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月華の契り ー異世界の姫は二人の龍に愛されるー  作者: kiyoaki


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第6話 暁の独占欲

 花鏡宮を包む空気は、一夜にして毒を含んだ蜜のような粘りつくものへと変わっていた。


 帝・翡翠ひすいの暴走を鎮め、その腕の中で夜を明かした白露(朱里)への寵愛は、もはや疑いようのない事実として後宮を震撼させている。

 昨日まで彼女を「死に損ない」と蔑んでいた妃たちの視線は、今や剥き出しの嫉妬と、獲物を狙うさそりのような殺意を孕んでいた。


「……息が詰まるわ」

  朱里あかりは、重厚な沈香の煙が立ち込める回廊を歩きながら、胸元を押さえた。

 翡翠から与えられた極上の薄紅のうちきが、今の彼女には重い鎖のように感じられる。

 彼が放つ執着の熱は、愛おしくもあり、同時にすべてを焼き尽くすような業火でもあった。


 その時、一羽の白鷺が朱里の目の前を横切り、奥まった「迷い子の庭」へと舞い降りた。

「あ……」

 誘われるように足を向けた先、垂れ込める藤の花陰に、その男は立っていた。


 あかつきだった。

 今日の彼は、深海を思わせる濃い勝色の狩衣を纏い、端正なかおに氷のような微笑を湛えている。瞳の奥には、出口のない迷宮のような暗い情念が渦巻いていた。


「あなたはここを去るべきだ、白露様。いいえ、異界から来られた『朱里』殿」

  暁の声は、鼓膜を優しく撫でる絹糸のように滑らかだった。 朱里は息を呑んだ。

「暁様、なぜ私の名前を……」

「陰陽師の眼を欺けるとお思いですか。貴女の魂は、この世界の誰よりも鮮烈で美しい色彩を放っている。……兄上が、正気を失うほどに執着するのも無理はない」


 暁が音もなく距離を詰める。

 彼の放つ冷気は、翡翠の熱に焼かれた朱里の肌には、一瞬の救いのように心地よく感じられた。

 暁はその隙を見逃さず、朱里を藤の巨木へと追い詰め、逃げ場を奪うように両腕を広げた。


「兄上は、龍の血に支配された獣です。昨夜、貴女に刻んだ熱い痕跡も、彼にとっては所有物の印に過ぎない。……いずれ、貴女はその熱に耐えきれず、灰となって消えるでしょう」

「そんなことは……!」

「私なら、貴女を焼かずに済む」

 暁の指先が、朱里の頬を、唇を、壊れ物を扱うような手つきでなぞる。


「貴女を私の『式神』として、永遠に影の中に封じ込めましょう。そうすれば、帝の熱も、妃たちの嫉妬も、貴女に届くことはない。……私の腕の中だけで永遠の夢を見続けていればいいのです」

 暁が呪文を呟くと、周囲の藤の花が一斉に輝き出し、紫の鎖となって朱里の四肢に絡みついた。

「っ……体が、動かない……!」

「これは『鏡迷宮きょうめいきゅう』。貴女の心にある『帰りたがっている自分』を糧にする術です。朱里殿、貴女は現代あちらの世界を、まだ捨てきれてはいないでしょう?」


 暁の言葉が、朱里の心の奥底に眠っていた「郷愁」を容赦なく抉る。

 鏡のように磨き上げられた大気が、朱里の周囲に現代の風景――喧騒、高層ビル、そして懐かしい人々の幻影を映し出した。

「あ……お母さん……」

  朱里の意識が混濁し、膝から崩れ落ちそうになる。

 暁はそれを優しく受け止め、彼女の耳元で甘く、毒を含んだ声で囁き続けた。


「そうです。あちらの世界に帰りましょう。私が、貴女の魂をあちらへ送り届け、私自身も影となって貴女に寄り添いましょう。……兄上の手の届かぬ、静かな奈落へ」

 暁の愛は、献身を装った、いわば「心中」のようなものであった。

 朱里の意識が深い闇に沈もうとした、その瞬間――。


「俺の庭で、随分と汚らわしい術を弄してくれるではないか、暁」

 轟音と共に、金色の雷光が「鏡迷宮」を打ち砕いた。 現れたのは、怒れる龍の化身。

 翡翠が、髪を振り乱し、抜身の太刀のような鋭利な殺気を纏って立っていた。

 彼の周囲では、あまりの霊力の昂ぶりに、地面の小石が浮き上がり、砕け散っている。


「兄上……。執念深いお方だ。この女の何が、貴方をそこまで突き動かすのです」

  暁は、朱里を背後に庇いながら、兄を睨み据えた。

「すべてだ。この女の小賢しい知恵も、俺を恐れぬ瞳も、その魂の欠片さえ、他の誰にも触れさせはせん!」


 翡翠が地を蹴り、暁へと肉薄する。 熱き龍と冷たき龍。

 互いの衣の擦れる音が、大気を引き裂く。

 暁の放つ影の刃を、翡翠は素手で掴み、握り潰した。掌から血が流れるが、翡翠はその痛みさえ悦びであるかのように、凶暴な笑みを浮かべる。


「朱里、どちらを選ぶかなど聞いてやらぬぞ。俺が貴様を、力ずくでこの現世うつしよへ繋ぎ止める」

 翡翠が、術の拘束を力任せに引き千切り、朱里を奪い返した。

 彼の胸板の熱さが、暁の術で冷え切っていた朱里の魂を、強引に呼び覚ます。

「あ……翡翠、様……」

「貴様は元から俺の後宮にいた俺の女だ。今更どこへも行かせん」


 翡翠の腕の中で、朱里は戦慄した。

 目の前で膝をつき、口端から血を流しながらも執着の炎を消さない暁。

 自分を壊さんばかりに抱きしめる、狂気を帯びた帝。


 後宮という名の籠の中で、二人の龍による闘争は、国の運命さえも巻き込む嵐へと加速していく。

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