第十一話 冴島彩葉2
二週間ぶりの更新。そして結局文字数は通常運転となりました。
【改めて前回のあらすじ】
悪役令嬢で修羅場でえっとえっと(以下略)
人と妖は決して交わる事はない。
――これはお互いの種族間で、気の遠くなるような大昔から守られている暗黙の了解だ。
だから私という存在はとてもイレギュラーなのだ。
はてさて、私の話に入る前にちょっと昔話をしましょうか。――我々の因縁の物語を。
まず、こんな暗黙の了解のできるよりもずっと前のお話から。
太古の昔この世界は一つで、全ての種族は同じ世界に住んでいたが神族と魔族の戦争が起こり、双方だけではなく他種族にも多大なる被害が及んだのでとある原始の神が世界を五つに分けた。
神族は天界、人間は人間界、妖怪は妖界、亡者は冥界というように。
互いの世界は摂理で隔たれており、決して立ち入る事は出来ない。
それから長い間、五界の平和は保たれていた……
――しかし、千年程前。忌まわしい魔族めは特殊な術を使った場合に限って他世界を行き来できるようになると気づいたのです。
それは魔門。魔界各地に設置されており、それを潜るだけで他世界へ行き来できる。
魔界はまず妖界に通じる魔門を作り、妖界へ攻め込んだ。すっかり平和ボケし魔族が攻めてくるなんて夢にも思っていなかった妖怪達は為す術もなく虐殺され、故郷を蹂躙されていった。
これが第一次大魔侵攻。
この時先陣を切ったのは第665代魔界四天王。当時の四天王は「七つの大罪」の称号を持つ魔界貴族の中でもトップクラスの権力者の他、当時の魔界帝国ダークネスの皇女であり現魔王サーシャもいた。
第一次大魔侵攻の結果妖界は魔族側に乗っ取られ、僅かに生き残った妖怪達は奴隷として魔界へ連れて行かれた……
だが、魔界に連れて行かれた一部の妖怪達は魔門の技術を魔族から盗み、更に妖術としてアレンジし……人間界へ通じる鬼門を作ってみせたのだ。
それが日本に四十八あると言われる鬼門だ。
だが鬼門は不完全で、魔界から人間界へ行く場合は問題ないのだが人間界から魔界へ行く場合いつ鬼門が開くのか分からないという事。
だが魔界から逃亡した妖怪達がまた魔界に戻る理由もないので本人達的には構わないのだが、今その鬼門を使って人間界へ来ている魔族は誠にざま……ご愁傷様だ。
さて、閑話休題。私に関わる話に戻りましょうか。
人間界に逃亡した妖怪はその後二つに分かれた。
人間界を蹂躙し新たな妖怪の住処にしようとする者と、人里離れた土地で正体を隠してひっそりと暮らす者。
前者はとにかく人間達にちょっかいを出しまくっていたが、それを見咎めた神達が人間達に力を与えて陰陽師が誕生し、妖怪と人間の亀裂が大きくなっていった。
――そんな時代に父と母は出会ってしまった。
私の母は雪女族で最も偉い位である『姫』を冠していた。
暗闇で微かに発光する色素が薄い蒼の髪を長く伸ばした、美しく聡明でとても心優しい女性だった。
優しい母は雪山で怪我をして倒れている世にも美しい白髪の青年を見つけ、放置する訳にもいかず介抱した。それが後の私の父だ。
髪の色ですぐに妖怪とはバレたものの、種族など全く気にせず一人の女性として自分を扱ってくれる父に母は恋に落ち、父もまた瀕死の自分を救ってくれた恩人である母に一目惚れしていた。
一族の反対を押し切り、姫の座を捨てた母は父と結婚し、父の住む村の麓の小屋で暮らし始めた。
やがて母と同じ色の髪を持つ兄と、父と同じ色の髪を持つ私が生まれた。
家庭にはいつも笑顔が溢れていて、父と母の話を聞く度に私は強く願うようになったのだ。
私も恋をしてみたい、と。
私がそう言う度優しい母は「大人になったらできるわ」と笑いかけ、温厚な父は「彩葉がお嫁に行ったら寂しいな」と寂しそうに頭を撫でてくれた。
賢い兄は「え? 可愛い可愛いボクの妹をその辺の男共に渡す訳ないっしょw? てか彩葉が欲しければまずボクを倒してからじゃないとね! まあボク神童だからwww? 負ける訳ないけど?」と笑顔で怒り出すのだ。
……兄上には零音君は紹介できそうにないわね。
そういえば兄上といえば他にも……あれ? 何故だろうか。他の事は朧げでよく思い出せない……
――私ももう年かしら?
