第十六話 君の味方は
【前回までのあらすじ】
桃瀬アイカ、十四歳JC! 声優をやっています☆
とある休日、近所へ遊びに出掛けたら思いがけないハプニングに巻き込まれて大ピンチなのです!
そこを通りすがりの親切な美少年が助けてくれて……!?
テオドール「何かが違う気がするけど大まかな部分は合ってる」
「兄上?」
薔薇庭園に佇む見知った車椅子の後ろ姿を見かけて、声を掛けると兄は即座に反応し、首だけテオドールの方へ振り返ってみせた。
「ねえ、テオ。赤って美しいと思いませんか?」
ふわふわとした金髪を風に揺らし、そう爽やかに笑んでみせる兄だがその足元には大量の紅い花弁が撒き散らされていて、まるで血溜まりのようにも見えた。
兄が何故そんな事を聞いてきたのか、何故薔薇を手折っているのか見当もつかないテオドールはただ黙り込んでいた。
「美しい花はね、手折る為に在るんですよ」
元より答えなど求めてはいなかったのか、兄はテオドールから視線を逸らすとまた一本の薔薇に手をかける。
「何格好つけてやがる馬鹿殿下っ!」
「チクワッ!?」
兄の頭に手刀が落とした人物は、悶絶する兄にお構いなしにその襟首を掴んだ。
「アリス貴様ァ! こんな所で何をしている!」
ウェーブがかかった肩までの長さの桜色の髪の隙間からはみ出る短い二本の角が特徴的で、多少膨らみがある程度の胸元に大きなリボンを飾った、裾がふんわりとしたデザインのゴスロリを着た美少女がいつの間にやら兄の背後に立っていた。
「あれっベルフェゴール嬢どうして此処に!?」
「チェシャとサンガツが探していたぞ! ったく、何故吾輩が貴様のようなメンヘラ実験厨などに時間を割かねばならんのだ!? もう死ねよこの欠損合法ショタ!」
「それがダークネス王国の第一王子に対する態度ですか!? ってか私もう成人してますし! アリス君檄おこですよ!?」
「王子がインターネットスラング使うなや。王位継ぐ覚悟もない癖にこういう時ばっか肩書きをちらつかせるなクソメンヘラ」
赤紫のジト目で兄を鋭く見据える少女は女の子らしいその容姿とは真反対の口調で兄を咎める。
「そこまでですわ、フレア殿」
上空から降ってきた声に三人が顔を上げると、黒い甲冑に身を包んだ少女ルシファーが赤い光を纏わせながらテオドール達を見下ろしていた。
「それ以上妾の癒しである兄上を罵倒したら◯しますよ」
「規制音入った!?」
反射的にマジレスすると、ルシファーはテオドールに穏やかに微笑みかけながら優雅に着地する。
ちなみにフレアは漸くテオドールの存在に気づいたようで、「いつから居たんだ、影薄いなこのモブは」と言いたげな目でテオドールを見ていた。
「テオ……貴方はまた学校をサボってこのような所をほっつき歩いていたのですか……」
「ごめん、姉様」
テオドールが素直に謝ると、ルシファーはそれ以上彼を責められずにその頭を優しく撫でる。
「……はぁ、可愛いテオドールが見れた事ですし今日は大目に見て差し上げます」
「わぁいっありがと!」
「勘違いしないでください。今回だけですよ」
にっこりと笑顔で礼を述べればルシファーは鋭い口調で釘を刺すが、この台詞ももう何回目になるかわからない。
とどのつまり、姉はテオドールに甘いのだ。
これは姉のブラコンぶりとツンデレぶりを熟知しているテオドールにだけ成せる技である。
テオドールは自分が家族に愛されている事を知っていた。そして自身も家族を愛していた。
だから友達や仲間が中々できなくても、家族さえいればどんな時も幸せになれた。
――そして、同時にこの幸せが壊れることを彼は強く恐れていた。
「テオ、暫く見ない内に少し髪が伸びましたね」
「そろそろ鬱陶しいし、切ってしまおうかと思っていた所です」
ルシファーの指摘通り、テオドールの髪は肩に着くくらいの長さになっていた。
前髪で顔の半分が隠れてしまっているし、元々女顔なのに髪が長いと完全に女にしか見えないので、テオドールは切ろうと考えていた所だった。
その旨を伝えれば、姉は少し寂しそうな顔をする。
「……長い方が可愛いのに」
「え?」
そう呟いて視線を逸らした姉に目を丸くしていると、アリスがクスクスと口元で手を押さえ、女子力満点の笑い声を上げる。
「ルシファーは男嫌いですからねぇ。本当は妹を欲しがってましたし」
「兄上……!」
即座に顔を真っ赤にしたルシファーがアリスの口を塞ぐが、おふざけで言ったのであろうアリスの言葉にテオドールは硬直した。
――思い返せば以前から彼女はテオドールに女物のドレスを着せたり、城下町に視察に行った際の土産は必ずぬいぐるみやアクセサリーなどの女子力が高いアイテムばかりだった。
それに加え今の言葉……姉は心の何処かでテオドールが女であれば良かったと感じながら接しているのだろうか。
――では、もし仮に妹が産まれたりしたら……姉は此方を向いてくれなくなる……?
