第十九話 幼女とショタがイチャつくだけ
【前回までのあらすじ】
シスコンがあらわれた!
▶︎たたかう
にげる
ナンパ
ゆりあんは「ナンパ」をせんたくした!
シスコンがなかまになった!
『――速報です、去年中高生の間で社会現象となったアニメ「幻影ノワール」の白川楓役を務めた大人気声優、桃瀬アイカちゃんが東京都――区……に出没しているという情報が――……尚、アイカちゃんは九月からスタートするアニメ「緋咲奇譚」で主演が決まっていて、原作小説を執筆したシエル(ニジマスの神p)さんは現役高校生クリエイター……』
「きゃあぁっこの靴ぐぅかわ! あ、このスカートもやばかわだよぉ!」
いつも通り賑わうテレビから溢れ落ちる速報を右耳から左耳へするりと聞き流し、次々と店から店へ移動する少女達の目当ては勿論服で、あらまぁは既にブランド物の服を何着かノリノリで試着している。
その傍ら、由梨愛達もまだ行くと決まった訳でもないのに海水浴用の水着を見て回っている。
「ふむふむ、アキラ君はどれが良いと思う?」
「えーと……赤いやつ」
「ほうほう、中々センスあるね君!」
アキラは女子達のテンションに時折置いてけぼりをくらうも、由梨愛が気を利かせ上手くて彼を会話に混じれるように振舞っているので辛うじてぼっちにはなっていない。
とはいえ、男子に服屋巡りは退屈だろう。彼も特に欲しいものはなさそうで、彼此二時間はただ女性陣に付いてきているだけ。
このままでは少し不憫だ。そう考えた彩葉は初の人間界での買い物に大はしゃぎしているあらまぁのワンピースの裾をちょいちょいと引いた。
「コレも可愛いし……ん? なぁに?」
「あらまぁさん、そろそろ決めないと遊ぶ時間がなくなっちゃいますよ?」
「そっかぁ……うぅーん…………分かったぁ」
彩葉に窘められたあらまぁは渋々と言った様子で承諾したが、視線は名残惜しそうに服を追っている。
彼女には悪いが、そもそも服を買うだけで二時間もかかる方が彩葉にとっては異常なので諦めてもらう他ない。
あらまぁは結局アキラが選んだスカートと、その他数点を籠に入れてレジへと走り去って行った。
「アキラ君の選んだ服気に入ってくれたみたいで良かったね」
「おー……」
零音達の友達の前という事もあり、張り切って「優しいお姉さん」を心掛けて微笑む由梨愛に対しアキラは俯き加減に、ただ一言だけ返した。
彩葉は学校では零音以外の人間になんて見向きもしないし、彼と直接会って話すのは今日が三度目で決して特別親しいとは言えない間柄だが、今日の彼は静か過ぎると感じていた。
疑問にこそ思ったが、きっとまどかに置いて行かれたのを気にしてるのだろうと深くは考えなかった。
「さて彩葉ちゃん、我々も早く水着決めないと……」
「あら、私はもう決めましたけれど」
「いつの間に!?」
彩葉はお姉様方が様々な服に目移りやらショタを構っているだのしている間にちゃっかり水着を購入していたのだった。
「え、でも彩葉ちゃん水着持ってないよね……? どこやったの?」
「ふふ、嫌ですねぇ荷物持ち君に持たせたに決まってるじゃないですか」
「荷物持ちと書いてアキラと読むな!」
水着が入った袋は荷物持ちに持たせているので、当然彩葉は手ぶらである。
現在のアキラの状況はというと、まどかの荷物と彩葉の水着、そして店巡りの途中であらまぁが手にした戦利品……と、大量の袋や箱を抱えている。
そしてその荷物はこれからも増えていくのだろう。
「おや君はレディに荷物を持たせても構わないと仰るんですか? 最低ですね、そんなんだからモテないんですよこの荷物男」
「何で俺こんなにディスられてんの……?」