「冴島さん」
五時間目の終業の鐘が鳴っても戻ってこない零音君に苛立ちと、もしや何かあったのかもしれないという不安と焦燥の果てに現実逃避的な思考に耽っていたせいで気がつかなかったが、いつの間にか目の前に現れた派手な出で立ちの少女がにっこりと笑みを浮かべた。
「……何でしょう」
余りにも他人に対する興味が薄く、友達というものがいなさ過ぎるせいで一瞬自分が呼ばれた事に気付かなかったが、確かに今この子は「冴島さん」と言った。
このクラスに冴島は私一人だけなので、呼ばれているのは私に間違いはないだろう。
「お話があるの。ついてきて貰える?」
「はぁ……」
――話とは何でしょうか。零音君に夢中すぎて他人など眼中にもなかったので、クラスメイトとは必要最低限しか会話を交わした覚えはないのですが……
疑問に思いつつ相槌を打った後で目の前の少女をよくよく見てみるとクラスメイトより大分大人びた、そして高そうなデザインの衣装に身を包み、緩くウェーブのかかった黒髪をリボンで飾っている。
笑顔を湛えてはいるが笑顔の奥の眼光がかなり鋭く、明確な悪意がちらついており冗談にも友好的なものとは言えなかった。
彼女は暫く私を見定めるかのような探りの視線を入れた後、微かに鼻で笑った。よく分からないが不快だ。
それを口に出そうとしたが少女が「着いてきて頂戴」と私に背を向けて歩き出したので、ただ不快に思うだけで終わった。
*
碌に換気もされていないのか、空気が埃っぽくて私は僅かに咳き込んだ。
机が全て後ろに下げられた空き教室は、今までいた教室と同じくらいの面積の部屋なのにやけに広く感じられる。
わざわざこんな人目につかない場所を選んで集団リンチでもする気かなどという馬鹿げた想像をついしてしまったが、開けた室内に人の隠れられるスペースはないのでそれはないだろう。
「お話とは何でしょうか?」
「……あ、あのね。冴島さん……」
私はまどろっこしいやり取りは面倒なので、単刀直入に問うと彼女は俯いてもじもじとしだした。
こういうのは男子から見れば愛らしい筈の仕草なのだろうが、特に何の感情も湧いてこない。
大体自分が何故呼ばれたか皆目見当もつきませんし。
私も見知らぬ人間に必要最低限以外で付き合う義理はないですし、何より面倒臭いから早くしてはくれませんか……
「――あたしね、貴女に消えて欲しいの」
「……は?」
軽く憤りすら覚えながら内心不満を募らせていた私は、予想だにしない言葉に間抜けな声を漏らした。
そして同時に全てを察した。
――ああ、零音君の信者か。
私のこの世の何よりも愛しい零音君は常に学年で一番とそれは聡明で、肩に着くくらいの銀にも見紛える色の髪に縁取られた陽の光をあまり浴びていなそうな白皙の肌、そして銀色の瞳。
同年代の子供と並んでも一際小さく華奢な彼のはにかむ姿は少女と言われても違和感はなく、実に可愛らしい容姿をしている。あぁああ零音君まじ可愛いまじマイエンジェル。てか絶対嫁……おっと失礼、取り乱しました。
えー、そんな可愛い容姿の零音君ですが中身はまた別。
曲馬団ではともかく人前ではわざと表情を消すことが多い彼は常に怜悧な雰囲気を纏っている。
それが少し近寄りがたいので、他生徒からは一目置かれている存在。
――小学校高学年。それは大人びようと背伸びしていく時期であり、同年代の子供の一歩先を行く零音君が同級生達には魅力的に映ったのだろう。
零音君は女子達に密かに人気を集めている。
実に由々しき問題だがそれはさておき、そのファン達が問題なのだ。
零音君を信奉し、彼の一挙手一投足に注目しては無断で彼の非公式グッズなどを作成・所持し、時にはストーカー紛いの行動までやってのけるファンというよりかはカルト集団な連中が多いのだ。ちなみに行き過ぎた行為をする者は私の手により断罪されているので安心して欲しい。
閑話休題。そしてそういう連中の殆どは、零音君の彼女である私に対して一方的に突っかかってくる事が多い。その都度言い負かしているが。ふっ、小学生のお子様なんてちょろいですよ。