「男嫌いとは初耳だな。重度のブラコンなのに」
「無問題。フレア殿が後に妾の義姉となってくださるのですからそれで十分なのです」
「……ん? 今なんつった?」
その後のルシファー達の会話はテオドールには聞こえていなかった。
――この時を境に、テオドールの幸せは少しずつ綻んでいった。
* * *
「どうぞ。お口に合えば宜しいのですが……」
桜色の髪は彼女と同じなのに、表情や物腰が正反対なアイカはテオドールの前にクッキーの入った皿を置いた。
――彼女の髪色がフレアに似ているせいで、嫌な事を思い出してしまった。
余計な事を考えたくないのに、嫌な記憶も楽しい記憶も今となっては全て消してしまいたい。
まるでぽっかりと穴が空いた胸の奥に黒い靄が燻り、それが段々広がって行き、いつか肌を突き破って外側に溢れ出してしまいそうな感覚を紛らわす為に、アイカのクッキーを口に運ぶ。
一先ずアイカを家まで送り、救急箱で適当に応急処置を済ませてそのまま何事もなかったかのように帰ろうとしたテオドール。
それをアイカが強引に引き留めてソファに座らせると、自身はキッチンへ向かい紅茶と茶請けを持ってきた。
ただそれだけの事なのに途中で転びそうになったり、足を怪我しているのに無理に走ろうとしたりといちいち危なっかしくて、その度にテオドールの罵声が飛んだ。
アイカの家はまだ真新しいマンションの最上階で、景観が良いのは勿論無駄に広くて綺麗で……というか、殆ど物がない。
必要最低限の物しか置かれていない生活感のないリビングで、テオドールと向かい合う位置にわざわざ腰掛け、期待と不安を入り混じらせながら感想を催促する視線を送ってくるアイカ。
アイカのドジさはともかく、持ってきたクッキーとカップケーキは見た目こそ少し焦げていて不格好だったが味は中々美味しい。
だが、既製品の味ではなく何処か温もりを感じる味……テオドールもこれが彼女の手作り菓子だと気がつかない程鈍感ではない。
「……見た目はあれだが味はまあまあ美味いな。ただ、焼く時間をもう少し短くしても良いんじゃねーのか?」
「成る程なのです! 救世主様は料理にもお詳しいのですね! 流石アイカの救世主様なのですよ!」
基本上から目線がデフォルトのテオドールの言動にもアイカは嫌な顔一つせず、逆に喜んでいる。
慣れない反応にテオドールは戸惑い、懐疑の視線を送るがアイカは目が合うなり照れ臭そうに目を逸らした。
益々訳が分からない。相手が同級生なら「何だこの生意気な餓鬼は」と口に出さずとも視線でハッキリと敵意を向けてくるのに。
「……時にアイカよ」
「はい! 何でしょう!?」
テオドールに声を掛けられたアイカは花も綻ぶような眩しい笑顔で元気よく返事をする。
思わずたじろぎそうになったが、何とか冷静を装ってずっと言いたかった事を述べる。
「あのさ……そのメシア様っつーふざけた呼び方、もう少し何とかなんねーのか?」
幾らアイカが何も知らず、自身に親切を働いてくれたテオドールを敬っているとはいえ、魔族であるテオドールにメシアという呼び名は違和感でしかない。
「お気に召しませんでしたか?」
「いや、そうじゃなくて……! なんつーか違和感があるというか。とにかく変えろ」
悲しげに視線を落とし、あからさまにしゅんとするアイカにテオドールが即座に否定しようとするが、上手く説明ができない。
「分かったのです……あら? そういえば、アイカはまだ貴方様のお名前をまだお聞きしてないのですよ?」
