白い土地
彼女は思う。
耳が痛い。
頭を横にして寝ていると、下にしいている耳が痛いのだ。
それを解消する手立てを彼女は持ち合わせていなかった。だから痛くて、だから寝不足なんだ。
彼女はつまらない地面ばかりを見つめた。黒く汚れたコンクリの地面は硬くて嫌な臭いがする。
彼女はとうとう眠ることができなかった。これが続いて三日目だった。
だから目が赤いのだ。
彼女は眠ることをあきらめ、両足でしっかりと立った。暗い空を仰いで、騒がしい街の喧騒にまだ痛む耳をかたむける。毎日ずっと続いているその音たちは彼女の耳にはもう懐いてしまっているけれど、うるさいことには変わりはない。
彼女は歩き出した。
大通りへ出て作り物の灯りが照らす、目に悪いネオンの下を歩いた。そのまま横断歩道へ向かって人ごみに紛れ込んだ。
今日も何も変わっていない。
地べたに座り込む女子高生も、歯が真っ白なホストも、援交オヤジも。くすんだ月も。
行きかう人々はこの街に依存しきっている。この街に目的があるからみんなここへやってくる。目的がなくても、ただここへ来る人もいるだろうけど。住んでるヤツだって居るのだ。
隣に立っているサラリーマン風の男がかったるそうに煙を吐き続ける。吸殻は死んだミミズのように踏み潰されゴミになった。
酔っ払いがいる。酒臭い口で何事かほざきながら、ケータイを握っていた。ケータイに向かって叫んでいる。あやみちゃーん、って。
斜め後ろにいる男が彼女を不審気な目で見てきた。彼女はわざわざ首を動かして男を見返す。彼女の目は赤い。瞳はあの空を吸い込んだように暗く黒いのに。男は彼女から視線を外した。
こんなところに夢はない。ここは夢の果てで、シャングリラなどでは決して無い。
彼女は身を隠すための人ごみの中で目を閉じた。彼女は想像する。
もし、ここを理想郷だと信じ込んでる人がいるとしたら。ここを寄りどころにして、金を稼いだり政府を出し抜いてるヤツがいるなら。
すべてをぶち壊されたとき、どんな気持ちになるのだろう?
彼女は想像する。
汚い雑居ビルも、コンクリートの臭い地面も無くなってしまって、真っ白な世界になったら。
なにもない真っ白な地面でおろおろとするオヤジ。あやみちゃんもいない空虚な空間でただ呆然としている。
ただ立ち尽くす何百の人々。
白い地面に今浮き彫りになるのは吸殻だった。ガムだった。空き缶だった。小さな草だった。空だった。星だった。月だった。
理想郷が砂漠のオアシスのように幻だったと知ったら、人々はどうするだろう?
彼女は想像した。やがて人ごみは流れ始めた。
彼女は目を開ける。騒がしい世界がもどってきた。彼女は一瞬顔を歪ませた。
何も変わっていない人と街。目に悪いネオン。臭い地面。
車のクラクション誰かの叫び何十にも重なる厚い音。
彼女は人ごみに取り残されていく。
そして彼女は思うのだ。
耳が痛いって。
これはストーリーがない! と思われるかもしれませんが、一応意味はあります。
できればこの彼女の話を書きたいと思っているのですが、これは番外編みたいなものです。