第二話 No.1本郷塁兎
今回は世界観とかに関わる大事な設定を塁兎君が説明してくれる回です。
※2月2日三人称視点に改稿しました。
団員達がノワール曲馬団の拠点としているこの屋敷の一階にはリビング、キッチン、風呂やトイレ以外に洋室が三つあり、リビングを抜けた奥の方にある部屋が塁兎の部屋、玄関脇には物置部屋、その真正面には現在地こと零音の部屋がある。
ただでさえ玄関に近い零音の部屋だが、その上彩葉が出て行ってから扉は開きっ放し。だから、ドアの外からの複数人分の足音や玄関の鍵を開ける僅かな金属音さえ明瞭に聞き取れたのだ。
「さ、皆心配するから手当てしないと。救急箱って真向かいの物置にあったよね?」
扉が解錠されるより数秒前、素早く人の気配を察知した零音は軽い声の調子を装いながらも目線で「僕が戻るまでそこから動くな」と塁兎に向かって牽制すると真っ直ぐに只今帰還してきた奴らのいる廊下へ出て行き、部屋の扉を後ろ手に閉めた。扉が閉まった後一拍おいてガチャ、と金属音が鳴り響く。
わざわざご丁寧に鍵まで掛けていってくれたが、これは決して零音が塁兎を信用していないからという訳ではない。
第一この扉は外側から鍵を掛けても普通に室内から開けられるので、足を怪我している塁兎でも身体を引きずって扉の前まで行けば開けられなくもないのだ。
ならば何故零音がわざわざ鍵を掛けたのか。それは疑問に思うまでもなく霧島由梨愛にこの怪我がバレないようにと考えての行動だろう。
ノワール曲馬団No.2、霧島由梨愛。破天荒と自己中の塊のような性格をしている彼女は街中で幼い少年を見る度に涎を垂らしたり、突如零音の部屋に乱入して匂いを嗅いで興奮したり、やたらと塁兎に構ってきたりと塁兎には理解できない行動ばかり取る変わり者の少女だ。
彼女がアジトにやってきていつものように零音の部屋に入り、この血溜まりを見て失神でもしたらアジトが大騒ぎになるに違いない。
――しかし実際は、彼女よりも遥かにバレるとやばい奴がいるのだが……零音とあの馬鹿は確か面識が無いんだったか。
同じ「ノワール曲馬団」という団体なのに、団員の殆どが他の団員と面識が無いとは。個人個人ならすぐに会えるが、中にはアジトに全く顔を出さない奴もいる現状だしな……
「藍兄、お帰りなさい! あ、由梨愛姉もいらっしゃい」
――塁兎がここまでの思考を脳内で終えるのにかかった時間は僅か一秒にも満たない。
「たぁっだいま〜零音たんっ! きゃあぁぁあ白髪銀目ショタぁぁあ!」
「僕に抱きつかないで頂きたいんだけどな! もし彩葉に見られたら殺られるのは僕なんだよ!」
「ゆ、由梨愛ちゃん落ち着こうか……?」
途轍もなく早く終わった思考に自分自身も気色悪いと思いつつ、扉の向こう側から漏れる楽しげな話し声に耳を傾けていると、不意にひんやりと心地良い冷気が薄暗い部屋を包み込んでいるのに気がついた。
――季節は七月も半ばを過ぎ、学校は次々と夏休みを迎えているここ数日は猛暑日が続いており、体力があまりない塁兎は徒歩二分にも満たない通学でも既に死にかけている有り様である。
零音が使っているこの部屋は簡易的な折り畳みベットに整理の行き届いた勉強机と本棚、衣装ケースと最低限の物しか置いてない狭い部屋だが、日の当たらない路地裏に面している事もあり夏は比較的涼しい。
しかし夜ならまだしも、ビルの隙間に埋もれてしまった太陽の残光が窓から差し込んでいるこの時間帯にここまでの涼しさは異常だ。
此処では電気代節約の為クーラーは八月になるまで使わないと決め、団員達もそれに従った。
ならば、この秋始めのような過ごしやすい冷気は一体なんだというのだろうか――?
