3.夢を探して
「あー、すいません。
相談室って……ここであってますか?」
天文台にまた相談相手が来た。
「ポルックス、来てくれたんだね。
カストルは……一緒に来てるのかな?」
「ぼくはここだよっ!
お兄ちゃんが『相談室?』ってとこに行くって言うから付いてきたんだー!」
ポルックスの後ろからひょこっと顔を出す。
どうやら今日の相談相手はこの2人らしい。
ナナは前と同じように自己紹介と、昴の紹介を終える。
「早速で悪いんだけど、コイツの作文を手伝ってやってほしいんだ」
「えぇ!?お兄ちゃん、またその話!?
だから何度も言ったじゃん!
お兄ちゃんの夢を教えてよって!」
どうにも話が噛み合わない。
作文を書くはずのカストルが、ポルックスの夢を聞いていた。
「……そっか、キミたち……まだそんな感じなんだ」
何かを察したように、ナナは少し頭を抱えた。
「……?ナナは僕たちのこと知っていたのか?」
「うん……ふたりのこと、少しだけ耳にしてた。
そう……やっぱり、ね」
ナナとポルックスはお互いに顔を見合わせ、頷いた。
「ーーごめんね、昴くん!
少し任せた!」
「ナナ!?」
「お兄ちゃん!?」
2人は、すごい勢いで逃げて行った。
カストルと昴は、呆気にとられてる間に取り残されてしまった。
カストルと昴は何があったのか、とこちらもお互い顔を見合わせた。
「……作文、書けそうか?」
「……無理」
昴は苦笑しながら空を仰いだ。
そこには見事な星空が広がっていた。
「ナナ、僕にどうしろっていうんだ……」
***
「昴くん、大丈夫かな……
二人きりにしちゃうのはマズかったかなぁ」
天文台の近くの山道を、ナナとポルックスは歩いている。
頭上に見える天の川が、木々の隙間から綺麗に流れている。
「そんなに心配なら、戻ってもらってもいいんですよ?」
「いやいや、そういうわけにもいかないよ。
相談に来たのは、キミたち二人。
……そうでしょ?」
ポルックスとナナは、天文台から少しでも離れるよう、話しながら歩を進める。
「……僕は、アイツに自分を持ってほしいんです。
今のアイツは、僕になろうとしてる」
「それだけ慕われてるって……素敵なことだと思うけど?」
ナナはイタズラに、答えが分かりきったことを問う。
案の定、ポルックスは首を横に振った。
「確かに、誇らしいとは思います。
アイツは……天才だから。
だから僕と同じではダメなんですよ」
カストル。
ふたご座を構成する2番目に明るい星。
6重連星と呼ばれる、3組の連星が重力で結びついた非常に複雑な星。
「……へぇ。
あの複雑な連星の仕組みを、そのまま映してるんだ。
……それで天才」
「そうなんだよ。
単独星の僕とは違うんだ。
アイツは僕と同じじゃ勿体ないんだ」
「ポルックスさぁ……キミ自身の価値にも、いつかちゃんと目を向けてあげてほしいよ。
でも、それは今日じゃなくていいんだ。
それよりもーー」
ナナは少し足を止めた。
ポルックスはそれを見て振り返る。
ポルックスの視界には、背景に満天の星空を抱えた、全てを見透かしたような女性の姿が見えた。
「……本当はあるんでしょ?
カストルに自立してほしい、一番の理由が」
「……なんのことかな。
ただ僕はアイツが天才だから、その可能性を」
「ーー赤色巨星期……だよね」
その一言で、ポルックスは黙ってしまった。
***
「ねぇ、将来の夢って言葉、おかしくない?」
「そうか?
将来叶えたいこと書くんだろ?
何がおかしいんだよ」
どうしようかと途方に暮れた昴は、なんとか話を進めようと、方眼用紙の用意だけしていた。
「それなら今の夢だよ。
夢って叶えたいことって意味だよね?
将来の夢って言ったら、将来何を叶えたいか予想する作文になっちゃう」
「たしかに、そうだよな……。
いやいや違う違う!
何を求めてるか分かってるじゃないか!」
「ぶー、騙されてくれよー」
しかめっ面で、椅子に座りながら足をブラブラさせている。
さっきからずっとこの調子だった。
方眼用紙を見ては
「面白い重力の足跡が描けそう!」
とか。
鉛筆を見ては
「これ、炭素の粒子を付けるんだよね?
……重力に逆らっても書けるのかな?」
とか。
昴は既に疲弊していた。
心では常にナナに助けを求めていた。
「……そういえば、最初言ってたよな。
お兄ちゃんの夢を教えてって。
あれはどういうことなんだ?」
カストルは首を傾げた。
「どういう……?どういうも何も、そのまんまだよ?」
「いや、そうじゃなくて……。
……どうしてポルックスの夢がお前の夢になるんだよ?」
途端、カストルの目が急に輝きだした。
目だけでなく、カストル自体が青白く光ってるようにも見える。
「お兄ちゃんは天才なんだよ!
