それぞれの道
レーナたちが帰った翌日。
食堂には、いつもの朝が戻っていた。
「ソウマ、大丈夫?」
ミラが、妙に真剣な顔で聞いてきた。
「何がだ」
「昨日、泣いてた人たちが来たでしょ。ソウマ、夜中にぼーっとしてたから」
「……見てたのか」
「わたし、夜目がきくの。魔族だから」
否定はしなかった。確かに——昨夜は少し、考え事をしていた。
レーナの涙。ダリオの震える手。エルザの静かな泣き顔。
二年間、一緒にダンジョンに潜った仲間。追放されて恨んでいないのは本当だ。感謝しているのも本当だ。でも——何も感じなかったかと言えば、嘘になる。
「ちょっとだけ、昔のこと思い出しただけだ。もう大丈夫」
「ほんと?」
「ほんと。——今日の試作、手伝ってくれるか」
「やるやる!」
ミラの顔がぱっと明るくなった。この切り替えの速さは、本当に助かる。
◆
新しい素材が届いていた。
常連のA級冒険者が、四十九層で採ってきた「星霜蜜」——岩壁から滲み出る、金色の液体だ。舐めると甘い。だがただの甘味料ではない。強い回復効果と、精神安定の作用がある。
『万物調和』で分析する。
「……面白いな。これは回復系の素材だが、料理に使うと——」
結晶猪の肉と星霜蜜を合わせてみる。蜜を薄く塗って焼くと、肉の表面に飴色の皮膜ができた。噛むと——パリッ、そしてじゅわっ。
「っ! 美味しい! なにこれ!」
ミラが飛び跳ねた。
ステータス通知。VIT+200、精神耐性+400。永続。
「精神耐性——?」
今までの料理にはなかった効果だ。物理的なステータスではなく、精神に作用するバフ。混乱耐性、恐怖耐性、魅了耐性——深層で精神攻撃を使う魔物に対して、これは絶大な効果を発揮する。
「名前は——星霜猪の照り焼き、か」
メニューが増える。素材が変われば、バフの種類も変わる。火属性なら耐火、光属性ならMP、回復系なら精神耐性——。
この食堂が提供できる価値は、まだまだ広がる。
「ソウマ、ねえねえ」
「ん?」
「わたし、この食堂のこと——もっと色んな子に知ってほしいな」
「色んな子?」
「五十層より奥にも、魔族はいるの。もっと深い場所に。でもみんな人間を怖がってて、ここまで来ない」
「五十層より奥——?」
ソウマは手を止めた。
五十層が最深部だと思っていた。少なくとも、人間の冒険者でここまで来た者はいない。だが——ミラの話では、さらに深い層が存在する。
「何層まであるんだ?」
「分からない。わたしが知ってるのは七十層くらいまで。でも、もっと深いところから来た子もいるよ」
「……七十層」
未知の素材。未知の料理。料理人としての好奇心が、ぐらりと揺れた。
「いつか——見に行きたいな」
「行こうよ! わたしが案内する!」
「いつかな。まずは目の前の客の飯を作る」
「むー。つまんないの」
ミラが頬を膨らませた。
◆
同じ頃。地上。
レーナは、ギルドの掲示板の前に立っていた。
『パーティ名変更届け——旧名:白銀の槍 新名:______ ※新名を記入してください』
ペンを持ったまま、動けずにいた。
「決まったか?」
ダリオが後ろから声をかけた。
「……まだ」
「急がなくていいだろ。まずはBランク維持の審査を通すのが先だ」
「分かってる。でも——名前が決まらないと、気持ちが切り替わらない」
エルザが書類を覗き込んだ。
「こだわりすぎだよ、レーナ。仮で出しておいて、後で変えればいいじゃん」
「……そうだな」
レーナはペンを動かした。
『新名:夜明けの道』
「夜明け?」
「ソウマを追放して、ずっと暗い中を歩いてた。でも——昨日、五十層で飯を食って、少しだけ明るくなった気がしたんだ」
ダリオが、ふっと笑った。
「いい名前だ」
エルザも頷いた。「悪くない」
レーナが書類をギルドの受付に提出する。受付嬢のアリアが書類を受け取って——目を止めた。
「白銀の槍から名前変更ですか?」
「ああ。新しく始める」
アリアは書類を確認しながら、少し迷ってから言った。
「あの……ソウマさんは、お元気ですか?」
レーナが目を見開いた。
「……知ってるのか」
「この前、五十層に行かれたって噂を聞いて。ソウマさんとは——追放の時に、最後に話したのが私なので」
あの日。「お気をつけて」と言ってくれた受付嬢。
「元気だったよ。すごく。——美味い飯を作って、笑ってた」
アリアが、ほっとしたように微笑んだ。
「よかった。……本当に、よかった」
レーナは受付を離れながら、思った。ソウマのことを心配していたのは、自分たちだけじゃなかったのだ。
「さて。——Bランク維持審査だ。三十層のボスを安定して倒せるようになるまで、特訓を続ける」
「了解」
「了解」
三人は新しいパーティ名を背負って、ダンジョンの入口に向かった。
◆
五十層。夕方。
最後の客が帰り、食堂の片付けをしている時。ソウマはふと——壁に立てかけてあった羊皮紙を手に取った。
ヴァレリアの提案書。第四条——独立施設としての認定。
「……考えは、まとまったか?」
ゲルドが奥の席で足を組んでいた。今日は帰らずに居座っている。
「まとまってきた」
「受けるのか」
「条件付きで、な」
ソウマは提案書をテーブルに置いた。
「ギルドの支援は受ける。素材供給も運営支援金もありがたい。報告義務も——まあ、月一くらいなら構わない」
「だが?」
「一つだけ、こちらからも条件を出す」
「ほう」
「この食堂は、ダンジョン攻略のための施設じゃない。俺は攻略支援をしたくて料理してるわけじゃない。来た客に美味い飯を食わせたくてやってる。ギルドがそれを理解してくれるなら——受ける」
ゲルドが笑った。
「料理人だな、お前は」
「それ以外のものになるつもりはない」
「いいだろう。ヴァレリアなら——分かってくれるさ」
ソウマは窓を見た。五十層には窓がないから、正確には壁の隙間から見える結晶の光を見ていた。
ここに来て、三ヶ月と少し。追放された日には想像もしなかった場所に、今いる。
最初の客はミラだった。ゲルドが噂を広め、バルトたちが常連になり、カイルが来て、ヴァレリアが来て、そして——レーナたちが来た。
食堂は、一人では成り立たない。客がいて、初めて食堂になる。
「明日も営業だ。——ゲルド、泊まっていくなら奥の部屋使え」
「おう。朝飯期待してるぞ」
「はいはい」
五十層の食堂に、もう一つの日常が始まろうとしていた。
第10話までお読みいただきありがとうございます!
クライマックスの翌日——でも物語は止まりません。
「俺は攻略支援をしたくて料理してるわけじゃない」
ソウマが出した答えが、食堂の次の一歩を決めます。
明日の第11話「条件」——食堂が公認されるために突きつけられるものとは。
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