「……ねえ、そろそろ放置はキツいのだけれど」
――なんてな。
「降りてこいよ、鬼灯」
頭上から降ってきた、あからさますぎるくらい寂しげな声に脳内モノローグから現実へと引き戻された塁兎はが天井に向かって声を掛けると、その瞬間後頭部の高い位置で一まとめに括ってある縁日の綿菓子のように真っ白な髪がふわりと舞う。
颯爽と姿を現した客人が顔を上げると、客人はすっかり不貞腐れて頬を膨らませていた。
その客人は「腐」とプリントされたぶかぶかの水色のシャツ一枚しか着ていなく、髪も所々はねている所から見るにさっきまで寝ていたのだろう。
「君さぁ……最初から気づいてただろう?」
「そうだが?」
逆にバレないとでも思っていたのだろうか。
気の流れから能力を僅かに発動させていたのだろうと推測はできたが、気配も殆ど消せていなかったし、逆にこれで気がつかない方が異常だろう。
「ファッ!? 僕が放置プレイ嫌いなの知ってるのに酷いじゃないか塁兎!」
其奴は深海をそのまま切り取ったような色の瞳を潤ませ、反対に顔の色を真っ赤にして益々膨れる。
その顔に少し昔の塁兎ならば罪悪感の一つも湧いてきただろうが、今となってはただただ面倒なだけ。
「そんなの知る事か。大体お前も何故自分の家で隠密ごっこしてるんだよ」
ノワール曲馬団のアジトに団員全員が集まる事はまず無い。数少ないアジト常駐組は塁兎、由梨愛、零音、彩葉。それと――
「HAHAHA! 最近部屋に引きこもってばかりで体力有り余ってたからね!」
……他の団員が見ていない所でこっそり常駐しているこのNo.3玖蘭鬼灯くらいだ。
ちなみに塁兎が先程感じた冷気というのは、鬼灯の視線をずっと感じていた事による寒気だ。
この阿呆の奇行のせいで現在塁兎の両手足にはばっちり鳥肌が立ってしまっている。
鬼灯にその鳥肌を見せつねてやりたい所だが、この変質者に肌を晒すなんて危険な極まりない真似は止めておいた方が良いと頭の何処かで警報が鳴り響いているので止めた。
「……相変わらずテンション高いな」
「そうかい? 今日徹夜でゲームしてて超絶眠いのだけれどね」
「昼夜逆転してるぞ」
つい先程まで怒って膨れていた人間とは思えない、明るく朗らかな声音で笑っている目前の人物の切り替えの早さにある意味感服していると鬼灯の表情がすっと曇ってゆく。
「……ねえ、あの子をノワール曲馬団に入れて本当に良かったのかい」
突然に呟かれた言葉とその表情の意味が分からず首を傾げたが、彼の視線の先を見てすぐにその意味が分かった。
改めて足元の血の池に視線を落としてみると、考え事をしていたりこの阿保に気を取られていて気がつかなかったが思ったよりもかなり多く出血していた。
「イロハは感情のコントロールが下手だ。感情が暴走した時は周りが見えなくなるという事は前から知っていたし、髪の毛を掴み上げて無理矢理零音から引き剥がそうとするのは些か軽率な行動だったかもしれないな」
彩葉は普段とても冷静で、同じ年代の子供よりも大人びている。しかし、零音が関わってくるともう道徳なんてものは無視した突発的で自己中心的な思考しか持てなくなってしまう。
だからいつでも術を発動できるようなトラップを仕込んで準備しているなどとは考えてもいなかった。
「今回の怪我は俺の計算ミス、自業自得の結果だ」
「違う、僕が言いたいのはそうじゃなくて……塁兎は良いの?」
「問題ない。それにイロハの攻撃はあくまでも俺の動きを封じるのが目的のものだったしな」
「それじゃあ二発目の説明がつかないよ。動きを止めるだけなら一発だけで充分だと思うけれど?」
鬼灯は一時は収まった怒りがぶり返したように……否、さっきの可愛らしい膨れっ面ではなくほぼ無表情で、目だけが冷やかな怒りを宿して塁兎を睨みつけている。
「あの時イロハが纏っていたオーラは素人目に見れば殺気にもとれるが、実際は『嫉妬』『妬み』『不安』『独占欲』……今回の騒動はそれらの感情が合わさっての突発的な行動。俺もそれで油断して止めに入った。
