第十四話 立場逆転
【前回までのあらすじ】
逆ハー組のアキラ氏はチサキの弟でした。そして重度のシスコンでした。
今回表紙:鬼灯さんシリアス顔
――九年前 都内某所ーー
バレンタインを間近に控えた二月九日の深夜。その日は朝から雨が降り止まず、日が落ちた現在も絶え間なく窓を雨粒がノックしている。
人目にはつきにくい山中にひっそりと停められた一見バスにしか見えない研究施設の一室で、黒髪で眼鏡をかけたまだ少女にも見える白衣姿の女性が揺りかごの側にしゃがみ込んでいた。
「wow髪の毛はどうしよう♪ちょっとハゲてちゃまずいかな♪髪の毛を放り出しちゃった午後ぉ〜♪」
女性は揺りかごの中に眠っている幼児の為に子守唄を歌っていた。その幼児の黄金の髪の隙間からは普通の耳の代わりに暗褐色のテリア耳が生えており、明らかに人とは異なる容貌をしていた。
――ピーンポーン。
「wow被せたカツラじゃ♪ちょっとバレやすいからさ……およ?」
揺りかごを愛おしげに覗き込んでいた女性は深夜に鳴り響いたチャイムを不思議に思いながら立ち上がると、玄関へと駆けて行った。
「ほいほーいっお待たせしましタンゴ! どちら様どすえー?」
掛けていたチェーンを外し、鍵を開けて扉を開くが、其処には誰もいなかった。
玄関扉から漏れ出る室内の光を頼りに辺りに視線を巡らすも、夜の森は薄暗く視界が悪い。
連日の雨で泥濘んでいる地面にも足跡一つ残っていないし、人が来た形跡が残っていない。
「あっれ〜……? おっかしいでごわすな小松菜〜☆」
女性が首を傾げ、ふと視線を落とすと大きめの段ボールが扉の前に置かれていた。
悪戯だろうか? これを開けた途端に爆発とかしないだろうな? と訝しみつつも、今雨降ってるしどうせ死なないんだからと女性は思い切って箱を開けた。
「……え」
段ボールの中には老婆のように真っ白な髪の赤子がタオルに包まれて眠っていて、赤子の側には一枚の紙が四つ折りに畳んで置いてあった。
「驚き桃の木山椒の木ィッ!? 大変やぁぁああああああっ!」
……と叫び散らしたい衝動に襲われたが、そんな事をすればこの子や揺りかごの中に眠っている子を起こしてしまうので女性は声を潜めて呟くだけにし、赤子の側にあった一枚のメモを拾い上げた。
――名前は零音です。拾った方、可愛がってあげて下さい――
「アカン捨て子やぁぁぁあああ! 育児放棄やぁぁああああ! 大変やぁぁあああああ!?」
「博士どうしっ……ウワァァアア!」
女性が地面に崩折れ、混乱の余り頭を抱えて天を仰ぐ体勢で叫んでいるとその騒ぎに起こされた子供達がぞろぞろと玄関口へと集まってきた。
そしてダンボールの中の赤子を視界に収めた途端、鋭い悲鳴を上げる。
「大変だよはぐ! 博士がショタコンを拗らせてとうとう赤ちゃんを誘拐したぁぁあ!」
「ちょ、違……」
「バーっと通ったパトカーが〜♪ルナを〜引きずって〜署まで行く〜♪」
「キエエェェアアッ俺は無実だァァァア!」
「バーっと抜けた髪の毛が〜♪君の足元に抜け落ちる〜♪」
「藍も便乗すんな! 何だよハゲの歌って天才かよふざけんな!」
*
*
*
『戻りたいんですけど……?』
「今アジト内の電子端末は全て電源を切っているから、あんたが引きこもるのは不可能だよ」
アンリが視線を近くのテレビに向けつつ一歩後ろに下がると、鬼灯が下がった分だけ距離を詰める。
『……君は本当に俺の弱点を熟知してますね』
そう呟いた彼にいつもの飄々としていて余裕そうなアンリの面影は残っておらず、瞳に怯えの色を滲ませているし、口調も普段とは異なっている。
果たして本人がそれに気が付いているかはさて置いて、じりじりと彼を追い詰める鬼灯の楽しそうな様子といったらない。
鬼灯は普段Mだというのに、アンリが相手になるとSに変貌するのは何故だろうか。零音は首を傾けるが、こればかりは何度考えても理解できない。
アンリがまた一歩下がった時、とうとう彼の背中が壁に当たる。
