第二十二話 追想哀歌 III〜after story〜
【前回までのあらすじ】
鬼灯「何なんだよこの気持ち……!」
▼おや? 鬼灯のようすが……
▼鬼灯は┌(┌^o^)┐にしんかした!
「……でさ、蓮の奴チョコで酔っ払っちゃったんだよ?! しかもその後『気持ち悪い』とか言って僕に抱き着いたまま全部吐いてくれちゃったのさ! あり得ないでしょ!? 服ビチャビチャになるし最悪だよ!」
とある週末。鬼灯は「いつものように」幼馴染へと語りかけていた。
それは蓮に言及されてムカついた日の愚痴やら、能力暴発事件のその後の話やら。偶に最近あった出来事やらも混ざるが、大抵は蓮に関する話題ばかりという事実に鬼灯は気づいていない。無意識の内の行動だからだ。
「蓮の正体は実は猫なのではないだろうかと僕は思うんだよ! だって彼奴気まぐれだし、にゃーにゃー擦り寄ってくるし、やたら黒猫にモテるし、チョコ食べたら必ず嘔吐するし、百合の香り嗅いで中毒死しかけた事もあったし! 例のゲームアバター猫耳尻尾のオプション付けて正解だったよ! あんな猫耳が似合う奴いな……げふんげふん。え? 別に何も言ってないよ? 知らない知らない、僕は彼奴を可愛いなんて微塵も思ってないんだからね!?」
これで話すのは何度目になるか既に計算不可能な愚痴にも、塁兎は終始無反応である。
カナカナカナ、と独特な甲高いその鳴き声から、窓の外で喚いているのは晩蟬だろう。
つい先日まで油を揚げるようなジリジリという鳴き声と、ミーンミーンという鳴き声が主流だったというのに。
こういうふとした瞬間に、玖蘭鬼灯は夏の終わりを実感させられるのだ。
夏の終わりの定義は人によって違う。
九月になれば秋だという人もいれば、紅葉が始まれば秋だという曖昧な人もいる。チサキは確か「夏休みが終われば秋」と言っていたか。
夏の日差しと向日葵畑が似合う、眩しい笑顔が印象的な少女。
塁兎が何故あんな我儘お嬢様に惹かれたのか今までずっと解せなかったが、今になって何となく分かってきた気もする。
きっと彼女の太陽のような眩しい笑顔と、迷わず引っ張って行く強引さ、そして――友人の為ならば我が身も顧みない心の強さとかだろう。
……何故曖昧な言い方をしたのかというと、色々憶測を巡らせてみても結局それは単なる憶測に過ぎず、人が真の意味で他人を理解する事など到底不可能だからだ。
ならば塁兎本人に直接聞くのが手っ取り早いのだが、生憎そう上手くはいかないのが現状である。
独特な消毒液の匂いが漂う、無限にも思える白の空間にピッ、ピッ、と心電計から等間隔で垂れ流される電子音。
沈黙の中で唯一鳴っている電子音が鬱陶しくも感じるが、アレは塁兎の命そのものだ。
アレが鳴り止んでしまったら、今度こそ鬼灯は独りぼっちになってしまう。
鬼灯の足元に無造作に置かれたまま薄っすら埃を被っているヴァイオリンは四本の琴線の内二本が既に途切れていて、残る二本も僅かでも刺激を与えてしまえば今にも切れてしまいそうだった。
*
一ヶ月前、塁兎の十二歳の誕生日。神山双子や博士達に協力を仰いで誕生日ケーキを作り、時間が余ったからと公園まで迎えに行こうとしたら踏み切りで三人を見つけた。
すぐに声を掛けようとしたが、彼らの様子がおかしいのに気がついた鬼灯がよくよく目を凝らしてみればギョッとするような光景が視界に飛び込んできた。
間も無く電車が通りかかる踏み切りに取り残されている塁兎、電車も目に入らず飛び込もうとするチサキと、チサキを押さえ込む蓮の姿だ。
混乱した鬼灯は大声を上げてチサキ同様踏み切りに飛び込もうとし、蓮に押さえ込まれ、そのせいでチサキの拘束が緩くなってしまい……その結果がこれだ。
白と黒の会場の中、額縁の中のチサキはそれはそれは綺麗に笑っていた。
頑なに写真のチサキと目を合わせようとせず、泣きもせず、ただただ憔悴し切った様子で俯いている隣の幼馴染の様子は見るに堪えなかった。
「ね、あの子がそうなの……?」
「よくもまぁ、のこのこと顔出せるわよね……」
世間とはいつだって勝手なものだ。飛び交う心無い言葉に塁兎はきゅっと口を真一文字に結び、ただ黙ってそれを受け止めていた。