しかしその突発的な行動で予め俺が来るのを察してトラップを張っておくような彼女が二発目の攻撃で零音が止めに入る事を想定していなかったとは考え難い。……あくまで俺の推測になるが、つまり」
「……始めから零音君に抱きついてもらう為の作戦だったと言いたいのかい?」
塁兎が言いたい事を塁兎が言う前に簡単に理解してしまう鬼灯に先程まで纏っていた静かな怒りのオーラは消え失せていて、ただ呆れの表情を浮かべていた。
「そこまでは分からん。しかし、これなら皆が集まる帰宅時に犯行に及ぶという致命的なミスも説明がつくだろう」
「幾ら何でも深読みしすぎじゃないかい……? それに零音君の事となると周りが見えなくなるような子がそこまで先読みして作戦を立てられるものなのかな?」
「あくまで可能性の一つとして述べているだけだ。妖怪と人間では物事の考え方が違う……それは例え子供でもな。妖怪の中には人間を欺く者や、人間の知能を遥かに上回る者だっているし油断は禁物だ」
「……油断した癖によく言うよ」
何も考えていなそうな無表情の裏でしっかり周りの動きや感情を読んで行動している癖に、自分自身の事が関わると途端に不器用になる幼馴染に鬼灯は溜息を漏らす。
「で? 今日は何の用で来たんだよ」
「聞かなくても分かってる癖に。はいこれ」
鬼灯はシャツの襟元に手を突っ込むと、其処から何の変哲もない一枚の茶封筒を取り出した。
「依頼さ。隣町のとある廃工場で起こる怪現象を暴いて欲しいと」
――ノワール曲馬団は決して、子供のおふざけ集団などではない。
「この廃工場の場所は確か東京のとある大型ショッピングモールの二号店建設が決まった場所だな。とすると依頼主は……」
世界各地で超能力者が覚醒し始めたのは約二十年前。
超能力者や人間に味方する妖魔達が集まり、悪戯が過ぎた妖魔達を懲らしめる……それがノワール曲馬団の主な活動内容である。
とはいえ依頼がない時は皆で集まって駄弁ったり、恋愛に現を抜かしたりしていたりと各自年齢相応な生活をしているが。
「オーナーが僕の知り合いという訳さ。これからショッピングモールを建てるというのに工場の取り壊し現場で怪現象ばかり起こってそれどころじゃなくて困ってるんだって」
ノワール曲馬団に来る依頼の九割はノワール曲馬団No.3こと副団長である鬼灯が持ってくる。
世界で初めて超能力者が発症した土地、天空都市ルナティック帝国の公爵令息である彼は顔が広く、様々な依頼を受けて来るのだ。
「期限は明後日までだから明日の夜にでも済ませて来ようと思うんだ。被害の規模的に僕と藍君で足りそうだね」
雪原の如く真っ白な肌と、夕焼けの残光に照らされて黄金色にも見える長い髪、本なんかに出てくる深窓の姫君のような端正な顔立ちから漂う冷酷さを帯びた、けれど凛としたオーラとは正反対に随分と騒がしい性格をしているこの幼馴染もノワール曲馬団の一員だという事を改めて認識させた。
「……分かった。この件はお前に任せておく」
――何だか今日は酷く疲れてしまったように感じる。
学校帰りにバイトに行って、帰ってきたら脹脛に氷の槍が貫通して……この何でもアリな団体では珍しくもないが、世間から見れば常軌を逸した一日が今日はとても長く感じられた。
実を言うと鬼灯が来てから眠気は一層強まっている。
零音が由梨愛達の気を逸らし、救急箱を探して持ってくるまでは起きていようと思ったが、これではそれまで持たないだろう。
「ん、塁兎……? 疲れたのかい?」
段々思考を保っているのも難しくなってきて、意思とは関係なく瞼が降りていった。
「……暫く寝る」
「ファッ!? ここ零音君の部屋――」
鬼灯が言い終わるか言い終わらないかのタイミングで塁兎の意識は途切れた。
*
*
*
重く閉ざされた瞼越しにも強く光は差し込んでくる。
その眩しさに耐えられず瞼を開くと、厚塗りされたような入道雲が浮かんでいる胡散臭いくらいに真っ青な空の一番高い位置から降り注ぐ太陽が真っ先に視界に飛び込んだ。
――何故自分は外にいるのだろうか?
