ギルドマスターの食卓
カイルが帰ってから一週間。食堂には新しい客が増えていた。
「噂を聞いて来たっす! 五十層のご飯屋さんって、ここっすか!?」
「そうだが、声がでかい」
Bランクの冒険者が三人。見た目は若い。二十歳前後か。全員がぼろぼろの装備で、顔も体も傷だらけ。五十層に辿り着くまでに相当苦労したのだろう。
「すげえ……本当にダンジョンの中に食堂があるんだ」
「飯食って帰れ。無理はするな」
結晶猪のソテーを三人分出す。食べた瞬間、三人とも同じ反応。固まって、箸が止まって——泣き出した。一人は本当に涙を流していた。
「う、うめぇ……ステータス上がってる……体が軽い……」
「泣くほどか」
「だって! 五十層まで来るの三回目で! 一回目は四十層で全滅しかけて、二回目は四十五層で帰されて、三回目でやっとここまで——」
ミラがタオルを渡している。「泣かないの。ご飯が冷めるよ」
Bランクの冒険者が五十層に辿り着ける。一ヶ月前なら考えられなかったことだ。食堂の客の料理効果で、深層の魔物が弱体化しているわけではない。冒険者側のステータスが上がっているのだ。一度食べて帰った者が強くなり、次はもっと深く潜れるようになる。そしてまた食べに来る。
螺旋階段のように、攻略が加速していく。
——俺は料理を作ってるだけなのに、ダンジョン攻略の構造が変わりつつある。
そんなことを考えていたら、入口から新たな足音が聞こえた。
「——ほう。本当に五十層に食堂があるとはな」
低く、だがよく通る声。
振り返ると、一人の女性が立っていた。五十代。銀灰色の髪を後ろで一つにまとめ、長い外套の下にはギルドの正装。だが——ただの文官ではないことは一目で分かった。足元に迷いがなく、深層の魔力圧をものともしていない。
その後ろに、護衛のA級冒険者が四人。そして——先日来たカイルが、背筋を伸ばして控えている。
「ギルドマスターか」
「ヴァレリア・ドーン。今日は客として来た。——席は空いているか?」
「空いてる。座ってくれ」
ヴァレリアがカウンターに座った。護衛は入口で待機。カイルだけが横に座る。ミラが水を二つ置いた。
「メニューは?」
「今日は三つある。結晶猪のソテー、月光茸のスープ、蒼炎狼の炙り焼き」
「全部もらおう」
注文が入る。料理を始める。
ヴァレリアは黙って厨房を見ていた。素材を切る手つき、火の入れ方、『万物調和』の起動——一つ一つを観察するような視線。品定めではない。純粋な興味だった。
三品を出す。
ヴァレリアが結晶猪のソテーを一口。——止まった。
「……なるほど」
二口目。三口目。表情は変わらないが、箸を置く気配がない。月光茸のスープに移る。蒼炎狼の炙り焼き。
全て食べ終えるまで、十五分。
「ギルドマスター、いかがですか——」
カイルの声を手で制して、ヴァレリアが口を開いた。
「ソウマ・ヴェルト。カイルの報告では分からなかったことが一つある」
「何だ」
「なぜこの料理を、金を取って売らない?」
意外な質問だった。
「素材払いで十分だ。深層の食材が手に入ればメニューが増える。金で買えるものは、ここにはないからな」
「王都の商人に一皿売れば、金貨百枚はくだらん。永続ステータスバフの価値が分かっていないのか?」
「分かってる。だが——商売をしたくてここにいるわけじゃない」
ヴァレリアが初めて、わずかに笑った。
「先週カイルに言ったそうだな。魔族の客を拒否するなら、ギルドの提案は受けないと」
「ああ」
「安心しろ。私はそんな提案をするつもりはない」
ヴァレリアが外套の内ポケットから、一枚の羊皮紙を取り出した。
「これが正式な提案書だ。カイルの持ってきた三条件に加え、四つ目を追加した」
読む。
『第四条——ダンジョン攻略支援拠点「五十層食堂」は、ギルドの管理下に置かれない独立施設とする。運営方針、客の選定、メニュー構成について、ギルドは一切干渉しない。ただし、安全管理上の重大な問題が発生した場合に限り、ギルドマスターとの協議を求めることができる』
「……独立施設?」
「ギルド公認だが、ギルドの下部組織ではない。支援はするが管理はしない。お前が誰に飯を食わせようが——魔族だろうが竜族だろうが——ギルドは口を出さない」
ソウマは羊皮紙を見つめた。
「なぜだ? ギルドにとって管理できない拠点は、リスクだろう」
「リスクと天秤にかけても、お前の食堂が存在する利益の方が大きい。冒険者の帰還率が四割以上改善した。死亡率が六割減った。その恩恵を受けているのはギルドそのものだ」
ヴァレリアが湯気の残る器を見下ろした。
「それに——この飯を食って分かった。お前は料理人だ。管理されて良い料理が作れるわけがない。料理人を縛れば、料理が死ぬ。そんなことは百も承知だ」
「……元料理人か?」
「元冒険者で、元酒場の女将だ。ギルドマスターになる前の話だがな」
意外な経歴だった。
「月光茸のスープ、もう一杯もらえるか」
「ああ」
二杯目を注ぐ。ヴァレリアは今度は味わうように、ゆっくりと飲んだ。
「うまいな。——こういう料理を作る奴を、追放したパーティがあるらしいな」
「……知ってるのか」
「ギルドマスターだからな。白銀の槍がBランク降格寸前なのも把握してる」
「レーナたちのことは——俺は恨んでない」
「知ってるよ。恨んでたら、こんな穏やかな味にはならん」
ヴァレリアが立ち上がった。
「提案の返事は急がない。考えておいてくれ。ただ——一つだけ」
「何だ」
「近々、白銀の槍が五十層に来るかもしれん。ギルドとして止める権限はないし、止めるつもりもない。だが——あの三人、かなり無理をしている。会ったら、飯の一つも食わせてやれ」
背を向けて歩き出す。護衛とカイルが慌てて後を追う。
「ヴァレリア」
呼び止めた。ギルドマスターが振り返る。
「——また来てくれ。客として」
ヴァレリアが口元だけで笑った。
「次は予約させてもらう」
足音が遠ざかり、五十層に静寂が戻った。
「ソウマ、あの人かっこいいね」
「ああ。——ああいう大人は好きだ」
提案書をカウンターに置いて、エプロンの紐を結び直す。
答えは——まだ出さない。でも、少し楽になった。
ギルドが敵じゃないことは分かった。管理したいんじゃなく、共存したいということ。それなら——考える価値はある。
「さて。閉店前にもう一品試作するか」
「やったー! 何作るの?」
「四十八層の深淵蟹が手に入った。蟹味噌があるなら——甲羅焼きだな」
「かにみそって何?」
「食えば分かる」
食堂の灯りが、五十層の青い闇に温かく滲んでいた。
お読みいただきありがとうございます!
ギルドマスター・ヴァレリアが五十層に降りてきました。
提案された第四条——「独立施設」。ソウマの答えは、まだ先にあります。
しかし、この食堂にはまだ辿り着けていない人たちがいます。
次の第9話「ただいまと言えなくて」——この物語の最大のクライマックスです。
ブックマーク・評価で応援していただけると嬉しいです。
毎日19時ごろ更新予定です。