またふつふつと苛立ちがこみ上げてくる。あの日以来、まるで塁兎だけが悪者みたいな扱いをされているのを目の当たりにして来て、既に苛立ちは最高潮に達していた。
途中で鬼灯の方が耐え切れなくなって反論しようと腰を浮かせかけた時、くんと袖を引かれる。
制された意図が読めず、苛々しながら顔を向けると塁兎は無言で首を振っていた。
そして鬼灯はああ、と気がついた。
塁兎は優しいから、チサキの死に責任を感じて自分を責め続けている。
彼が自らに心無い言葉の数々が向けられる事を知っていて、それでも葬儀に参加する事を選択したのは、自分がここで周りの目を恐れてチサキの見送りに来ない事こそチサキにとって失礼に当たるのではないか、とでも考えたのだろう。
自分の痛みよりも仲間を優先するなんて実に彼らしい考えじゃないか。
――塁兎に責任があるのから僕や蓮にだってそれぞれ少しずつ責任はあるのに、自分だけで背負い込もうとしている。
途端に無意識の内にこの激情を塁兎の為だと押し通そうとしていた自分の勝手さに何だか馬鹿馬鹿しくなってきて、不服ではあるが浮きかけていた腰を再び降ろすと、小さな手は離れていった。
ここ最近ちゃんと眠れていないのだろう、目の下にはハッキリと隈が出来ており、虚ろではあるが意思の籠った紅に映る自分自身が酷く醜くて歪んだものに見えた。
もしも蓮が今此処にいたらきっと「塁兎の気持ちを汲んでいるように思い込んでいるけど、結局自分の事しか考えてないんですね」と鼻で笑われるだろうか。それとも……
なんて、考えた所で無意味でしかないのは解り切っている。
隠されているかもしれない意味や、見つけ出されるのを心待ちにしているかもしれないIF達を探ってしまうこの癖は、いつか救われたいと何処かで願っている自分の心を現したものなのか。
閉じた瞼の裏に映し出されるのは、やはりあの瞬間だった。
歪なモノクロの世界が次第に色を取り戻して行って……これで終わったんだ、と安心していたのがいけなかった。
塁兎が……正確に言うと塁兎が感情を昂らせる時に出てくる『俺』が最後の力を振り絞って、意識を手放す直前に蓮に向かって手を伸ばした。
慌てて振り返るも、時既に遅し。一瞬にして築かれた湖に蓮が呑み込まれて行って……湖はモノクロの終焉と共に消滅した。
蓮を取り込んだまま。
塁兎はチサキに庇われて突き飛ばされた後の記憶、つまり暴走していた時の記憶がすっぽりと抜け落ちているようで、あの日あれ以降の蓮の消息は未だに掴めていない。
彼奴は泳ぐのが苦手だから、生存している可能性は……
過ぎった嫌な考えを堰き止めたのは、遺影の前に立ち竦んでいるチサキと同じ色素の薄い栗色の髪を肩まで伸ばした子供の後ろ姿。
距離があって嗚咽は聞こえないが、一定の周期で跳ねる肩が彼が泣いている事を示している。その痛々しい光景に、胸が締め付けられた。
葬式の直前に偶然見かけた彼は追い詰められたような大人達に肩を掴まれて「これからは伊丹家の跡取りとして相応しく」などと言われ、何が何だか分からないといった様子で気圧されるがままに何度も頷いていた。
その鬼気迫った様相は決して他者の介入を許さない雰囲気さえ放出しており、鬼灯は見なかった事にしてその場を去るしか出来なかった。
伊丹家は近所でも有名な名家で、チサキの両親は一人娘のチサキに跡を継がせるつもりだったが、チサキ本人はさらさら継ぐつもりはなかった。
チサキが大人になっても家を継ぐのを承諾しなかった場合の保険にと作られた子供がチサキの八歳下の弟、伊丹秋だ。
――チサキがいなくなった今、今まで「チサキの代用品」でしかなかった四歳の少年が正式に伊丹家の跡取りとなったのだ。
「……愛されない子、か……」
彼はこれから、自分の事を道具としか認識していない、自分の事しか考えていない汚い大人達の元で同年代の子供達よりも多くの事を制限されて、窮屈な人生を送るのだろう。
そんな人生を送る彼は、きっと今みたいに無垢なままでは居られないだろう。
もし鬼灯が秋と同じ立場だったら、成長する過程で確実にグレている。
秋がふとした拍子に折れそうなくらい細い線香を一本ずつ取ってライターを近づけると小さな灯りが先端に生まれる。さく、と薄い灰色に立てると、うっすらと煙が線香から伸びた。
彼が手を合わせている合間にも、塁兎を非難する視線がちくちくと刺さる。