そのタイミングを見計らっていたかのように鬼灯がアンリの真横に手を突くと、アンリはほんの一瞬だけびくりと肩を震わせた。
「捕まえた」
その隙に壁に着いていない方の手でアンリの片手を捕まえた鬼灯は低く囁いた。
アンリが視線で団員達に助けを求めるが、皆生温かい視線を返すばかりで動く者などいない。
常に気丈なアンリの瞳が徐々に潤んでゆく姿を見るのは二回目だが、前回よりも哀愁が漂っているのは何故だろう。
女性陣は「そんな姿を晒しても、彼の加虐心を煽るだけ」とアンリに教えてあげたかった。……今更伝えた所で遅いのだが。
「さっきから何をそんなに怯えているんだい? 怖がる事なんて何もないだろう」
鬼灯はいつになく弱々しいアンリの様子を見るや否や、大きく溜息を吐き――
「だってただ風呂に入るだけだろう?」
『それが嫌なんですよぉぉぉぉおおおおおっ!』
「はいはいお風呂は怖くないから。いい歳なんだから我慢しておくれよー」
風呂という単語を口に出した途端手足をばたつかせて無駄な抵抗を試みるアンリを鬼灯はずるずると脱衣所へと引きずって行った。
「っきゃあぁぁあああ! 何この美味しい展開!? 一瞬何が起こったかと思っちゃったよ!?」
「未成年の男の子デュフフフフ……美少年って存在するだけで世の中に貢献してるよねぇデュフ、デュフフフフフ……」
「あらまぁちゃんくっそキモい!」
「ゆりあんちゃんもねぇ!」
「そっかぁ〜私達気持ち悪いねっ☆」
「ねぇーっ♪」
楽しそうに談笑しながら朝食を取る女性陣に、塁兎は一人白い目を向ける。先に食べ終わった藍と零音は彼女らが何の話をしているのか分からずに首を傾げていた。
――それはさておくとして、アンリはどうやら水が苦手らしい。
先程零音が朝食を食卓に並べていた時に「風呂が沸いた」という塁兎の報せを受け、彩葉以外の女性陣の必死の懇願により鬼灯とアンリがレッツ朝風呂という事が決定したのだが、それを聞いた途端にアンリが血相を変えて家中を逃げ回りだしたのだ。
彼は二度も溺死しかけている過去を持っているので、一種のトラウマになっても仕方ないのだが、まさかここまで感情露わに拒絶反応を示すとは零音も思っていなかった。
「……ところで、一番の問題は年頃の男女が一緒にお風呂入るって事だと思うんだよね。何で誰も突っ込まないの?」
純粋に気になっていたその質問を口に出すと、途端に零音以外の四人が瞬時に顔を寄せ合い、声を潜めて緊急の会議を始めた。
「……ねぇ、この子まだ鬼灯さんを女だと思ってたの?」
「みたいですね……オレも初めは間違えましたし、誰もが通る道かと」
「俺も初対面時は間違えたな」
「あらまぁはすぐ分かったよぉ〜。あの子結構背高いしぃ、喉仏出てるしねぇ」
由梨愛の質問を皮切りに、少年達は何処か悲しい目をしながら頷く。対して貴腐人はドヤ顔で得意気に胸を張った。
何故だろう、鬼灯辺りがやれば確実にイラっとくる仕草なのに、一見幼女の彼女がやると子供が背伸びしているみたいで何とも微笑ましい気分になる。
……だがそれは飽くまでも「彼女が普通の幼女だったら」の前提条件が満たされていれば、の話だ。
「流石拷問狂・死体フェチ・カニバリズムと三拍子揃った血塗られし公爵夫人だな」
「私達とは人生経験が違うね!」
「えへへぃえへへぃ照れるぅ〜」
最早褒めているのか貶しているのか分からないが、あらまぁは前者で受け取ったらしくポッと頬を染めてもじもじとしている。
「か、かにばり……? 何ですかそれ……?」
ただ一人、塁兎の発言の意味が理解できなかった青年は戸惑いがちに首を傾げていた。
三人は顔を見合わせ、アイコンタクトを交わし互いにやるべき行動を確認した後、藍に向き直り――
「「「君は知らなくて良い」」」
――見事にハモったのだった。
「は、はい……? 皆さんがそう仰るなら分からないけど分かりました……」