魔界貴族どころか、それよりも上の王族であると明かせば何かしら不都合が起こるかもしれないとテオドールは危惧しており、つい先程出会ったばかりの人間に簡単に明かす訳にはいかない今までアイカに名乗ってはいなかった。
しかしアイカに疑問を持たれた今、これ以上隠すのは不自然だし、どうせもう会わないだろうから魔族である事は伏せておけば大丈夫か、と楽観視して名乗る事にした。
「……俺様はテオドールだ」
「まぁっテオドール様と仰るのですね! 素敵なお名前です、聡明で格好良くて心優しい貴方様にぴったりなお名前なのです!」
「……格好良いだと? 俺が?」
相変わらずテオドールに対して甘々なアイカの言葉の中にあった一言に面食らわずにはいられなかった。
「はい! 貴方様には言われ慣れた言葉でしょうけれど、テオドール様は色んな意味でイケメンなのですよ!」
「……俺にそんな事言ったの、お前が初めてだよ」
尚も狂信的にベタ褒めし続けるアイカに、テオドールは苦笑を漏らす。
テオドールは自他共に認める女顔で、初対面の人には大概性別を間違われる。
可愛いとは言われても格好良いなんて言われた事がなかった。
なのにアイカは一度もテオドールの性別を間違えていないどころか、格好いいやらイケメンなどとまで抜かしている。
「えっ!? テオドール様の良さに気づけないなんて人生の三分の一損してるなのですよ!」
感情の一つ一つがいちいちオーバーアクションなアイカの姿は幼い子供のよう。とてもだが嘘を吐いているようには見えない。
――駄目だ、人を信じてはならない。深入りしてはいけない。
「バッカじゃねぇの。俺はそんな出来た人間じゃねぇよ」
――というか、自分はそもそも人間ですらない。
人間と魔族では寿命も違ければ、住む世界も、身体の構造も何もかもが違う。親しくなんてなれる筈がない。
頭の中では分かっているのに、彼女を信じたくなってしまう。
――駄目だ、これ以上彼女と関わっていたらそんな概念さえも壊されてしまいそうで、怖い。
早く彼女から離れなければ……
「そんな事ありません! だって、打算も何もなしにアイカに親切にしてくれたのは貴方様が初めてですもの!」
「は? んだよそれ。お前友達は?」
彼女とは関わらないと心に決めたばかりなのに、アイカの意味深な言葉が気になってつい問い返してしまった。
――ああ、自分は何をしているんだ。
自分の単純さに内心嘆いたが、アイカが次に見せた影のある笑顔にそんな感情は綺麗さっぱり失せた。
「よく話す子達は居ますが……皆さん『声優の桃瀬アイカ』という色眼鏡でしかアイカを見ていませんから、本当の友達がいるかと聞かれればそれは分からないのです」
「……そうか」
たっぷり間を空けた後に出たのは、地を這うような声だった。
「あっ、ごめんなさい! アイカなんかのせいでまたテオドール様に気を遣わせて……!」
テオドールの空気の変化に目敏く反応したアイカは自分のつまらない話で不快な気持ちにさせたと思い込み、慌てふためく。
「良いんです、慣れているので今更気にしてませんし……」
「嘘を吐くな」
――ごめん。何も言わず何も考えず早くこの場から去りたかったけど無理ゲーっぽい。
「強がってるけど本当は寂しいんだろ? 他の子達みたいに普通に生活していきたいって思っているのに、それが叶わなくて」
吃驚した顔をされるが、一度溢れさせた本音は止まらず、堰を切ったように負の感情がドロドロと身体の内側から溢れ出てきて、埋め尽くされされそうになる。