夏風に揺れる木々は鮮やかな色彩で、木々の隙間から漏れる蝉の音が煩く鳴り響いている。
今の今まで誰かと会話していたような気がするが、それすらもぼんやりと霞がかって夢か現実か分からない。
金属が軋む不協和音が耳元で鳴り、ゆっくりと眼球を動かして辺りを見回すと随分と見慣れた景観が広がっていた。
「ねえ、塁兎」
すっかり錆びついたブランコに腰掛け、生温い風にツインテールに束ねた栗色の髪を靡かせている少女はブランコ脇のベンチに寝そべっていた塁兎が起きたのに気づき、声をかける。
「……なに?」
唐突に声をかけてきたものだから塁兎は面食らうが、ゆっくりと身体を起こして何気なく、差し障りのないように相槌を返す。
白いブラウスの上に赤いジャンパースカート風のワンピースを着て、ワンピースに合う赤いリボンを頭に飾って……つり目がちな栗色の瞳を悪戯っぽく輝かせる彼女は演技のように若干大袈裟な響きを持たせたもったいぶった話し方で塁兎にこう尋ねた。
「ねぇ、今日って何月何日だったかしら?」
彼女がこんな口調で話しかけて来る時、それは何か「大事なこと」を遠回しに訴えてきている時だ。
今度は何かと思いつつも塁兎はポケットからタッチパネル式の携帯を取り出し、時刻を確認する。
「八月十五日だよ?」
「そう。その八月十五日は何の日かしら?」
この猛暑の中汗一つかかず爽やかに尋ねる彼女に、塁兎の無駄に優秀な頭脳は即座に彼女の質問の意味を理解した。
「ああ、終戦記念日だね!」
「うん、日本人としてはその答えで間違ってないけど違うわボケッ!」
自信満々に答えて直後返ってきたのは鋭い罵倒だった。どうやら彼女が求めていた答えとは違ったらしい。
「他にあるでしょ? もっと身近なもの!」
「えーと……」
これ以上間違えれば確実に飛び蹴りが飛んでくるので、塁兎は今度こそ真剣に考えた。
八月十五日で終戦記念日でないとすると、後はトラックに轢かれたり鉄柱にぶっ刺されたりする某曲しか思いつかないのだが……それを言ってしまったら色々と終わる。何がとは言わないが確実に終わってしまう。
大事な事なので二回言った。
「っもう! 無駄に頭良い癖に何でわっかんないのよ! いいこと? 耳の穴かっぽじってよぉーくお聞きなさいな!」
塁兎が答えられずにいると、待ちくたびれた彼女はふてぶてしい声と共にブランコから勢いよく飛び降りた。
塁兎が危ないと言う間もなく華麗に空中で一回転を決めて着地すると、彼女はつかつかと塁兎に向かって歩いてくる。
「八月十五日はあんたの誕生日よっバカ塁兎!」
塁兎の顔を指差し、ずいと詰め寄って来る彼女の言葉の後に「何で真っ先にその答えが出てこないのよグズ!」と副音声が遅れて聞こえてきた。
「あ……そういえばそうだったね」
「忘れてたのっ!? あんた馬鹿ぁ!? マジ馬鹿でしょ!!」
「ご、ごめん」
物凄い剣幕で怒鳴りつけてくる彼女から自然に距離を取ろうと後ろへ後退しようとしたが、虚しくベンチの背凭れが背中に当たるだけだった。
「本当あんたは昔っから自分に関して無関心なんだから……!」
「それは否定できないね」
以前から色々な人に散々「周りに気を配るのも良いけれどもっと自分自身をよく見ろ」と耳にたこができる程聞かされてきたが、自分自身の事なんざどうだっていいと考えている塁兎にとってはこれが普通なので今更変えようがない。
「ったくあんたは……あ、そうだ蓮様、そろそろ出てきて良いわよ!」
塁兎は怒られるのを承知で苦笑しながら肯定し、彼女の更なる罵声に身構えていたが、怒るのも体力の無駄と感じたのか彼女は塁兎から僅かに距離を取ると背後の茂みに視線を向けた。
「はいはーいっ」
ガサ、と音を立てて茂みの中から黒髪の少年が姿を現す。
塁兎達より少し年上くらいに見受けられる黒髪の少年は頭の上に葉っぱを乗せながら、ニコニコと此方へ微笑みかけている。
目を細くして笑う顔は猫のようにも、狐のようにも見えた。
――待て、いつからそこにスタンバイしていたんだ。