藍は納得行って無さそうだが、三人の必死なハモりに何かを感じ取ったのかそれ以上の追求はしなかった。
「ふん、紛らわしい格好をするあの馬鹿が全て悪い。せめてあのメデューサのようなヘアスタイルだけでも何とかしろと言っているというのに。いっそ取り押さえて狩るか?」
紅い瞳を妖しく光らせ、塁兎が呟く。
恨めしげな声音から割と本気で言っているのが伝わってきて、由梨愛と藍は一瞬固まった。
あらまぁも基本的にボケしかしないので、「よし、そうと決めたらやろぉー!」と張り切りだす始末。
「あぁっそんな羊の毛刈りみたいなノリで鬼灯さんを坊主にしないで……!」
「で、本当どうする? 鬼灯さんは『男女の垣根を越えた美しさを持つ男の娘という名の新人類』ってそろそろ教えてあげた方いいかな?」
「あっさっきの話自体なかった事にされた!?」
復帰した由梨愛の華麗なスルースキルで何とか毛刈りから話題を逸らす事に成功したのだった。ただ一名、藍は頭を抱えているが。
「んーでも言った所で混乱させるだろうしぃ、本人が気づく日まで見守ってあげようよぉ!」
「夫人よ……お前は単に説明するのが面倒なだけだろう……?」
「バレちゃったのだ! テケッ☆」
「おい」
某ハムスターアニメの主人公みたいに首を傾げるあらまぁの脳天に塁兎の手刀が落とされたのは言うまでもない。
さてそんな混沌とした会話の内容を知らない零音はというと、突如皆に置いて行かれてしまったので、何か失言でもしてしまったのだろうかと不安げな顔で縮こまっていた。
――この辺りで鬼灯の真の性別に気がついてもよかったのだが、この日彼が真実に行き着く事は終ぞなかった。
「ふぁーあ……っせぇな……朝っぱらから元気なこったな」
不機嫌な声が聴こえた方へ皆が顔を向けると、テオドールが大きな欠伸をしたがら階段を降りて来る所だった。
寝惚けている時でさえ不機嫌そうな彼は髪をまだ結っておらず、胸元まで伸ばされた茜色の髪はボサボサと無造作に跳ねている。
「テオ……起こしたか。悪いな」
「別に……偶々早く起きただけだ。あの変態とだぜだぜうるせぇにゃんこのせいじゃねーし、テメェはいちいち謝んじゃねーよ。鬱陶しいな」
「む、そうか。すまなんだ」
「言った側から謝ってんじゃねえか……真顔でボケんなよ……」
いつの間にかヘアゴムとブラシを手にした塁兎が即座にテオドールに駆け寄り、彼を手近なソファに座らせて髪を器用に結い始める。
この手先の器用さを少しは女性陣にも見習って欲しいと思いつつ、零音は徐に立ち上がるとされるがままに髪を結われているテオドールへと歩み寄る。
「ねえ、君の朝ご飯できてるけど」
「馬鹿かテメェ。朝は食欲ねぇから俺様の分は作んなっていつも言ってんだろ」
寝起きでぼんやりとしていて、あどけなく毒気のない表情から一転してテオドールは零音を横目に鋭く睨みつける。
「ご、ごめん……」
「ちょっと、そんな言い方はないんじゃないですか?」
塁兎以上に目つきが悪い彼の迫力にたじろいでいると、食べ終わった食器を片付けにキッチンへ行っていた彩葉がいつの間にやら戻ってきていたようで、零音とテオドールの間に割って入る。
彼女の姿を確認した途端、テオドールは面倒臭そうに舌を鳴らした。
「チッ……俺様は事実を述べたまでだろ。何で咎められなきゃなんねぇんだ?」
「少しは言い方というものを考えてください。友達できませんよ」
彩葉は真顔でお得意の正論で武装した言葉攻撃をするが、テオドールはフッと嘲笑を浮かべる。
「生憎だが、ワイワイ馴れ合うだけの関係なんて俺様には必要ねーよ。……生き物なんざ所詮皆一人だ」
「うわぁ……」
幼さを残した顔立ちに合わない、大人のような何かを悟った目をしているテオドールの発言に彩葉は隠す事なく可哀想なものを見る目をした。「この子真性ぼっちだ……引くわ……」という心の声が漏れ出ている気がするのは何故だろうか。
「……テオ。格好付けてる所悪いが、一匹狼発言は自分で髪結べるようになってから言ってくれないか」
