを食べてまた目が覚めた事自体奇跡だが、特に身体に異常は感じない。良かった、後遺症が残るタイプではなさそう。


 しかし……その前にここで眠っていた塁兎は影も形も見えないので、きっと由梨愛が起こしてくれたのだろうが……塁兎達は無事なのだろうか。

 というか、自分はどのくらい眠っていたのだろうか? 辺りの明るさからして、今は朝……


 その白髪は真正面から朝陽に照らされ、淡く黄金色に発光しており神々しくも見えた。


 ――まず、その髪に違和感を覚える。



「あれ、もう起きたのかい?」



 いつもの小さく控えめで可愛らしい、けれど何処か迫力を感じさせる少女の声よりも、少し低めの声が真上から降り注いだ。



「あんた誰……?」


 大分はっきりしてきた視界と頭、目の前の人物が彩葉ではないのが分かった零音はできるだけ低めの声でぶっきらぼうに問う。

 すると目前の、金を帯びた白髪の持ち主はくすりと微笑む。



「だーれだ?」


「それが分からないから聞いてるんでしょ……!」



 年の頃合いは塁兎や由梨愛とそう変わらないであろうその人物は縁日で見る綿菓子のようにふわふわした髪から覗く日本人とは思えない真っ白で艶のある肌、上品に微笑を湛えている顔のパーツは幼さが残るが非常に整っており、それぞれのパーツの位置までも完璧。

 よく晴れた日の空を切り取ったような薄青色の垂れ目がちな瞳は随分と優しげな印象だ。


 儚げな、深窓の姫君のような雰囲気を放つ少女の容姿を見て天使のように美しいという言葉は正にこの人の事の為にあるのだろうとと思った。


 彩葉も同じ白髪な上に、同じ年頃の子供に比べると顔立ちがかなり整っているが、少し釣りあがった眉や光の無い瞳は何処か冷たさを感じさせる。

 だから彼女が自分を雪女族と言った時も零音は驚きはしたが、心の何処かですぐに納得したのだ。


 しかし、この人は暖かさというか、なんというか……彩葉を季節で例えると冷たく厳しい冬がぴったり当てはまるが、この人は草花が大地に息を吹き返し、動物達が戯れる……穏やかで賑やかな春がとても合う。