汚いものを見る目で罵詈を羅列する彩葉に荷物男は反論する元気もないのか、げんなりしながら荷物を抱え直した。
「残るは私だけということか……! えぇっと、早く決めないと……」
残りは自分だけという事実を前にして、焦燥感に駆られ始めた由梨愛は既に何着か絞ってあった中から最終選考に入った。
「俺は、このリボンがついた奴が好きだぞ」
話し掛けられた事に対しての受け答えはしていたが、自分から話す事は決してなかったアキラが自分から進んで意見を述べた。
これには彩葉も、由梨愛でさえも上手く反応が取れずに押し黙る。
「ゆり姉に似合う……と思った……んだけど……」
周りが急に静まり返ったせいで自信をなくしたのか、語尾に行くに連れ段々と尻窄みになって行った。
「駄目、だったか……?」
由梨愛の方が頭一つ分大きいので、上目遣いになりながらおずおずと問うてくる。
いつの間にかアキラの手の中にあったそれは、胸元に大きなリボンが特徴的で、下はスカートになっている薄紅色の可憐な水着だった。
――小学生男子に「駄目?」と問われて断れるショタコンなぞこの世に存在しない。
「う、ううん! そんな事ないよっ! アキラ君から話してくれるのがちょおぉっと珍しかっただけで!」
「そう……か?」
「そうそう! では私も買ってきマッスル!」
アキラから水着を受け取った由梨愛は、まるで逃げるようにあらまぁの消えた方向へと駆け出した。このままあの場にいると何かをやらかしそうで怖かったからだ。何が、とは勿論言わないが。
沸々と込み上げてくる邪な感情を足蹴してレジへ向かう途中、丁度会計が済んだらしく大きな袋を抱き抱えているあらまぁと合流する。
「あっゆりあんちゃん! 次は何して遊ぶぅ?」
由梨愛の姿を眼中に入れるなり、危なっかしい足取りでとててっと駆けてきた彼女を両腕で受け止めると、ギュッと抱き着いてくる。可愛い。中身は齢五百の大先人だが。
「一応本屋さん行った後カラオケに行こうと思ってるんだけど、どうかな?」
「からおけ!? いーね、イロハちゃん達に伝えてくる!」
「おっ頼んだ〜」
カラオケという単語を耳にした途端、あらまぁは澱んでいるのが標準装備の紅い目を爛々と輝かせる。
意気揚々と、だが全力疾走などはせずに上品にワンピースの裾を持ち上げて小走りで彩葉達の元へ戻る彼女の後ろ姿を見送って、由梨愛が会計を終わらせる頃には潤沢だった軍資金は残り二割となっていた。
「本を買って、カラオケ行ったら丁度使い切れますね」
一面本屋になっているフロアへ踏み入れた所で、きちんと計算していたらしい彩葉がふとしたように呟いた。
残金の計算など全くしていなかった由梨愛としては大助かりだ。
「よし! じゃあ早速びーえ……」
BLコーナーで薄い本買おうね。
いつものノリでそう言おうとして、由梨愛ははたと我に返った。
――由梨愛の趣味を知っている彩葉達はともかく、幼気な少年のいる前で堂々と先陣切ってBLコーナーに赴くのは如何なものだろうか。
いや、良くないに決まっている(反語)。
曲馬団のメンバーの前では堂々と腐女子を公言している由梨愛だが、彼女は自分の趣味が「普通」ではないくらい解っている。
なので長く付き合って、少年同士の絡みが好きというこの異常性癖を理解してくれそうだと判断した人の前でだけ腐女子と公言しているのだ。
だが今日は好きなBLコミックの新刊発売日。前巻が気になるシーンで終わってしまい、本誌を買わずに半年間も待ち続けて漸く買えるというのに世間体を気にしなければならないとは!
……ん? 待てよ。要はBLだとバレさえしなければいいんだ。
ならこの子達と離れている隙にこっそり買いに行けば良いのでは……?