「周りは媚を売ってくる奴らか、妬んで嫌な感情をぶつけてくる奴らばかりで普通の友達なんて作れそうにない。だからお前に対して自然に接してる俺が物珍しくて一緒にいたがるだけだろ」
――これはアイカにというよりも、自分自身に向けた言葉だった。
彼女に親近感を感じていたのは単に自分とよく似た寂しい奴だったから。ただそれだけだ。
彼女もきっとその内抱えきれなくなって、全てが面倒になって、どうせテオドールと同じように現実から逃げるに違いない……
「少し違いますね。確かに普通の女の子として暮らしていきたいとは思っていますが、声優のお仕事も本当に楽しいですし……辞めたいとは思わないのです」
意に反してハッキリと否定の意を述べたアイカの力強い眼差しに気圧され、テオドールは何も言えなくなる。
「それに普段友達が居ないからこそ、今こうしてテオドール様と普通にお話しできている事がこんなにも幸せに感じられるのです……ねぇ、テオドール様」
今日見てきたどの明るい笑顔とも違う、慈愛に満ちた大人っぽい笑顔に自分の中でギリギリ保っていた何かが決壊してゆく音がした。
「私とお友達になってくれませんか?」
アイカは照れ臭そうに、テオドールに手を差し出した。
――この時のテオドールの頭からは既に先程思考を埋め尽くしていた過去の記憶などは綺麗さっぱり消え去っていた。
* * *
「……何でそんなに楽しそうなのさ」
『あは、そう見える?』
五界のどれにも属さない、精神世界――VRMMO風に言えば脳内仮想空間にて。
いつもより楽しそうな様子の其奴を訝しんで問えば、何とも其奴らしいどっちつかずの答えが返ってくる。
相変わらず不明瞭な言い方に零音は苛立ちを覚える。
「一目瞭然だよ。それであの王子様に何があったの? 君には視えているんでしょう?」
『僕はテオドール君の事なんて一言も言ってないけど?』
「僕も王子様とは言ったけどテオドール君と名指しはしてないよ?」
――銀色の視線が交錯する。
互いに不敵な笑みを浮かべていて、視線を絡ませて腹の中を探り合う様は彼らのその容姿に反して全く子供らしくはない。
『……君のような勘の良いモブは嫌いだよ』
「誰がモブ主人公だ。何年一緒にいると思ってるのさ? そのくらい分かるよ」
似て非なる存在。水と油。白と黒……そんな対極的な言葉がよく似合う、同じ顔をした二人の少年はほぼ同時に背を向け合った。
「さて、僕はそろそろ現実世界に戻らないといけないけどラムネはどうするの?」
『では、君に最後に一つだけ忠告をしてから出掛けるとしよう』
指を一本立てて、『一つだけ』と仕草で示しながらラムネは視線だけを零音を向ける。
『――君の味方は敵だ。味方だから大丈夫などという根拠のない甘い考えは命取りになる』
ゾッとする程愉しげな猫撫で声で告げられた意味深な言葉に零音はバッと振り返るが、その時には既に黒の少年は忽然とその姿を消していた。
「また訳のわからない事を……って、はっ!? ちょ、戻れないんだけど! ま、まさか彼奴僕の身体に……!? もうっ馬鹿ぁああ! 急に変わると頭痛いんだって何回言わせれば気が済むのさぁぁあああ!」
* * *
『……マスター、お気をつけなさいませ。彼奴が来ます』
無意識にアイカの手を取ろうとしていた腕は虚しく宙を描き、アイカは力なくソファにもたれかかった。
その事にテオドールが戸惑うよりも先に、若い女の声が室内に響き渡る。
「この声、与謝野……? お前は何を言って――!?」
彼女がわざと名前を伏せて「彼奴」と呼んだその訳と、来たる災厄の気配を察したテオドールは臨戦態勢に入る。