 ――しかし。



「……あんた誰? 侵入者か何か?」


 それとこれとは別。この人の見た目がどれだけ天使や妖精を連想させても、中身までそうとは限らない。

 それに眠る前窓にも扉にも鍵をかけていたし、その上で侵入してきたとなるとこれは間違いなく不法侵入だ。



「ははは、君の言っている意味とは少し異なるけれど間違ってはいない部分もあるね」


 回りくどい言い方に腹が立った零音は軽く手足に力を込め、起き上がろうと試みたが強く押さえつけられているせいで身体は思うように動いてはくれない。



「ああ、暴れないで」



 依然エンジェルスマイルを浮かべたままのその人をせめてもの威嚇の為キッと睨みつけるが、効果はなかったどころかその人は零音の想像の範疇の斜め上を行く反応を取った。



「ああ、良いねその目。ゾクゾクするよ……」



 若干息を荒らげながら頬を撫でてくるその人に、零音は目の前の人物もまた異常者(・・・)なのだと察知した。

 そして、このノワール曲馬団アジト内において「異常者」であるという事が零音にその人の正体を確信させた。



「キモ……初対面の団員に何で僕は馬乗りにされなきゃならないわけ?」


 溜息と共に漏らした零音その人は表情を変える事なく、しかしはっきりと「君が可愛かったからさ」と答えた。


 ――美人なのに残念そうな人だな……

 哀れみと蔑みを込めた目線を送るが、その人は何故か照れくさそうに顔を赤らめながら目を逸らした。


 ――何だこの人。理解不能な人種すぎて扱いづらい。


 今までこのノワール曲馬団の団員で、変人は沢山見てきた。

 ショタコン腐女子な残念美少女とか、電子のウザ系美少年とか、見た目邪気眼眼帯巨人の癖に気弱な大学生とか、料理の腕が著しく終わってるヤンデレ彼女とか。


 だがそんな彼らとは次元が違うくらい、この人の頭がおかしいのは明白だった。


 ――あ、一つ訂正。藍兄は立ち位置は不憫だが、曲馬団内では比較的常識人だ。



 ……不憫だけど常識人、か。

 その括りには確実に零音も入っているだろうが、まあそれはこの際置いておく。


 今が朝なのは分かってるけど、あれからどのくらい時間が経っているか分からない。

 丸一日半寝ていたのかもしれないし、一晩しか寝ていない可能性もある。


 今は早く起き上がり、零音以外にあの紫の謎物体の被害に遭ったであろう哀れな方々の様子を見て、日付と時間を確認しなければならない。

 それに平日だった場合、学校に行かなければならないし。


 あんな劇薬より数倍危険なものを食べさせられ、気を失っていたとはいえ今はこの通りの快調。

 今年に入ってから一度も欠席していない零音がこんな事で欠席などするものか。それに学校を休んで勉強に遅れたりするのは絶対に嫌だ。



 それにしても、どうすればこの人は退いてくれるだろうか……

 目の前の常軌を逸している人物が素直に「退いて」と頼んで退く人種ではない事は察せた。

 まず力関係的にこの人を力づくで押し退けるのは無理だし、ここは大声を上げて彩葉か塁兎に助けを呼ぶのが得策だろうか……?


