8.名も無きキミを探して
あの花火の日から数日が経過した。
昴は気持ちを切り替えて、いつもと同じようにナナに接していた。
ナナもまた、昴とはいつも通りに接していた。
あのことが、無かったことになったように。
その日の天文台は少しまばらに雨が降っていた。
ぬかるみに足をとられながらも、昴はいつも通り天文台へと向かった。
「昼から雨も小降りになったな。
なんとか来れてよかった」
「そうだね、昼は土砂降りだったからさ。
……無理して来たりしたらダメだからね?」
「分かってる分かってる」
昴くんは例え大雪だろうと来るだろうな。
そんなことを思いながら、ナナは呆れて一つため息をついた。
空気もかなり冷たくなってきている。
もうすぐ冬がくる。
冬は空気が澄んでいて、星がよく見える。
昴はそれを楽しみにしていた。
ナナとまた、星の話ができることを。
「……この調子だと、今日は誰も来ないか」
「そうだね、こんな曇り空じゃ誰も呼べないし……」
そんなことを話していると、コツコツと控えめな足音が聞こえてきた。
「あの……相談室やってると聞きました……」
長く黒い髪、伸びた前髪からは琥珀色の瞳を覗かせる。
古びた学校の制服、黒い服に赤い糸の刺しゅうがよく映える。
「えっと……ごめんね、キミは……星だよね、違う?」
今日の相談相手はいつものような輝きは無かった。
「そうですね……星です。
天の川の、星の一つで。
はくちょう座の近くの星の一つです」
「なるほど、ありがとうね」
ナナはこっそりと僕に耳打ちをする。
「星っていうのは無数にあるから。
こういう星がむしろ一般的なんだよ。
ただ、ここに来るのにもエネルギーを使うからあまり見ないっていうだけ」
いかにも、人の世界に溶け込んでいそうな星だ。
おそらく、この人が学校にいたとしても、僕は特に気にすることはないだろう。
「それで、相談だったよね?」
「はい……実はわたし……」
それはとても深刻な悩みで。
昴達の手に負えるか分からないものだった。
「ーー消えてしまうかも、しれないんです」
「私達、星が消えるのはいくつかパターンがあるんだよ。
で、そのほとんどが寿命。
今まで来てくれたような大きな星は、おそらく最後の一瞬まで華々しく輝いく。
そして超新星爆発を起こすんだ」
そういう星は最後まで人間に観測される。
使命を果たして燃え尽きる。
最後まで、誰かが見ていてくれる。
「逆に小さな星は、燃え尽きると徐々にその輝きを失いながら白色矮星になるの。
言ったように、ここに来るのにもエネルギーがいるからさ。
そのエネルギーも……なくなっていくんだ」
だから、誰にも見られない。
一人寂しく終わっていくんだ。
ーー名前も与えられずに。
「……それで、キミの相談はなに?
いくら私達でも、星の寿命は延ばせないよ?」
「ち、違います。
それは、分かってるんです。
どうしようもないって。
ここに来たのも、ホント偶然で。
ただ少し、話を聞いてほしかったんです」
いかにも相談室らしい仕事が来た。
でもそれは、今までとは比較にならないほど重いものだった。
「わたしは、デネブさんや、アルタイルさん、ベガさんみたいな、輝いている星の近くに生まれました」
黒髪の少女はポツリポツリと語り出す。
「わたしにはそれがとても、羨ましかった。
わたし達星は、努力とかで輝きを強くすることはできません。
全部、生まれた時に決まるんです」
「……」
昴は何か言おうと思ったが、言葉として出てくることは無かった。
昴にとって、努力できるのも才能だとずっと思ってきた。
では、努力すらできない環境で自分は果たして何か出来ただろうか。
そう考えると昴は少し身震いをした。
「羨ましかったんです。
星座になって、他の星と繋がれるのが。
神話という物語の一員になれるのが。
役割を与えられるのが。
名前がーーあることが」
昴はナナを見る。
ナナも名前が無いと言っていた。
では、ナナもいずれーー。
その考えを昴は振り払う。
「今回ここへ来れたのも奇跡なんですよ。
でもやっぱり、わたしには、ここにいていい理由が分からないんです。
誰にも見られないわたしが。
そうしてすぐ、他の星と比べてしまうんです」
「……見てる人は、きっといるんじゃないかな」
ナナのそんな慰めの言葉に、黒髪の少女は首を横に振る。
「わたしはきっと、個じゃないんです。
天の川の、たった一粒。
そんなわたしを見てくれる人なんて……」
「それじゃあ、名前を考えてみるのはどうだろう」
昴のその発言は思いつきだった。
ただの一個人の付けた名前に、効力など何もない。
ただ、黒髪の少女は少し驚いてから、顔を赤くして笑った気がした。
「そうだなぁ……ナナ、何かいいアイデアはないか?」
「え?私?
えっと……黒い髪が特徴的だし、クロちゃん……とか?」
「……何かもっと無かったんですか?」
少女にダメ出しを受けてしまったナナはしゅんとした。
「でも、方向性はいいと思うんだ。
黒、黒……ノワールとかどうかな?
安直ではあるけど……」
「ーーノワール……!