そんな考えが一瞬過ぎったが、荷物塗れのアキラの姿を見てすぐに却下した。
――駄目だ。今回の荷物持ちは彼。本を買ったらすぐに彼に渡さなければならない……拒否する事もできるだろうが、今まで散々荷物持ちさせておいてその本だけ自分で持つと言い出すのは余りにも不自然だし、第一そんな度胸もない。
「……三人は欲しい本とかある?」
本能と世間体との間で揺れ動いていた心の天秤が、僅かな差で「世間体」に傾いた決定的瞬間であった。
*
苦渋の決断でBLはお預けにし、涙を呑んで由梨愛とアキラがやってきたのはライトノベルコーナーだった。
彩葉は某妖怪メダル漫画に興味があるそうで少年コミックコーナー、あらまぁは少女漫画コーナーとそれぞれ別れた。
アキラはボカロ関連書籍のある本棚を見咎めると「あっ!」と書店内にも関わらず大声を上げ、飛びついていった。
彼はボカロが好きなのだろうか。人気層が低年齢化しているとは聞いていたが、こんな十代にも満たない子までが……
「緋プロ最新刊もう出てる!」
「緋プロ?」
聞き慣れない単語。アキラの頭越しに覗き込むと、本棚の中でも一際大きなスペースに「来秋からアニメ全国放送開始! 緋咲奇譚プロジェクト!」と在り来たりな見出しが付いており、数冊の本が並べてあった。
――その本の扉絵の絵柄に、既視感を覚えた。
「扉絵・挿絵担当……猫々闇里」
*
それはノワール曲馬団を設立したばかりの頃。つまり半年程前。
その日は確か由梨愛はアンリと共にアジトで留守番をしていたのだが、そこで運悪く能力を暴発させてしまい、アンリの過去を一部分だけ覗き見てしまったのだった。
『アンリ君ってさ、何でアンリって名乗ってるの?』
由梨愛はどうして彼が現在本名ではない名前を名乗っているのかが気になって、そう尋ねたんだったか。今となっては過去の情景で、曖昧だ。
『ふっ、よくぞ聞いてくれたんだぜ。ゆりあんよ……』
その質問から由梨愛が過去を覗き見てしまった事に気付いただろうが、薄いディスプレイ一枚で隔たれた向こう側にふよふよ佇んでいる彼は怒りもせず、相変わらず強固で作り物めいている笑みを貼り付けていた。
『猫々闇里っていうのはな? 色んなプロジェクトのMVを描いたりしてる人気絵師としての俺の名前なんだぜ! さぁもっと褒め称えてくれて構わないんだぜ!? さぁ……さぁ!』
*
「……何つーか、凄いねー」
その一言に尽きる。
あの基本何をやってもそこそこ出来てしまうハイスペックショタはとうとうライトノベルのイラストレーターにまで手を出したのか……その才能を少し分けて頂きたいくらいだ。
彼の多才さに若干引きつつも、最新刊と思しき小説と漫画を手に取って熱心に眺めているアキラへと注意を戻す。
「うおぉ、新章!? 前巻最後で新キャラ追加で六重奏から七重奏になったけど、みゆ吉の本名は『桃山 深雪』なんだな! うん、安定の性別不明! やったね!」
声を潜めて終始何かを語りっ放しである。
表紙カバーの裏面に載ったあらすじ一つでここまで興奮するとは、この少年……中々できる……!