 零音はどう退いて貰うか悩みに悩み抜いていた。


 ――だから、気づくのに遅れた。



「……ねえ」


「ん?」


「『ん?』じゃないわ! 何で僕の服脱がそうとしてんの!?」



 零音は白々しく小首を傾げるその人に対し、明らかに引きつっているであろう声で怒鳴りつけた。



「え、君が寝坊して遅刻しそうだから着替えを手伝おうと……」



 何も悪びれる様子もなく、零音のパジャマのボタンを片手で器用に外してゆくその人に「そうじゃない!」と再び叫ぶ。

 しかし「遅刻しそう」というこの人の発言が事実ならば確かに早く支度を済ませなければならない。



「だけど! 何で僕の腕を押さえる必要があんの!? 第一女の人に着替えさせられるのには抵抗があるんですけど!」



 そうだ、零音には自分以外の女が寄ったらそれだけでブチ切れる彼女がいる。

 年上の綺麗な女の人に着替えさせられたなんてバレてみろ、きっと覚醒してアジト中の人も物も全て凍らせるぞ。


 主にそういう意図を込めて怒鳴ったのだが、その人は何故かきょとんと目を瞬かせる。



「えっ……?」


 何が「えっ?」なのだろうか。この場面においてその台詞を言いたいのは自分だ。



「あ……そうか、僕って紛らわしいからなぁ」


 そして何かに気づいたようにくすくすと上品に笑い出すその人。

 何がおかしいのかさっぱりの僕は無駄だと知りつつその人を渾身の力で睨みつける。



「いや失礼。勘違いさせて悪いね、僕はこんな容姿だけれど、正真正銘のおと――」


「何をしとるか貴様アァァッ!」


「ぶべらっ!?」



 言い終わるより早く、その人の端正な顔面めがけて見事な飛び蹴りが放たれた。

 その人はいとも簡単に吹っ飛び、後頭部から壁に激突する。



「無事ですか、零音君!?」


「え、あ、うん?」


 その人に飛び蹴りをかました当人……冴島彩葉は空中で優雅に身体を捻って一回転し、華麗に着地すると零音に駆け寄ってくる。

 一人状況が飲み込めない零音は吹っ飛ばされて悶絶している不審人物の方をチラチラと見遣っていた。



「何をするんだねイロハ君っ!」



 漸く起き上がったその人は鼻を押さえ、文句ありげに彩葉にきつい視線を向けた。



「てか今のもう一回できる!?」


「うるっさいです不審者!」



 その人の顔面に再び蹴りが放たれたのは言うまでもない。




 *



 *



 *




「えぇっと……塁兎ぉー?」



 天井から吊るし上げてもその人……もとい鬼灯の髪の毛はあまりにも長すぎるので床に着いてしまっている。

 ――その鬼灯の首に何処から持ってきたのか、死神が持つような巨大な大鎌をあてがっているのは他でもない団長塁兎だ。



「……何か言い残す事はあるか」


「あっれぇー……目がマジだよー……?」



 由梨愛と彩葉によって逆さに縛り上げられたノワール曲馬団団員No.3玖蘭鬼灯は自分の首に若干食い込んでいる刃先を見ても依然余裕がありそうな笑顔のままだ。

 こんな状況でそんなニコニコ笑っている様子は言っちゃ失礼だが、非常に滑稽である。



「……ショタを襲った罰だもん」



 そして塁兎と鬼灯から大分離れた、部屋の隅。

 零音と彩葉を後ろに庇うように両腕を広げた由梨愛は、彩葉が鬼灯を蹴った後に実はさり気なく便乗して自分も数発鬼灯に蹴りをかましていたというのに、未だ怒りが収まらないという様子で鼻息荒く鬼灯を睨み下げている。



「我々ショタコン……とロリコンは子供に手を出さず遠くから見守り、癒されるのだという暗黙のルールがあるの。だから手を出した時点で其奴はロリコンやショタコンの称号は剥奪され、ただの犯罪者に成り下がるんだ……!」



 殺気を込めて、息継ぎなしに言い切る由梨愛。

 自分は普段零音に抱きついたりしてる癖に何を行っているんだとツッコミたくなるが、普段ツッコミを入れてくれるアンリと数少ない常識人要員である藍兄がいないのでツッコミ不在な現状である。


 この場合零音がツッコミに回れば早い話なのだが、この重苦しい空気に割り込める度胸は生憎持ち合わせてはいない。

 今だって平静を装っているけど、少しでも気を抜いたら涙目になりそうだ。

 ……臆病者(チキン)などではない、普通の人がこんな場面に出くわしたらきっと零音と同じように涙目になるだろう。


 ――えー、緊急事態発生。緊急事態発生。ツッコミ不在の為各地のツッコミは大至急現場に向かってくださーい。



「ねーねー、そろそろ首撥()ねようよ、塁兎君」


「そうだな。さっさと斬……いや待てよ」


 慢性的なツッコミ不在の状況下、由梨愛に急かされて大鎌を高く振り上げかけていた塁兎は唐突に動きを止める。



「この場で首を斬り落とすのも良いが、『彼奴』に引き渡した方が良いかもしれん」


「あー……」


 塁兎の言う『彼奴』が誰なのか零音達には分からなかったが、由梨愛はすぐに察した様子で相槌を打った。


「No.5の人? この前もメールで『異端者のフォークと審問椅子と猫の爪の三つを新たに作ったなう』って送って来たし丁度良いんじゃないかなぁ?」


「先月も『若くて綺麗な子がいたら誘拐して拷問して死体をコレクションにしたい』とかLI○Eで呟いていたしな」



 ――そこの高校生組、憂いを帯びた表情をしながら理解不能な会話を繰り広げるのやめてくれますか。


 異端者のフォークってどんなフォークなんだ? 審問椅子? え? 何それ裁判か何かで使うの? ……てか猫の爪って動物の猫さんの爪で合ってるよね? え、でも誘拐とか拷問とか言ってたし……その類? え、何なの……?


 理解不能な単語の連発に零音は混乱しきっていた。

 後でWikipediaで調べてみれば分かると思うが、何となく調べてはいけない単語のような気もするし……wikiには先日トラウマが出来たばかりだ。


 それは夏休みの自由研究について彩葉と話している時、彩葉が「零音君に近づく女共を消す用に鉄の処女作ろうかな」とか言っていて、鉄の処女というものが分からなかった零音が何気なく「鉄の処女」とウィキ先生で調べてみたらとても恐ろしい拷問器具で、グロテスクなものに耐性がない零音はそのままトイレに直行したのだ。


