プロローグ(1)
※注意:この小説はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がございません。
2023年11月15日、沼田太作先生がご逝去になった。
それは、組織としてトップが亡くなるという大きな損失となるが、私個人としてはそれを遙かに超えるほど大きな打撃であった。
その詳しい説明の前に、まず私の出自について説明するのが適当だろう。
私の名前はは山田伸二と言い、1970年5月3日に創値学会の2世として生まれた。
5月3日は1951年に創値学会の戸口砦聖先生が2代会長に就任し、さらに1960年に沼田太作先生が3代会長に就任した創値学会にとって極めてめでたい日であり、創値学会の熱心な信者であった両親から、沼田先生の執筆した小説の主人公の名前にちなんで、伸二と名付けられた。
生まれてから大学を卒業するまで、私は創値学会が設立した創値学園をエスカレーター式に進学していった。創値学会の人間にとって模範的なエリートコースを進んでいるように見られるだろう。さらに、私は大学在学中に3人の折伏(※他宗の人を創値学会へ改宗させること)に成功しており、その功績が認められ、男子部の中の創値班に所属することになった。
大学卒業後は創値学会のコネを使い、創値系列の一般企業に入社したが、入社して一年後に転機が訪れた。創値班の先輩より広宣部に来ないかと誘われたのである。
広宣部とは1988年ごろに新しく創設された組織であり、主に諜報活動を行っていた。いや、本当のことを言えば、学会に敵対する人物の尾行・盗聴・盗撮・嫌がらせなどの諜報活動などという言葉で表現して良いかと思うほどのことを行う裏の組織であった。
私はこれを昇進のチャンスだと思い、先輩の勧誘に乗り、広宣部に入った。
広宣部に入ってから、私は学会の敵である仏敵を打ち倒すことのみに専念した。仏敵を倒すためにはあらゆる手段を使い、一切の容赦をしなかった。そういった活動が功を奏し、私は33歳にして、広宣部の副部長に昇進した。
ここで、さらなる転機が訪れた。ある日、広宣部の部長から電話で今すぐ信農町の本部に来てくれと言われた。何かと思い急いで来てみると、私は驚愕した。
そこには、沼田太作先生が座っていた。
沼田先生は私たちが部屋に入り扉が閉まるのを確認すると、
「いきなり呼び出されて驚いたかい?」
と笑顔で呼びかけた。私が戸惑いながらも、胸を張り、
「はい!たいへん驚きました!」
と声を挙げると、沼田先生は微笑みながら何度も頷いた。
その後、
「君たちに頼みたいことがあるのだが…」
と本題に入った。本題の内容は、ある公朗党の元議員を失脚させて欲しいというものであった。その理由としては、約10年前にこの議員が創値学会にとって不都合な文書を週刊誌に掲載するという、学会の力で議員になった恩を仇で返すことをしたためである。しかし、この元議員は10年前にテレビのコメンテーターなどに複数出演しており、政界とのコネも強く、社会的な影響力があったため、手出しできなかった。けれども最近になり、コネを持っていた議員が次々に引退し、加齢によってテレビへの出演も少なくなったため、今が叩き時となったのである。
私はこれを沼田先生の期待に応えることができるチャンスととらえる一方で、一度学会に歯向かえば、沼田先生は何年でも記憶する執念深さがあることを恐ろしく思った。
もちろん、ここで辞退することは先生の顔に泥を塗る様なものであり、私はこの依頼を引き受けた。
まずこの依頼の工作を行うにあたって、該当の元議員の身辺調査を行った。
失脚の工作を行うにあたって、その元議員と親交のある人物の中に大きな権力を持つ有力者がいた場合、工作を行った自分たちが返り討ちにされる可能性が大きい。そのため約3か月間、元議員の行動を監視し、親交のある人物を洗い出した。
その結果、該当の元議員は既に隠居の身であり、政治的に有力な人物とのコネクションが薄いことが分かった。
そこで次に、創値学会の機関紙である聖経新聞でその元議員を激しく批判する記事を掲載し攻撃を行った。批判記事を掲載することによって、学会内の会員にその元議員に対して敵対心を煽ることによって、学会内においても孤立させ、次の攻撃が実行しやすい状態を作った。
ここまでの攻撃については終始上手くいっていた。しかし、私達には大きな不安要素があった。
それは手帳である。
その元議員は、議員時代から会議や会談があった際に、その発言を手帳にメモする癖があった。そして、元議員は学会がかつて起こした言論出版妨害事件や「月間万年筆」事件などに深く関与しており、その問題についての学会側の秘密がその元議員の手帳に記されている可能性が高かった。もし、元議員がその手帳を学会に対して批判的な新聞・週刊誌の編集部に提出した場合、創値学会が受けるダメージは深刻なものになると予想された。