「聞こえなかったの? あんたが邪魔って言ったのよ。貧乳」
口を閉ざしたままの私に調子づいたのか、敵意を隠しもせず全面に表して蔑みの視線を送りつけてくる。
零音君に悟らせない為にもこういう時は穏便に事を済ませるのが一番だが、この頭に血が上ってるお嬢ちゃんには私が何を言っても聞く耳を持たないだろう。
「あら、何故でしょう。私と貴女にはまず接点がないとお見受けしますが」
言外に「お前なんか知らない」と告げたつもりだが、その嫌味はどうも伝わらなかったらしく彼女は鼻で笑う。
「はっ、んな口調して優等生気取り? ちょっと顔が良いからってマジウザ……自覚ないわけ?」
「ですからこうしてお聞きしているのですが」
半ば呆れつつ私は冷静に言葉を紡ぐが、その冷めた返しが彼女の琴線に触れたようでみるみる顔を赤くする。
「っ分からない!? あんたが邪魔なのよ! 皆で抜け駆けしないって決めたのにあんたが突然現れて、彼女面してあたしの零音君にべったり張り付いてさ! あたしだけじゃなくて女子は皆あんたがウザいと思ってるから!」
――嗚呼、下らない。
「負け犬の遠吠えなど、私には取るに足らないことですね」
「な……!」
まるで玩具を取られた幼子のような癇癪と暴論に、私の心は冷え切っていた。
我慢しきれず漏らした皮肉な言葉に、彼女は口をパクパクとさせる。今のご自分の姿、鏡で確認しては如何ですか? 酷く滑稽ですから。
「陰から遠巻きに眺めているだけの女達なんて、何かと理由をつけて恋する乙女を気取ってますが結局は片思いをしている自分とその状況に恋しているだけでしょう?」
「何ですって……!」
――白馬に乗った王子様が迎えに来るなんて絵空事だ。
物語の深窓の姫を気取り、待っているだけで自分からは何もしないで、それで王子様を取られたら嫉妬するなんて愚鈍にも程がある。
「恋は戦争です。敵がいれば蹴落とし、どんな手を使ってでも彼の気を引く。何もしない内から諦めて戦うことすら放棄した小娘共の癇癪に付き合ってる暇はないんですよ」
例え失うものの方が大きかったとしても、それが真実の愛ならば欲しいものが隣に在ればそれだけで幸せだ。
そして戦争の結果勝ち取れなかったとしても、何もしないで諦めて、後で後悔するよりは幾分か晴れやかな気持ちになれる。
「今回の事は貴女方には良い教訓になったでしょう。……綺麗事を並べてノロノロしてると、ぽっと出の女に王子様を奪われてしまうと」
相手に振り向いて欲しいなら、強引でもいいから行動を起こさないと。
――手遅れになってしまう前に。
挑発的に微笑むと、眼前の彼女はわなわなと拳を震わせる。
……言いたい事を散々述べたが、頭が弱い子相手に少し大人気なかったかな。そこは反省しよう。
でも、でもだ。確かに私はぽっと出の女に過ぎないが零音君はもう私のもの。私と零音君が授業中机をくっつけあっている事にせよ、一つ屋根の下で暮らしている事にせよ、私が彼女達に文句を言われるのは筋違いというものだ。
零音君はもう私だけの所有物なんだから、私が独占して何が悪いっていうの? 束縛して私に縛り付ける事の何が罪だというの? 私は悪くないわ……コホン、失礼。またも取り乱しました。
さて、またまた閑話休題です。……しかし、今までの群がらないと言いたいことも言えない女子たちに比べると取り巻きも使わず一人で私を呼びつけて話し合いに臨もうとしたその姿勢だけは褒めてあげなくもない。
「お話はそれだけですか? なら帰らせて頂きます」
終始無言で私を睨みつけるだけの彼女に、「もうこれ以上私に関わるな」と言外に告げると目を見張られたが、私は最後まで毅然とした態度を崩さずに踵を返して部屋を出ようとした。
「……大人しく消えてくれれば考えてあげたけど、残念ね」
ぽつり、呟かれたその不穏な響きにバッと振り返ると、彼女の右手には小さな果物ナイフが収まっていた。