「あっ! ゆり姉! 見てくれよ公式アンソロジーも出てる!」
今日一番の生き生きとした笑顔で由梨愛の手を引いてくる彼を見ていると、由梨愛もBLに目醒めたての頃の初心に帰れた気がする。
やっぱり、どんなものであれ好きなものがあるのは良い事だ。BLこそ至高……
――この時、由梨愛は完全に油断し切っていた。
なので、アンソロジーの表紙を見てアキラが何の前触れもなく放った一言に対する心の準備ができていなかった。
「ふはっ、表紙イラストBLにしか見えねーな……! キンタローとエミルとゲーマスの絡みが腐女子層に人気だから闇里様がふざけて描いたんだろーな!」
ガタッ。
由梨愛が勢い良く本棚に頭を打ち付けると埃がもうもうと舞い、本棚が揺れた衝撃で棚の中の本が数冊落ちそうになる。
想定外の惨事に何が起こったか理解できないのか、アキラは本を持ったままの姿勢でフリーズしていたが、本棚に顔面から衝突した体勢のまま身じろぎ一つしない由梨愛に本能で何か不穏な空気を察知し、我に帰って駆け寄ってくる。
「おいっゆり姉大丈……うわっ!?」
由梨愛はというと、彼の気配が近づいてくるのを察知するなりぐりんと異音を立てて振り向き、その両肩を力強くホールドして壁に押し付けた。
所謂「逆壁ドン」という姿勢に持っていかれたアキラはというと、火を吹き出しそうな勢いで耳まで真っ赤に染まっている。
「……アキラ君」
「は、はい!?」
にこやかな仮面が削げ落ち、一切の表情筋を消して詰め寄ってくる由梨愛にどぎまぎし、謎に敬語になりながら受け答えする。
「緋プロって……公式BL作品なの?」
「え……?」
――腐女子がBLへの執着を抑えるなどというのは、到底無謀な試みであった。
*
*
*
「わーすれぇーかけたその歌をぉ〜♪ 儚く口ずさむ〜〜♪」
「実に由梨愛さんらしいバレ方ですね。いっそ清々しいくらいの腐女子っぷりですよ」
曲調に合わせてリズミカルにタンバリンを振りつつ、足を組んで白い目で見てくる彩葉に由梨愛は「返す言葉もございません」と項垂れ、個室の床に正座させられている。
そんな光景が背後で繰り広げられているにも関わらず、あらまぁはノリノリで一人舞台だ。
「貴女馬鹿なんですか欲望に忠実なのは良いですが理性もう少し仕事してください本っ当馬鹿ですよね一度自重すると決めたなら最後まで貫き通してくださいよ意思が弱すぎやしませんか馬鹿なんですか馬鹿」
「息継ぎなしで言い切っただと……」
「馬鹿馬鹿言い過ぎじゃないのか……? てかよくそんな早口なのに噛まないよな。ある意味尊敬するよ」
抱えていた荷物を全て下ろし、身軽になったアキラは彩葉と由梨愛のやり取りをオロオロしながら見つめている。
曲馬団の中では然して珍しくもない光景。だが、外側の人間から見れば女子小学生に説教されて正座している女子高生という光景はかなり危ない。ギリギリアウトである。
あの後、逆壁ドンのまま根掘り葉掘り聞き出していたらタイミング悪く各々の目的を果たした彩葉達が帰ってきて「私の大事な大事な彼氏の友人に何をしてくれてるんですかねぇ?」と彩葉がカッターをカチカチ鳴らしたりと一悶着があったりして、現在カラオケでもお説教タイムに雪崩れ込んでいたのだった。
「つか……お前の中で俺が守るべき対象に入ってるのは俺が羅夢音と和解したからか?」
「当たり前です。零音君の数少ない友達に手を出すという事は即ち零音君に手を出す事に等しいのです」
「……」
その後椅子に腰掛ける事を許された由梨愛はそろそろ足の痺れが限界だったので、ほっと一息つきながら椅子へ移動した。
お菓子詰め合わせセットからポッキーを一本引き抜き、チョコレートのトッピングが掛かった部分を齧っていると、ずいと目の前に黒い機械が突きつけられる。
「早く曲入れてください。あらまぁさんにいつまでも歌わせ続けるのは酷なので」
曲は丁度間奏に入った所で、何曲も休みなく歌い続けたあらまぁは青い顔でソファに横たわり、激しく息切れしながらも採点結果を見て「よし……九十点台は死守したよぉ……」と弱々しくもガッツポーズを浮かべていた。
この人はほぼ誰も聴いていない中、三十分間も一人舞台を続けていたというのか……一人?