「やぁ、ボーイミーツガールは楽しいかい?」
この場において尤も聞きたくなかった、そして人間界では聴こえる筈のない声にテオドールは飛び上がった。
「呼ばれてないけどジャジャジャジャーン! お久しブリリアントカット! 魔界四天王最強の男ことラムネ君ですっ♪」
振り向けば、テオドール達から数歩ばかり下がった場所にいつから居たのか、意地悪い笑顔を貼り付けた白髪の少年が佇んでいた。
「宰相……! しぶとい老いぼれが。何故テメェが此処にいる?」
「何故かって? ここは僕が創った世界なんだから僕が居たって何らおかしくはないでしょう?」
狼狽えるテオドールを嘲笑うかのように、例の「彼奴」ラムネは以前飄々とした態度を崩さない。
「お前は自身が創った世界においては存在できない、それがお前の能力の欠点の一つだ! だから盤上に立てない自分の代わりに羅夢音零音という存在を創ったんだろ!?」
「おや、君がそれを知っているとは意外だ。何処で知ったのかは聞かないけど、概ね合っているよ」
ラムネはテオドールが制約を深く知っている事に少し驚いた素振りを見せたが、すぐにまた他者を馬鹿にしたような態度に戻る。
「ならどうして……! 契約に違反すればお前は存在自体が消滅する筈だろ!?」
「それはどうかな?」
「は……?」
含みのある言い方に、テオドールが訳が分からないといった様子で不安げな表情を見せるとラムネは笑みを一層深めた。
その時、テオドールはふと気がついた。いや、逆に何故今まで気がつかなかったのか……
目の前にいるラムネは確かに自分の記憶通りの面立ちで、表情や言動も彼そのものだ。
だが、彼が身に纏っている衣類は今朝、確かアジトで見た――
「君もご存知の通り、ラムネの肉体はあの世界から出られない。けれど一つの駒として零音の肉体を造り、それを普段あの子に管理させておけば、後は僕の好きな時に脳と身体を乗っ取ってしまえば僕の意識だけは憑依という形で此方に来れるんだよ」
テオドールが答えに行き着いた時、ラムネが手品のネタばらしでもするかのような雰囲気で全てを明かした。
「……残念ながら、幽体は不安定だから元の魔力の十分の一も此方の世界に持ち込めないけれどね?」
「なっ……んな事言ったら何でもアリじゃねーかよ……!」
「ルールの抜け道なんてものは幾らでも存在する。ココを使うんだよ、狼少年」
こめかみを指しながら、ラムネは意味深な笑みを貼り付けた。
その話の内容に、彼本人の手が届かない安全地帯からならば上手く邪魔できると楽観していたテオドールは愕然とした顔で打ちひしがれる。
「おっと、君の質問に答えていたら時間がなくなってしまったね。僕は僕のやる事を済ませようか」
そう言ってラムネは眠りこけているアイカにちらりと目を向ける。テオドールは弾かれるようにアイカの前に立ち塞がった。
「やめろ! 彼女は何も関係ない、殺すなら俺にしろ!」
「ふはっ、初対面の人間相手に何その必死っぷり。笑えるんだけど」
テオドールの鋭い視線を受けるも、ラムネは臆すどころか楽しげに吹き出した。
「しかし、その反応を見て確信したよ。やはり彼女は僕のシナリオには必要不可欠な人間だ」
「は……?」
意味が分からずに間抜けな声を漏らせば、ラムネは底無しの馬鹿を見る目をテオドールに向ける。
「気づこうよ。前の世界では登場すらしなかった君が、何故この世界では普通に存在していられるのか」
言っている意味がまるで分からない。
――前の世界? どういう事だ、このゲームの前にも別の世界があったというのか……?
