噂の五十層
ミラは翌日も来た。その翌日も。そのまた翌日も。
「ソウマ、今日は何作るの?」
いつの間にか、この小さな魔族の少女は食堂の常連——というか、ほぼ住人になっていた。
「今日は新しい魔物を見つけた。水晶の泉にいた透明な魚だ。刺身にしてみる」
「サシミ?」
「生で食べる料理だ。新鮮な素材じゃないとできない」
水晶魚——これも俺が勝手に名付けた——を『万物調和』で処理する。鱗が光を受けて虹色に輝く。身は透き通っていて、まるでガラス細工のようだ。
薄く引いて、水晶の泉の水で作った塩と、地熱で炙った岩塩を添える。
ミラが一切れ口に入れた瞬間、目を閉じた。
「…………」
「どうだ?」
「黙って。今、幸せを噛み締めてる」
ステータス通知が光る。AGI(敏捷)+150、MAG+120。永続。
ミラは無言でもう一切れ食べ、それからにっこり笑った。
「ソウマ、あのね。友達連れてきていい?」
「友達?」
「五十層にはわたしの他にも住んでる子たちがいるの。みんな、すっごくお腹空いてると思う」
断る理由はなかった。素材は五十層にいくらでもある。作る相手が増えるなら、料理人としてはむしろ嬉しい。
「いいよ。連れてこい」
次の日。ミラが連れてきたのは——十二人だった。
小鬼族、妖狐族、石人族。見た目は様々だが、全員が五十層に適応した深層の魔族たち。彼らは恐る恐る食堂に入ってきて、料理が出された瞬間——
「「「美味いっ!!」」」
全員が叫んだ。
それから食堂は、毎日賑わうようになった。深層の魔族たちが入れ替わり立ち替わり訪れ、ソウマの料理を食べていく。対価は深層の素材。彼らが持ってくる未知の食材が、新しいメニューの材料になる。
完璧な循環だった。
「ソウマさん、今日の煮込みは最高でした」
「おう、ありがとう。明日は新メニュー試すから、また来てくれ」
穏やかな日常。追放されたことなんて、もうどうでもよくなっていた。
——だが、この平穏に変化をもたらす男が、間もなくやって来る。
◆
ゲルド・ハーゲンは、S級冒険者の中でも変わり者として知られていた。
パーティを組まない。依頼も選ばない。ただ純粋に、ダンジョンの深層を「歩きたい」という理由だけで潜る男。
四十層までは何度も到達している。だが五十層は——今回が初めてだった。
「ほう……」
青白い結晶の光に満ちた空間。S級の彼でも、ここの魔力濃度には圧を感じる。すべてが未知。冒険者として、これほど心躍る環境はない。
そして——匂いを感じた。
「何だ……? 料理の匂いか? こんな場所で?」
匂いを辿って歩くと、洞窟の奥に明かりが見えた。近づくにつれ、声が聞こえてくる。笑い声。食器の触れ合う音。
ゲルドは目を疑った。
ダンジョン五十層に——食堂があった。
石のカウンター。結晶の照明。地熱を利用した調理場。そして魔族の客たちに料理を振る舞う、一人の人間の青年。
「いらっしゃい。人間の客は初めてだな」
「……ここは、何だ?」
「食堂だよ。メニューは日替わり。今日は結晶猪のステーキと水晶魚の煮付け。食うか?」
ゲルドはカウンターに座った。目の前に出された皿を見る。見たことのない素材。見たことのない調理法。だが匂いは——間違いなく、一流だった。
一口食べた。
ステータス通知が弾けた。
『STR+250 VIT+300 AGI+180 MAG+200 効果:永続』
「——永続だと?」
椅子から立ち上がりかけた。S級冒険者として数え切れない強化アイテムを使ってきたが、永続効果のバフなど聞いたことがない。S級の秘薬ですら一週間が限界だ。
「この料理、お前が作ったのか」
「そうだけど」
「何者だ。この効果はS級のポーション師でも——」
「元Bランクの支援術士。パーティを追放されて、行く当てがなかったから、ここで料理屋を始めただけだ」
ゲルドは黙って二口目を食べた。三口目。四口目。全部平らげて、深く息を吐いた。
「最高の飯だった」
「ありがとう。お代は、素材で貰えると助かる。深層の食材なら何でもいい」
ゲルドは背嚢から素材を出しながら、何気なく訊いた。
「追放されたと言ったな。どこのパーティだ?」
「白銀の槍」
「——ああ、あのBランクの」
ゲルドは知っていた。最近、三十層のボスに連敗しているパーティ。A級昇格を目指していたが、支援術士を入れ替えてから成績が急落した——という噂を、ギルドで耳にしていた。
「なるほどな。腑に落ちた」
ゲルドはそれだけ言って、五十層を後にした。
◆
数日後。地上のギルド。
ゲルドが酒場のカウンターで、いつものように一人で飲んでいた。隣のテーブルでは冒険者たちが攻略情報を交換している。
「最近、四十層以深の魔力濃度が変わったらしいぜ」
「マジか。ただでさえ深層は危険なのに」
「S級でも手を出さない領域だからな」
ゲルドが、ぽつりと呟いた。
「五十層に、飯屋がある」
周囲が静まった。
「は?」
「五十層だ。人間が一人で料理屋をやっている。そこの飯を食うと——ステータスが永続で上がる」
酒場がざわついた。冗談だと思った者、興味を持った者、馬鹿にした者——反応は様々だったが、S級冒険者ゲルド・ハーゲンの言葉は重い。この男が嘘をつかないことは、誰もが知っている。
「永続バフだと……? それ、どんなスキルだよ」
「さあな。本人は元Bランクの支援術士だと言っていた」
「Bランク? 五十層にソロで?」
「元パーティは——『白銀の槍』だったか」
その名前を聞いた瞬間、酒場の一角で——グラスを握る手が、震えた。
レーナは、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
追放した支援術士。五十層。永続のステータスバフ。
「……嘘、でしょ」
隣でフィオナが不安そうに顔を覗き込んでいる。ダリオとエルザは、何も言えずに黙っている。
ゲルドの声が、酒場に響いた。
「腹が減ったら五十層に行くといい。今まで食った中で、最高の飯だった」
レーナは、二年間パーティにいた青年の顔を——穏やかに笑って朝食を並べていた、あの顔を——思い出していた。
ソウマが作る料理を「ただの飯」だと思っていた。
それが——世界最強のバフだったなんて。
◆
同じ頃。五十層では。
「ソウマ、明日も来ていい?」
「毎日来てるだろ。好きに来い」
「えへへ」
ミラがスープの最後の一滴まで飲み干して、満足そうに笑う。
俺は明日のメニューを考えながら、新しい食材——琥珀キノコと呼ぶことにした光るキノコ——の下処理をしていた。
地上のことは知らない。元パーティがどうなっているかも、興味がない。
ただ——この食堂に来てくれる客がいて、「美味い」と言ってもらえる。
それだけで、十分だった。
——もっとも。
この食堂の噂が地上でどれだけの波紋を広げているか、ソウマはまだ知らない。
五十層を目指す冒険者が、明日から急増することも。
そして——かつての仲間が、この場所に辿り着こうとしていることも。
まだ、知らない。
第3話までお読みいただきありがとうございます!
五十層の食堂の噂は、これから地上に広がっていきます。
行列のできるダンジョン食堂の物語はまだまだ続きます。
続きが気になる方は、ブックマークで更新をお見逃しなく!
評価もいただけると励みになります。
毎日19時ごろ更新予定です。