「あれ、アキラ君は歌わないの?」
つまり正面の彼はずっとジュースを飲んだり、お菓子を食べているだけで何も歌っていない事になる。
ギクリと身を震わせた彼は頑なに視線を合わせようとはしなかったが、気まずそうにぼそりと呟いた。
「いや……その、俺歌はそんな得意じゃないし……そもそもボカロくらいしか歌えないし……」
「ぶふぅっ!」
彩葉は彼の告白がツボに嵌ったのか、口元を手で押さえながら顔を背けた。
「ぼ、ボカロしか歌えな……ひぃ、はははっ……金髪不良なのに! 金髪不良なのに!」
「な、なんだよ! 悪いかよ! 校歌と国歌も歌えるわ!」
「校歌と国歌っ、ふふ、ははは……っ何ですか、そのジャンルっはははははは!」
「ドチクショオォォォオオオ! ムカ着火ファイヤー!」
アキラは顔を茹で上がったタコのように頬を上気させ、彩葉を白目で睨みつけている。
彩葉は机に突っ伏し、ビクンビクンと断続的に訪れる笑いの発作に打ち震えていた。あの調子だと当分帰ってこれそうにあるまい。
二人は放っておく事にして、由梨愛はジャンル選択画面からボカロの最新人気ランキングへ飛んだ。
不動の一位に鎮座するは皆大好き千◯桜。そこから二つ三つ程下には社会現象を巻き起こした八月十五日の悲劇のループ曲、更に下には黒猫の栞を巡る曲……と。
「……お」
曲を巡り始めて早数秒、聞き覚えのあるタイトルを見つけた。
「へー、緋プロってコレの事だったんだ」
「うぇ!? ちょ……!」
未だ発作から帰らぬ彩葉相手にキャンキャン喚き散らしていたアキラの顔からすぅっと生気が引いてゆくのが視界の端に映ったが、由梨愛は迷わず予約した。
光る文字盤に表示される「一曲目に予約されました」の文字。
「ほいっアキラ君マイク!」
「マジか!? マジでやるのか!? 俺歌は苦手っつったよな!?」
自分用にマイクを一本持ち、そしてアキラに向かってもう一本マイクを投げると、彼は文句を言いながらも見事にキャッチする。
由梨愛の前に誰も入れていなかったので、すぐに曲は開始された。
画面に表示されたタイトルは……
「「宵闇六重奏……!」」
いつの間にか発作から帰ってきていた彩葉と、ぐったりと死んだようにソファに横たわっていたあらまぁの声が重なる。
――作詞作曲、シエル(ニジマスの神p)。MV、猫々闇里。
「塁……シエルさんの歌がカラオケで流れるなんて。しかもランキング入りとか、あの人何者なんですか……?」
「そういえばあの子小さい頃から音楽大好きだったねぇ。ショタ塁……シエル君天使だったわぁ」
「ちょっ! 塁なんとかって何回言いなおすんだよ、ってそうじゃねがった、見てねーで何とかし……」
呆然と画面に表示された名前に見入っている女性陣にアキラは無駄だと分かりつつも往生際悪く、最後まで救いを求める子犬のような目を向けていたが、曲がかかった途端に眼の色が変わった。
「……台詞部分、瑠奈はゆり姉な」
「合点承知の助!」
ピアノの伴奏から始まり、慣れ親しんだ絵柄で描かれたカラフルな色の子供達の後ろ姿が五人映る。
軈てリズミカルな電子音が加わった所で五人の子供達からこれまたカラフルな六人の高校生が夕焼けをバックに立っている場面へ映像は切り替わる。
「緋く燃える空、一日の終わり。無機質に告げられる速報すら気に留めず、繰り返す平凡な日常♪」
歌い出しは由梨愛。歌詞とMVと同時に流される音程カーソルは初っ端からノーミスを刻んでアキラにプレッシャーを与える。
「おっオレンジが溶け込む第二図書室に鳴り響くは緋、蒼、黄、翠、白、黒……旋律が六色集まった」