状況の理解が追いつかないが、反射的に構えを取って一歩距離を置く。しかし、その心配は必要なかったらしい。
「キャアァァァァアアァアアアァアアアアアアアァっ!」
――ナイフが振り下ろされたのは、彼女自身の腕だったからだ。
「何してんですか!?」
「止めて! 触らないで!」
赤い飛沫が舞って、彼女は床に座り込む。突然の暴挙に唖然としたが、悲鳴にハッとして傷の深さを確かめようと腕を取るが彼女はそう叫んで私にナイフを投げつけてくる。それを咄嗟に躱した隙に腕を振り解かれた。
至近距離で叫ばれると耳が痛いから止めて貰いたいが、それだけ喚く元気さがあるなら大丈夫そうだ。
だが早く手当てをしないと、もしかしたら傷が残る可能性もある。
流石の私でも自傷をしたクラスメイトを放置する程冷徹ではない。だが道具もないので、せめて応急処置にとポケットから止血用にハンカチを取り出した。
だが私が触れる事すら嫌がる相手に、私一人で応急処置するのは正直難しい。どうしたものかと頭を抱えた時、先程の悲鳴を聞きつけたのか足音が近づいてくるのを感じた。
「どーしたの、美憂!?」
慌ただしく扉が開かれ、三人の子供(内訳女子一人、男子二人)が教室内に進撃してきた。そのうち何人かは見覚えがある顔なので、恐らく同級生なのだろう。口ぶりからして彼女の友人だろうか。
「あら丁度良かった、手伝ってください」
「煩い! 俺らの美憂に寄るなこの女狐!」
「俺達の美憂様から離れなさい!」
ハンカチ片手に私は柔らかい口調で告げ終わるより先に、何を勘違いしたのやら彼らは地面に座り込む彼女へ駆け寄った。
彼らの言動に首をひねったが、自分の足元に視線を落とした時、私は漸く状況を理解した。
場所は空き教室。私の足元のナイフ、怪我をして蹲る少女という構図から自然と導き出される結論。……少なくともこの彼女が自傷したと考える人間はいないだろう。
彼らの不躾な態度にも合点がいった所で、私は我に返る。
――成る程。一対一で話し合いに臨んだのはこの為ですか。
「って美憂様血出てます!」
「早く止血しねぇと……!」
「美憂、とりま落ち着いて! どうしたの!?」
普段からクラス内で友達と呼べる存在も碌に作らず孤立している私と、こうして駆けつけて心配してくれる友人がいる彼女。
その間でこんな事態が起こったとなると当然皆彼女を信用し、その言い分を鵜呑みにし私を滅すべき「悪」として糾弾するのは目に見えている。
頭が弱そうだと思ったこの子は、初めからそれを計算していたのか。私は苦笑を漏らさざるを得なかった。
――これは……詰んでますね。
だが全て察した上で大人しく陥れられる程往生際の良い私ではない。無駄な足掻きになるだろうが、この彼らが少しでも話のわかる人間である事を祈ってせめて私が悪人に見えないような行動を取ってみせるしか手はない。
「良ければこのハンカチを」
「誰がてめーみてえなアバズレから借りるもんかドブス! 美憂が穢れるだろーが!」
握ったままのハンカチを集団に差し出すと、集団の中でも一際目立つ金髪の少年が荒々しく唾を飛ばしながら私の手を弾いた。
まぁ、なんて酷い言葉遣いでしょうか。貴方は人をディスれるくらいの顔なんでしょう? もったいない、これでは百年の恋も冷めますね。
それに丸腰の女性に手を上げるなんて男として恥ずかしくないんですかね? 礼儀を一から勉強し直しなさいこのクソガキ。
ひりひりと痛む手を摩り、悟られないように無表情の裏側で悪態を吐きながらハンカチを拾う。
埃だらけの床に一度落としてしまったし、これはもう手当てに使えそうにありませんね。
「み、皆ぁ……」
「もう大丈夫だからな、美憂」
「美憂様、何があったか話せますか?」
うるうると瞳に分厚い膜を張る少女の頭を金髪の不良が優しい笑顔でそっと撫で、眼鏡をかけた少年が慰めるように抱き締める。
――うわ、逆ハーリア充劇繰り広げ始めた。