とてもいいと思います!」
ノワール、ノワールかぁ、と繰り返し自分の名前を呟く。
「さっきは誰にも見られてないって言ってたけどさ」
昴は口を開く。
ずっと、目の前で名前のない星を見てきたからこそ言える言葉だった。
「今は僕たちがーーキミを見ているんだ」
ノワールはハッとして、また顔を赤らめた。
ナナはそれを見て、少しムッとしたような気がした。
「ーーわたし、一つやりたいことができました」
ノワールは、決意したように新たな相談内容を口にした。
「ガールズトークが、してみたいです」
その日、昴は『男子禁制の時間』と称されて、天文台から優しく追い出された。
「ノワールも、最後には、一つの星になれたのかな」
翌日の天文台。
その日の天気は曇り空。
昴は望遠鏡を覗くが、雲しか見えなかった。
「なれたんじゃないのかな。
昴くんが名前を付けてくれたおかげでね」
「……そうだと……いいな」
星を呼ぶ時は名前が必要だ。
それほど、星にとって価値のあるものなのだろう。
「でもこれで名前がついたんだ。
ノワールを呼べばいつでも」
「……会えないんだ」
ナナは昴の言葉を遮る。
「……なんでだよ。
名前つけたじゃないか、僕たちで。
呼べるんだろ?
観測して、思い浮かべて、名前を……」
「星を呼ぶには、ある程度の共通認識が必要なんだよ。
だから私達2人がノワールって呼んだところでダメなんだ」
昴は、言葉が出なかった。
結局昴も、ノワールと同じで、人間のうちの一粒にすぎない。
その影響力は、微々たるものだった。
「それに、ノワールがどの星かも分からない。
ここに来れたこと、それに輝きから考えるに推定6等星。
肉眼で見えるギリギリなんだよ。
そんな星は……山のようにいる」
「……そう……なのか」
無数の人間から、たった一人を見つけ出すことが難しいように、星もたった一つを見つけ出すことは難しいのだ。
それが目立たない星となると、なおのこと。
「……昴くんはさ、星が消えるって聞いて、どう思った?」
昴は今までの星を思い出す。
レグルスに、カストル、ポルックス。
アンタレスと、アルゴル、ベガ、アルタイル。
ノワール。
そしてーーナナ。
「……最初は星に興味はなかった。
だけど、見ていくうちに、みんな必死に輝いてるんだって伝わってきた。
星に対する見方が少し……変わった気がする」
それは誰のためでもないかもしれない。
でもそこには、輝いている理由があった。
「だからって、僕に何ができるってわけでもないかもしれない。
でも僕は星のことを知れた気がするんだ。
……この相談室で」
空に輝く星ではなく。
もっと近くで、同じ目線で。
「いつか消えるかもしれない。
それでも僕はずっと、星を見ていきたいって思う。
そうしたらいつか……消える日が来ても。
……一緒に送ることくらいはできるんじゃないか。
そう、思うんだよ」
だから、ずっと見ていたい。
この名も無き星と、この相談室で。
「ーーそっか」
ナナはその後に続く言葉を、持ち合わせてはいなかった。
「……今日はもう誰も来ないんじゃないかな」
雲が割れて、月が顔を出す。
ナナの頭の髪留めがキラリと光る。
「そうだね。
もう夜も遅くなるからな。
お化けでも出るんじゃないか」
「うん……そうだね。
だから早く、帰ったほうがいいんじゃない」
いつもと違う、そんな曖昧な返事をする。
「ダメだよ。その優しさを私に向けたら。
私の決心がまた、揺らいじゃう……。
だからーーバイバイ、昴くん」
昴が出ていったことを確認して、そう小さく呟いた。
「今日は星が綺麗に……ナナ?」
翌日。
昴は、よく晴れた空を見て、ウキウキして天文台に向かった。
今日はナナと一緒に星が見えると思っていた。
しかし出迎えてくれる人は、誰もいなかった。
ーー机には、手紙が置かれていた。
『昴くんへ』
その手紙を読むと、昴は天文台のあちこちを探し始めた。
『突然いなくなってしまって、ごめんなさい。
きっとビックリしてるよね』
天文台は小さな施設で、全ての部屋を探すのにそう時間はかからなかった。
『昴くんとの時間は本当に楽しくて。
それでもやっぱり怖かったんだ。
あなたといると、私が星だって忘れそうになる。
あなたといると、あなたが人だって忘れそうになる』
「ナナ?どこへ行ったんだよ。
イタズラしたくなっただけだよな……?」
天文台の外へ出る。
天文台の周囲をぐるぐると回る。
『昨日の言葉を聞いて思ったんだ。
昴くんは優しすぎる。
あなたの時間を、これ以上巻き込んじゃいけない』
「ナナ……!ナナッ……!
頼むよ、返事しろよ、ナナ!」
必死にその名を呼びながら、天文台までの道を全力で走る。
昴は空を見上げ、何かに気づく。
その足は再び、天文台へと駆け出した。
『あなたの告白、聞こえなかったことにして、ごめんなさい。
私は、断るつもりだった。
でも、言葉が出てこなかったんだ』
「ナナっ!なぁ、ナナ!どこだよ、ナナぁ!」
涙で滲んだ手紙を抱きかかえながら、望遠鏡を覗く。
キィキィと、望遠鏡が泣いているような音を立てた。
『この言葉だけは絶対言えないから、最後に私の気持ちを書き残します』
「ナナって名前があるんだろ!?
出てきてくれよ!なぁ!ナナっ!」
星を一つ一つ見つめ、ナナの顔を思い浮かべながらその名を叫ぶ。
しかし、呼び出されるはずもなかった。
その名はーー名無しのナナなのだから。
『私もあなたがーー大好きでした』
「ナナぁぁーーーーーーっ!」
その日の天文台からは、星まで届くほどの悲痛な叫びが響き渡った。
***
「あなた、名前なんていうの?」
「え?だから言ってるでしょ?
私はナナだって」
ノワールは首を横に振る。
外はまだ雨が降っていた。
「わたしはさ、名前のない星だからわかるんだよ」
ーーあなた、名前あるんでしょ。




