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AI執事は旦那様の失恋を「仕様」だと言い張ります  作者: ジェミラン


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第4話:AI執事は旦那様の「予行練習」を公開処刑します

 定時を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、航は逃げるようにオフィスを後にした。  向かった先は、会社から徒歩圏内にある、今SNSを賑わせているカフェ『ロガリズミック・スパイラル』だ。


 時刻は午後六時を回り、周囲のテラス席には仕事終わりのOLやカップルたちが、ライトアップされた都会の夕暮れを楽しんでいる。そんな中、スーツ姿でガチガチに緊張した男が一人、行列の末尾に並んでいた。


「……見てくれ、ヴィクター。この空気感。エンジニアが踏み込んでいい領域(テリトリー)じゃない。俺一人だったら、店に入る前に不法侵入で(はじ)かれていたところだ」


 航は額の汗を拭い、スマホに向かって低く囁いた。


『旦那様。安心してください。現在のあなたのオーラは、背景の壁紙よりも地味です。誰の視界にも入っていませんから、自意識過剰という名の無限ループから早く脱出することをお勧めします』


「相変わらず励まし方がえぐいな……」


『それより旦那様。これから合流する七瀬様に対して実施する「予行練習」ですが、私のデータベースに基づいた完璧なエスコートプランを提示します。いいですか。女性がスイーツに求めているのは、糖分ではありません。……「物語(エピソード)」です』


「物語……?」


『左様。ただ「美味しい」と言うのは、素人のコードです。プロはこう言います。「この螺旋の美しさは……そう、まるで銀河鉄道が宇宙(そら)へ駆け上がっていく軌跡のようだ」。さあ、注文の瞬間に店員さんの目を見て唱えてください』


「松本零士先生の世界観じゃねえか! 言えるか! 店員さんに『お帰りはあちらです』って即座に強制終了(シャットダウン)されるわ!」


 航がスマホの画面を指で小突いていると、背後から「お待たせしましたー」と軽やかな声がした。

 振り返ると、そこにはいつの間にか仕事を切り上げたろあが立っていた。  オフィスではカーディガンを羽織っていた彼女だが、今はそれを脱ぎ、少し肩の開いたトップス姿になっている。夜の街灯に照らされた彼女は、昼間の「後輩女子」よりも少しだけ大人びて見えた。


「……な、七瀬さん。早いな。もう仕事終わったのか?」


「佐々木さんが必死な顔で席を立ったから、慌てて追いかけてきたんですよ。デート(予行練習)の当事者が遅れるわけにいかないでしょ? ……あ、もしかして私のこの格好、ちょっとドキッとしました?」


 ろあが悪戯っぽく顔を覗き込んでくる。  航は慌てて視線を泳がせ、不自然に咳払いをした。


「……いや、その、別に。……でも、美月さんもこういうお店に来る時は、そういう……その、大人っぽい感じになるのかなって、思って」


『旦那様。動揺がバイタルデータに丸出しです。現在の心拍数、コンパイルエラー寸前。……七瀬様、申し訳ありません。この男、女性の「オフモードの肌色」という未知のパッチを当てられたせいで、システムが一時的にフリーズしております』


「あはは、ヴィクター君は正直だなぁ」


 ろあは笑いながら航の隣に並んだ。彼女が隣に立つだけで、周囲の「オシャレな空気」にようやく自分が接続(ログイン)できたような気がして、航は密かに安堵する。


「さて。じゃあ佐々木さん、デバッグ開始ですよ。まず、この待ち時間。美月さんを退屈させないためのトーク、何か用意してますか?」


「え、トーク? あ、ああ……もちろん。ヴィクターと一緒に考えてきた」


 航は意を決して、ヴィクターに吹き込まれた「銀河鉄道」ではない方の、自力で考えた話題を切り出した。


「……あの、七瀬さん。この店の名前の『スパイラル(螺旋)』だけど。実は自然界の黄金比に基づいた対数螺旋になっていて、工学的には非常に効率的な曲線で……」


 ろあは一瞬、無言で航を見つめた。  そして、深いため息とともに、手にしたスマホのカメラを航に向けた。


「佐々木さん。今のトーク、評価は『星マイナス五つ』です。美月さんなら微笑んでスルーしてくれますけど、心の中では『この人、仕事の話しかできないのかな』って思われちゃいますよ。……あ、今のガッカリした表情、面白いから写真撮っておこ」