いい加減鬱陶しかったのもあって、威圧程度ならば問題無いだろうと軽く周囲を睨み付けると、皆一斉に居心地悪そうに視線を逸らした。
――そんな顔をするくらいなら初めからやらなければいいのに。
幼い鬼灯には風潮に簡単に流される単純な人という生き物が、どうしようもなく滑稽に思えて仕方がなかった。
線香をあげ終わった秋が此方へと振り向く。
予想通り散々泣きじゃくったのだろう、遠目にも真っ赤に腫れているのがハッキリと分かる目で辺りを隈なく見回し、会場の奥に塁兎達を見つけると血相を変えて駆け寄ってくる。
チサキの家に遊びにきた時、構ってオーラ全開で駆け寄ってくる時とは正反対な……敵愾心に満ちた目をしながら。
「塁兄」
周囲の野次馬が聞き耳を立てて様子を伺う中、泣き疲れて掠れている声を振り絞って意外にもハキハキとした口調で名を呼ばれた塁兎は顔を上げる。
相変わらず涙は流れていないが、生気の感じられない青白い顔は今にも倒れてしまいそうでハラハラさせられる。
「……ほんとなの?」
たった五文字。けれど重い五文字に含まれた意味を塁兎と鬼灯は「チサキが塁兎を庇って死んだ件」だと解釈した。
例え姉の代用品としてしか見られず、自分が幾ら望んでも与えられなかった両親からの愛情を一身に受ける姉の事を疎んじたりはせず、純粋に姉を愛していたこの幼気な子供が言いたい事などそれしか思い当たらないからだ。
語尾が上がっているという事は、彼は質問しているのだろう。
たった一言「そうだ」と肯定すれば良いものを、口を開く事すら億劫になってしまう程憔悴し切った塁兎は小さく頷くだけだった。
「このッ……!」
途端にアキラの顔が苦しげに歪んでゆく。鬼灯があ、と思った時には既に彼は塁兎の胸倉に掴みかかり、鋭く睨みつけていた。
アキラの暴挙に一気にざわめきを増す会場内。
塁兎は表情にこそ殆ど変化は見られなかったが、戸惑いから紅い瞳を揺らしている。
「どうして踏み切りなんかに飛び込んだんだよ! ぼくにはちぃ姉しかいなかったのに……! なんでちぃ姉が塁兄の代わりに犠牲にならなくちゃならなかったの!? なんで……!」
ぱたぱた、と大きな栗色の瞳から溢れた水滴は透明の玉となって静かに絨毯にシミを作った。
最愛の姉が友人を庇って事故死。聞こえは良いが、残された遺族はやり場のない感情を抱く。
大人ならともかく、四歳の子がそれを押し殺して耐える事は難しい。とりわけアキラは感情の制御が不得手な子だった。
アキラは姉の事が大好きだったから、姉が自分の人生よりも塁兎を選んだ事がどうしても許せないのだろう。彼が塁兎を責めてしまうのはある意味当然だ。
――けれどね。 塁兎が全て悪いという考えは頂けない。
時折言葉を詰まらせながらも好き勝手に放たれてゆくアキラの雑言に、鬼灯はこの小さな子供に殴りかかりたくなる衝動と必死に戦っていた。
――自分だけが辛いとでも思っているのか? ふざけるな。塁兎は涙を流す事すらできないくらい傷ついてるのに、何で僕以外それに気づこうともしないんだよ!
あの日以前の、蓮に指摘される前の鬼灯がこういう状況に陥っていたのなら「自分が一番塁兎の事を理解してやれる」と驕り、塁兎に慰めの言葉を掛けていた事だろう。
だが今の鬼灯は本心から憤りを覚えている。理性で必死に暴れ回る感情を抑えつけるなんて今まで生きてきて初めての経験だった。
鬼灯としては不本意だが、本心を言い当てられたあの日から鬼灯の中で確実に何かが塗り変わっていっている。
あの日、蓮に明確な嫌悪感を覚えたのは表面を取り繕う内に迷子になってしまった、今まで鬼灯自身さえも見つける事の出来なかった本心を暴かれたから。
そして、その嫌悪感は心の何処かで救われたいと願っている自身を否定したかったが為に生まれたものだ。
……って、どうして僕は彼奴の事ばかり考えているんだろうか?
ほぼ無意識の内に蓮の事ばかりを考えていた事実に愕然とする。共に時間を過ごす内にいつの間にか仲間と認識してしまっていたのだろうか?
だとしたら自分の思考回路は都合が良すぎて笑えてくる、だって相手はあれだけ厭ってきた人物だというのに。
そうだ、寧ろ厄介払い出来て清々する筈なのに……この胸にぽっかりと隙間が生まれたような感覚は何だ?