私は冷めた気持ちで砂糖を吐きそうな甘々の光景を眺めていると、私と似たような表情で逆ハーレムを眺めている少女の存在に気がつく。
灰色の髪をお下げに結んだ、可愛らしい顔立ちの少女は逆ハー軍団の側にこそ居るものの、一人だけ何処か冷めた空気を発していた。
彼女の事が少し気になったが、次の瞬間にはまた件の彼女に私の意識は戻っていた。
「あの女が……冴島彩葉が……急に切りかかってきたの!」
彼女がわざとらしく私を指差して発した予想通りの台詞を引き金に、物凄い音を響かせて扉から私としては見慣れた……そして意外な人物が姿を現した。
「零音……君……?」
無言で教室内を見渡す零音君の表情はいつになく固く、私ですら声を掛けるのを躊躇ってしまう程だ。
「誰かと思えば羅夢音じゃねえか。テメエの彼女がうちの美憂に手出してんだが、どう責任取ってくれんだ? あ?」
空気の変化も感じ取れない金髪不良はただ怒り心頭といった様子で零音君に突っかかる。
おいやめろ零音君に触れるなゴミが。零音君が穢れたらどう責任取ってくれるんです? えぇ?
「アキラ君止めて、羅夢音君は悪くないわ!」
「そうです、暴力では何も解決しませんよ」
「ハル君に同意ね……」
アキラとかいう不良は皆に言いくるめられ、渋々といった様子で零音君から口を噤んだ。
そして逆ハー軍団の空気はお下げの少女を除いて次第に甘さを帯びてゆく。また下らない茶番が始まるのか、とげんなりしている時にそれは起こった。
「――全員、そこから動くなっ!」
静かなる怒りを秘めた鋭い声に教室内の誰もが息を呑んだ。
学校でのクールな秀才とも、ノワール曲馬団のちょっと頼りない子供とも違う――ゾッとする程冷徹で空虚な笑みを浮かべる一人の少年が其処にはいた。
「茶番は必要ない。何があったか説明して貰えるかな。まずはそこの三人から」
「は? 今更そんな必要が……」
「分かりました。では俺から説明しましょう」
不気味なくらい感情を感じさせない声で眈々と指示する零音君に私はただ圧倒されていた。あの零音君にこんなカリスマ性などあったろうか?
不良が疑問を口に出すが眼鏡の彼は冷静に……いや、零音君の豹変に対する混乱を必死に押し隠して冷静を装って頷いて見せる。
「俺とまどかさんとそこの金髪は休み時間に入ったので美憂様の教室に行ったんです」
「誰が金髪だオラァ! 俺にはアキラって名前が……!」
「そしたら美憂様がいなかったので、クラスの子に聞いたら冴島さんと出て行ったというので探しに来たら、悲鳴が聞こえたんです。
悲鳴を辿ってこの教室に来たら美憂が倒れていて、彼女の足元に刃物が転がっていたんです」
途中文句を言ってきた金髪を華麗にスルーして、眼鏡の彼は「美憂様」とか呼んでいる少女に偏った擁護する内容も、私を非難する内容も一切含まず、言われた通りただありのままの事実を述べた。
――へえ、あの不良はダメっぽいですがこの眼鏡さんは意外に真面そうですね。
私の中で地の底に落ちかけていた評価が僅かに上昇した。
「森谷、不良野郎。彼の陳述に間違いはない?」
「不良野郎ってなんだよ!」
「ええ、間違いないわ」
「お前もスルーすんじゃねえよ! だぁあ合ってるよくそったれ!」
零音君に視線を向けられたお下げの少女森谷さんはたじろぐ姿勢も見せず静かに頷き、不良野郎はぎゃあぎゃあ喚き立てつつも肯定した。
「成る程、分かった。次は西園寺」
「ええ! 急にその女が私をここに呼び出して、私の腕を掴んで切りかかってきたのよ! この傷とその子の足元のナイフが何よりの証拠だわ!」
「ナイフ、ね……」
知性の欠片も感じさせない、躾のなっていない馬鹿な犬のように喚き立てる彼女に私は心の底から呆れ返って溜息を吐いた。他人に対する評価って、たった数分間でこんなにも著しく下がるものなのですね。と思わず感心してしまう。
一方零音君は呆れる様子も怒る様子もなく無感情に呟き、私の方へ向き直る。笑顔を浮かべているのに私を映している銀の瞳はとても冷たく温度を感じさせない。