とツッコミたくなったが、それより先に少年が後ろ手に何かを隠すように抱えているのに目が行った。
「時間が無くて包装できませんでしたが、俺達からのプレゼントです」
年上の少年こと黒田蓮は塁兎の視線に目敏く気がつくと、笑みを一層深くして塁兎達のいるベンチへ駆けてきた。
元々この公園は小さく、わざわざ駆け寄って来る程の距離ではなかったのに。
例え一分一秒でもいいから早く、塁兎にそれを渡したいという気持ちの表れだろうか。
「改めまして、塁兎。十二歳の誕生日おっめでとうございまーす!」
蓮が塁兎の前まで辿り着くと彼女は身体を横にずらして蓮と二人塁兎の前に並び立つ形になり、蓮は背中に隠せていたのが不思議なくらい大きなうさぎのぬいぐるみを差し出してきた。
継ぎ接ぎと包帯だらけの黒いうさぎの首には赤いリボンが巻いてあり、ピンクのハートでリボンを留めてあるうさぎの瞳はトランプのダイヤを象った形。
両足の裏にクローバーとスペードの模様がついている、やたらと爪の長いうさぎのぬいぐるみ。
塁兎にとってそれは非常に馴染み深いものだった。
「……これって」
「あんたがノートによく描いてたラクガキよ」
塁兎が口に出すよりも先に彼女が答える。
「ラクガキの割にやけに凝っててめについたからさ、このあたしと蓮様が協力して直々にグッズ化してあげたのよ? 光栄に思いなさい!」
夏休み前の最後の授業中、大して難解な問題も出ない答えの分かり切った退屈な授業の途中に唐突に脳内に思い浮かんだうさぎ。
その後このイメージを形にしたくて、残りの授業時間を全て使って描き上げた自分的超大作……
病的に絵を描くのに没頭していた所を彼女に見られていたのは顔面から発火してしまいたくなるくらい恥ずかしいが、あのイラスト通りに作られたうさぎはたった数週間でどうやってここまで精巧に作ったのかというくらいの完成度の高さだった。
「これ、二人で作ったの!?」
「ええ! 材料は鬼灯に持ってこさせたけどねっ♪」
彼女は今にも「ドヤァ」と効果音が聞こえてきそうなくらい得意げにふんぞり返る。
――ああ成る程。最近、目元に隈ができていたのはこれを作っていたからなんだ。
自分勝手で掴み所のない彼女だが、何故かこういうイベントでは率先して誰よりも張り切る。
そんな強引さに呆れもしたけれど、自分にないものばかり持つ彼女に惹かれていた塁兎がいるのもまた事実だ。
「……ありがとう」
「ふん、精々大事に扱いなさいよね!」
素直に礼を述べると、彼女は益々得意げにふんぞり返る。
――プレゼントも嬉しかったが、わざわざ自分の為に寝る時間も惜しんで祝ってくれた二人の気持ちが純粋に嬉しかった。
「さ、帰りましょ。鬼灯がケーキ作って待ってるわ!」
「うんっ!」
白い歯を見せてにっと笑う彼女が差し伸べた手を握ろうとしたがぬいぐるみを両腕に抱えていた事を思い出し、何とか片手だけで抱え直そうとするが同年代の子供と比べても小さめの塁兎にはそれすらも憚られる。
「任せてください」
どうするべきか逡巡している塁兎を見兼ねてか蓮が塁兎の腕からぬいぐるみを取り上げ、どこからか取り出した麻縄で僕の背中にぬいぐるみを括りつける。
「あ、ありがと。ところでこの縄どこか」
「あー今日は本当に暑いですねー! 早く帰りましょう!」
蓮は塁兎の質問を強引に遮り、大股に公園の出口へと向かい歩みを進める。
その時の蓮の口調が酷い棒読みだったのはこの際無視しよう。
――しかし、今までの誕生日も楽しかったけれど今年の誕生日が一番楽しかった。
毎年のプレゼントのレベルの然る事ながら、今年のプレゼントはまた一段と手の込んだものだ。
裁縫の苦手な彼女が蓮と一緒に必死に頑張って作ってくれたのだ、嬉しくない筈ない。
去年、一昨年は事情が重なって四人集まれなかったけれど、今年は四人で楽しく過ごせる。
少なくとも、この時まではそう信じて疑わなかった――
「……あれ?」
そこまで考えて、塁兎は唐突な違和感に襲われた。
――「少なくともこの時まではそう信じて疑わなかった」……?