――寒い。冷たい。痛い。
隙間から漏れ入る風がゆるゆると、緩慢な動作ではあるが着実に自らを締め上げていっているかのような。
ずっと昔から心に巣食う「自己擁護」の精神は、下らない意地で彼に嫌悪感を覚える事で自らを保った。
あんな奴に、ぽっと出に何が分かる。といった具合にだ。
しかし、幼い頃から隠し続けていた本心は漸く見つけて貰えて喜んでいる。
能力が暴発した時、それは痛い程分かった。
認めてしまうのが癪で、意地と感情とがぶつかり合って、つい蓮の前では仮面が外れてキツい素の態度で接してしまって。
――最後まで素直になれないまま、別れは唐突にやってきて。
何故自分だけが取り残されてしまったのか、とか何故自分だけが無事でのうのうと無意味な人生を貪っているのか、とか。
表向きは何でもない風を装っているが、一枚皮を剥けばもやもやとした嫌な感情が膨張して脳を支配している。
――塁兎もきっと同じ気持ちだろう。同じ立場にいるからこそ、掛ける言葉が見つからない。
だって、今はどんな言葉を以ってしても絶対に心が動かないのは自分がよく解っているから。
「な、なにするんだよ! はなせよ!」
だが、塁兎をこれ以上傷つけさせる訳にはいかない。
鬼灯は自分自身と塁兎を重ね合わせていた。だから、塁兎の精神に限界が近い事を悟ってアキラを後ろから羽交い締めにして回収し退場させようとした。
それでもアキラは強情で。地面に届かない足をじたばたと動かして鬼灯の足を蹴り、大して自由にならない腕をがむしゃらに振り回して暴れる。
鬼灯に物理的ダメージを与えても時間と体力の無駄だという常識も解らなくなる程にアキラは取り乱していた。
今の彼は既に正気にはない。だから、アキラの吐いた暴言は全て一時の気の迷いだ。本心からの言葉ではない。
塁兎も鬼灯も解っていたから、今まで彼に何も言わなかったのだ。
「なんで……なんでちぃ姉が死ななくちゃいけなかったの……!? ぜんぶ塁兄のせいだっ! この人殺し!」
――ヒトゴロシ。
それでも、長年可愛がってきた友人の弟の口から飛び出た言葉は傷だらけの塁兎の心を止めとばかりに貫いて、深く突き刺さった。
――塁兎の心が、壊れる音が聴こえた。
*
無数の点滴台にぶら下がる透明色のパックから伸びる管に身体中を繋がれ、病室の白と同化するような真っ白な布団に包まれているのはずっと一緒に過ごしてきた幼馴染。
葬儀会場で突然倒れた彼はあれから一ヶ月以上もの間昏睡状態が続いている。
何処か身体が悪いわけではない。となるとやはり、精神的な負荷が影響しているのだろう。
塁兎の生気を失った顔は月明かりの下では一層青白く見えて、時折死んでいるのでは? と不安になるくらいだ。
呼吸に合わせてゆっくりと上下する布団の動きと一定の時間置きに鳴る電子音に今日も安堵して、話を再開する。
「……もうすぐ秋だねぇ」
やっとの事で口から出てくるのは当たり障で空っぽな、やはり何度目になるかも分からない話題。
「去年の秋覚えてる? 四人で紅葉狩りに行ったらチサキがナンパされてさ、それで塁兎がキレて……怒ってる時の塁兎って本当別人格に成り代わられてるみたいだよねー。一人称から口調まで変わるし!」
相槌一つ返ってこない中、次々と会話の種を投じるが、その瞼は依然固く閉じられたままだ。
長い睫毛の下にある透き通った紅を、もう何週間もの間ずっと見ていない。
夏休みが明けて何週も経ち、塁兎の誕生日から数えて二度目の月が変わろうとしている今日この頃。
休み明けは長期休みに起きた悲惨な事故の話題で学校中が持ちきりだったのに、現在はすっかり来週に控えたテスト勉強に皆が追われている現在、校内でその話題は殆ど聞かなくなった。
熱中症患者が何人も緊急搬送されているのを何度も目にしたのに、あれだけ照りつけていた夏の勢いが月の変わりと共に衰退し始めてからはぱったりと見かけなくなった。
少しずつ、少しずつ。気がつかないくらい微々たる変化も積もり重なって、それは軈て大いなる革新を生み出す。
当たり前に移ろい変わる世界の中で、自分一人だけが立ち止まって変わるのを拒んでいる。
それからも数十分間も聞き手のいない一人芝居のような感覚で喋り続け、軈て投げ掛ける話題も尽きて仕方なく口を閉ざすとこれまた何度目になるか解らない沈黙がその場を支配する。
同じ事の繰り返し。毎日此処へ通ってはたわいもない話の種を投げ掛けて、彼の返事を待ち続けるだけの日々を生きてきた。
『守るだなんてあれだけ偉そうに宣わっておいて、結局何も出来なかったじゃないか』
いつからか空洞な心に巣食っていた、自己正当化したがる醜い自尊心とは対極に位置する、鬼灯自身を悲観するもう一人の自分の声がそう嘲笑う。
「違う、あれはあの時蓮が邪魔したせいだ。蓮が止めなければきっと……」
『きっと?』
苦し紛れに自己正当化の御託を並べようとしかけて、鬼灯はふと我に返る。
『きっと助けられた、とでも言うつもりだったのか? 本当に助けられたという確証もないのに』
今更何を喚いても、過去は過去。隣り合わさった一対一の可能性にすらなり得ない。観測された事実が事実として存在する以上、それは変わらないのだ。
歴史にifは無い。それでも過ぎ去った事象について「あの時こうしていたら」と彼是考えてしまうのは人の性か。
それにあの時蓮が塁兎を追って飛び出そうとする鬼灯やチサキを止めたのは、何も薄情だった訳ではないと鬼灯自身も理解していた。
二次災害を防ぐ為、鬼灯達を守ろうと考えたが為に取った行動。思考では解っているのに、感情では納得し切れずに彼を責めてしまう自分が居るのは何故だ?