「それ貸して」
「は、はい」
此方へやってきた零音君は私の手からさっき落として埃のついたハンカチを受け取り、軽く叩いて埃を払った後ハンカチで包み込むようにナイフを拾い上げた。
「これは僕が預かる。そして然るべき所に調査を申請して詳しく調べてもらう。西園寺、他に言い分は? ……無いようだね。じゃあ最後は彩葉」
恐ろしいくらい美しい、絶対零度の凍てつく笑みを向けられた彼女は心此処にあらずといった様子で頬を薔薇色に褒めながら、首を横に振った。それと同時に男性陣から嫉妬や殺気の込められた視線が零音君に集まるが、彼は気にも留めずに話を進めてゆく。
「はい」
不穏な空気の中名前を呼ばれた私は内心ドキリとするも、それを表には出さず毅然とした態度で返事をした。
「昼休み、自分の席で零音君を待っていたら彼女に『話がある』と呼び出され、ここに連れてこられました」
「それを証明できる人物はいる?」
「その時教室にクラスメイトがいて、そこの彼らの話だと私と彼女が教室を出る所を目撃している者がいるようなので、彼らが証明してくれるでしょう」
そこまで言って一旦区切ると、零音君が不敵な笑みを骨抜き状態の彼女に向ける。
「……あれ、おかしいね。西園寺の話だと彩葉が西園寺を連れ出したんじゃなかったかな?」
「こ、混乱しててうろ覚えだけどそうだった……かも」
「可哀想に、切りつけられたショックで記憶が曖昧なのですね……」
花畑から帰ってきた彼女は目を眇め、どもりつつ苦しい言い訳を述べる。信憑性の欠片も感じられない言い訳に眼鏡の彼はまたも都合良く勘違いしてくれたらしく、同情の籠った視線を彼女に向けて優しく背中を撫でている。
あ、うん。不良君と比べると比較的マシかと思いましたけど、彼も相当重症のようで。
「へえ、そう。……あ、茶番見たくないから彩葉続けていいよ」
「はい」
この時の零音君の目とお下げ頭の少女の目が完全に死んでいたが、恐らく私も同じ目をしているので指摘は出来ず指示された通りに動く事に決めた。
「そのまま此処に連れてこられ、急に『邪魔だから消えて』と言われ、彼女が勝手に自傷したんです」
「嘘よ!」
自己流恋愛理論の辺りは説明するのが気恥ずかしかったので大分省いた形になったが、要点は伝えられたのでまあ良いだろう。
「君は黙ってて。君の言い分は後でゆっくり聞いてあげるから……今は彼女のターンだ」
「ってめえ……」
「はいはい、君怒りすぎー。どんだけ血の気多いの?」
私の言葉に被せるように文句を言ってきた彼女を片手で制す零音君の涼しげな態度が気に入らなかったのか何なのかは知らないが不良が再び零音君に食ってかかろうとしたが、それも零音君は緊張感の一切ない言葉で遮ると彼はそれにも不満そうに舌打ちする。
「私は突然の自傷に驚きつつも彼女からナイフを取り上げようとしましたが、彼女がナイフを投げて悲鳴を上げた途端にその三人が飛び込んできました。私は手当てをして差し上げようとしましたが、その三人に阻まれてできませんでした」
「は、物凄い速さで嘘を並べる女だな。手当てとか言って美憂を傷つける気だったんだろ、この犯罪者が!」
「あら、証拠も何もない勝手な憶測ですね。それよりもその場の状況のみで私を悪と判断し、更に手当てをしようとした私の手を叩いてハンカチを落とした貴方の人間性を疑いますが」
「んだと!」
説明が終わると同時に私を犯罪者扱いしていちゃもんをつけてきた不良に笑顔を向けると、不良はまたも顔を真っ赤にして拳を握り締める。
零音君の言う通り、彼は血の気多すぎですね。一度落ち着いて物事を深く考える事を覚えるべきかと存じます。
私達は暫く睨めっこをしていたが、零音君が何か言いたげに咳払いをしたので制止した。
「君ら三人は僕と変わらない、野次馬の乱入者だ。つまり全ての状況が分かり、証明できるのは当事者の二人だけ。でもその二人の意見は食い違っている……さて、冷静に考えてご覧。どちらの話の信憑性が高いかな?