何だろう、この不吉な言い回しは。まるでこの後に何か良くない事が起こるみたいじゃないか。
冷静になって考えてみれば、考える程おかしい……先程は思い出せなかったが、今日は八月十五日じゃない。
今は七月中旬、「夏休み前の最後の一週間だが気を抜かないように」と特徴的なハゲ頭をした担任が今朝ホームルームで言っていた。
それに蓮の言っていた「十二歳の誕生日」というのもよくよく考えてみるとおかしい。
塁兎は今十六歳で、来月に十七歳の誕生日を迎えるのだから十二歳の誕生日というのは五年前――
「……塁兎、ちょっと見てください」
服の裾を引かれる感覚に我に返り、蓮の方へ振り返ると蓮は塁兎達が帰ろうとしていた出口とは反対の方向を凝視していた。
すると丁度公園の出口に少し泥がついたサッカーボールが一個転がっているのが確認できた。
「……あれ、昨日俺が無くしたボールです」
「あらそうなの!? 蓮様探してたし、見つかって良かったじゃない!」
――蓮の行動も、ボールも、彼女の塁兎や鬼灯に対する声とはかなりかけ離れた可愛らしい声で言ったこの台詞にも、全て覚えがある。
「……そうか、これは……」
嬉々とする彼女の隣で、悶々と考え込んでいる塁兎の頭の中には既に仮説が出来上がっていた。
――不意に突風が巻き起こり、木々が強く揺さぶられる。
「きゃ……」
彼女のスカートもひらりと風にはためき、そっちに気を取られかけたがボールがあの日同様コロコロと公園の外側へ転がってゆくのを蓮と俺は見逃さなかった。
「あっ……! 追いかけましょう!」
蓮は塁兎のパーカーを掴んでいた手を放し――今度は彼女に握られていない方の塁兎の手を掴んで物凄いスピードで走りだした。
「わっ!? ち、ちょっ……!?」
「きゃあっ!?」
その後はもうご想像通り。
芋づる式でそのまま二人して蓮に引きずられ、三人は公園の外へた飛び出した。
突風は既に収まったがボールが転がる勢いは未だ収まる気配は無く、ボールは舗装されていない田舎の土の上をただただ前へと転がってゆく。
――その先に見えた光景に、脳裏に焼きついた光景がはっきりと過った。
「蓮っ踏み切りだ! 止まれ!」
「あ、本当ですね」
声の限りを使って叫ぶと、意外にも簡単に蓮は立ち止まった。
唐突に止まられたので、勢いを殺しきれず塁兎は蓮の背中に思い切り激突してしまった。
彼女に見えないようこっそり睨みつけたが、蓮はボールを見ていて視線に気づいた気配は微塵もない。
「っはあ、はあ……蓮様早い……」
「すいません、ボール見失いそうだったんで……」
蓮を睨むのを止めて再度ボールの方へ視線を戻すと、ボールは上手い事線路に引っかかって止まったようだ。
辺りを見回してみるが遮断機は降りていないし、近くに電車も見えない。……今の所は。
「お……僕がボール取ってくるから二人はここにいて」
「あ、はい分かりました」
「いってら〜」
うっかり俺と言いそうになったのを慌てて「僕」と言い直したが、二人は気にも留めていない様子だ。
それにホッと胸を撫で下ろし、彼女の腕も蓮の腕も解いて踏み切りへと駆け出した。
――先程、蓮が走り出す直前に大体の状況は把握した。
これは恐らく夢だ。
ベンチで気がついた瞬間から夢の世界で、身体の大きさも、身長も、服装もあの日あの時あの場所に遡っている。
昔から何度も夢に見た光景だが、ここまであの日のままに再現されているのは初めてだ。
そして、もしこの夢があの日の通りに進んでいるならこの後は……
あの日の通り、塁兎は特に何事も無くボールの前に辿り着いた。
その場に屈み込み、線路と線路の間に挟まったボールを持ち上げた所で……