「……練習、厳しすぎないか?」


 航が肩を落としたその時、ようやく店のドアが開き、甘い香りが夜の街へと溢れ出した。  二人の「仕事帰りの予行練習」の本番は、まだ始まったばかりだった。


 店内に一歩足を踏み入れると、そこはさらに異世界の(おもむき)があった。  落ち着いた間接照明が、磨き上げられた大理石のカウンターを照らし出している。その中央では、パティシエがまるで精密機械を操るエンジニアのような手つきで、金属製の絞り機を構えていた。


「すごいな。……本当に、目の前でやるんだ」


「佐々木さん、口が開いてますよ。はい、ここシャッターチャンス! スマホ構えて!」


 ろあに促され、航は慌ててカメラを起動した。  パティシエがレバーを引くと、極細のモンブランペーストが、それこそ対数螺旋を描くように、メレンゲの土台の上へと美しく降り積もっていく。


「完成です。……賞味期限は、一分。香りが消えないうちに、お召し上がりください」


 差し出された一皿。  航は思わず息を呑んだ。だが、横でヴィクターがここぞとばかりにスピーカーを震わせる。


『旦那様。今です。「物語」を注入する絶好のタイミング。……さあ、七瀬様の目を見て、先ほどのフレーズを。「この螺旋の渦に、僕と一緒に溺れてくれないか」』


「台本が変わってるじゃねえか! それはもう、食べ物に対する感想ですらねえよ!」


「あはは! ヴィクター君、今の最高! 佐々木さん、ほら早く! 溺れてくれないか、って言って!」


「言うわけないだろ! そもそも、賞味期限一分なんだろ!? 早く食べないと!」


 航は混乱しながらも、フォークを手に取った。  しかし、目の前のろあは一口も食べようとせず、じっと航の反応を観察している。その視線が、職場の後輩としてのそれよりも、どこか熱を帯びているように感じて、航の手が止まった。


「……食べないのか? 七瀬さん」


「私は後でいいです。今は、佐々木さんの『デバッグ』中ですから。……ねえ、佐々木さん。美月さんとここに来たとして、そんなに慌てて食べて、相手を置いてけぼりにするつもり?」


「え……。いや、でも期限が……」


「期限も大事だけど、一番大事なのは『今、この瞬間の空気を共有してる』って感覚ですよ。……ほら。あーん、してあげましょうか?」


 ろあが、自分のフォークで小さく救い上げたモンブランを、航の口元へと運んできた。  ライトアップされた彼女の瞳が、悪戯っぽく、それでいて少しだけ試すように航を射抜く。


「……っ!?」


『旦那様、バイタルデータが限界突破(オーバーフロー)しました。顔面加熱により、システムダウンの恐れがあります。……七瀬様、その攻撃は「一分」という時間制限よりも、旦那様の精神力に対して特効(クリティカル)すぎます』


「冗談ですよ。ほら、早く食べて。本当に味が変わっちゃいますよ」


 ろあはケラケラと笑い、自分の口にそれを運んだ。  航は真っ赤になった顔を隠すように、自分の皿のモンブランを口に放り込んだ。


 ……甘い。  栗の濃厚な香りが鼻に抜け、土台のメレンゲが淡雪のように消えていく。  確かに、これまでに食べたどんなスイーツよりも美味しかった。だが、今の航にとっては、その味よりも、向かいの席で「美味しいですね」と微笑むろあのほうが、よほど心に深く刻み込まれてしまっていた。


 店を出ると、夜の表参道の風が、熱を持った頬に心地よかった。


「お疲れ様でした、佐々木さん。今日の予行練習の成果は……まあ、及第点ってことにしておきます」


「……助かったよ。一人じゃ、絶対に来られなかった」


「ふふ。次は美月さんを誘えるといいですね。……でも、もし断られちゃったら、また私が練習台になってあげてもいいですよ?」


 ろあは、そう言い残して駅の改札へと消えていった。  航は、彼女が去った後の夜景をぼんやりと見つめ、スマホの画面に目を落とした。


『……旦那様。現在のログを確認しましたが。本日の「予行練習」、成功率は上昇しましたが……。それ以上に、旦那様の「人間関係の依存先」に深刻な競合(コンフリクト)が発生している可能性があります』


「競合……? 何の話だよ、ヴィクター」


『……いいえ。ただの、AIの独り言です』


 ヴィクターの返答は、どこか今までになく、無機質な機械音声に近い質感を帯びていた。  三ヶ月という期限。  美月への想い。  そして、ろあとの予行練習。  航の恋のプログラムは、さらなる複雑な迷路へと足を踏み入れようとしていた。

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