 ちなみに鉄の処女を調べてトイレに行った後、彩葉に全力で鉄の処女を作るのを辞めるよう説得したが本人にとっては軽い冗談だったらしく、笑い飛ばされた。



「こんなの、全然解らないよ……」



 ――冗談でもあんな怖い事を言わないで欲しい。殺人ダメ、絶対。



「ええ、私も分かりませんね」



 すっかり自分の世界に入り込んでいた零音は突発的に出た呟きに返答がされた事に驚き、隣を見ると彩葉が俯き加減に鬼灯が吊るされている方を瞳を蒼く光らせて見つめていた。



「零音君に手を出すだなんて……例え未遂に終わっても、自分の身がどうなるか想定していなかった事が解せませんねぇ……」



 その蒼い光がどれ程危険なものか、よく分かっている僕零音彩葉が次に取るであろう行動がすぐに推察できた。



「ああああ待って彩葉! 氷漬けにしちゃダメ、絶対!」



 零音は彩葉の両肩を掴み、鬼灯から必死に遠ざけた。鬼灯の事は正直どうでもいいが、殺人事件なんて洒落にならない。

 子供といえど立派な妖怪である彩葉が人間を殺すなんて容易い事なのだ。だからこそ気をつけなければならない。



「ふふ、大丈夫ですよ零音君。私は証拠の残る殺人なんて馬鹿げた真似はしませんから」


「完全犯罪ダメ、絶対!」



 得意げに言って自らの背後に強烈な冷気と共に氷製ナイフを出現させた彩葉のナイフを零音は速攻で取り上げる。

 ナイフは彩葉の手元を離れた途端に蒸発して、跡形もなく消え去った。確かに証拠は残らない模様。



『凶器は残んねーけど、アリバイとか目撃証言はどうするんだよそれ』



 ――聞き慣れた、電子音混じりの声が部屋中に響くような大音量で流れ出した。

 全員の視線が扉口へと移る。するとそれに呼応するかのように、いつの間にか開いていた扉口からサッとタッチパネル式の携帯が差し出された。



『どーもどーもー! 呼ばれてなくてもいつでもどこでも貴方の元へ飛び出す、疾風の電脳黒猫アンリ様だぜっ! 跪けよお前ら♪』



 携帯の中では黒い服の少年がニヤニヤと嫌味な笑顔で此方の様子を伺っていた。

 出会った時から全くブレずにウザったいその笑顔に苛立ちを覚えながらも、不在だったツッコミの帰還にほっと胸を撫で下ろす自分もいた。



「……神山。お前も帰ってたなら言え」



 恐ろしい程殺気を振り撒いていた塁兎は一瞬で殺気をしまい、無表情の中に微かに呆れを湛えて溜息を漏らしながらその携帯を持つ人物へ声をかけた。

 扉からアンリの入った携帯だけを突き出している青年はびくりと震え、おずおずとその顔を覗かせた。



「う……だ、だって怖かったし……」



 その瞬間嘲笑うかのようなバイブ音が鳴り響く。



『ビビってる藍も可愛かったぜ?』


「う、うるさい……!」


『ははっ悪りい悪りい。つーか何なんだぜ、この状況は? まあ大抵の予想はつくけどな』



 藍に涙目で睨まれても反省した様子はなく心底愉しそうに言う彼は、部屋の中心で縛り上げられている鬼灯に意地悪い笑みを向ける。



『鬼灯も鬼灯だぜ。新団員の様子が気になるならわざわざこんな事しなくても良かったんじゃね?』


「五月蝿い。あんたには関係ないだろう」



 鬼灯は低い声で、ふいとアンリから顔を背けてぶっきらぼうに答えた。

 何処かおかしさは感じるが(主に頭の)、物腰から何から穏やかそのものだった鬼灯の豹変ぶりに零音は純粋に驚いて目を見張る。



『ははっ、流石塁兎厨。俺が関係なくても気にせざるを得ない性格って知ってんだろ?』


「あんたの都合なんて知らない」



 鬼灯は常にどこか真意の読めない笑顔を貼り付け、強烈な変態という第一印象を零音や彩葉にも与えながらも兎に角穏やかに接して来た。


 ――しかし、アンリに対してだけは零音達に接する時の態度とは明らかにかけ離れたものであるという事を零音含むこの場の全員が気がついた。


 零音は初めて鬼灯を見た時、その穏やかな晴れ空のように澄んだ色をした瞳を見て「優しげ」「深窓の姫君」「天使のよう」などと口に出せば彩葉に刻まれるだろう絶賛の数々を内心で密かに並べていた。