「塁兎っ電車!」
後ろから蓮の切羽詰まった声が聞こえた。
ゆっくりと振り向くとあの特徴的な甲高い音が鳴っていないのに、自分の後ろで遮断機が閉まり始めていた。
――ほら、やっぱり同じだ。
そのまま左側へ目を向けると、古い車両が自分目掛けて突進してくる光景が飛び込んでくる。
今度は線路の反対側を向くと、別の車両がまた此方目掛けて突進してくる。
塁兎がいる位置は彼女達のいる遮断機の反対側に近く、遮断機の下を急いで潜り抜ければ間に合うかもしれない。
だが、敢えてそれはやらない。
「蓮、パス」
「え!? あ、ちょっ!」
塁兎は蓮に向かってサッカーボールを投げ渡した。
蓮はとても困惑して塁兎と電車とを交互に眺めていたが、何とかそのボールを受け取った。
――ああ、良かった。確かあの時はビビって線路の上で固まってたせいで渡せなかったけど、せめて夢の中では渡せて。
蓮は「塁兎も早く戻ってきて」と言いたげにまごついていたが、塁兎は彼女達から目を離さず、敢えてその場に棒立ちになった。
「塁兎っ何ぼーっとしてんの!? 早く戻りなさいよ! 馬鹿!」
電車を前にして塁兎が戻らないのに焦った彼女が罵倒交じりに怒鳴りつけてくるが、昔はあれだけ恐ろしかった彼女の怒鳴り声も今となっては何の迫力も持たない。
電車の運転手が線路の真ん中で立ち竦む子供の存在に気づいたらしくブレーキを掛けたが、もう間に合わない。後数秒もしない内にぶつかるだろう。
「塁兎ぉっ!!」
そう悟った時、何を思ったか彼女は遮断機の上に身を乗り出した。
「彼女!? 何してるんです!」
「放してっ! 放してよ!」
半ば放心状態になりかけていた蓮が漸くハッとして後ろから彼女を抑え込むが、彼女は蓮の手を振り解こうと必死になって暴れ回る。
あんな彼女は初めて見た。
五年前のあの日、自分を助けようと必死になっている彼女を見て塁兎はそう思った。
いつも蓮に羨望の眼差しを向け、僕の事なんかそっちのけで親鳥を慕う雛鳥の如く蓮の後をついて回っていた彼女が、塁兎を助けようと自分の身を危険に晒している。
そして現在の塁兎は、五年前と同じ光景を前にして当時と全く同じ疑問を抱いた。
――どうして僕なんかを助けようとするのか、と。
彼女が命を張ってまで助けるような価値なんて自分にはない。
ただ人より少し頭が回るだけ。人より少し手先が器用なだけ。ただそれだけの、空っぽな疫病神だ。
こうしている合間にも、五年前と似ているようで真反対な結末は近づいてくるが、不思議と恐怖は感じなかった。
電車と塁兎の距離が縮まる度に彼女の声が段々悲鳴に近いものへと変わってゆく。
希望の消えた真っ暗な世界で、自分だけが生き延びたって意味はない。それはこの五年間で嫌という程思い知らされた。
――皆に慕われ希望となる彼女が消えるなんてやはり、間違っていたんだ。
希望が消えたあの日から全部、この先の未来も幸せも何もかもが消え去ってしまった。
自分の事なんて嫌いだったが、今まで彼女がいたから生きて来れた。
なのにその彼女まで失ってしまえば空虚な日々を繰り返すことに意味などはない。
――そう、きっとこれが正解。
自分の消えた世界こそ――大事な人を誰も傷つけない理想の世界なのだ。
「違うよ。そんなの逃げでしかない」
頭の中に鮮明に響き渡ったその声を引き金に、それまで見ていた風景がぐにゃりと歪みだした。
「……霧島?」
名を呼んでみれば、飼い主と遊ぶ柴犬を連想させる明るい笑顔で更に距離を縮めてくる彼女は霧島由梨愛。個性豊かなノワール曲馬団の団員の中でもかなり騒がしい少女だ。