勢いよく上がった水飛沫の柱と、驚いた表情のまま沈んでゆく蓮。伸ばした手は虚しく宙を掻く。
一ヶ月以上経ったが、未だに昨日の事のようにありありと思い出せるその場面が目に焼き付いて離れない。きっとこれからも忘れる事は無いだろう。
「何なんだよ……突然現れて人の思考と感情を散々引っ掻き回していった癖に、消える時も突然なんて、卑怯だ……」
腹いせにぐしゃりと頭を掻き回す。しかし、元々長めだった髪はこの一ヶ月で胸辺りまで伸びて、邪魔だから後ろで束ねていた事を鬼灯は忘れていた。
掻き回した弾みに解けたヘアゴムから解放された白がばさりと手に、視界に、鬱陶しく纏わり付いた。
その毛束を払い退ける気力すら失われている鬼灯はただぼんやりと、朝目を覚まして瞼を開く時のように無意識に、自然と俯いた。
俯いたという事は、当然真下に無造作に置いていたヴァイオリンを意図せず直視してしまうという訳で。
一本が欠けたのを切っ掛けに、ドミノのように続々と、立て続けに弦は切れた。
いつのまにか最後の一本になっていた弦は寂しそうで。
埃を被ったそれは早く、早く切れてしまった仲間達の元へ行きたいとでも意思表示するように鬼灯の目の前に強烈な存在感を持ってピンと張られている。
「君もじきに皆の所に行けるといいね」
まるで自分を眺めているかのようだ。そんな笑えない自分の思考回路に空笑を漏らす。
――ヴヴッ……
静寂を破る微かな振動。密室に鳴り響くバイブレーションの正体は分かっている。
上着のポケットから登校時からずっとマナーモードに設定したまま解除するのを忘れていた携帯電話を取り出すと、其処には遠い異国の地にいる父の名前があった。
これが母だったら着信拒否もできたろうが、怒らせると塁兎よりも面倒な父の着信を無視をすると後が途轍もなく恐ろしいので仕方なく携帯を耳に当てがう。
「……もしもし」
『もしもし? 私だ私』
「私私詐欺なら間に合ってますー」
即座に電話を切ろうと耳から携帯を放すと、焦った声で『馬鹿、冗談に決まってるだろう』と言われたので仕方なく電話を再び耳に押し当てた。
『オレオレ詐欺は有名だが、私私詐欺なんて初めて聞いたな』
「ええまぁ。今作りましたからねー♪」
『お前……』
少しふざけてみると電話越しに溜息が漏れ聞こえる。
この分だときっと今回も長電話になるだろうから少しでも楽な体勢になろうと背凭れに体重を掛け、足を組み替える。
「それで? 今回は何の御用ですか、父上」
『ああ……様子はどうだ?』
父が声のトーンを幾らか落として尋ねてきたのは、勿論塁兎の容態についてだ。
鬼灯は家族とは折り合いが悪く、年に一度か二度学校が長期休暇に入った時に帰る程度だ。
だが親としては当然子供が心配なのだろう、こうして週に一度両親のどちらかが電話をかけてきて日常生活について報告を求めてくるのだ。
鬼灯が日本で生活するに当たってかなりお世話になっている人物と鬼灯の母は、異母姉妹同士という関係柄、頻繁に連絡を取り合っているのである程度の情報は伝わっているだろうに、わざわざ鬼灯本人の口から報告を聞きたがる理由が鬼灯には理解出来なかった。
それはさておき、閑話休題。つまり鬼灯の両親は息子が毎日欠かさず面会時間ギリギリまで見舞いにきている事実を知っている。
勿論塁兎の誕生日の件も、葬式の件も、全てだ。
「……別に、いつもと変わりありませんよ」
葬式での苛立ちがぶり返してきて、大分素っ気ない返答になってしまった。
我に返ってももう手遅れ。一度出した言葉はリセットできない。
『……そ、そうか。すまなかったな』
受話器の向こうからはやはりたじろいだ気配が感じられる。
これは正しい反応だ。鬼灯は実の両親の前ですら常時完璧な猫を幾重にも装備しており、それに加え一見気が弱く自己主張など出来なさそうな容姿をしているのもあって、両親は鬼灯の事を精神面は実年齢よりも大人びた子供だという風に認識していた。
なので今まで目に見えて不機嫌な態度で怒る鬼灯を見た事が無かったから、父が動揺してもおかしくはない。
――最近は誰かさんのせいで昔より大分感情的になってしまったな。
「……いえ。それより、他に御用があるのでしょう?」
早く電話を終わらせてしまいたかった鬼灯は、話題転換の為に口を開いた。
『ほう、何故そう考えた?』