 しかし今の鬼灯の瞳はただ冷たく、口では言わなくともその目が「お前なんて大嫌いだ」と告げているように思えた。



『そこまで徹底的に嫌われると却って清々しくもあるんだぜ』


「……そだ塁兎ぉー、僕はいつ降ろしてもらえるのかな?」


「永遠に吊るされてろ」


「あぁんっ相変わらず良い罵りっ!」



 今度はアンリなどまるで初めから存在していなかったかのように、元通りに振る舞い出した。

 それでもアンリは傷ついた様子は微塵もなく、相変わらず笑みを浮かべている。

 流石アンリ。電脳体の精神はこれくらいでは傷一つつかないようだ。


 彼の神経の図太さに賞賛を送りたくなったが、ふとそんな二人を苦虫でも噛み潰したような顔で眺める藍に目が留まった。



「藍兄?」


「……えっ? あ、ごめん何?」



 零音は由梨愛姉の腕から抜け出し、扉の側へ寄って彼を呼ぶと藍は我に返り、笑顔を浮かべるがその笑顔はなんだかぎこちなかった。



「いや、変な顔してたからさ」


「……そ、そっか。何でもないから大丈夫」


 何かを隠すように目線を泳がせた藍を見て、明らかにこの二人の何かを知っていると悟った。



「……そう」


 まあ、同じ団員といえ話したくない事だってあるだろう。

 無理には聞かない……というかウザい電脳黒猫と変質者の関係について自分でも思った以上に興味がないのでこれ以上は詮索しないでおこう。



「零音」


 藍との短い会話を終えた僕は後ろから掛けられた声に振り返る。

 大鎌を片手に持ったままの塁兎がじっと此方を見つめていた。その光景に今更疑問を覚えはしないので、その点はスルーしよう。

 それよりもさっきは余りにも色々とあり過ぎて気がつかなかったが、塁兎はもうすっかり普通に歩けるようになっている模様だ。



「あ、もう大丈夫なんだ?」


「俺を誰だと思っているんだ。それよりお前こそ一晩死ん……倒れていたが大丈夫なのか」



 塁兎に尋ねられたのは間違いなく、彩葉のデスクッキングについてだろう。というか今「死んでいた」って言いかけただろう。誤魔化してもバレバレだから。



「……どこもおかしな所はないよ。奇跡的だよね」


「ああ、だろうな」



 彩葉に聞こえないくらいの音量で苦笑いを浮かべながらそう言うと、塁兎は然もその答えが返ってくるのが当然だという風に相槌を打った。



「え、何――」


「だよねー、僕の解毒剤が効かない訳ないもん」



 塁兎に尋ね返そうとした時、塁兎の背中からひょっこりといつの間にか降ろされていた鬼灯が顔を出した。



「……コレは性格は阿呆だが、プログラミングと薬の調合に掛けては右に出る者はいないからな」


「えー、褒めすぎだって! 何でもできる塁兎には敵わないさ!」


「別に……」



 こうして二人並んでみると、塁兎の方が鬼灯よりも少し小さい。塁兎は同い年の子と比べて小さい方だけど、女にまで抜かされるとは……


 ――落ち込まなくても大丈夫だよ塁兎、年齢的にはまだもう少し伸びるから頑張って……



「……って待って。あ、あんたが治療したって!?」


「え? そうだけれど。新種の毒が出たって塁兎から聞いて一から解毒剤作ったんだ」



 唐突に叫んだ零音に塁兎は引いた顔をしていたが、鬼灯は何でもないような顔で肯定する。



「嘘でしょ……こんな奴に助けられたとか……」


「お前って結構ハッキリ言うよな」



 こんなワンランク上のド変態に借りを作ってしまっただなんて不覚。何たる失態だ。

 隠す事なく青ざめる零音に塁兎は発言の内容とは矛盾した、少し同情するような表情を見せた。



「何かよく分からないですけど……回復したのなら学校行きましょうよ!」



 彼女にしては珍しく、それまで口出ししてかなかった彩葉は真っ白に燃え尽きかけていた零音の手を握る。

 これだけ自分の料理ボロクソ言われといて気づかないってどんな耳をしているのだろうか。

 都合の悪い事は全てシャットアウトされる仕組みにでもなっているのか?