お兄ちゃんがなんて呼ばれてるか知ってる!?
ーー太陽の未来の姿だよ!
ここでの太陽の扱いは知っているだろ!?
その進化後が、今のお兄ちゃんなんだよ!」
ズイッと身を寄せてくる。
ポルックス。
ふたご座の一番明るい星。
夕焼けのような、穏やかな光の単独星。
未来の太陽と呼ばれるように、太陽と同じようなライフサイクルを辿ってきた。
「だからぼくは少しでもお兄ちゃんに近づきたくて。
だから、模倣しようかと考えたんだ。
でも……」
カストルは言葉を詰まらせる。
カストルなりに、ポルックスの気持ちを考えているのだと昴は理解した。
「……そうだよな。
模倣すれば同じになれるわけじゃない。
生まれ持ったものとか、環境とか、どうしても模倣できないことはある」
昴も、空虚な人生を過ごしてきた。
誰かになろうとしたこともあった。
だから昴にはその気持ちが、少し理解できた。
「でも、だからこそ、自分にもあるんだよ。
ーー憧れの人も持ち得ない何かが、きっと」
「でも、お兄ちゃんはぼくよりずっと」
「それは、ポルックスが出来ることしか見ていないからじゃないか。
一度自分を見つめ直すんだ。
ポルックスではなく、カストルを見るんだよ」
昴も、昔はそうだった。
誰かになろうとして、その能力差に打ちのめされてばかりだった。
でも今になって思う。
自分は、その誰かの出来ることしか見てこなかった。
自分の出来ることに気づけなかった。
それが、当たり前になり過ぎて。
「それで出来ることが見つかれば……。
ポルックスと同じじゃなくて、助けになってあげる存在にもなれる」
「ーーぼくが、助けに……」
カストルは再び、将来の夢という文字を見た。
そして一度深く頷く。
「ーーありがとう、昴くん。
なんかぼく、今なら書けそうな気がする」
「そっか、それなら書いてみよう」
「任せて!言語化なら得意だから!」
そう言うと、小気味よくカリカリと鉛筆の音が天文台に響いた。
「……ごめんね昴くん。
相談もせず……飛び出しちゃってさ」
「ホントだよ、ナナぁ……」
ようやく解放されたと、昴はナナに縋り付いた。
カストルは一通り書き終えて、眠ってしまった。
ナナは眠るカストルの横から、作文を少し覗き見る。
『お兄ちゃんと助け合って、一緒に生きていきたい』
ナナはその言葉を見て、自立には少し遠いかなという感想を抱いた。
同時に、同じでありたいという気持ちから、対等になりたいという気持ちの変化は成長だとも思った。
「これで良かったのかな、ポルックス?」
「……うん。
まさか本当に書けるようになるとはね。
信じてみて良かったよ」
満足そうに、優しくカストルを見つめるポルックス。
カストルは寝言でもずっと、「お兄ちゃん……」と呼んでいた。
「ほら、カストル。帰るぞ」
ポルックスはゆさゆさと、カストルを起こす。
「ん……んぁ……あー、お兄ちゃんだぁ……えへへぇ……」
カストルはまだ寝ぼけていた。
「今日はありがとうございました。
お陰様で無事、カストルの宿題も終わりそうです」
ポルックスは深々と頭を下げた。
「ありがとう昴くん!」
カストルは元気よく手を振っていた。
今日も無事、相談室は終われそうだ。
「……昴くん、実はもう一つ相談が」
「ーーカストル?」
「……ごめん!昴くん、なんでもない!」
カストルは何かを聞こうとしていた。
その時だけ、ポルックスからは穏やかな雰囲気がしなかった。
2人が帰っていく。
昴に少しのモヤモヤを残して、今日の相談室はお開きになった。
「昴くんはさ、なんで相談室を手伝おうと思ってくれたの?」
相談室から帰る支度を整えてると、ナナは唐突にそんなことを聞いてきた。
「え、言わなきゃだめ?」
「うん、だめ。
……ちゃんと聞かせて?」
渋々、昴は自分の気持ちを話す。
「ナナのこと、もっとよく知りたかったんだ」
ナナはそれを聞いて、照れるでもなく少し困った顔をした。
「ねぇ、昴くん。
もう気づいてるかもしれないけどさ……私も、星なんだよ、
ふたご座の神話、知ってる?
人として生まれたカストルと、神の血を引くポルックス。
二人は……同じ時間を生きられなかった存在なんだ」
昴は、ナナには名前が無いと聞いた時から、薄々気付いていた。
ーー彼女もまた、星であると。
「星と人とでは……時間の流れが違いすぎるんだ。
神話のふたりのように、交わろうとしても……きっと永遠には寄り添えない。
だからね……私たちはーー適度な距離感を保たなければいけないんだよ」
その言葉に、昴はまだ何も言えないでいた。