最もこれから得る目撃証言やそのナイフを調べた結果どちらが正しいかすぐに分かるだろうけど」
――これが乙女ゲームの世界なら、今は間違いなく断罪イベントの幕引き部分だろう。
零音君が言葉を紡ぐ度顔色を青くする件の彼女と男子組に内心ほくそ笑む。
あの女もやはり馬鹿だ。この場に零音君が駆けつける所から既に仕組んでいたのかは今となっては不明だが、こんな事で零音君の気を引いてあの逆ハー軍団に加えようとでも画策したのだろうが、甘過ぎる。
彼女は本気で零音君がそんな事で私を見限り、他の女に靡く男とでも思っていたのだろうか? だとしたらそれは零音君と私への冒涜だ。
――零音君の本質も見抜けないような奴が零音君に近づいて良いと思うなよ。
零音君の隣に並ぶ資格を持つのはやはり私だけだ。
「それは本当に平等な検査結果が出るのかしらね?」
全てが順調に幕引きへと向かっていた時、思わぬ所から声が上がった。
「と言うと?」
「羅夢音君は冴島彩葉の恋人。自分の彼女に都合が良いようにすり替える可能性だって捨て切れないわ」
零音君が場を支配し始めてからは終始口を挟まず、傍観者に徹していた森谷まどかと呼ばれた少女は真剣な眼差しでそう問うていた。
反論の余地を無くし、青ざめていた件の彼女は縋るような瞳をまどかに向けている。
「成る程……君の言い分は尤もだ。でもその辺は安心しておいて。僕は身内贔屓はしない主義だし、ちゃんとした所で正当な検査を頼む事を誓うよ。その結果万が一彩葉に不利な情報があっても隠蔽したりはしないさ」
――この状況において尤もな質問だが、何故今になって彼女が口を挟んだのか。
零音君も恐らく私と同じ事を思ったろうが口には出さず、幾分か穏やかになった眼差しでまどかを見返す。
まどかはその言葉に訝しんでいる様子で零音君を見つめていたが、突如ハッと何かに気づいたように目を見開かせた。
「……分かったわ。貴方の言葉を信じましょう」
静かに頷いたまどかに零音君は首を傾げつつも、己の纏う張り詰めた空気を多少柔らげて「そうかい」と言う。それに対し逆ハー軍団、特にあの煩い不良は酷く動揺する。
「おいまどか、そんな簡単に……」
「まぁ君が信じれないのも無理はないか。君こそ身内贔屓をして彩葉の言い分を真っ直ぐに聞こうとする姿勢すら無いものね」
「ってめ……!」
蔑んだ目でせせら笑う零音君に、とうとう我慢しきれなくなったのか不良は素早く立ち上がって物凄いスピードで零音君の胸ぐらに掴みかかった。
「ねえ知ってる? 平手打ちも傷害罪になるんだよ?」
その拳が零音君目掛けて振り下ろされようとした瞬間、ピタリと止まった。
それと同時に反射的に構えを取った私を、零音君は他の人達に見えない角度でスッと片手でいなす。
「……放してよ」
不良は心底悔しげに零音君を睨みつけ、掴んでいた手を放した。零音君は依然飄々とした態度で彼を一瞥したが、興味がないとでもいうようにすぐ件の彼女に視線を落とす。
――十にも満たない子供が傷害事件を起こしても余程の事でなければ目を瞑られますし、実刑が下る事はないですが九歳の馬鹿な子供達には十分な脅し文句になったようですね。彼らが法に無知な事に感謝しましょう。
「西園寺もさ、今素直に話した方が身の為だと思うけれど? こんなのちょっと調べればすぐに分かるし」
――まずは泳がせて、徐々に追い込んで行き自白に追い込む。流石零音君、天然の鬼畜だわ。
西園寺とかいう女は彼の言う事を聞いて自分かどれだけ浅はかな行動を取ったか思い知れば良いのです。
「……認めるわ」
か細い呟きは静まり返った教室にやけにハッキリと響くと同時に息を飲む音が聴こえる。
「美憂様……なんで……?」
「だって……あの貧乳女が我が物顔で零音君につきまとってて邪魔だったのよ。あの女さえいなければ……」
「美憂様……」
眼鏡の彼が戸惑いがちに彼女の名を呼ぶが、俯いている彼女の顔色は伺えない。