『今までの世界でアリステア第一王子は四天王幹部として登場していたけど、テオドール第二王子は出てなかったもんね。けど、存在しないと明言された訳でもない。そこを突いて彼奴が新たに創り出した駒って事か……読めてきたよ』
「あはっ、理解してくれた? 君はイレギュラーとしてこの世界に飛び込んで物語を壊そうと企んでいたけれど、そこから既に僕のシナリオ通りだったって訳!」
硬直するテオドールをラムネは心底愉しそうに笑い転げる。そんなラムネの笑い声に重なってそんな言葉が頭の中に響いてきた気がした。
今のは幻聴? それとも……
――いや、そんな事はどうだっていい。初めから何もかも、全て此奴の仕組んだ事だったのだ。
テオドールがゲームの存在を知るのも、知った上でどう行動するのかも、テオドールが曲馬団に入団したのも……そして今日、アイカと出会ったのも。
「あははっ、あはっ、ふふふ……初めから踊らされてた事に気づきもしなかったんだねぇ?」
「……ははっ」
依然笑いが収まらないラムネに同調するように、俯いたまま笑い出したテオドール。
「上等じゃんかクソジジィ……俺様も今回はマジでブチ切れたぞ」
そして彼が顔を上げた時、肉食獣のような獰猛な笑顔を浮かべていた。
「そっちがその気ならこっちだってやってやらぁ! テメェが仕組んだこの世界で、テメェの言うシナリオとやらをこの俺様が崩壊させてやる!」
テオドールの獰猛な瞳の中に映ったラムネは、一瞬その顔に陰りを見せた。
「…………このくらいで触発されるようじゃ、まだまだ君に僕は超えられないよ」
「あ? 何か言ったか?」
「別にぃ? じゃあ僕そろそろ憑依の限界時間だから戻るねー」
何か大事な事を言われた気がして問い返すが、其処にはいつも通りの軽薄な笑みを貼り付けたラムネがいるばかりだった。
――今のは、何だ……? 何だか、妙な胸騒ぎがする。
「まぁ、精々僕の手の平の上で踊っておくれよ?」
最後に捨て台詞を残したかと思うと、ラムネ……いや、零音の身体は支えを失った操り人形のように地面に崩れ落ちた。
いや、正確には崩れ落ちる寸前で 白いクマ耳付きのフードにショートパンツというスタイルの少女に背後から抱き留められた。
「ご無事で何よりでしたわ、マスター」
「……ご苦労、与謝野の中の人」
「今は人型なんですからまどかと呼んでくださいよ」
灰色の髪をお下げに結んだ色白の少女は、その淡紅色の目を細めて微笑んだ。
「ところで……お前いつから居た?」
先程アイカを魔法で眠らせたのといい、やけにタイミングが良い彼女に訝しげな声で疑問を投げ掛けると、与謝野はさっと目を逸らす。
「それにしてもくまさんパフェを嬉しそうに頬張るマスターの姿を拝見し、マスターにもまだ子供らしい一面があったのだとわたしめは安心致しまし――」
「だぁあああやっぱ見てたのかテメェェェエエエエッ!」
彼女には一番見られたくなかった場面達を上げられ、それ以上の追求はできなかった。
尋ねればまた良からぬ回答が返ってきそうで怖いからだ。
「いやぁそれにしても……ぷくくっ、あのマスターが困っている美少女を助けて惚れられるなんて!」
与謝野のストーカーには目を瞑るのが暗黙の了解となった所で、依然零音を抱き抱えたままの与謝野が袖で口元を押さえる。
「惚れ……?」
「マスターもほんっと女心が分からない方ですねぇ、素直に『もう友達じゃないか(イケボ)』とか仰っておけば目眩くラブコメ展開が始まっていたかもしれないのに! 馬鹿なんですか!? 死ぬんですか!?」
「よし与謝野、どの熱さで燃やされたいか言え」
テオドールは自身の目つきの悪さを最大活用して無礼なサーヴァントを睨みつけ、その手に色とりどりの火の玉を出現させる。
その途端与謝野は慌てて「冗談ですよぉ〜」と言うが、全く信憑性がない。
「しっかし本当に残念でしたねぇ、彼処で彼奴が出なければわたしが彼女を魔法で眠らせる必要もなかったですし、ラブコメが始まっていたかもしれないのに……」
「テメェの頭にはテオドール×アイカという方程式しかねぇのか? それよりもっと気にするべき事案があるだろが」