由梨愛の次はアキラ。歌唱力は由梨愛と比べるとたどたどしく、不安定なもので、本人が自負していた通り歌うのは苦手な方らしい。それでも全国平均を僅かに下回る程度なのだが。
しかしMVを見つめる目はやけに真剣で、彼が一切手を抜いていない事が伝わってくる。
歌が下手だからと妙に卑屈になったりせずに、自分にできる精一杯で頑張っている。そして歌声から楽しい気持ちと曲に対する愛情が溢れ出ている。
――こういう子、嫌いじゃない。
一瞬だけ、誰にも気付かれないくらいに微かに由梨愛は表情筋を緩めた。
「現状、うんざりするくらいの平凡打ち砕いて――『暇潰しにさ、始めようか』」
そして、妖しく微笑む金髪の少女の顔がどアップで表示された。
「瑠奈サァァァァンッ! うわぁぁああああマジ黄月瑠奈パイセンマジリスペクトうわぁあああキタコレ!」
由梨愛がキャラクターになりきって言うと、途端にアキラは眼を輝かせて叫び悶える。病気を疑うレベルの変貌だ。
その時マイクを切っていてくれたので惨事には至らなかったが、彩葉はそれでも「うるさっ……」と不快そうに耳を塞いでいた。
――成る程、本人映像と分かった途端顔色を変えてこの台詞を押し付けてきたのは推しキャラクターが画面に出たらテンションが急上昇して歌うどころではなくなると自覚していたからだったのか。
と、由梨愛は一人勝手に納得していた。
「refrain いつか描いた夢、reflect 朧げなのは、何故? 何故? 何故? 何故?」
「非日常カタストロフ。宵闇の六重奏、極彩色 彩る奇譚の寄せ集め」
「知る毎深まる溝、懐疑、誤解、狂気」
「喜劇発 悲劇行き夜行列車。――十六夜の悲劇は終わらない」
そうこうしている内にサビに突入。アキラの曲始めは何処か遠慮がちだった歌声も、次第に楽しげなものへ変わっていった。
台詞部分などはもうMVのゲームマスターとされている少年と連動して、それはそれは狂気に満ち溢れた素敵なゲス顔を浮かべていた。
「きゅっ九十六点!? 全国三位!? 凄い、こんなの初めてだ……!」
表示される点数とランキングが信じられなくて、何度も目を擦っては画面を見つめるのを繰り返しているアキラ。
「今の所全員九十点台とか歌い辛い事この上ありませんね……この場に零音君が居れば格好悪い所見せたくないので意地でも歌いませんでしたが、居ないので好きなように歌えます」
「零音君以外には何と思われても構わないというストイックな姿勢! なんて潔いの!?」
「流石羅夢音厨は一味違うぜ!」
「由梨愛さんアキラ君煩い黙って」
由梨愛がわざとらしく大声を上げて彩葉を煽ると、初めての高得点でテンションがおかしくなっているアキラも便乗した。
この時彼が冷静だったら恐らく……いや、絶対にこんな命知らずな真似はしなかっただろう。
その後も二人でからかい続けていたらとうとう怒った彩葉に個室から摘み出されたので、取り敢えず熱りが冷めるまでその辺をぶらぶらしてくる事にした。
「あのさ」
隣を歩く由梨愛には横顔しか見えないが、アキラの顔からは高得点の余韻が引いてすっかり冷静になっていた。
何を尋ねられるかは大方見当がついていたが、「どうしたの?」と首を傾げてみせる。
「ゆり姉達、緋咲奇譚知ってたんだな」
「知らないよ?」
「は? じゃあ何で歌えたんだ?」
即答すると、アキラはその顔に戸惑いと若干の苛立ちの色を滲ませる。
一連の反応を見る限り、彼はきっとシエルの中の人事情について知らない可能性が高い。
さて、どう答えたものかと顎に手を添えて逡巡していた由梨愛だが、何か思いついたようにニヤリと口角を上げアキラに向き直る。
「んー、シエル氏とお友達だからかな?」
「はっ!? 何だよそれっ……」