そこで私は公朗党を引退したOB3人に、聖経新聞の記事を心配する風に装い元議員と接触し、手帳を全て学会側に引き渡させるように依頼した。私自身が手帳を回収しようとも考えたが、それでは学会が手帳を強奪したように捉えられ、裁判などがあった際に学会側に不利益となる可能性があった。そのため理想としては、元議員が自発的に進んで学会に手帳を差し出したという筋書きを作りたかった。
実際に手帳の引き渡し作戦を実行したところ、予想した通り元議員は手帳の受け渡しを拒否してきた。しかし、OBから連絡を受けて、その拒否の仕方に隙があることを私は見逃さなかった。元議員は保管してある手帳の価値を理解しており、それを第三者に渡すことの大変さについても想像できている。その一方で、元議員は学会の組織の巨大さを恐れている。これほどまでに大きな組織であれば、その気になれば人間一人を物理的に消すことが容易であることを理解しているのである。
そのような人間が何を求めているか?広宣部で長年活動してきた私はすぐに気が付いた。
それは「現状維持」である。
人間は危機に直面することによって、今まで生活してきた現状が幸福なものであると感じ、そしてこれからも現状が続くことを望むようになる。
私は今の状態が保たれることを取引条件として、保管されている手帳をこちらに受け渡すことを元議員にOBを通して要求した。そうすると、元議員は手帳の中身を学会側が確認しないことを条件に受け渡し要求に応じた。
手帳が元議員から学会へ渡ったことを沼田先生に報告したところ、私のことをとても気に入ってくださった。この時から沼田会長と自分の特別な関係が始まったと言ってもよい。
その結果、手帳を回収したことが評価され、私は理事へ昇格することになった。
この人事は異例であるとともに、
「手帳を失った元議員は恐るるに足らず、簡単に失脚できるから、下の者にまかせてお前は上へ行け。」
という会長からのメッセージでもあった。
しかし、自分としては引き受けた仕事は最後まで行う性分であったため、元議員失脚のための次の段階の作戦を部下に伝えた。
たしかに、手帳を奪ったことによって元議員が学会に対する強力な武器を失ったことは確実である。しかし、これだけで学会が安泰であるとは言い難い。学会が安泰であるためには、元議員が学会に歯向かう術をすべて失わせる必要があった。
具体的には金である。元議員は政治家として現役中に多大な資産を築いていた。その資産を学会に対する訴訟費用にされる危険があった。他にも金にはさまざまな使い道がある。とにかく元議員の資産を無くすことで、完全に学会に反抗する術を失わせることが次の目的であった。
作戦としては、聖経新聞による攻撃を行う点は今までと同じであるが、それと同時に元議員に学会への寄付を強要するところが新しい。元議員が寄付に応じた場合、聖経新聞の攻撃を一定期間弱めることで寄付を行うことで助かるように思わせる。しかし、時間が経ったらまた聖経新聞での攻撃を強めることで再度寄付を行うように仕向ける。これを元議員の資産が無くなるまで続けるのが今回の作戦となる。
結果を先に言うと、この作戦は成功した。2年間かけて、元議員から2億6500万円を寄付として引き出すことに成功したのだった。これによって、元議員は学会に対抗する術を全て失った。つまり、失脚作戦は完全に成功したのである。
このことを沼田会長に報告すれば、大層お喜びになるはずだと私は考え、信農町の本部にアポイントを取り、沼田会長に作戦の成功を報告した。
すると、沼田会長は私の予想に反してとても真剣に報告を聞いていた。そして、報告が終わると、私に一つ質問をした。
「君、弟子にとって一番大切なことはなんだ?」
私はすぐに答えた。
「私は広宣部で何年も仏敵を打倒してきました。その理由は師匠を仏敵からお守りする。ただそれだけのために仏敵を打倒してきました。」
「その言葉に偽りはないかね?」
会長が最後に尋ねた。
「もちろんです。」
私は答えた。
しばらく沈黙の後、会長が口を開いた。
「君、私の後を継ぐ気はあるか?」
その言葉を理解することに私はかなりの時間を有した。この作戦はそこまで重大なものであったのか?なぜ私なのか?なぜ他の重役ではないのか?なぜ今切り出されたのか?私の中で疑問が渦巻いていた。
しかし、そんな疑問とは裏腹に、私の口は相手がもっとも欲していたであろう言葉を口にしていた。
「はい。」