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月華の契り ー異世界の姫は二人の龍に愛されるー  作者: kiyoaki


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第5話 龍の呪いと熱い夜

 深更の闇が、花鏡宮の回廊を濃密な墨色で塗り潰していた。


 その夜、大気を震わせていたのは、不気味なほどの「熱」であった。

 風はなく、目に見えぬ炎に炙られたかのように陽炎かげろうを立ち昇らせている。

「……熱い」

 朱里あかりは、御帳台みちょうだいの中で、言いようのない圧迫感に目を醒ました。

 胸の奥が騒ぐ。それは霊力の乱れを感じ取った、本能的な警告であった。


白露しらつゆ様、起きておいでですか!」

 飛び込んできたのは、顔を蒼白にしたあかつきであった。

 禁裏の警護を司る彼が、深夜に妃の寝所に現れるという非礼。

 だが、その瞳に宿る焦燥が、事態の異常さを物語っていた。


「暁様……一体、何が?」

「兄上の『龍熱りゅうねつ』が暴走したのです。このままでは、花鏡宮が兄上の放つ劫火ごうかに焼き尽くされる……!」

 暁の言葉が終わらぬうちに、地を這うような咆哮が宮を揺らした。

 獣の叫びであり、同時に、あまりに強大すぎる力を与えられた神の悲鳴でもあった。


 朱里は、暁が止めるのも聞かず、翡翠ひすいの居所である清涼殿へと走った。

 殿の内は、息もできぬほどの熱気に満ちていた。

 幾重にも垂らされた御簾が、内側から溢れ出す黄金の光に透け、狂おしく揺らめいている。


「来い、朱里……!」

 炎の渦の中から、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 朱里が御簾を撥ね退けて踏み込んだ先。

 そこには、衣を肌脱ぎにし、苦悶に身をよじる翡翠の姿があった。

 白い肌には、龍の鱗を思わせる熾烈な紋様が浮かび上がり、触れれば指先が炭化しそうなほどの熱を発している。

 黄金の瞳は理性を失い、ただ破壊的な情念だけを湛えていた。


「帝……!」

 朱里は、反射的に彼の元へ駆け寄り、灼熱の身体を抱きしめた。

「あ……っ!」

 肌が焼けるような衝撃。

 だが、彼女は手を離さなかった。

 

 朱里は、自らの衣を水に浸すと、彼の額や胸元を丁寧に拭い始めた。

「翡翠様、しっかりしてください。貴方は龍に呑まれてはいけない。貴方は、この国の、そして私の……」

「朱里……逃げろ。俺の中にいる龍が、お前を喰らおうとしている……」

 翡翠の大きな手が、朱里の細い首筋に掛けられた。殺めることも、愛でることも容易い、力に満ちた指。

 朱里は逃げなかった。

 彼女は翡翠の熱に浮かされた頬を、自らの両手で包み込んだ。

「喰らわせません。貴方の孤独も、その呪われた力も、私が半分引き受けます。……だから、正気に戻って!」


 朱里が、かつて白露が詠めなかったほどの、魂を削るような言霊ことだまを口にすると、奇跡が起きた。

 彼女の身体から、清涼な霊力が溢れ出し、翡翠の暴走する熱を、静かに、しかし確実に「中和」し始めたのである。

「……信じられぬ。貴様の魂は、これほどの熱を吸い込んでも……なお、澄んでいるのか」

 翡翠の瞳に、わずかな理性が戻る。

 彼は、力任せに朱里を寝台へと押し倒した。重なり合う二人の身体。

 朱里の柔らかな曲線が、翡翠の硬質な筋肉に食い込み、互いの心音が狂おしく共鳴する。


 翡翠は、朱里の髪に顔を埋め、獣のようにその香りを吸い込んだ。

「お前を……愛でるだけでは足りぬ。お前のその清らかな魂を、俺の血の中に溶かし込みたい」

「帝……翡翠様」

「朱里、お前だけだ。俺を『龍』ではなく、ただの『男』として見てくれたのは……」


 翡翠の唇が、朱里の鎖骨に、そして喉元に、熱い痕跡を残していく。

 それは慈しみというよりは、己の獲物であることを刻みつけるような、激しく暴力的な独占欲の顕れであった。

 朱里は、その熱さに眩暈を感じながらも、彼の背中に腕を回し、強く抱きしめ返した。

 その瞬間、彼女はこの世界で、孤独な龍と共に生きる覚悟を決めたのだ。


 二人の激しい睦み合いを、御簾越しに見つめる者があった。

 暁は、己の指先から滴る鮮血に気づかなかった。朱里を救うために編んでいたはずの「鎮めの術」は、いつの間にか、翡翠への殺意に満ちた「呪詛」へと変じようとしていた。


「兄上……貴方は、彼女に触れてはならないお方だ。その熱で彼女を焼き殺す前に、私が……彼女を永遠の影の中に」

 暁の背後に、黒い影が渦巻く。

 翡翠の放つ「陽」の熱に対し、暁が育て始めたのは、底なしの「陰」の執着。


 夜が明ける頃、翡翠の熱は平癒したが、朱里を巡る三角関係は、もはや引き返すことのできない破滅的な愛憎へと変貌を遂げていた。

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