「あの質問はつい昨日もされたばかりですし、子供への興味が薄いヤンデレ愛妻家の父上が二日連続で電話をかけてきたという事は本題が別にあるのでしょう? それも来週の報告日まで待てない程、緊急な要件が」
『見事だな……勘の良さはエミリアに似たな』
試すような物言いに内心面倒臭いと感じながらも心の内のみに押し留めて思い至ったまでの思考をつらつらと述べると、父は感心した様子で母の名前を出す。
話の流れ的にここで母の名前が出てくるのは不自然だが、愛妻家として有名な父らしいといえば父らしい。
『なぁ、エルザ。国に戻ってこないか?』
やっぱりか」という想いが胸を占めた。
今まではある程度自由にさせてもらえていたが、いつか父親が自分を連れ戻そうとするのは分かっていた。
『お前が其方に戸惑っているのはシャノンとの約束を気にしているからだろう。いつ目を覚ますか分からない相手に延々と話しかける危ない人になっているお前の精神状態的にもリフレッシュは必要だしな……それだけだ』
最後に『此方からはいつでも迎えの使者を出せる準備をしているから考えておけ』と付け足して、通話は切れた。
国へ帰るのを選択する事は即ち、塁兎を置いて逃げる事に等しい。
塁兎の面倒を見る事に自己価値を見出していた時も、塁兎を護る切っ掛けになったあの日を想起した時も、鬼灯は塁兎の側から離れるだなんて考える事すらしてこなかった。
なのにすぐ断るつもりで開きかけた口は音が紡ぐ術を忘れてしまったようで、出てくるのは喉に引っかかって掠れた呼吸音だけ。
このまま僕が塁兎の側に居続けて何が出来るのか。そんな思いが音を紡ぐのを邪魔していた。
『何もできない奴は邪魔だからすっこんでろ。塁兎は僕が正気に戻す』
――何もできないのは、僕じゃないか。
あの日蓮に言った言葉がそのままブーメランとなって自分に突き立てられる。
自分で考えていたよりも自分は賢くなくて、非力で、幼かったと塁兎が倒れたあの日に思い知らされた。
今までが異常だったのだ。塁兎を護れるのは自分しかいない? 傲慢にも程がある。その無責任な自信は一体何処から湧いていたんだか。
いつだってただ隣に立って、見守る事しか出来なかった癖に。
塁兎を護る最善策を選ぶフリをしておきながら、自分にとって都合が悪い手札は決して使わない。玖蘭鬼灯という人間はそんな臆病な一人の子供に過ぎない。
「そりゃあ、考えは足りないけど塁兎を強引にでも引っ張ってゆくチサキの方が好かれるに決まってるかぁ……」
自嘲めいた笑いが溢れる。
塁兎から何度も聞かされた彼女との馴れ初め。入学したばかりの頃周りに上手く馴染めず、公園で一人ブランコに腰掛けて泣いていると其処へチサキが偶然通りかかった。
『こんな所でメソメソしてんじゃないわよ。目の毒だから今すぐ消えるか泣き止むかしなさい』
初対面の少女にキツい言葉を浴びせられ、その言葉の意味を処理し切れず塁兎はキョトンとし、結果的に泣き止んだ。
そんな強烈な出会いから始まって、二人はその後も公園や学校で顔を会わせる度に挨拶をするようになり、次第に親しくなっていった。
当然初対面の相手にそんな事を言う礼儀のなってない相手とどうして仲良くなろうと思ったのか気になって問うと、塁兎ははにかみながらこう言った。
『僕も始めは怖い子だな、と思ったんだけど……家では猫が飼えないからっていつもあの公園で野良猫に餌あげてたり、僕がクラスメイトにちょっかい出された時もかなり乱暴だけど制止してくれたりしたから悪い子ではないのかなと思って、それから……』
その後も二時間近くチサキの良い所を熱弁された。正直余りにも長すぎて後半は殆ど聞いて居なかったし、全て思い出すのは困難だが、要するに塁兎も動物好きだから気が合ったという事だろう。
それに塁兎をからかっていた、鬼灯が精神的に餓鬼だと内心見下している不届き者の輩を武力行使で黙らせた所も彼の中ではプラスになっているらしい。
すぐ感情に呑まれたり、考えもなしにすぐ暴力に走ったりと、何事も慎重且つ穏便に済ませたい派の鬼灯からしたら好感度が大幅下落どころか氷点下のマイナス状態なのだが。
「あれ、やっぱりチサキの良い所分からないや……」
塁兎はどうしてあんな馬鹿で向こう見ずな猪みたいな子が好きなのだろうか……沸点が低くすぐに罵ったり殴ったりしてくれる所か? いや、それが美味しいと思うのはドマゾだけか。塁兎がドマゾな訳がない。では何故だ……?