由梨愛に詰め寄ろうとした所で、アキラの身体がぐらりと揺れる。
「……みゅう」
何が起こったのか分からなかったが、甲高い声の聞こえた方に視線を落とすとアキラよりも小さい、着物姿の女の子が座り込んでいた。
「あっ、大丈夫か?」
彼女にぶつかったのだと気付いたアキラが少女に手を差し伸べるが、彼女はその手を取る事はなくぷるぷると小刻みに震えながらじぃっと一点を注視していた。
その視線を辿り、視線の先にあるものを見つけた由梨愛は「あ」と声を漏らした。
――アキラの服が、ソフトクリームでベトベトになっていた。
そして少女の手には空のコーンが虚しく握られている。
「うみゅう……ご、ごめんなさっ……!」
「い、いや俺が前見てなかったからだから……!」
今にも泣き出しそうな少女を、アキラは取り敢えず立ち上がらせて宥める。
ぶつかる瞬間まで自分とアキラ以外の人間の気配など感じ取れなかった事を由梨愛は不思議に思いつつも、何か拭く物をと辺りを見回し、いつの間にかドリンクバーの所まで来ていた事に気がつく。
ストローやコップが陳列された棚に収まっているお絞りを視界に収めると一目散に駆け出し、何枚か持ってきてベストにべっとりとこびりついたソフトクリームを拭き取った。
シミになるかもと危惧していたが、元が白いベストだったので、ある程度誤魔化しは効くだろう。
「ほら俺は大丈夫だから、な? だから泣かなくても良いんだぞ?」
由梨愛がわたわたと汚れを拭っている合間も、アキラはぐずぐずと泣いている少女の目元を優しく拭ってやる。
少女は潤んだ黒真珠の瞳にアキラを映す。
「……おにぃちゃん、みゅみゅに怒ってないですの?」
みゅみゅ、というのは一人称だろうか。片言気味のたどたどしい口調で話す少女は五歳くらいで、眉をハの字にしてアキラを見上げている。
「このくらいで怒んねーよ、俺も前見てなかったんだし。だから泣かないでくれよ、頼むから」
「んみゅ……!?」
頭に手を乗せ、わしゃわしゃと掻き回すと少女は慌ててアキラの手を捕まえようと両手を頭上に彷徨わせる。
アキラが手を放す頃には少女の艶がある黒髪はぐしゃぐしゃになっていて、少女の頬は先程よりも赤みが増していた。
幼児特有のふっくらした薄紅色の頬は突けばきっと柔らかいだろうとか関係ない事を考えながら、由梨愛は二人の微笑ましい様子を見守っていた。
「……夕蘭、ここに居たの」
何処か冷ややかなテノールが放たれた途端、建物内の体感温度が一気に冷え込んでゆくような感覚に襲われた。
「んみゅ! ひょーが君ですの!」
少女はアキラ越しに声の主を見つけると、カランカランと下駄を鳴らして駆け戻っていった。
釣られて少女の行った方へ振り向くと、フードを目深に被っている小柄な人物が少女を抱き留めている所だった。
幾ら室内の空調が利いているとはいえ、真夏なのに見るからに暑苦しそうな長袖を着ているのは不自然だとアキラは感じたが、由梨愛は某高IQ智妃厨の人で慣れているので違和感は感じなかった。
少女が何やらその人物に向かって耳打ちすると、彼はゆっくりとした足取りで此方へと歩み寄ってきた。
「やぁ、連れが迷惑を掛けたみたいで申し訳ないね」
「いえ、気にしてませんので……」
受け答えするアキラの声は、少女を宥めていた時とは打って変わって強張っていた。
「はは、怖がらなくても構わないよ。それで詫びと言ってはなんだが……そうだ」
フードで顔の上半分は見えないが、声からして少年だろう。
明朗な性格をしているらしいその人物は口元に微笑を浮かべ、パーカーのポケットから小瓶を取り出した。
「はい、コレをあげるよ」
「これは……?」