「ああ、そうだよね……これ以上此処にいると気が狂いそうだ」


『え? どーゆー意味なんだぜ?』



 ――勿論脳内ツッコミのやりすぎでだよ……

 頭痛を訴えるかのように手を抑える零音に、藍兄の手に収まるアンリは可愛らしく小首を傾げてみせるがわざとらしいったらありゃしない。


 ――あーあ、本当に此処は騒がしいんだから。



「よぉっし由梨愛お姉ちゃんも一緒に登校するぞぉ!」


「わー頼もしーデスお姉サマ」


「彩葉ちゃん棒読みやめて! お姉ちゃん傷つくからね!?」


『じゃあ俺もーっ♪今朝丁度アップデートしたしな!』


「アップデート……えっ?」



 ――まあでも……自分でもどうしてだか分からないけど、この騒音は嫌いでもないや。

 零音は自然と、微かに口角を持ち上げていた。




 *



 *



 *



 人の背の丈の何十倍もあろう重い鉄製の両開きの扉、その扉の横にある古ぼけて文字が読み取り難くなっている石板に少年が手を翳すと、主を認識した扉は自動的に開く。


 黒を基調とされた古城、扉の下に続く大階段の周りにも幾つも不規則に階段が伸びているがそれらは途中で切れていたり、少し上がっては下がっての繰り返しの歪な階段だったりしていて、少年が進む階段もまた途中で切れている。

 しかし少年が最後の段へ降りた途端に不規則だった階段が一斉に廻りだし、それらは少年の行く先へと繋げられてゆき、少年を目的地へと(いざな)う。

 その先にあるのは最初の扉よりも小さい、少年一人が通るのがやっとなサイズの扉。少年は今度は普通にノブへと手を掛け、ゆっくりと捻る。



「――随分と遅いお目覚めですね。お坊ちゃま」



 扉を押し開けようとした所で、優しいけれど何処か威厳を感じさせる若い女性の声が俺を呼び止めた。



「……アスモ、その呼び方をやめろ」


 首だけ振り返って睨みつけると、足元までの長い黒スカートのワンピースの上に白いエプロンドレス……特に特徴はない、シンプルなメイド服を着て肩までの赤毛をカールさせた女性が少年の数歩後ろで笑顔を浮かべていた。



「申し訳ありません。この呼び方に慣れてしまっているもので」


「……」



 くすくすと眉尻を下げて笑う彼女に無言で睨みをきかせる。



「それで本日はどちらへ? 学校へ行くには少しばかり遅い時間とお見受けしますが」



 ――両親が少年を心配してつけたこのメイドだが、少年はどうしても彼女が気に食わない。

 少年が学校になんて行く訳がないのを知っていて、その癖少年にこんな事を言ってくるからだ。



「……少し、遊んでくるだけだ」



 少年はぶっきらぼうにそれだけ言い、扉を押し開けた。途端に拒絶していた穢れなき光が溢れ、暗闇に慣れた視界を白く眩ませる。


 その純白の光がまるで彼奴を表しているようで不快に感じたが、どうせこのまま暗闇の城に籠もっていたってイライラするだけだ。

 第一にあのいちいち神経を逆撫でするメイドと長時間共に過ごすなんてまっぴらごめんだ。


 外へと完全に足を踏み出した少年は扉を閉める。後ろから「いってらっしゃいませ」とアスモの声がしたが、無視して太陽が降り注ぐ街を歩み出した。





 ――そして波乱の一日が幕を開ける。

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