「塁兎君やっと起きたぁー! ご飯できたってずぅーっと言ってるのに起きなくてびっくりしたよ!」
何がどうなったか、よく分からないが周りを見回すと其処は確かに眠る直前にいた零音の部屋だ。
衣装ケースの上に乗ったデジタル式の時計を見ると、眠ってから約一時間半程の時間が経過していた。
「もう零音君怒りを通り越して呆れてたよ?」
「……そうか。すまなかったな」
余り男女が密着し過ぎるのは健全な男子高校生の精神衛生上色々とよろしくないので、早々に彼女を押し退け、怪我をした方の足に負担をかけないよう恐る恐る塁兎は立ち上がる。
痛みはするが、手当ては済ませてあるらしいしゆっくり歩いていけば大丈夫そうだ。
「確か飯ができたと言っていたな」
「うんカレー! 皆もう食べ始めてるよ!」
ドアノブを捻って廊下へ一歩踏み出せば、台所から聞こえてくる皿洗いの水音と陶器が擦れ合う微かな音でさえ明瞭に聞き取れる程、廊下は静まり返っていた。
――おかしい。夕食の時間帯になるといつも決まってリビングから近所迷惑なくらい喋り声が止まないのに、何故こうも静かなのか。
「……霧島」
「なにー?」
美少女がきょとんと首を傾げている仕草は、彼女の中身を知らぬ者から見れば可愛らしいのだろうが、今の塁兎にそれに反応する余裕はなかった。
「お前はもうカレーを食べたのか?」
「まだだよー。零音君と一緒に塁兎君呼びに行って、塁兎君が中々起きないから零音君は先にカレー食べに行ったの」
――何だろう。とても嫌な予感が……いや、寧ろ良い予感など微塵もしない。
「……霧島、お前はイロハのカレーを見たか?」
「今日何か塁兎君積極的だねぇ。うん、見たよ!」
普段滅多に塁兎から話しかける事なんて無いので由梨愛は珍しがりながら、何でもないような顔で無邪気に言葉を続けた。
「紫色のカレーでね! ジャガイモが叫んでたりしててさ、あんまりにも珍しくってつい吃驚しちゃった!」
「色々とツッコミたいが、イロハに飯を作らせるのはもう止めよう」
「えー何でー?」
紫色のカレーなど、最早カレー要素がどこにも残っていない。一体何処がどうカレーだというのか。
というかこの短時間で、アンリもついていた筈なのに何をどうやったらそんな殺人兵器が作れるのか。
「団員が数人死にかけてるかもしれん。直ちに救助するぞ」
「いえっさーー!」
――これからは今まで通り俺と零音でローテーションしよう。
塁兎はそう固く決意して、混沌と化したリビングへと飛び込んだ。
――しかし、あの夢に関して一つだけ疑問が残った。
さっき塁兎を夢から呼び覚ましたあの声は紛れもなく由梨愛のものだった。
だが起きた時彼女は至って正常運転だったし、常にハイテンション彼女の口からあんな辛辣な言葉が出るとも思えないし、あれも夢なのだろうか。
しかし、それならば何故彼女が夢の中に出てきたのだろうか。
あの夢が塁兎の過去に沿った流れなら、あの日俺が電車に轢かれかける直前にあの場にやってきた鬼灯が一切夢に出ないで、代わりに彼女が出てくるだなんて不自然だ。
――いや、所詮は夢。現実とは違うんだし深く考えるまでもないか。
現に夢の中では彼女を助けられたし、蓮にボールも渡せたし。初めのベンチで眠っていた所も謎だ……
由梨愛だけではない、よく考えてみると不条理な事ばかり起こっている。
そもそも何故、今日あんな夢を見たのだろうか……
――まあ、こうやっていちいち考えていても夢は夢なのだから仕方ない……か。
少し腑に落ちない部分があったがこれ以上は考えてはいけないような気がして、塁兎はこの事について考えるのを止めた。