その後もうんうん唸ってああでもない、こうでもないと思考の渦に呑まれていたが、その日一日で頭を使い過ぎて疲れてしまった鬼灯は塁兎のベッドに寄りかかって眠ってしまった。
* * *
瞑っていたと表現するよりは、ただ降ろしていただけの瞼を開いた。
朝目が覚めた時のように、其処に殆ど意識は持たずに無意識に開いた視界は無限とも思える白一色に塗り潰されていた。
すぐに自分は夢を見ているのだと気付いた。
先程まで居た病院と同じ白をしているにも関わらず、天井も、壁も、窓も、寄りかかっていた筈のベッドと其処に横たわる幼馴染の姿すらも見当たらない。
鬼灯はその歪な白にたった一人だけ立ち尽くしている。
「というかこんな奇妙な状況、夢でなかったら困るよ」
盛大に溜息を吐き、どうしたものかと辺りを見回す。白以外の色彩がすっぽりと欠落した世界は眩しくて、目を細めた。
こんな殺風景な所ではやる事がない。夢の中とはいえど、幾ら何でも手を抜き過ぎじゃないだろうか。
「せめて白以外の色があればなぁ……」
しゅる。
溜息と共に愚痴を吐き出した瞬間、下から蛇がとぐろを巻くような気配を感じて視線を下げると、足元にカラフルな糸の塊が蔓延っていた。
「……」
此処が夢の中で夢の主が自分だというなら、何となしに呟いた側から願い事が叶ったって何らおかしくはないんだ。別に虚しい気持ちになんてなっていない。
屈みこんで酷く無造作に床に置かれているそれらを観察してみる。
不規則に彼方へ行ったり此方へ行ったり、時折絡んでは伸びて、絡んでは伸びてを繰り返し網目状に編まれてゆく糸。
その群れからほろりと崩れていったのは網膜に焼きつくような鮮やかな赤だった。目が眩むような赤に次いで黄金の糸が網目から綻び飛び出してゆく。
酷く既視感を覚えるその色合いに鬼灯は無意識にその糸の群れに手を忍ばせた。何処かへ行ってしまわないよう、もう二度と見失わないよう。
何故そう思ったのかは分からない。ただまた逸れてしまうのが怖い。その一心でぎゅっと指を折り曲げて拳を作って、引き上げて見て、鬼灯は驚いた。
赤と金のみを引き上げるつもりが、黒と水色を交えた四色の糸が器用に手に絡みついていたからだ。
しかも水色の糸は、鬼灯自身から直接伸びている……というより腹の辺りから生えていると表現するのが正しい。
どうしてか解こうとは思えなくて、この四色が揃った事に酷く安堵した。
その刹那、指に激痛が走る。
糸が指に食い込む感覚に指を広げると、確かに糸はぎちぎちと指を締め付けている。
夢だというのにやけにリアルなその痛み。いつぞやに明晰夢という話を耳にした事がある。
夢を見ている事を自覚していて、夢を自分の好きな様に動かせて、感覚も思考も鮮明な臨場感溢れる夢。
容赦なく締め付けてくる糸が痛くて堪らない筈なのに、鬼灯は自然と笑っていた。
それはドマゾだからという理由だけではない。この痛みが、生きている事を確かめられる唯一の証だから。
再度大事に糸を握り込み、もう片方の手で優しく覆う。
指先に血液が循環されず、冷たくなって感覚が失われてゆく中、それはもう唐突に。プツリ、と痛みが途切れる喪失感にそっと手を開くと目が眩む程鮮烈に赤く、深く盛る赤は唐突に終焉を迎えていた。
落ちた糸を慌てて拾おうとするが、あっという間に蔓延るカラフルな糸に紛れ混んで探すのは困難になってしまった。
拾おうと糸の塊を空いた片手で弄っている内に今度は金の糸が落ちた。脊髄を舐め上げてゆく嫌な冷たさに急ぎ手を伸ばすと、今度は間に合った。
ほっと息を吐いて切れた糸を結び直そうとするが、片手で結び直すのはどう頑張っても難しくて、かといってもう片方の手には他の糸が握られているしどうにも出来ない。
くん、と手を引かれる感覚に横を向くと、いつの間にか鬼灯の手に絡まったままの黒い糸がするすると伸びて行き、一本の道を作り上げていた。
ついて来い、と言わんばかりに強烈な存在感を持って主張してくるそれに、鬼灯は三本の糸をしっかり握り直すと黒い糸の道を辿った。
真っ直ぐな道ではなかった。何度も曲がりくねって、時折何度も繰り返し同じ場所を辿る事もあった。
そうして黒い糸を只管追って行くと、途中から何本かの糸と合流した。
黒い糸の向かう先へ伸びてゆく銀、橙、紫、紅、蒼、緑、灰、そして少し遠くにこれから交わりそうな桃が見える。
手にはまだ黄金と黒と水色がしっかりと絡みついている。すっかり賑やかになった十一色は複雑に絡まり合いながら、どれもある一点へ向かって線を引いていた。
もう怖くない。寂しくもない。一人じゃない。
すっかり安堵して笑みを溢すと、背後から強い力で引っ張られる。
突然の事に驚き、後ろに倒れそうになった鬼灯は「ひっ」と半分息の悲鳴を上げる。何とか足で踏ん張り、転びはしなかったものの急に歩みを止めさせた相手に恨みを込めて振り返れば、小さな子供が一本だけ途切れたままの金の糸を握っていた。
「……」
悲しそうな顔で金の糸を見つめている様子に掛けようとしていた文句は消え失せて、黙って相手の動向を伺っていると子供はゆっくりと鬼灯に歩み寄ってくる。
彼は警戒する鬼灯に構わず手を取り、固く握り締められた拳から力尽くで途切れた糸と糸を奪い取ると、黙々と結び合わせる。
すると、今まで死んだように動かなかった金の糸が他の糸と同じ様に、またしゅるしゅると絡み合いながらやはり同じ一点を目指して伸び始めた。
先程鬼灯には出来なかった事を簡単にやって退けた子供に唖然としていると、彼はそこで初めて鬼灯の顔を見た。
「……思い出して。君の役目は塁兎を引っ張る事?」
眠る直前までの鬼灯の思考を読んでいたかのようなピンポイントな言葉に、心臓が一際大きく跳ねた。
鬼灯が答えられずにいると見兼ねた子供はふるふる首を振った。
「……違うよね。シャノンは側で支えてやれと頼んでいたもの」
……そうだった。あの日シャノンは『あの子の側に居て、守ってやってくれ』と言って、鬼灯に自らの魂の一部とも言えるあの能力を渡したのだ。
引っ張って行けだなんて、彼女は一言も言っていない。
きっと鬼灯では力不足だと、彼女は知っていたのだろう。鬼灯はまた勝手に負の感情に囚われて、無駄な事で悩んでいたのだ。
「君が笑顔で塁兎の側に居続けたから、彼は今以上に心を壊さずに済んだんだよ」
「……君は」
――君は何者? どうして僕の夢に居る? どうして、シャノンの言葉を知っている?
