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偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜  作者: 夏野みず


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1/12

崩壊の始まり

 築40年の木造アパートの二階。六畳一間の薄汚れた部屋が私とあの人の「城」だった。


「ただいま」


 玄関から聞こえる少し疲れたようなけれど優しい声。この声を聞けばどんなに貧しくてもどんなにつらい仕事の後でも私の心は温かい光に満たされた。ユースケは建築現場で働く鳶職人。肉体労働で汗と泥にまみれて帰ってくる彼を私は心から尊敬していた。


「おかえりなさいお風呂沸いてるわよ」


 今日のおかずは給料日前だからもやしと豚肉を炒めた安上がりなものだ。でも夫はいつも「アイナの飯は世界一だ」と笑って食べてくれる。その笑顔が私の毎日の全てだった。


 私達は高校の同級生で世間一般から見れば金銭的には恵まれていない夫婦だろう。けれど私達の間には確かな愛情があった。ユースケは私の全てを包み込むように愛してくれたし私も彼の存在無しでは生きられないと思っていた。


 その夜もいつも通り安いビールを飲みながら一日の出来事を話した。


「最近仕事が忙しくてさ」


 彼が少し視線を逸らしながら言った。


「そうね遅くなることが多いもの」


 この一ヶ月ほど配偶者の帰宅時間がやけに遅い。以前は遅くとも八時には帰ってきたのに最近は十時を回ることも珍しくない。残業代が出るなら嬉しいけれどユースケは「サービス残業だ」と苦笑いするだけだった。


「ごめんな。アイナに寂しい思いさせてるよな」


「ううん大丈夫よ。あなたが頑張ってくれてるんだから」


 そう言いながら私は彼のTシャツについた小さな汚れに気付いた。作業着ではない私服のTシャツに薄く白い粉のようなものが付着している。


「あらこれ何かしら⁉」


 私が指で粉を払いながら尋ねると彼は一瞬硬直した。


「ああそれか。現場で壁を触った時についた石膏の粉だよ。気にすんな」


 そう言ってすぐに話題を変えた。その時のあの人が一瞬見せた動揺を私は見逃さなかった。石膏ならもっと白くてザラザラしているはずだ。これはもっと細かい化粧品のパウダーのようなものに見えた。


 その夜から私の心に小さな疑念のトゲが刺さった。


 次の日私はパートの休みを利用して彼の職場に連絡してみた。彼がいつも言っていた現場はもうとっくに終わっていると元請けの会社が教えてくれた。


「ユースケさんは今別の現場に入ってますよ。でも残業はほとんどないはずですが……」


 私は頭の中で何かが音を立てて崩れるのを感じた。


 ユースケは私に嘘をついていた。


 その日夫が帰宅したのが夜の十一時を過ぎてからだった。


「ごめん今日も遅くなっちまった」


 彼の顔は疲労の色よりもどこか晴れ晴れとしているように見えた。私は冷静を装い彼に尋ねた。


「今日の現場どこだったの?」


「ああ今日は駅前のマンションの改修工事だよ。大変だったんだ」


 あの人の答えは私が聞いた情報と食い違っていた。私は自分の心臓が耳元でドクドクと不規則に脈打つのを感じた。


「そう。お疲れ様」


 それ以上私は何も言わなかった。問い詰めて夫に不貞の証拠を消す時間を与えるのは愚かだと思ったからだ。


 私はユースケの持ち物を注意深く観察し始めた。


 彼のスマホはいつからか肌身離さず持ち歩くようになっていた。お風呂に入る時もトイレに行く時も枕元に置いている。以前はリビングに放りっぱなしで私に「代わりに調べ物してくれ」と頼むこともあったのに。


 さらにあの人のスマホには私には知らされていないロックがかかっていた。私達夫婦はお互いのスマホのパスワードを知っているのが当たり前だった。


 明らかにユースケは私に何かを隠している。


 彼がシャワーを浴びている間私は彼のスマホを震える手で手に取った。何種類かの数字を試してみたがロックは解除されない。


 どうすればいい。このまま疑いを抱えたままこのボロアパートであなたを待ち続けるのか。


 その時私は一つの閃きを得た。彼が私に隠れてスマホを操作する際何度も指でなぞっていた数字のパターン。私はそれを無意識のうちに覚えていたのだ。


 私はその数字を入力した。


『ロック解除』


 画面が明るくなり彼の秘密が詰まった世界が目の前に開かれた。私は呼吸を止めてメッセージアプリをタップした。


 一番上にある最新のトークルーム。相手の名前は「ユリエ」。


 ユリエ。近所の二階に住むシングルマザーの女性。いつも明るい笑顔で私に挨拶をしてくれるあの可愛らしい人。


 私はトーク画面を開きメッセージを読み進めた。


『昨日はありがとう❤️ユースケくんのおかげで寂しくなかったよ』


『またユースケくんの腕の中で眠りたいな』


 そして夫の返信。


『俺もユリエに会えてすごく癒されたよ。アイナには悪いけどユリエといる時が一番落ち着くんだ』


『愛してる』


 心臓が凍りついた。血液が体の隅々まで冷たい氷となって流れ込んだ。


「愛してる」


 かつて私だけに向けられていたはずのその言葉が今全く別の見知らぬ女に捧げられている。


 私達の城はもう崩壊していた。


 シャワーの音が止まった。私は慌ててスマホを元の場所に戻しベッドに潜り込んだ。


 私は泣かなかった。涙は復讐の邪魔になると思ったから。


 私を裏切ったあの人。そして私から夫を奪ったユリエ。


 お二人様。あなた達は私を間違った相手にしました。


 私を裏切った代償はあなた達が社会から消えることよ。


 私は夫の背中に冷たい視線を向けながら静かに復讐の計画を練り始めた。

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