その人物の掌に収まっている小瓶は薬局などで見るような形のものだがラベルがなく、中には薄桃色の錠剤が入っている。
「これは『心を通わせられる薬』さ」
「……え?」
「その顔、信じてないね。まぁ、ほんの気持ちだから受け取ってくれ」
心底胡散臭そうな顔をするアキラに構わず、その人物は無理矢理薬を握らせた。
アキラは視線だけを由梨愛に寄越して、「この状況どうすればいいですか」と目で問いかけてくる。
「へー。何それ面白そうだね? アキラ君、要らないなら私に頂戴よ〜」
この人物にアンリとはまた違う胡散臭さを感じていた由梨愛が冗談めかした口調で助け舟を出すと、その人物はクスリと嗤う。
「いやいや、キミには必要ないでしょ?」
「……!?」
由梨愛が瞠目すると、その人物は益々口角を上げた。
『キミには必要ない』
たった一言。だけど、それは暗に「キミには既にその能力があるでしょ」と言っているも同然だ。
――まさか、偶然だろう。一般人は能力について知らないって塁兎君も言ってたし、きっと深い意味はない。考え過ぎだ。
そう思い込もうとしたが、フードの隙間から一瞬だけ見えた人を見下したような蒼い眼光はまるで全てを見透かすような異様さを放っていて、由梨愛は何も言えずに立ち尽くす他なかった。
「おにぃちゃん」
勿論フードの人物の目も見えず、由梨愛の能力も知らないアキラは二人のやり取りについていけず終始無言だったがフードの人物に抱きついたままだった少女が再び近寄ってきたので、彼女と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「ん? どうし――」
言いかけた言葉は、口を塞がれたせいで中途半端なまま途切れた。
「……みゅみゅね、はじめて会ったけどおにぃちゃんのこと好きですの!」
ゆっくりと顔を離した少女は少し顔を赤らめ、自分の身に起きた事象を飲み込めていないアキラに屈託のない笑顔を見せた。
「……夕蘭。そろそろ帰るよ」
「はぁい」
少女はフードの人物に呼ばれ、元気良く返事をしながら彼の元へ戻ると、「またね、おにぃちゃんっ」とあどけない笑顔で手を振って、彼と手を繋ぎながらその場から姿を消した。
残された二人は帰りが遅いのを心配したあらまぁが探しに来るまでの間ずっと、それぞれ違う意味で呆然としながら凍りついたようにその場に立ち竦んでいた。
*
車が通り過ぎる際にぶぉんと排気ガスを撒き散らしてゆく。
例年通り上昇中の気温の中、濃い色の長袖パーカーを着た少年は行き交う人々の視線を集めていたが、当の本人は我関せずといった様子で赤色に光る信号機を眺めていた。
「……まさか彩葉が人間、それも男なんかと一緒にいるなんて聞いた時はまさかとは思ったけど、本当のようだね」
「みゅみゅね、あのお兄ちゃん好きー! でもでも、せーらんの情報だと『白髪の少年』だったですの〜」
あの少女の声が何処からか聴こえるが、人でごった返した交差点に少女の姿は無い。
「細かい事は良いじゃんか。あの髪色なら光の角度で白髪に見えなくもないし……それより面白い事を思いついたよ。勿論助力してくれるね? 巳 夕蘭」
「勿論ですの! みゅみゅに任せてですの、冴島氷河陛下♪」
不意に吹いた突風が目深に被ったフードを脱がせ、澄み渡る晴天と同じ色をした髪がさらりと靡く。
信号機がどう見ても緑色にしか見えないのに青と言われている色に変わり、少年少女の話し声はぞろぞろと蠢きだす人々の喧騒に紛れていった。
――ノワール曲馬団の最初で最後の夏休みはまだ始まったばかりだ。
3月12日(木)はあらまぁの誕生日!
あらまぁ「それよりホワイトデーだよ! お菓子ちょーだい! お菓子!」