聞きたい事が多過ぎて、上手く纏まらない。子供はその澄んだ瞳に強い意志を宿して、言葉に詰まる鬼灯を見上げてくる。
「僕の名前は――……」
視界が眩み始める。色も音も次第に遠ざかって、紡がれる音は零の空間と共に溶けていった。
*
濃く新緑色に色付いた山々があっという間に流れていって、寂れた車両はがたんごとんと一定のリズムを刻んで揺れる。
電車が揺れる度に鬼灯の身体も一緒になって揺れている。
破れかけた革から中綿がはみ出ている古い座席に寄りかかり、意味もなく窓の外をぼうと見やる鬼灯を洗いたての柔らかな陽射しが包み込んだ。
「漸く起きたか。もう昼だぞ、馬鹿鬼灯」
「フォウワッ!?」
向かい合わせの席から上がった求めていた人物の声に、寝起きで漠然としていた意識が一瞬にして覚醒して背凭れから飛び上がる。
「……おい、貴様は起きている間は喧しくしなくしては生きていけない呪いにでもかかっているのか」
夢の中よりも成長し、青年に近くなった塁兎の目つきや口調は昔よりも厳しいものになってしまい、以前はよく見せてくれていた屈託のないはにかみ笑いを見せてくれなくなったのは幾許か残念だが、中身は子供の頃とまるで変わっていない。あの頃と同じ、純粋な黒だ。
今鬼灯に向けられている目も呆れを帯びていて、掛けられる言葉も決して優しいものではないが、それでも目の前に居て自分を認識してくれている事がどうしようもなく嬉しくてヘラヘラ笑っていると、心底気持ち悪そうな顔をされる。
「……何故此方を凝視する? 俺が何か変な事を言ったか?」
「ふへへ、いやぁねぇ? 呪いって言葉を選ぶ辺り塁兎は厨二病だよね〜って思ってさ!」
「よし分かった。そんなにその無駄な動きしかしない口を縫われたいんだな!」
「あぁん❤︎」
誤魔化しついでに軽く挑発してみると、ぎんと紅い瞳に鋭い光を宿して何処からか針と糸を取り出して鬼灯に掴みかかってくる。すると塁兎の隣に静かに座っていた藍が慌てて止めに入る。
昔より怒りの沸点が低くなったのはドマゾ的には非常に喜ばしい事である。
――とても長い夢を見ていた。この数年間の記憶が一気に頭の中に流れ込んできたかのような、長編映画を見ているかのような。
しかし、何故今になって鬼灯が父の提案を断る切っ掛けになったあの夢を見たのか。
「はーい、今回も僅差でマスターのあっがりぃ〜♪」
「ええぇぇえ!?」
「ふっ、当然の結果だな」
子供特有のきゃっきゃ、と甲高い声に眼球だけを横に動かすと通路を一つ挟んで隣の席に向かい合わせに座った小学生組と、ドヤ顔のテオドールが目に入った。
「そんな馬鹿な、君達より圧倒的に人生の経験値が勝っている筈の僕が十連敗だなんて……」
「うふふ、さて罰ゲームは何に致しましょうね。うふふ、うふふふふ……!」
「ひぃ……!」
わなわなと最後まで手元に残ったジョーカーを信じられないという顔で見つめている零音に追い打ちをかけるように、彩葉は真っ黒な笑顔で何か悪巧みしている。
それを見た零音の顔はさぁっと青褪めてゆく。夢の中で見た強気な態度の欠片もない。
「羅夢音君ポーカー系弱すぎじゃない? ジョーカー来た時とか丸分かりよ」
「嘘だ! 信じない!」
「受け入れろよ、これが運命だ」
「うわぁぁあん!」
人型形態の与謝野、又の名を森谷まどかと今日はやたらとテンションの高いテオドールの主従コンビに弄られた零音はずーん、と効果音が今にも聞こえてくるんじゃないかというくらい落ち込み、頭からキノコでも生えそうなくらいじめじめとした雰囲気を纏った。ご愁傷様です。
――ってそうじゃない。
「え? 僕何故に電車に乗ってるんだい? 確か部屋でベッドに入ってて……多分寝たんだよね。それで昔の夢見て、起きたら電車? HEYHEY? 何故に? ホワイ?」
漸く違和感に気づき混乱を露わにする鬼灯に、藍に宥められその怒りの矛を収めた塁兎は両腕を広げ、不敵に微笑んでみせた。
「――さぁ、任務開始だ」
窓一枚挟んだ外の風景は、スカイブルーの空と厚塗りされたようにぺっとりと貼りついた入道雲。
そして――空の色をそのまま写したような水面が太陽に反射して波打つ度にキラキラと輝いていた。
シルバーコード的な
 