「……」
いつの間にか髪を結び終わっていた塁兎にぴしゃりと指摘され、髪のみならず顔まで真っ赤になったテオドールは言い返す余地もありませんとばかりに黙り込んで席を立った。
「何処へ行くんだ? 出掛けるなら行き先と帰る時間帯を言ってから……」
「俺が何処に出掛けようと俺の勝手だろ。いちいち俺様に指図すんじゃねーよ、人間」
鋭く塁兎を睨めつけながらドスの効いた声を上げるテオドール。完全に八つ当たりである。
「いや、出掛けるなら一緒に行こうと思ってな」
しかし其処は曲がりなりにも歳上の自覚があるからか、それとも単に鈍いだけか、一切動じない塁兎にテオドールは僅かに眉を顰める。
「はぁ……? 何言ってんだテメェ。学生は夏休みの宿題でもしてろよ」
「日記以外全て終わった」
「そんな馬鹿な。お前の学校夏休み入って一週間も経ってねーだろ……」
そこまで言いかけて、途中でその答えに思い至ったテオドールは盛大に溜息を吐いた。
「……あー……そういや此奴性格がアレ過ぎて忘れてたけどIQ190だったっけか……高校生レベルの宿題程度ならとっくに終わってても不思議じゃねぇよな……」
「もう一度聞くぞ。ついていっても構わないな?」
「……勝手にしろよ。くれぐれも俺様に迷惑かけんじゃねぇぞ」
「ああ、勝手にさせてもらうよ」
一切引き下がる様子がない塁兎にテオドールが根負けし、放置という名の承諾をすると、塁兎はフッと微笑んだ。
「協調性がない子ですね……」
二人が出掛けた後、彩葉は無表情でそう呟いた。
ノワール曲馬団No.8のテオドール。彼は先日塁兎に誘われてノワール曲馬団へほぼ強制的に入団させられたのだが、未だに馴染めずにいた。
それもそうだ、揃いも揃って人格破綻者で、仲間意識の強い団員達と一匹狼で人関係を築くのが致命的に下手な彼では反りが合う訳がない。
それに入団の切っ掛けが切っ掛けなものだから一部の団員に警戒されていたし、唯一普通に接せるあらまぁも由梨愛と意気投合し、今では腐女子同盟を組んで一緒に薄い本を買いに行く仲だ。
そして由梨愛と仲良くなれば成る程、テオドールとあらまぁが一緒にいる所を見掛けなくなっていって現在は食事以外ではアジトの三階に引き篭もっている。
――テオドールは曲馬団内で本格的に孤立し始めている。
「……そこまで僕の事敵視しなくても良いのに」
「殿下は生まれてからずぅーっと特定の人達としか接する機会がなかったからねぇ。それに複雑なお年頃だから……」
零音が苦笑気味に彩葉に返すと、特に意味も込めず呟いた言葉にあらまぁが苦笑を漏らす。
幼い頃から彼を見てきているかのような、近所のおばちゃん目線な発言に彩葉が首を傾げる。
「複雑なお年頃……? 魔族って無駄に若く見えますけど、彼実際は何歳なんです?」
確かにそれは気になる。
魔族は人間とは寿命が異なり、かなり長く生きる。しかも若い時期が長いものだからパッと見年齢が分からない種族だ。
例えばこのあらまぁも見た目ではテオドールより少し下くらいなのに、実際はノワール曲馬団最年長の五百歳(推定)だなんて普通誰も思わないだろう。
もしかしたらテオドールも数百年は生きていたりして……
「んー、えーと……確かイロたん達より五つ上だったから……」
質問を受けたあらまぁは考え込む素振りを見せていたが、暫くしてこう答えた。
「そうそう、思い出したぁ! 十四歳だよぉ!」
「「「「ガチの中二!?」」」」
見た目通りの年齢だった事に驚愕し、その場に残された四人の声が見事にハモる。
あらまぁは「何で皆驚いてるのぉ?」と疑問符を浮かべるが、かく言う彼女もこの団の年齢詐欺要員の一人だ。
アンリだって見た目は中学生のままだが、来年のバレンタインには十九歳(推定)になる。
――この団の年齢詐欺は止まる所を知らない。零音は改めてそう思った。
「ちなみにテオドール君は不登校児だよぉ。ここに来る前は王都から離れた深淵の森の古城に何年も引きこもってたんだよねぇ」