やたらとラブコメを気にしてがっくり肩を落とす与謝野にテオドールは死んだ魚のような目を向ける。
「だってぇ〜マスターいつまで経っても浮いた話が出ないし、重度のブラコンなものですから、ルシファー殿下やアスモデウス様を筆頭とした令嬢方が『ホモなんじゃないか』ってお茶会で噂するくらいだったんですよ! 未来の妃候補登場をサーヴァントとして純粋に喜びたいじゃないですか!」
「姉様達そんな事言ってたのかよ! ざっけんな俺はただ次期魔王としては異端な程心優しいアリス兄様と、王女の身でありながらドレスや宝石で自分を着飾ろうとはせず無骨な甲冑に身を包む暗黒騎士であるルシファー姉様を心の底から尊敬しているだけだ!」
「それを世間ではブラコンやシスコンと呼ぶんですよ? 知ってましたかコミュ障ヒキニート様?」
「喧しいわ!」
主人に対する態度とは思えない与謝野と、同じく王子とも与謝野の主人とも思えない態度のテオドールがたわいのない言い争いをしている最中。
与謝野の腕の中で眠っていた羅夢音零音の肉体が意識を取り戻した。
「う……っ、いたた、ウルトラ頭痛い……」
「おぅわっ!?」
徐に顔を上げた零音にテオドールが驚き、思いっ切り後退ったと思うとそのままバランスを崩して尻餅を着いた。
「えと、テオドール君……? 何してるの……?」
「……」
突如目の前で盛大に転んだテオドールに零音は不思議なものでも見る目を向ける。
何だか居た堪れない気持ちになったテオドールはさっと顔を逸らした。
「おはよう羅夢音君」
「え? ってうわぁああ!? 森谷さん!?」
テオドールと話していた時の砕けた態度から大人しい少女「森谷まどか」に戻った彼女がにこりと微笑む。
頭上に与謝野の顔を確認した零音は持ち前の利発さで自分の置かれている状況を理解したのか、ボッと音を立てて顔を紅潮させる。
「状況は何となく察したけど近い近い! 放してぇっ!」
「暴れないで。少し落ち着いて頂戴」
与謝野の腕から逃れようと懸命にもがくが、与謝野が拘束する腕の力を強くすればもう彼は逃れられない。
人間と魔族では寿命もそうだが、力の強さも全く異なるからだ。
――例え今の与謝野が幼い女の子の姿であっても、その差が覆る事は決して無い。
「ふぇええ、放してよぉ……さっきから地味に君の胸が背中に当たってるんだよぉ……」
涙目で上目遣いに訴えるが、可愛いショタである零音(本人は無自覚)がそんな態度を取っても与謝野の加虐心を煽るだけだと零音は知らない。
「あらあら……思った通りだわ。あの子と同じなその顔で懇願する姿も色っぽいじゃない。もっと苛めたくなるわ」
「虐めっ……!? や、やだよ! お願いだから怖い事しないでよぉ……!」
「え、それって暗に襲えって言ってる? そうとしか思えないのだけど」
「襲う!? アジト襲撃されるの!?」
「零音は落ち着け。そして変態クソビッチは自重しろ」
噛み合っているようでまるで噛み合っていない会話に、すっかり蚊帳の外なテオドールは心底蔑んだ目で与謝野を罵るが、本人は全く意に介す様子がない。
「ふふ、同じ身体を共有しているのに彼奴とは随分反応が違うのね? わたしはビッチショタよりこっちの方が好きだわ」
それまで半泣きだった零音は、与謝野の言葉にすっと顔色を変える。
「……森谷まどか。君は何者?」
「その台詞、ブーメランになるけど?」
それを境に二人の表情から一切の子供らしさが消えた。
この場にいる四人の子供の内、本当の意味での子供はテオドールと眠っているアイカだけなのでこれが当然といえば当然なのだが、突然の空気の変化にテオドールは戸惑いを隠せない。だが、意を決して質問に踏み切った。
「与謝野。もうそろそろ説明してくれても良いんじゃないか」
「あら、何を?」
この後に及んでまだ惚けている与謝野に腹が立ったので、まどろっこしいやり取りは抜きにして直球な言葉をぶつけた。
「……お前、初めから気づいていたろ」
さて、君達これから暫く本編に出番ないけどその間どうします?
鬼灯・アンリ・藍「『「モン◯ン」』」
 




