雨乞い
最初の方は描写を頑張ってみましたが、後半になるにつれて会話ばかりになってしまいました。
木々に囲まれ喧騒から逃れた場所にその神社はあった。境内までの階段は十段あり、その一段一段に赤い鳥居が備えられている。
五月の中旬の終わり頃のその日は、午後になると夏を思わせる気温になっていた。ここ数日、雨は降っていないので空気は乾いている。もうすぐ梅雨の季節は訪れる。
午後の日差しに照らされながら急ぎ足でその神社を目指す影があった。人目にとまれば、その姿は注目を浴びることだろう。
一の鳥居の前で、息を整えつつ周りに誰もいないことを確認した。大きく息を吐いてから鳥居をくぐる。鳥居をくぐる度に空気は変化する。十の鳥居をくぐるとそこには涼やかな空気があった。その空気に包まれていると温まっていた体が平温に戻っていく。
彼は静まり返った境内をまっすぐ進んで社を目指す。
賽銭箱を背にして眠っている女がいる。その服装は少し乱れてはいるが、神社に相応しい服を着ている。彼女はこの神社の主でもあった。
彼は小銭を一枚よく狙って賽銭箱めがけて放り投げた。小銭は見事に賽銭箱に納まる。すると、その音に気づいた彼女は目を覚ました。
「罰当たりなことをするのは誰ですか?」
寝ぼけ眼であたりを見渡し、彼の姿を見つけると。小さく手を振った。
「参拝する者がいないとしても、女性が外でそんなだらしなくしていてはいけません。ましてや、あなた様のような方が!」
「ここはわたしの土地です。わたしにとってここは外ではありませんよ?」
「いいえ、ここは外です。もっと、ちゃんとしてください」
「ふむ、そうですね。いつ素敵な男が来るとも知れない……長いこと誰も来なくて忘れていました」
女はそう言うと座り直し、服装を整える。
「どうして参拝者が減ったのでしょうか?」
「わたしがだらしなからではないですよ! ……人間が神や仏より、かがくというものを信じるようになったからかもしれませんね」
青い空を見ながら哀しそうに首を振りながら答えた。病気が治ることを祈るより、薬を飲んだほうが効果があるのかもしれない。しかし、人間は祈ることを完全に止めることはない。
「神や仏より、かがくは人間にとって扱いやすいのでしょう」
「そうかもしれませんね。ところで、あなたはなぜ来たのですか?」
話が長くなりそうだったので、本題に移る為に話題を変えた。
彼は悲しいような嬉しいような複雑な感情を込めて答える。
「娘が結婚することになりまして、その報告とお願いしたいことがあって詣でさせていただきました」
「元旦に初詣には来なかったのに……」
いじけた表情でボソリと言う。それを聞いて彼は慌てたように弁解する。
「も、申し訳ありません! 橋が壊れてしまいどうしても間に合わなかったのです」
「箸が壊れた? 割り箸くらいなら用意するのに……おせち料理一人で食べた」
「いえ、箸じゃなくて橋です。川が渡れなくて来れなかったのです」
「……ぼ、ボケてみただけですからね!」
憐れみの視線を受け、逃げ出したい衝動に駆られるが、自分がここの主である事を思い出すと、表情に威厳? が戻る。
「コホン……それでわたしに何をして欲しいの? ……欲しいのじゃ?」
威厳を保つことを意識して言い直すが、言い直した時点で威厳が保てていない。
「娘の為に水の付いた竹を振っていただけますか?」
「構わな……ぬが、いつ振るのじゃ?」
「そんな妙な喋り方をせずに、普通に喋って下さい。そんなことをしなくても私はあなた様のことを敬っています」
「当然じゃ……です。当然です。わたしは偉いのですから!」
気を良くしたようで満足そうにうなづく。
「急な話ではありますが、早速お願いします」
「うん、うん? ……え? 今から? 構わないけど、竹と水を用意しないと……」
そう言いながら社の中に姿を消す。彼はその姿を見送り、青い空を見ながら一人つぶやいた。
「あの子もわたしの手を離れるのか……」
社の中から騒がしい音が聞こえる。物が落ちたり倒れたり……そんなそんな音を出しているのは当然、社に入っていった彼女。見た目は淑やかで大人しげではあるが、詰めが甘くそそっかしいところもある。
「ありました! ほら、この鎌です。懐かしいでしょう?」
何事も無かったような表情を浮かべながらよく磨がれた大き目の鎌を右手に持ち、手首のスナップを利かせながら振るう。
「この神社の御神体じゃないですか。それで竹を切るんですか?」
「たまには使ってあげないとね。豊作を願って奉納された鎌だけど……最近は誰も豊作を願って参拝に来ないし……可愛そうでしょ? 手首痛くなった」
社の脇にある竹まで行くと、手が届くところにある枝をその鎌で優しく刈り取った。
「ありがとうございます。もうしばらくすると、娘とその相手が来ますので。姿が見えたらお願いします」
改まって頭を下げる彼に微笑みながら答える。
「うん、わかったよ。水は井戸から汲んだのがあるし、準備はいつでもいいよ。わたしとしては夜にやる、あなた達の火を燈した行列も好きなんですけどね」
「私の身内も数が減りまして昔の様には行きません。娘も、結婚式はその男と二人でしたいなどと言いますし……せめて雨くらいは降らせてやらなければ。晴天の空に!」
「神の使いが神を使う……昔はわたしの方からお節介で雨を降らせたものでしたが……」
「そうですね。今やこの世界は、かがくを扱う人間に支配されつつあります。私たちはいずれ消え行く運命なのでしょうか?」
「さて……どうでしょう?」
彼女が手に持っている竹が風に揺れると、階段を上ってくる足音が二つ聞こえた。
神社の社を目指す二人の左手薬指には、指輪があった。
二人の耳に水の落ちる音と、竹の葉がこすれる音が届くと空から雨が降り出した。
「お天気雨か! 早く屋根の下に行こう!」
「はい!」
小走りに社の屋根の下まで走ると雨の降る青い空を二人は見上げた。
「狐も嫁入りみたいだね」
「私も嫁入りですよ」
「そういえば、ここの神社に神主はいるの? 結婚式だし祝詞でも挙げてもらいたくない?」
「この神社には神主さんはいないよ。神様はいるけどね!」
そう言って社の脇に目を向けると、狐と竹の枝を振るう女の姿を見つける。それに気づき、小さな声で「ありがとう。お父さん……」と呟いた。
その声は父の耳に届いた。狐は主である神にに礼を言った。
「今、何か言った?」
「ううん、何も……今日は狐の嫁入りだね……」
それからしばらくすると雨は止んだ。
思いのほか気楽に書けました。駄文ですけれど……。