五十一層
「ソウマ、今日は閉店にしない?」
ミラが朝一番に、妙に真剣な顔で言った。
「どうした。急に」
「……見せたいものがあるの」
ミラが指さしたのは、食堂の奥——今まで一度も入ったことのない暗い通路だった。
五十層には安全地帯がある。ソウマの食堂はその中に建っている。だが安全地帯の外、つまり五十層のさらに奥には——何があるのか、確認したことがなかった。
「五十一層がある。その先も。わたし、前に話したでしょ? 七十層くらいまで知ってるって」
「ああ」
「今日、一緒に行こう」
ルーンが無言で頷いた。彼も行く気らしい。
「食堂は?」
「一日くらい休みでいいでしょ。ソウマ、最近ずっと休んでないし」
正論だった。ギルド公認になってから休みらしい休みを取っていない。
「……分かった。行こう」
◆
五十一層への入口は、食堂の奥の通路を五分ほど歩いた先にあった。
結晶の壁に、人一人が通れるほどの割れ目。ミラが先に入り、ソウマとルーンが続く。
「暗いな」
「すぐ明るくなるよ」
ミラの言う通り、数十メートル進むと景色が変わった。
——息を呑んだ。
五十層は青白い結晶の世界だった。だが五十一層は——金色だった。
天井から地面まで、琥珀色の結晶が壁を覆っている。それ自体が発光していて、空間全体が柔らかい金色の光に満ちていた。暖かい。五十層とは異質な、穏やかな空気。
「綺麗だ……」
「でしょ? わたし、この層が一番好き」
魔力濃度を感じる。五十層よりもさらに濃い。だが不思議と圧は感じない。魔力の質そのものが違うのだ。五十層の魔力が「圧力」なら、五十一層の魔力は「浸透」。体を押しつぶすのではなく、染み込んでくる。
「ルーン、大丈夫か?」
「……問題ない。むしろ、心地いい」
石人族は鉱物系の魔力と親和性が高い。琥珀結晶の層は、ルーンにとって居心地がいいのかもしれない。
◆
五十一層を進む。ミラが慣れた足取りで先導する。
「ここ、魔物はいるのか?」
「いるよ。でも五十層の魔物とは全然違う。こっちの子たちは——おとなしい」
言葉の通り、通路の奥に動く影が見えた。
——何だ、あれは。
黄金色の鹿。体全体が琥珀のように透き通っていて、内部に金色の光脈が走っている。四本の角が、枝分かれしてシャンデリアのように広がっている。
美しかった。魔物という言葉が似合わないほど、静謐で優雅な存在。
鹿がこちらを見た。——逃げない。攻撃もしない。ただ、見つめている。
「この子、琥珀鹿って呼んでるの。五十一層の主みたいな存在」
「……触れるか?」
「うん。怖がらなければ」
ソウマは手を差し出した。『万物調和』が自然と起動する。
——流れ込んでくる。
この鹿の構成要素。琥珀質の筋肉、金色の脂肪、角に蓄えられた純粋な魔力の結晶——。
「これは……」
五十層の結晶猪とは比べ物にならない。素材としての質が、段違いに高い。料理にしたら——どんなバフがつくか、想像もつかない。
だが——。
「……殺さなくても、いけるか」
「え?」
「結晶猪の時と同じだ。『万物調和』で、鹿を傷つけずに素材を分離できるかもしれない」
スキルを集中させる。光が鹿を包む。結晶猪の時は外殻を自然に分離させた。琥珀鹿の場合は——角だ。角の先端部分、枝分かれした最も細い部分は、定期的に自然脱落するものだとスキルが教えてくれる。
光が角の先端を包んだ。ぽきり、と小さな音がして——指二本分の角の欠片が、手の中に落ちた。
琥珀鹿は特に痛みを感じていないようだった。欠片が落ちた場所をちらりと見て、興味をなくしたように歩き去った。
「……すげえ」ルーンが珍しく声を上げた。
「ソウマのスキル、ここだともっと強いんだね」ミラが目を輝かせている。
ソウマは角の欠片を見つめた。金色の結晶。中に渦を巻く光脈が見える。
「……これで、何が作れるだろう」
料理人の血が騒いだ。見たことのない素材。未知の可能性。
「帰って試そう。——ありがとう、ミラ。連れてきてくれて」
「えへへ。来てよかった?」
「ああ。最高の遠足だった」
◆
食堂に戻って、すぐに調理に取りかかる。
琥珀鹿の角の欠片を、石臼で丁寧にすりおろす。金色の粉末になった。香りは——蜂蜜に似ているが、もっと深い。森の奥で百年寝かせた蜂蜜のような、重厚で甘い香り。
月光茸のスープに少量を溶かしてみる。
金色の粉末がスープに溶けた瞬間、液体が一瞬だけ輝いた。色が変わる。透明な金色から、深い琥珀色へ。
一口飲む。
「——っ!!」
今まで作ったどの料理とも違う。体の奥底——スキルの核がある場所に、直接染み込んでくる感覚。
ステータス通知。全ステータス+500。スキル効率+50%。永続。
「全ステータス……! しかもスキル効率?」
スキル効率。スキルそのものの効果を底上げするバフ。こんなものは——聞いたこともない。
「ソウマ、どうだった?」
「……ミラ。この素材は——とんでもないぞ」
「やった! じゃあ新メニュー?」
「いや。これは——簡単にメニューにしていい料理じゃない」
全ステータス+500にスキル効率+50%。もしこれを冒険者に提供したら——ダンジョン攻略のバランスが根底から崩れる可能性がある。
「少し考えさせてくれ。素材の量も限られてるし、使い方を間違えたくない」
「ふぅん。ソウマ、慎重だね」
「料理人は素材に誠実であるべきだ。——いい素材ほど、慎重に扱う」
琥珀鹿の角の粉末を、小瓶に入れて棚の奥にしまった。
いつか——この素材にふさわしい料理を作る。でも今じゃない。
まだ、俺はこの素材に見合う腕を持っていない。
「さて。明日からまた通常営業だ。今日は——この遠足の記念に、賄い飯を豪華にするか」
「やったー!」
「……楽しみ」
三人の夕食が、金色の光の中で始まった。
お読みいただきありがとうございます!
ついにソウマが五十一層の先に足を踏み入れました。
人類未踏の深層に眠る食材、そして新たな可能性。
明日の第14話「心のスープ」——仲間を失い凍えた冒険者に、ソウマが作ったのはバフのない料理でした。
ステータスは上がらない。でもこの一杯が、この物語で一番重い。
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