「……あらまぁさんの説明口調程違和感を感じるものはないね」
重い内容なのに、妙に緊張感のない間延びした口調のせいで本人不在の不登校暴露の衝撃が大分薄れてしまった。
「そぉーお? ところで零音君、只管照り焼きバーガーを眺め続ける仕事に興味ない?」
「その発言が衝撃的且つ意味不明過ぎて今までの説明が全て脳から飛んだんだけどどうしてくれるの?」
「なっ私の許可なく零音君を誘うなんて許しません! 零音君っ私以外の女子と目合わせちゃ駄目ですからね!」
「目を合わせると石ならぬ氷にされるんですね、分かります……じゃなくてそれは無理があるよね!?」
「愛があれば全ては何とかなります!」
嗚呼、愛って何て便利な言葉なんだろうか。
途中から彩葉も参戦し、不毛な論争が始まりかけた時。蹴破る勢いでリビングの扉が強引に開かれた。
『らぁぁんっ!』
「わっ……?!」
風呂場から逃げてきたらしい、上半身裸のアンリが脱兎の如く藍へ駆け寄り、抱き着いた。
余りの勢いに藍が体勢を崩しかけるがギリギリで踏みとどまり、アンリを受け止める。
『藍ヘルプ! あの変態女装くそホモバイセクシャルSMショタロリコンキチガイドマゾが無理矢理脱がしてくるんだよ、助けてくれ!』
藍に抱き止められたアンリはゆっくり顔を上げると、早口にそう捲し立てた。大きな瞳には涙が溜まっているが、果たしてこれは演技なのかガチ泣きなのか……その涙の正体が何にせよ、腐女子と貴腐人の目が輝くのは言うまでもない。
「物は言いようだね。あんたが自分で脱がないからこの僕が仕方なくやってあげてるんだろうが」
普段可愛らしく取り繕っている彼の声からは想像もつかない、少年の声が低く響くとアンリは大きく体を震わせる。
『ひっ、もう来た……藍っ今すぐ匿ってくれっ……わっ!?』
震えるアンリを藍は今までよりも力を込めて自らへと抱き寄せた。二人は身長差が約四十センチあるので、アンリは必然的に藍の腹に顔を埋める体勢になる。
その瞬間彩葉以外の女性陣が黄色い悲鳴を上げた。
『藍……?』
突然強くなった腕の力に戸惑いつつも顔を上げたアンリは上目遣いに藍を見やる。
「……ごめんね、蓮」
藍は悲しげに微笑み、アンリの頰に手を添えると目尻に溜まった涙を指先で優しく拭った。
普段と様子の違う藍にアンリは動揺するが、嫌な気持ちにはならなかったので目を閉じ、されるがままになっていた。
「はい、確保」
『……えっ?』
そして藍はアンリが瞼を閉じた隙に、アンリを軽々と抱き抱えてみせた。所謂「お姫様抱っこ」という体勢になった訳だが、そこに来て漸くアンリは藍の意図に気がつき、みるみる顔色を悪くさせる。
『ら、藍……?』
「アンリ。実体化モードで過ごす気なら、日本人たるものお風呂はちゃんと毎日入らないとダメだと思うんだ」
先程とは違い、自らが行き着いた答えを否定して欲しくてアンリはその名を呼ぶが、咎めるような目を向けられるだけだった。
――アンリは失念していた。幼馴染で、親友で、昔から見てきたよく知るこの青年は気が弱くて優しい。いや、優しいを通り過ぎてお節介な面があるという事を。
アンリよりも藍と付き合いの長い鬼灯は初めからこうなる事を計算した上で、アンリが逃げ出した時の保険として彼を利用していた。
――天使のような容貌をしている癖に、悪魔みたいな奴だ……
静観している女性陣と零音はそう思ったが、アンリが本気で水が苦手という事を女性陣は知らないし、知っている零音もヘタレなので助けにはいかない。
……これもきっと、鬼灯の計算の内だろう。
「藍君よくやった。さぁて、其処の生意気な黒猫を風呂に連行するとしようか……?」
鬼灯は愉悦感たっぷりに口角を上げ、アンリにとっては死刑宣告とも取れる言葉を吐き捨てる。
『にっ……にゃぁぁぁああああああああああああああああっ!!?』
――白昼の路地裏に、少年の悲鳴が何処までもこだましていった。