――ああ、なんて醜いんでしょう。そしてなんて哀れなのでしょう。
「実に愚かですね。そんな理由でご自分のお仲間を利用までしたんですか?」
彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込み、挑発的に笑えば男子組からムッとした顔が返ってくるが、私は蹲ったまま顔を伏せる彼女一人だけを見据える。
――そう、断罪はまだ終わっていない。
「零音君の言葉を借りるようですが、こんな事件ちょっと調べればすぐ貴女の捏造だってバレます。
そうしたら貴女だけではなく、貴女に加担する彼らも共犯と捉えられ処罰を受けていた可能性もあったのですよ」
「あ……」
――彼らは私に言われてやっと事の重大に思い至ったらしい。彼女も、男子組も瞠目しているのがハッキリと伝わってきた。その愚鈍さに湧き上がってくる感情は呆れではなく……憤りだった。
「それを考えもせず、自分の為だけに仲間を駒として利用した貴女はただの最低な小娘です」
――身の程を弁えろ、下女が。
止めとばかりに言い放つと、彼女の身体がぐらりと傾いた。眼鏡の彼がすぐ支えたものの、彼も酷く顔色が悪い。あれだけ喧しかった不良までもが口を噤んでいる。
――パチパチパチ。
何度目かの静寂を破ったのは、いつになく愉しげな零音君の拍手だった。
「はい、お見事な断罪でした。これで事件は解決だね……ちなみに今までの会話は全てこのボイスレコーダーに録音させてもらっているから」
「「「さりげなく何を」」」
爽やかに胸ポケットから小型のボイスレコーダーを取り出し、得意気に見せびらかす零音君に三人の声が重なる。
「後で言い逃れされて逃げられない為にだけど? ちなみこれ警察でも使用している奴で音声の加工とかはできないようになってるから」
「……それって俺たちを脅してます?」
終始笑顔を絶やさず、九歳の子供とは思えない発言を繰り返す零音君に眼鏡の彼が乾いた笑い声を漏らした。
「まぁ今回は大目に見てあげるけど、もし今後彩葉に手を出すような真似をすれば……分かるよね?」
何処か陰のある妖艶な笑顔に三人組が震えるが、顔色は少し良くなっている。
それもそうだ、今までの脅しとも取れる零音君の言動の数々から警察に突き出されてもおかしくはないと感じて絶望していた所を零音君自らが不問にするの言っているのだから。
「じゃあこれから先生が来るだろうけど、適当に説明宜しくね」
初めの悲鳴が上がってから数分。そう考えると寧ろ遅いくらいだが、大勢の足音が段々と近づいてきている。
その気配をいち早く察知した零音君はハンカチに包まれたナイフをポケットにしまうと、私に向かって手を差し出した。
「それでは皆さん、御機嫌よう」
その手に自分の手を重ね、スカートの裾を摘んで四人に一礼すると私達二人は足音とは反対の方向へ歩き出した。
「っぶはぁああああぁぁああああああべのみくす……」
教室から大分離れた時、零音君は唐突に頭を抱え床に崩れ落ちた。
「れっ零音君!? どうしたんですか!?」
「ああぁぁラムネナイスだったけど……! 急に入れ替わると頭痛酷いんだってば……!」
慌てて駆け寄ると、零音君はバシバシと床を叩きながら何やら愚痴を溢した。よく分からないが、頭痛が酷いようだ。
「頭痛……!? 大丈夫ですか!?」
「大丈夫、一時的な症状だから大した事な……痛ぁああああっ!?」
「零音くーん!?」
先程までの冷たい態度が一変して、すっかり普段通りに戻った零音君に何処か安心してしまっている自分が居たが、私の聡明で可愛らしく天使な零音君の体調が悪いなんて一大事だ。
焦燥に駆られた私はそのまま零音君を抱き抱えて全速力で保健室に直行したが、その時クラスメイトに見られていたらしく「音速怪力女」という不名誉な称号を与えられた。実に不愉快だ。




